「第1章 それは優柔不断な朝から始まった」 (2)
(2)
一回目の乗り換えを終えて大きな駅へ着いた。そこから地下鉄に乗り、約二十分で目的の駅に到着する。
地下鉄の改札を通り、巨大な洞窟に入ると錯覚しそうな異様に長いエスカレーターに乗ってホームへと降りる。するとそこには、ホームを埋めつく大勢の人の姿があった。
MDウォークマンの一時停止ボタンを押す。
今日は何かイベントの日だったか。
まずそう考えた巧だったが、電光掲示板が電車の到着を知らせず、代わりに別の旨を表示していたのを確認して理解した。
地下鉄が止まっているらしい。だからこんな事になっているのか。
巧は周囲を見回す。
焦った顔で携帯電話を耳に当てるサラリーマン。
友人同士で固まって、普段とは違う事態に興奮している高校生。
我関せずと言った顔で、待機列で文庫本を読んでいる大学生。
各々異なった反応をする人間がホームに溢れかえっていた。
そんな中でホームに同じ学校のグループを発見した。
彼らはどうするのか、気になってつい目で追ってしまう。
彼らは友人たちと話しながら現状を楽しんでおり、焦っている様子はまるでない。やがて意見が一致したのか人混みを抜けて、ガラガラの上りのエスカレーターに乗りホームから消えてしまった。
「はあ」
何の参考にもならない。見るだけ無駄だった。誰かを参考にするのを諦めた巧は、状況の整理を始めた。
元々は数分置きに来る朝の地下鉄。
既に三十分以上来ていない。(電光掲示板を見ると巧が来る十五分前から止まっていたらしい)
今、運転を再開するとどうなるか。
待ちに待った地下鉄に一早く乗ろうとして、ホーム中の人間が一斉に向かう。その結果、本来の許容量を遥かに超えた状態で発車する事になる。
その状態で降りる駅までの二十分は苦痛でしかない。乗りたい意欲が全く湧かない。(始業時間にはとっくに間に合わないが、電車遅延という理由は遅刻扱いにならないので一分一秒を惜しむ必要はない)だからと言って、学校をサボると決めて、彼らのようにホームから上がる勇気もない。
どちらを選べない中途半端な巧はホームの隅に立ち、止めていたMDウォークマンの再生ボタンを押した。
地下鉄が運転再開したのは、それから更に五分が経過してからだった。
スピーカーから駅員の謝罪の言葉が聞こえるが、一体何人の人間が耳を傾けているのだろうか。
それよりもホームにいる人間が考えている事は、遅れてやって来る地下鉄に対してどうするかだろう。無理矢理にでも乗るか、見送るかだ。
二本、三本見逃せば、比較的余裕がある状態になるはず。それを見越して既に後方で待機するグループは存在する。一方、ずっと並んでいたグループは遂に訪れる電車に早く乗ろうと列全体が前のめりになっていた。結果、まるで野菜のカブように膨らんでいる。
自分はどうすればいいのか。
未だに迷って決められない中、巧の頭にふとある情景が浮かんだ。
それは、今朝の夢の出来事。
もし〜だったら、と願いを考えて、あの言葉を呟きながら、右手を振る。
確か方法はそれだけだった。所詮は夢の話、現実で起こるはずがない。巧は幼い頃の好きだったテレビのヒーローの真似をする時みたいな純粋な想いはなく、ただの気まぐれで右手を振り下ろした。
もし例えば、この後やって来る地下鉄に座れたとしたら。
「イエローブースター」
人の足音に負ける程の小声でそう呟く。
その瞬間、全ての音が聞こえなくなった。
キーンっと強烈な耳鳴りがイヤホンから流れる音楽を超えて両耳を襲う。
「うっ」
突然の事に声が出て顔を歪めてしゃがみ込みそうになる。幸いな事に衝撃は一瞬で引いた為、何とか踏み止まる事が出来た。引いていく衝撃を息に変えて、口から吐き出しながら顔を上げる。
巧が顔を上げた時、彼はホームではなく地下鉄のシートに座っていた。
「えっ?」
乗っている車内は毎日乗っている地下鉄だった。シートの色、車内の匂いからもそれは間違いない。車内にはこれでもかと人が詰め込まれており、立っている人間はどうにか支えとなるつり革や、手すりを確保していた。
この地下鉄にこんなに人が乗っているのを見るのは初めてだ。
左右を見回して現実逃避気味にそんな感想を抱く。
だがすぐに冷静さを取り戻して、携帯電話を取り出し時間を確認する。
最後に見た時間から数分が経過していた。自分がついさっきまでいたのはホームである。そして地下鉄を待っていた待機列にはいなかった。
乗るべきか決められずホームの隅にいたのだ。どうあってもあそこから、シートに座れるなんておかしい。一体、何人の人間に前を譲ってもらえばいいのか。しかも一番肝心なその記憶がない。
全てにおいて理屈が通じない以上、考えられるのは一つ。
本当に、あるのか。
おぼろげな夢の言葉の力がこの世に存在している。
それを実感出来た時、寒気に襲われた。
降りる駅までの約二十分間。
巧は自身が起こしてしまった事象に、どうにも出来ない気持ちを抱えて、下を向きやり過ごした。
何故なら彼は気付いていたからである。
本来、自分の代わりにこのシートに座れていた人物がいる事に。
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