「第3章 フィルター越しの世界が壊れる時」

「第3章 フィルター越しの世界が壊れる時」 (1)

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 新城沙代と互いの連絡先を交換したからといって、すぐさま変化が起きる訳ではない。月曜日の沙代は普段と何も変わらない、いつもの彼女。


 その通常運転ぶりは、先週の出来事をないものにしてしまう。


 しかし、携帯電話のアドレス帳に彼女の名前が表示されると、ああやはり現実に起こった事だったと再認識する。


 正直、メールくらい翌日にでも届くのではと考えていた。(現に本人も近い内にメールを送ると言っていた)


 だが、最初のメールが届いたのは交換してから一週間後の夜だった。


 ベッドで横になりながら文庫本を読んでいたところに充電ケーブルに繋げた携帯電話がメールの受信を知らせる。


 こんな時間に誰だと文庫本に栞を挟み、携帯電話を手に取る。


 受信メールボックスに初めて表示される新城沙代の名前。


 その名前に横になっていた巧は跳ね起きる。そして、緊張する指先で届いたメールを開いた。


【こんばんは。初メールです。学校では香月君とあまり話さないから、いざメールをするのって緊張するね。アドレス交換してからメール送るまで時間が経っちゃった】


 沙代からの初めてのメールは、特別な内容はなく簡単な文面だった。


 巧はすぐに返信を書く。


【確かに緊張する。ウチの高校の人とメールするの初めてだから】


【えっ、本当!? じゃあ香月君、私以外とアドレス交換してないの?】


 毎日、誰からしらとメールをしているであろう沙代からしたら、何気なく送った巧のメールは信じられなかったようだ。


 逆にこちらからしたら、毎日高校で話しているのにまだメールでも話題がある事の方が不思議に思う。何を話しているのか直接聞きたいが、相手を不快にさせてはいけない。巧は余計な好奇心を込める事なく、当たり障りのない返信を送った。


【まあ、誰からも聞かれてもないから。特別俺から聞く用事もないし】


【悠木君とも? いつも仲良く話しているじゃない】


 沙代のメールに書かれた悠木という人物。それは巧が教師以外と話す唯一の相手だった。ただ彼とはたまたま席が上下で並んでいるから、時折会話をするだけである。決して頻繁ではない。その証拠に彼はきちんと、仲の良い四、五人の男女混合グループに所属しており、よく席を立っている。


 それが沙代の認識では、いつも仲良く話している間柄となっていた。


 予想外の情報に驚きつつ、巧は思考を別方向へ走らせる。


 どうして急にメールを送って来たのか。


 何か今日の学校で事件があった? いや、少なくとも教室でそれはない。以前と同じく、自分の知らないところであったと言われたらそれまでだが。


 いずれにしてもアドレス交換してから一週間。近い内に送ると言っていたのにすぐに送らなかったのは、それなりの理由があるはずだ。ただ、沙代に理由を聞くのは、難しい。以前は横断歩道を渡った件について、聞いても断られている。同じ手は通じまい。さて、どうしようか。


 明確な方向性が見えない中、思考を続けていると携帯電話が鳴った。


 こちらが急に返信をしなくなったから、沙代から不審に思われたのだろう。彼女から催促のメールが届いたと思って視界を携帯電話に向ける。


 携帯電話はメールではなく着信していた。


「えっ?」


 思わず声が出てしまう。ディスプレイに表示されている名前は勿論、新城沙代。まさか、直接電話を掛けてくるとは予想外だ。


 軽く息を整えて、巧は通話ボタンを押す。


『もしもし』


『……もしもし香月君?』


『そうだけど、どうしたの?』


『ごめんね、急に電話しちゃって。さっき変なメール送っちゃったから。ごめんね、嫌だったよね』


『大丈夫、別に怒ってない。ちょっと考え事をしてて返信が遅くなっただけ』


『考え事?』


『あー、それも平気』


『そう、なら良かった』


 自分の返信が遅いから、不安になって電話をかけてきた?


 その現状に巧は戸惑いつつも平静を装って会話を続ける。彼女程、周囲の人間と交流を持っているのなら、これぐらいで電話をかけないだろうに。


 余程、自分は丁寧に扱われているのか。それとも他の意図が?


『電話を掛けてきたのは、俺が嫌になったかを確かめる為? それならもう解決だろ? すぐに電話を切って——』


『待って』


『……どうしたの?』


 やはり沙代の様子が少しおかしい。彼女は相手の言葉を遮ってまで電話を続ける人じゃないはずだ。


 やはり嫌になったかを確かめるのは建前で、本当は別な理由があるのか。巧は慎重に相手の次の言葉を待つ。少々の間を置いてから、沙代の声が聞こえた。


『香月君、本当に嫌になってないんだよ、ね? じゃあ、怒ってる?』


『嫌になってもないし、怒ってもいない』


 吹けば消えそうな弱々しい声で尋ねる沙代に巧はハッキリと告げる。すると携帯電話の向こうから彼女が安堵した息が聞こえた。


『なら、いいの。ごめんね、急に電話しちゃって』


『大丈夫。用件は本当にそれだけ? 何か他に理由があるんじゃ? 良かったら——』


『心配してくれてありがとう。でも本当に何もないから。じゃあメール待ってるね』


 再び会話を遮られてそのまま沙代に電話を切られた。途端に部屋が静かになる。一体、どうしたのか。普段から話している訳じゃないので、勝手なイメージでしかないが、コミュニケーションスキルは自分よりも遙かに高い。


 その彼女があそこまで妙な気遣いをする。そして今回も理由は話してくれない。息抜きとしては使えるが、深い事までは話す仲ではないという事だとしても少々おかしい。


 その後、何度か当たり障りのないメールが沙代との間を往復して、そろそろ明日に備えて眠ろうと提案した時、【うん、分かった。今日はメールと電話ありがとう。おやすみなさい】っと素直に了承するメールが届いた。


 対してこちらは【おやすみなさい】っと返信をして、携帯電話から手を離し、明日の学校の用意を終わらせて布団に入る。


 暗くなった天井を見ても中々沙代の事が頭から消えない。彼女が電話してきた今日と前回を重ね合わせて、何か共通項はないかと考える。


だが、所詮クラスで空気となっている自分では、情報量が圧倒的に足りない。高校に入学してから初めて、巧は現状に後悔した。


考える素材がないんだ。これ以上考えても答えなんて出る訳ない。


とにかく今出来る事をしよう。


そう決めた巧は枕元に置いた携帯電話を手に取る。


 暗い部屋での携帯電話の光は強烈で容赦のない明るさについ片目を瞑る。


 もうおやすみと言ってからメールを送るのはルール違反だと承知している。だけど送らずにはいられなかった。


 もう返事が来ないのを承知でメールを書く。


 内容は極めてシンプル。


 また、明日もメールをしようというもの。


 謝罪や質問は余計であり、一番しなければいけないのは、次回のメールの約束である。今回の終わり方では、もしかしたらもう二度と連絡は来ない可能性だってある。


 ディスプレイに送信完了と出て、口から短くの息を吐いて、目を閉じる。


 エアコンの風の音しかしない部屋。


 後は、自分の意識が次第に深く落ちていき、自然と明日になる。


 そのはずだった。


 ポロロン。


 短いメロディが枕元に置いた携帯電話から鳴る。


 眠る準備を始めていた意識を再浮上させて、巧は携帯電話を手に取った。


 受信ボックスを開いて、届いたメールを開く。


 そこに書かれていた文面を読んで、微笑んだ。


【明日の夜にまた電話します。夜遅くにありがとう】


 そんな日々が徐々に増えていき二週間も経つ頃には、毎夜沙代と電話かメールを行う関係性になった。


 毎回最初のような深い話はしない。基本的に話すのは今日の授業についてだ。(これはクラス内での日常を共有できない為)分からない箇所を互いに補完し合う。


 理数系の沙代と文系の巧にはこれが非常に効果的だった。巧は塾に通っていないので、学校以外では勉強関連の話をする事がない。その為、彼女とのやり取りはとても新鮮だった。


 授業の話が終わるとそこからは沙代の愚痴を聞く展開へシフトする。


 誰と誰が水面下で喧嘩をしていて、気を使って大変だとか。


 大学生と誰が付き合っていて、毎日自慢話を聞かなければならないとか。


 どれも巧には一切縁のない話である。


 毎日、同じ空間にいるのに別世界の物語を巧は耳を傾けて時には質問をする。向こうも口外する恐れが全くない相手なのを分かっているのだろう。躊躇なく何でも話してきた。だが相変わらず自分自身の事は話そうとしなかった。


その恩恵として、巧はクラスメイトの事情を一方的に知っていた。


 例えば、自分の二つ隣の席の山木という女子は、一年生と付き合っており、校内ではまず話さないが、放課後は公園で待ち合わせて喫茶店に行く。


 沙代の口から出るクラスメイトの話は、恋愛系が多い。そこはやはり女子なのだと巧は彼女の話題の種類にそう感じていた。


 そして、逆にこちらから話せるような内容は、当然だがどこにもない。そう考えて当初、聞き役に徹していた巧だったが、沙代に何か話を聞かせてほしいとせがまれて、少しずつ自身の話をするようになる。


 最初はまだぎこちなかった巧の口だったが、凍った氷が少しずつ溶けていくように日が経つにつれて、柔らかくなっていく。最近はメールでも電話でも前に住んでいた友人達と話すのと変わらなくなっていた。


 そんな生活が続いたある日、とうとう夜ではなく、巧の学校生活にもある変化が訪れる。




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