第25話 信仰と忠誠
私の信仰は間違っていなかった!!
今から四年前、私、ペルペトゥア・シルエラの前に女神が降臨したのです。
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「戦争は良いですね…」
当時、ドドル王国の首都、パンネルで活動を行っていた私は、日々伝わってくる勝利の報告に湧き立つ民衆の間を抜けながらそう呟きました。
私の目に見えているのは、勝利に湧く者ではない。勝利の影で、命を落とした者たちの家族たちです。
日に日に減っていく神に身を捧げる者たち。しかし、一度戦争が起これば、兵として戦地へ向かった身内や、戦死・戦傷した兵の無事を祈る為、失われた信心が回復されるのです。
惜しむらくは、戦勝国になるであろう、圧倒的に優勢なドドル王国に派遣されたことですが、それでも、多くの信仰を取り戻したことに満足していました。
しかし、ドドル王国の勝利を確信していた私の元に、ある一報が届きました。
ドドル王国軍によるウックル総攻撃が失敗した。しかも、壊滅的被害を受けて…
エルドグリースの食料庫と評されるウックルの陥落は目前だった筈でした。しかし、それが覆ったというのだから、驚きを隠せませんでした。
ですが、続く報告に、私は始めて己の信仰を疑いました。
「女神が…アプロディタ様がウックルに降臨なされたと、現地の者が…」
伝令の言葉に、言葉を失いました。
理由は二つです。一つは、エルドグリース家の長女にして末子の存在。直に見たことはありませんが、彼女が誕生してから、当主サムイルは別人になったという評価を聞くし、エルドグリース家から教会への寄進も増えている。そんな変わったサムイルに神の御加護が働いた可能性。
もう一つは、本当に女神様が降臨なされた。という、私にとって願ってもない最高の可能性。
どちらにせよ、確かめる必要があると思い、パンネルに留まりながら、各地からの報告を集めることを決めました。
もたらされた報告は、軍服を纏った女神様がウックルのドドル王国軍を撃退したのに始まり、数時間おきにドドル王国軍の宿営地が壊滅したという報告や、アプロディタ様が何処其処に降臨なされたという報告。
情報が入り乱れ、正確な情報を選別出来ない状況に陥るまで、数日も掛かりませんでしたが、事態は更に予想外の状況に向かいます。
「ペルペトゥア猊下、王太子妃殿下がお呼びです。」
当時は王太子妃だったマリアンヌ様からのお呼び出し。異端審問部の長官でもある私を良く思っていない彼女からの呼び出されるなど、予想もしていませんでした。
「お初御目に掛ります、王太子妃殿下。」
王城の応接間で謁見したマリアンヌ様は、お噂に違わぬ美しい方でした。そして、そんな美しいお顔に浮かべる、天真爛漫な笑みは人を惹きつける魅力が溢れていました。
そんな彼女は、単刀直入に質問してきました。
「女神アプロディタ様が降臨した。とか、エルドグリースの娘が暴れているだけ。とか、いろんな情報が飛び交っているけど…貴女はどう思う?」
真っ直ぐな瞳に偽りは見えませんでした。ですから、私も正直に意見を述べます。
「分かりません。ですので、この目で確認しようと思っております。女神様を騙る偽物ならこの世に塵一つ残しません。…が、本当に女神様が御降臨なされたのなら、この身を捧げたいと望みます。」
閉じていた目を開きそう伝えます。
「そう…そんな貴女に吉報よ。ドドル王国にとっては凶報だけど。」
複雑な笑みでマリアンヌ様はそう言って、一枚の紙を取り出しました。
「イヴリーヌが陥落したわ。明後日の昼にも女神がパンネルに降臨するでしょうね。」
彼女の言葉に、ただ目を見開くことしか出来ませんでした。
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マリアンヌ様の仰った明後日に当たる日。私は、王城付近で最も高い建物の屋上で空を眺めていました。
「来ませんね…」
昼も過ぎ、日も沈み始め、辺が薄暗くなり始めていた。
騙されたのでしょうか?それとも、やはり女神様を騙る異端者だったのでしょうか?
そんな考えを抱き、帰ろうかとした時には、黄昏時を過ぎ、闇が王都を包み始めていました。
「帰りましょう。情報収集を続けますよ。」
部下たちにそう指示し、一日を無駄にしたことに後悔していました。
そんな時、私の背後に闇を払い、夜が一周で朝になったと思う程の光が、王都パンネルを照らしたのです。
「女神様…」
振り向いた先には、闇を切り裂く一迅の強烈な光と共に、天からゆっくりと地上に降りてこられる女神様の姿がありました。
先程まで抱いていた疑念や後悔など一瞬で消し去り、ただその神々しく畏れ多い御姿に跪き、自然と涙を流しながら祈りを捧げていました。
それは、私だけでなく、部下たちも、王都の人々も同様でした。
女神様の御姿は、軍服を纏っている。そんな齎された情報とは異なり、純白の法衣を纏い、神杖を手にした、正しく女神様の御姿でした。
そんな女神様が地上に足を着かれるまで、私はただ涙を流し、我が身に訪れた幸運に感謝することしか出来ませんでした。
地上に御降臨なされたアプロディタ様は、ゆっくりと、一歩ずつ王城に進まれます。
そんな光景を見た信心深き部下の一人が立ち上がり、私に言いました。
「猊下!!教皇庁に連絡致します!!女神様が御降臨なされたと…!!」
「ええ…直ちに伝令を送って下さい。私は…」
それより先は、畏れ多く言葉に出来ませんでした。只々、女神様にこの身を捧げたい。その一心しかありませんでした。
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「と、止まれぇっ!!止まれぇ…」
女神様の目指す先が王城であったからなのか、それとも、突如王都に起こった異常事態だからなのか、近衛部隊や衛兵隊が女神様を囲む様に立ち塞がりましたが、そんな兵たちの勇ましい声は、その御姿を前に窄み、膝を付く者も多数いました。
「我の進む道。それを遮るか…」
そんな者たちに、女神様は、フッ、と柔らかな笑みを浮かべるだけでした。
それだけで、勇み立った兵が道を開け、涙を流し、膝を付いて祈りを捧げるのでした。
一歩一歩、ゆっくりと歩みを進める女神様。
私は畏れ多くも、王城の手前、城門の前に部下たちと共に陣取り、その到着を平伏して待ちました。
「貴様らは…」
そんな私たちの姿に、女神様は言葉をそれ以上紡ぎませんでした。
畏れ多くも頭を上げ、女神様に我等の意思を伝えました。
「私共は、ビーブラ教異端審問部の者たちで御座います!!我等総員、女神アプロディタ様にこの身を捧げるべく、畏れ多くも参上致した次第で御座います。」
そう告げ、再度頭を地につけました。
「要らぬ。我に構わず、好きに生きよ。」
そんな私たちの覚悟は、その一言で払い除けられました。
呆気にとられた私たちの脇を通りながら、
「神は模造。神は模倣。我は我。我は思うがままに生きるを望む。」
女神様は自虐的な笑みを浮かべてそう言い残して、城門を消し飛ばし、城内に入っていかれたのでした。
『神は模造。神は模倣。』
その言葉の真意に気付くのに、時間は要しませんでした。
「女神様は嘆いておいでです…現在の教会の在り方を…」
教会に忠誠を誓った私でさえ憎悪を抱く腐敗ぶり。この最悪の現状を、女神様が嘆かぬ訳がないのです。
「我ら異端審問部は、これより女神様の為に…いいえ、女神様と、女神様の愛するに値する者の為だけに働きます。」
そう宣言をしました。
「異論のある者はいますか?」
私の問いに、答える者はいませんでしたが、ベルタが一人の首を掲げました。
「さようなら、異端者。」
そう呟くベルタの掲げた首は、彼女の婚約者のもの。
「『教会の利権と権益こそが信仰の真意。』そう、以前から言っていた貴方は、異端者です…」
切り離された首と胴体から噴き出す血を虚ろに見つめながら、ベルタはそう言葉を漏らしたのでした。
「異端者は根絶やしに…女神様が御降臨なされたのです!!この世に穢らわしき異端者や、腐敗した教会を残すなど、許されません!!塵一つ残さず燃やすのです!!」
私の号令の下、異端審問部は動き始めてました。
異端者と、腐敗した教会を根絶すべく…
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その様に指示を出していた僅かな時間。
そんな僅かな時間の間に、王城は陥落し、城の頂上には、エルドグリース家の旗が掲げられていました。
まだ降伏の宣言は出ていませんが、それは、事実上ドドル王国の敗北であり、宣言が出されるのも時間の問題でしょう。
大方の予想を覆し、この戦争はルユブル王国側の勝利…いえ、エルドグリース家の一人勝ちとなりました。
ドドル王国側とルユブル王国側…正確に言えば、ドドル王国の王家であるヴァルボン家と、ルユブル王国の王家たるリューロフ家の間にはある密約がありました。
それは、エルドグリース領で行われる戦闘には、ルユブル王国軍は動かない。その引き換えに、ドドル王国軍はエルドグリース領以外には侵攻しないというものです。
エルドグリースの持つ莫大な資産が欲しいドドル王国側と、強大になり過ぎたエルドグリースの影響力を排除したいルユブル王国側の思惑が合致した故の密約でありました。
この密約によって、単独で大陸最強と評されるドドル王国軍と対峙せねばならないエルドグリース家。如何に大陸一の資産を持つ大貴族といえども、敗北は必至の筈でした。
それを覆した今、エルドグリース家はこの密約を知り、ルユブル王国内での権力を排除したかった筈のリューロフ王家の思惑とは真逆に、エルドグリースは権力を更に強めるでしょうし、ヴァルボン王家は、何も得るものが無かったどころか、膨大な軍事費でただでさえ崖っぷちの財政を一層圧迫しただけに終わり、エルドグリース家の一人勝ちという結果に終わりました。
そんな大混乱の最中にあるヴァルボン王家の本拠地たる王城、当世建築の最高傑作とも称されるヴァルサンユ宮殿に、ビーブラ教の枢密教としての権力を使い、私は入りました。
目的は唯一つ。
女神様にお会いする為でした。
「噂には聞いていたけど…本当にそっくりね。」
導かれた客間には、様々な菓子とコーヒー、そしてワインの置かれたテーブルを挟み、マリアンヌ様と女神様が楽しそうにお茶会をなされていました。
「そっくりか…まあ、我の方が美しいがな。」
そう言って、自身の背後に飾られた、女神アプロディタ様の描かれた絵画を指しながら女神様は仰られます。
「仰せの通りに御座います!!偽りの絵画…いえ、如何なる偶像も、女神様の真の美しさを表現することなど不可能です!!そもそも、女神様の美しさを表そうとすること自体が浅ましく、烏滸がましいのです!!」
女神様の言葉に、思わず本音を言ってしまいます。
「ペルペトゥア猊下、お呼びした覚えはありませんが?」
そんな私を見ずに、マリアンヌ様はそう仰います。
「無礼は承知の上で参りました。私、ペルペトゥア・シルエラは、女神様…アプロディタ様に、畏れ多くもお願いがあり参上致しました…」
平伏してそう願い出ました。
「ペルペトゥア・シルエラ…枢密教で異端審問部の長官だったな?」
女神様が私の名をお呼び下さった!!ただそれだけで天にも昇る心地になります。
「我に何を願うと言うのだ?」
グイッ!とグラスに注がれたワインを一息で飲み干し、女神様は問われます。
「身を捧げる…それはお断りされました…が!!私を、貴女様の御傍の置いて下さい!!」
更に頭を下げ、そう願い出ます。
「好きに生きよ。我はそう申した筈だが?」
あの僅かな時間でさえ覚えていて下さった!!それにより、より一層私の心は舞い上がります。
「はい、その御言葉に従い、好きに生きると決意致しました。私にとって、貴女様の御傍でお仕え出来ること…これこそ私にとって至高の幸福で御座います!!」
私の曇り一つ無い本心をお伝えしました。
女神様が困った様にマリアンヌ様を見ます。
そんなマリアンヌ様はコーヒーを一口啜り、小さく溜息を漏らして仰ました。
「自分の振る舞いと容姿が生んだ芽。自分で責任を負うのが道理じゃないかしら?」
「なっ!!我が悪いのか!?」
マリアンヌ様の言葉に、女神様は驚いた様子でした。
女神様とマリアンヌ様、双方の無言の睨み合いの末、女神様が先に言葉を発しました。
「分かった…我と共に行動すればよい…お主の好きにしろ!!」
子供っぽく口を尖らせ、拗ねた様に言う女神様。
その御言葉に歓喜の涙がし溢れ出てきました。
「ありがとうございます!!」
涙で顔を濡しながら平伏致しました。
「ヤーニャとクレメンチーナになんと言えばよいのだ…」
そう言って更にワインを煽る女神様。
「マカロンもあるわよ。まだルユブル王国内では流通してないお菓子、美味しいわよ。」
そんな女神様に、私の故郷ベンス発祥のお菓子をマリアンヌ様がお出しになりました。
「美味い!!」
そう言ってボトルごと煽る女神様。
「無礼講とはいえ、無礼過ぎない?それに貴女、とりあえず甘くて、呑めれば何でもいいんじゃない?」
呆れた様に言うマリアンヌ様。
「甘味と酒、それが我の血。それだというのに、クレメンチーナめ…」
ボソボソと何かを仰る女神様。それより先は聞き取れませんでしたが、『甘味と酒』それはしっかりと覚えました。
「それはさておき、傍に置くと決めたんだから、ちゃんと責任を持って面倒見なさいよ?」
私を一瞬だけ見てマリアンヌ様が女神様にそう言います。
「分かってるおる。」
二人のやり取りから、私は女神様の御傍でお遣え出来るのだと歓喜に震えました。
それから、ドドル王国の降伏宣言がなされ、ドドル王国とルユブル王国との間に講和条約が結ばれました。
それは、密約のこともあり、戦勝国とは思えない程緩い条件でありましたが、予想通り、エルドグリースの勢力を更に高めるものとなりました。
そんな結末の立役者たる私の主、アプロディタ様は、英雄として大陸中にその名を轟かせましたが、条約締結以降に行われた戦勝記念のパレードや祝賀会、それらの全てに出席されることは無く、マリアンヌ様とのお茶会をなされるか、エルドグリースの本拠地ヴィドノ、そのお屋敷の自室に籠もられる日々を過ごされるだけでした。
そんな女神様と過ごす至福の時間は突然の終わりを告げました。
「ペルペトゥア…貴様に
疲れた様子の女神様から齎された解雇通告に思考が止まり、呆然としました。
「我は身を隠す…探すでないぞ。」
私に伝えられた最後の勅は、残酷なものでした。
その御言葉通り、女神様は私の前から姿を御隠しになられました。
しかし、私は諦めておりません。今一度、女神様にお遣えする。それだけを願い生き続けているのでした。
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出会いは七年前。
名前や噂はそれよりも前から知っていた。
スタニスワフ。スタニスワフ・ジューコフ。それが俺の名前。
王家の守護者などと称される王党派筆頭貴族、ジューコフ家に産まれた。
ジューコフ家は、その異名通り、代々、王の親衛隊の隊長と近衛部隊の長を兼任する軍人貴族の家系であり、エルドグリースを不倶戴天の敵と定めた家風で有名だった。
『エルドグリース許すまじ』、俺自身、物心つく前からジューコフ家の長子、跡継ぎとしてしそんな教育を受けてきた。
その様な教えの下生きてきた俺は、魔導学園入学から二年後、運命の相手と出会う…いや、自ら会いにいったというのが実際のところである。
エルドグリース家の娘が入学する。それは学園内の一大ニュースであった。
ルユブル王国内で最大の大貴族、大陸一の資産などと評される絶大な権力と権益を有する迄に成長したエルドグリース家。
その立役者たる当主、サムイル・モコシュ・エルドグリース。権謀策略に優れ、身内でさえ駒として扱う冷酷で冷淡な天才政治家。
そんな男が唯一寵愛した唯一の身内。末子にしてエルドグリース家唯一の娘。
それがアプロディタ・モコシュ・エルドグリースであった。
そんなエルドグリースの娘が入学するというのだから、貴族社会の縮図たる学園では混乱を極めた。
王国内におけるエルドグリース家の権力は絶大。貴族社会における派閥争いでも、エルドグリース派は最大勢力であり、国王を擁する王党派さえ凌ぐ。
しかし、ここ数年の学園内ではその派閥の勢力図は異なっていた。
理由は単純。エルドグリース家の子弟が入学していなかったからである。結局、エルドグリース派の貴族たちも、エルドグリースという、王をも凌ぐ絶大な権力の傘に入ることで身を守る選択をしているだけで、派閥の長と…自身を守る傘となり得る存在が無ければ、別の傘に入る者たちしかいないのだ。
そんな学園にエルドグリース家唯一の娘が入学する。
エルドグリースという家名だけで、学園内の勢力図を塗り替える影響力を持つのに、彼女はエルドグリース家当主、冷血なる絶対的権力者、サムイル・モコシュ・エルドグリースが唯一寵愛するという、表舞台には殆ど出てこない、エルドグリース家中をも揺るがしている謎の存在。
そんな彼女の存在は、王党派貴族だけでなく、エルドグリース派貴族さえも困惑させていた。
王党派の中にも、エルドグリースを分裂させるのに利用出来ないか画策する者もいれば、エルドグリース派には、その意図を察し、彼女を排除すべきと主張する者もいる。
その様に混乱を極める貴族社会と学園内。そんな者たちの都合など関係なく、彼女は入学してきたのであった。
王党派貴族の筆頭にして、反エルドグリースの筆頭でもある我がジューコフ家。その跡継ぎである俺は、件の少女が『エルドグリース』であるという時点で、敵、それも決して相容れない敵だと認識していた。その認識は、幼少から擦り込まれてきたジューコフ家の者にとって絶対的普遍的なもの。如何なることがあろうと、それが変わることは無い。
そう思っていた。
そんな認識にヒビを入れられた。
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魔導学園入学式、アプロディタ・モコシュ・エルドグリースは、王家の者だけが座れる特別席に座していた。
当然それは、王党派の強い反感を買うと同時に、その場に存在する全ての者を魅了し、圧倒した。
そんな当の本人は、12歳の少女とは思えぬ、王よりも王らしい堂々とした態度と振る舞いを当然の様にしている。
怒りや憎しみを持って見ていた俺でさえ、あまりにも美しく、神々しい、その圧倒的な姿に見惚れてしまった程だった。
入学式以降、男女問わず魅了したエルドグリースの娘は、あれ程大胆な振る舞いをしたというのに、これまで同様、表舞台に現れることは滅多に無かった。
自由気ままに生きているのだろう。殆どの女子学生が授業に出席せず、交流やコネづくりに邁進している中、アプロディタは気が向いた時に、ふらっと様々な授業に顔を出しては教師を泣かせたかと思えば、校則を破って学園を飛び出し、王都で遊んでいるという。
凡そ貴族の子女とは思えぬ破天荒な振る舞いは派閥問わず、すぐに学園中の噂になった。
そんな噂の渦中にある人物が、俺の所属する『騎士科』の授業に顔を出した。
授業への出席義務の無い他の科とは異なり、軍人としてのあれこれを履修する『騎士科』は、授業の出席が義務付けられている。
そんな厳格な授業、しかも上級生の授業に、冷やかしの様に現れた彼女に厳しい目が向けられる。
『騎士科』は王党派学生の本拠地。教師も生徒も、王党派が大多数を占める。
そんな授業にエルドグリースの娘が冷やかしに現れた。そして、授業は実戦を想定した戦闘訓練。またとない機会とばかりに、教師も生徒も湧き立った。
「エルドグリースの我儘娘を合法に痛めつけろ!!」
生粋の王党派貴族である教師の言葉に大きく頷く生徒たち。その中に俺もいた。
「実戦に卑怯もクソもない!!数で押し、力で圧倒し、容赦無く痛みつけろ!!」
教師の言葉通り、一年生の少女に鍛え抜かれた複数の屈強な上級生が襲い掛かる。
僅かな罪悪感に駆られた俺とは対称的に、標的となった少女アプロディタは、冷めた目をしていた。
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「ここもつまらぬな…」
その呟きと同時に、圧倒的優位を誇っていた筈の俺たちが吹き飛ばされる。
まるで、俺たち人が触れてはならない、貴き神に触れようとして、その罰を受けた様に…
「貴様らが弱いのか?それとも、我が強いのか?教えてくれぬか?」
ゾッとする様な冷たい瞳で、真っ青になった教師に問う少女。
「う、嘘だ…あ、有り得ない…」
少女の問いに答えることは出来ず、ただ目の前で起こった現象に困惑し、それを受け入れようとしない教師。
そんな教師を見て、溜息を漏らすアプロディタ。
「つまらぬ…」
そう呟いて教場を後にした。
圧倒的であるのに、どこか哀愁を纏う姿。
どちらも、12歳の名門貴族の子女に似つかわしくない、違和感しかない姿だった。
そんな姿に、許されないと分かりながらも、何故か惹かれていた。
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あの日以降、アプロディタ・モコシュ・エルドグリースという少女が気になって仕方無かった。
俺はそんな感情を、憎き敵を知り、倒すべく探ろうとしているだけだと、自身に言い訳をしながら、彼女を密かに追った。
頑強で厳重な学園を囲う塀と門、それを容易く越えて彼女は王都に繰り出した。
なんとか後を追う俺を嘲笑う様に、平民向けの露店や酒場を行き来し、貧民街へと入った。
平民街でさえ一際目立つドレスを纏った少女がそんな場所に入れば、碌な目に合わない。
彼女の後を追ううちに、何故か俺は憎い筈の少女が心配になり、無意識に貧民街に入っていた。
立ち籠める異臭。
一歩踏み出すことさえ躊躇してしまうそこは、道と呼ぶのに疑問を感じる程、汚物や死骸の転がっていた。
そんな道を躊躇いなく少女は進んでいく。
少女の後を追う様に、住人たちは痩せ細り病巣が支配した身体を引き摺って行く。
広場と呼ぶには手狭な、比較的綺麗な開けた場所に少女が辿り着き、そこにゾロゾロと衰弱した者たちが集まる。
「生きよ。」
ただその一言。その一言と同時に辺りを光が包む。
あちこちで歓喜の声が上がり、病巣に蝕まれた人々に生気が戻っていた。
有り得ない光景だった。治癒魔法は傷を癒やすもの。病は治せない。
しかし、目の前で起きたこれは何だ!?
数多の傷と病を一瞬で癒やしている。これが魔法が成せるものか?いやいや有り得ないのだ。なら、この少女は…アプロディタ・モコシュ・エルドグリースという存在は何なのだ!?
『神』そう結論付けるしか無かった。
エルドグリースにジューコフ…家も何も関係ない。
紛うことなく『神』の力を持つ彼女は、正しくその力を行使していた。
それを認識してしてしまった以上、俺には何が正しいのか、分からなくなっていた。
「お嬢、アンタの命令通り捕まえたぜ。」
気が付けば、そんな油断しきった俺を一人の男が羽交い締めにしていた。
「うむ、良くやったルーカス。まあ、我なら貴様よりも容易に出来るがな!!」
学園では見せない、上機嫌な笑顔で笑うアプロディタ。
「一言多いんだよ、お嬢。何度も言うが、俺ぁ、アンタが思っている以上に強ぇんだぜ。」
やれやれと溜息を吐く男。
「ルーカス…貴様、ブルーナー・ルーカスか!?」
悪名高いスビス傭兵、ブルーナー・ルーカス。俺を拘束したその男がその人物だと確信めいたものを抱く。
「ほらな。こんなガキンチョでも知ってるんだぜ?」
そんな俺の言葉を意にも返さず、アプロディタに不服な目を向けたルーカス。
「アプロディタ・モコシュ・エルドグリース!!貴様、この様な悪党とつるみ、何を企んでいる!?」
「何も企んではおらぬ。ただ、コイツに頼まれたから、定期的に治療しているだけだ。」
俺の問いに、淡々と答えるアプロディタ。箱入り娘は、悪党と善人の見分けさえつかないのか?揺らぎかかった己の認識を引き戻す。
「その裏に、どの様な意図が潜むか考えているのか!!」
羽交い締めにしているルーカスを一瞥しながらそう問う。
「裏?我を前にして裏は無い。表も無い。あるのは真意だけだ。ルーカスがこれまで成した罪科は知らぬ。されど、コヤツが本心から望み、己を差し出した故に約束したのだ。文句があるなら、我を屈してみせよ!!」
ゴォッ!!と放たれる魔力は、如何なる力を以てしても抗えぬ力を見せていた。
「坊主、お前ぇが思っている通り、俺ぁ悪党さ。お嬢はそんな悪党さえ屈服させ、有り得ねぇ望みを唱えさせる程度に化け物地味た存在だぜ。それこそ、無神論者であるの俺に神を観じさせる程度にはな…悪いこたぁ言わねぇ。生きたけりぁ、逆らうな。思っている以上に生きやすいぜ、お嬢の家来って位置は。」
殺気を存分に放ちつつも、愉しそうに言うルーカス。
そんな言葉がすんなりと染み込む程に、少女は一歩一歩と近づいてくる。
「貴様…スタニスワフ・ジューコフか。ジューコフ家の者なら、エルドグリース家の我が憎いか?」
少女の問い。
「当然だ。」
臆せず答える。ここでこの命を散らそうと、曲げぬ信念だと信じていた。
「そうか。我は貴様などどうでもよい。」
対する少女の言葉は、あまりにも素っ気ないものであった。
「離してやれ、我には不要な男だ。」
冷たい目でルーカスに命じるアプロディタ。
「始末は?」
そんな命令に疑問を呈するルーカス。
「それも不要。此奴が如何に振る舞おうと取るに足らぬ。ならば、無用な殺生は不要だ。」
「微温いんじゃねぇか?お嬢。徹底的に潰すべきだ。」
アプロディタの言葉に、傭兵…戦場を知る者らしい言葉を投げかけるルーカス。
「潰す価値も無い。」
そう冷たく言い放ち、貧民街を後にするアプロディタ。
その後、俺は拘束を解いたルーカスに挑み、完敗した。
プライドも何もかもへし折られた。
そんな感じで、学生時代のアプロディタに対する印象は最悪であった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
アプロディタとの出会いから四年後。
俺は予定通り、代々ジューコフ家の者が就任する、王国軍の近衛騎士団の団長の地位を継ぎ、騎士として日々軍務に就いていた。
擦り込まれ、植えつけられた王への忠義心や愛国心。そんなものを揺るがすことがあり、俺は厳罰を覚悟して、エルドグリース領ウックルへと馬を走らせた。
辿り着いたその地で見た女神は、学園を卒業したばかりのアプロディタ・モコシュ・エルドグリースだった。
神々しい光を放ち舞い降りた彼女は、敗北必至のウックル防衛部隊に劇的な逆転勝利をもたらした。
神の御業の如き光景が目の前で広がり、それまで抱いていた感情に大きな亀裂が走った。
そんな女神の如き彼女は、そのまま進撃を続け、遂にはドドル王国の王都パンネルと王城を陥落させた。
そんな彼女が帰還する迄の間、実家との縁を切り、厳罰の待つ身である俺は、行く宛も無く荒れた田畑をウックルの人々と共に耕して待った。
ただ、彼女の本心を知りたくて。
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