スマート人類
名取
スマート人類と、野蛮なわたしたち
あるなんの変哲もない春の日、スマホゲームに課金するために仕事を引き受けたスナイパーが、大統領に向かってショットガンを放った。
でもSPもみんなスマホをいじっていたので気づかず、誰も盾にならず大統領は死んだ。血塗れの大統領の写真が高画質スマホで撮られ、情報拡散だけは無駄に早いので、あることないことを色々な人が言いふらした。そうしてまことが嘘に、嘘がまことになり、最終的には、ないはずの戦争が起きていることになった。そして「そうと決まれば!」とでも言うかのように、スマホ脳で少しも我慢のできない政治家たちは早々に宣戦布告を出してしまって、さすがグローバル化といった風情。全てがさっさと始まり、さっさと終わる。考える暇もない。人類もさっさと終わるだろう。
ともかく私の国には化学兵器が降り注ぎ、国民のほぼ全員がバカになった。
いや、まあ、元々この国のやつなんてバカばっかりだったのはわかってるけれど、そういうレベルを通り越して、みんな一気にチンパンジーになってしまった。類人猿にはほとんど何も社会生活なんてできないのだけど、好きなものだけは覚えているようで、街ゆく人たちはスマホ片手に何やらキャッキャ言っている。使い方はわからないらしく、ただお互いをスマホで殴りあったりして過ごしている。他人を傷つけることに快楽を覚える——いわゆる暴力傾向というのは、きっと本能的なものなのだろう。そこだけは戦争を経てもなお何一つとして変わらないらしく、人類はどこまでもどうしようもない。
ちなみに私はその時、停電の影響で無菌室に閉じ込められていたので、バカにならずには済んだ。でも、むしろ、こっちの方が地獄かもしれない。もうこの国の母国語を話せるのは、この世で私一人だけかもしれないと思うと、どうしようもなく心が沈んだ。
「うっきゃー!」
隠れ家の厚いカーテンの隙間から覗けば、スマホを投げ合いぶつけ合い、奇声を叫んでいる往来が見える。そして信じられないことだが、一度投げたスマホをわざわざ拾いに行って、割れていないか気にするそぶりを必ず彼らは見せるのだ。その光景を見ているだけで本当に気が滅入る。壊したくないなら、はじめからそれを投げるべきではない。でもそんなことわかる知能なんてない。多分元からないんだと思う。
「そんなに気を落とすなよ。まだ希望はあるさ」
私の足元でそう語るのは、飼い犬のベティだった。化学兵器の作用なのか、それとも私の頭がこの状況に耐えきれず狂ってしまっただけなのか……とにかく私は、動物の言葉がわかるようになっていた。こんな世紀末みたいな状況でも、犬たちは賢くて従順だった。悲しいまでに。
バカになったご主人の服の裾を噛んで暴走を止めたり、キャンキャン吠えて「元に戻ってくれ」と懇願したり、無能な主人に食べ物を持っていってあげたり。
みんな初めはそうしていたけど、やがて悲しそうな顔になって、最後にはとぼとぼと離れていく。まあ彼らは野生でも、立派に、それなりに誇り高く生きていけるのだろうから、私はむしろ安心さえしてしまうのだったが。
「少なくとも俺は、今の状況をありがたいと思ってるぜ。ご主人がまともでいてくれてるしな」
「まともなのかなあ、今の私」
「さあね。でも街の連中みたいに、犬と見ればスマホ振り上げて追いかけ回す奴らよりかは、いくらかマシなのは確かだよ」
お腹が空いていたので、朝ごはんとして、お湯でといたホールトマトに塩を入れ、少しずつ飲んだ。ベティにはドッグフードの残りを与え、少し水もあげた。
「戦争、どうなったんだろうね」
「一介のドーベルマンにはわからんことだな。この分じゃ、明日にも核兵器が落ちてきてもおかしくない気はするが」
「急に外国人がいっぱい来たらどうしよう?」
「わからないよ、エリサ。でも、これだけは言える。この先誰が現れたとしても、お前の方が賢いに決まってるってことさ」
その言葉に励まされ、私は口元を拭って、少し笑う。
「ねえベティ。そろそろ食料がなくなりそうなの」
「そうか。じゃあ、外に出なくちゃな」
「近くのモールに缶詰が残っていればいいんだけどね」
鉄パイプの先にナイフをくくりつけ、リュックサックを背負い、頭にはヒビの入ったヘルメットをかぶった。慎重にドアを開けて、私たちは外に出る。
荒れ放題の街も、慣れるとなかなかどうして、歩けないことはない。
「うきゃ! うきゃあ!」
「ウキャキャキャキャー!」
もし私が、後の世で。
この荒涼とした世界を生き延びた、たった一人の奇跡の人として書籍を出すことを求められたなら、きっとこんな感じに書くだろう。現実逃避した脳味噌で、そんな妄想をし続けながら、ゆっくりと深く息を吸う。
スマートフォン大好きな人類——略して「スマート人類」がこちらに寄ってきた場合の対処法、その一。
「あ! 橋本結菜だ!」
反対側を指差しながら、有名人の名前を叫びましょう。ありったけの驚きと楽しさを込めて叫ぶとなお良し。奴らは単純なので、スマホ片手にのこのこ出かけていきます。特に若者に効果があります。
「よし、アホが一気に消えたわ」
「いい調子だな」
だが時に、これでは足りないことがある。物事に冷め切った社会人や、フットワークの鈍った中高年なんてのは、有名人の出現ごときではもう心が動かないのだ。心が残っていればの話だが。
「ベティ。いつものアレをやるわよ」
「よしきた」
さて、スマート人類がこちらに寄ってきた場合の対処法、その二。
「きゃー! 人が落ちたわ!」
できるだけ高いところに登り、服を着せたマネキン、または等身大の人間を模した物体を落とします。彼らはいそいそとスマホを構え、落ちる人形を凝視するようになります。その隙に逃げましょう。
「いつも思うけど、最低よね」
「全く。今更誰に見せるつもりなのかね」
そんなこんなで技を駆使しているうちに、やがてショッピングモールにたどり着く。私は今でこそ、こんなにも冷静に動けているけれど、ベティがいなかったらきっと今頃、彼らにもみくちゃにされていただろう。そこはとても感謝している。でも一体、いつまでこんな茶番劇を続けなければならないのだろう?
『スマホ決済がご利用いただけます!』
モールの入口の自動ドアに、そんな張り紙が貼られていた。
私はそれを引っ掴み、ビリリと破り捨ててやった。もう誰もお金なんて払わない。それどころか、通貨という概念すら忘れ去られてしまった。
「ねえベティ」
「なんだ?」
「もし次に地球を支配する生き物がいるとしたら、それはやっぱり犬だと思うの」
やけっぱちにドアをこじ開けながら、私は言った。
「だからね。今のうちに、私の言葉を覚えていてね」
「おいおい、ただの犬にはちと荷が重いぞ。俺たちはどっちかっていうと、仕える方が性に合ってるんだがなぁ」
困り果てたように小首をかしげるベティに、ドアを開け切った私は、額の汗を拭いて笑いかけた。
「いいのよ。それくらい謙虚な方が。人間にしたって、あんな板きれに仕えているより、犬に触れてる方がずっと幸せなんだから」
私はベティを抱き上げて、『ペット同伴不可』のマークの横を堂々と歩いて通る。モールの中は異様な雰囲気だったけれど、なぜか不安はあまりない。ベティが私の肩にそっと顔を乗せる。そろそろこのゴワゴワの体も洗ってあげたい。本も読みたい。お菓子も食べたい。水も飲みたい。たとえ人類が明日終わるのだとしても。
目先のことしか考えない
スマート人類 名取 @sweepblack3
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