第23話 狂人たち

では先ず、小娘、貴様はどの程度魔力を行使できる?」

 上機嫌に教鞭を執るアプロディタ様。その両脇を固める片方は、例の如くヤニーナ様。そしてもう片方は以前見たが紹介される事の無かった男前の騎士だ。

「どの程度って…この程度ですけど?」

 ぽわっ、種火以下の炎を指先に灯す。…一応、これでも私の全力なのだ。

「そういうことを聞いておるのではない。」

 私の出した乏しい炎を見ながら、呆れた様にアプロディタ様は言う。

「魔力の行使。要は魔法と魔術、その先にある聖気法…まあ、更に先はあるのだが、ここまで出来れば及第点だな。勿論、聖気法程度は扱えるのだろう?」

 お手本のつもりなのか、手から次々と炎を出していくアプロディタ様。最初は単純な魔法で出される炎。次に一瞬で描き出された術式から現れる炎。そして最後に様々な色に変化しながら、出された全ての炎を飲み込む圧倒的な魔力を感じる炎。

「いや、なんで逆に私が聖気法を使えると思ったのかを聞きたいくらいなんですが‥?」

 これが聖気法…文献や噂、御伽噺としては知っているけど、実際に目にする機会は無かった。いや、無くて当然だ。聖気法はその名の通り、聖者の魔法。これを使えるだけで教会から聖人又は聖女と認められる代物だ(実際には、使えても教会から認定されなかった事は多々あるらしいけど)。女神の炎や神罰の炎とも称され、あらゆる魔法や魔術を吞み込み、術者の念じた物を跡形も無く消し去る恐ろしい技。

 要するに、それを使えるだけで神に近しい存在だとされる程度には大それた技であり、他の魔法や魔術を圧倒するものらしい。(あくまで伝聞だからそうとしか言えない)

 そんな聖気法を使えて当たり前だと言わんばかりに何度も放ち、お手玉するように両の手でもて遊ぶアプロディタ様が恐ろしく感じた。使えるわけないじゃん。使えてたらもう少しマシな生活送れてたよ!!


「ローディ、前提がイカれてるわよ。聖気法なんて、私は疎か、そこにいる男にも出来ないわよ。」

 溜息を吐いて気怠そうに男前を指すヤニーナ様。

「理論的に出来なければおかしいのだ。出来ぬお主らがおかしいのだと何度言えば分かる。」

 そんなヤニーナ様の言葉にムッとして答えるアプロディタ様。多分、ヤニーナ様の方が正しいのだと私は思う。

「ローディ、貴女が言う理論。恐らくこれは正しい。それは否定しないわ。でも、それを実現出来る人間があまりにも限られすぎてる事を自覚なさい。」

 頭痛がしたのか、頭を押さえながらヤニーナ様はそう言って、煙草に火を着けた。

「我は出来るもん…」

 しょんぼりと、まるで駄々っ子が観念した様に言うアプロディタ様。

「あ、主は特別ですので…」

 ここで初めて男前が口を開いた。

「我が特別なのは当たり前だ。ジューコフ。」

 男前のおべっかに、ムスッと、不機嫌モードで返すアプロディタ様。

「我は特別。この世で最も美しく、貴い。それはこの世の理である。そうであろう?」

 殺気ではないけれど、全てを圧倒し、支配する。そんな威圧感と空気が神々しさなのだろうか?

「「仰っしゃる通りで御座います。」」

 私と男前は、ただアプロディタ様の姿に平伏していた。

 ヤニーナ様は素知らぬ顔で煙草を吸っていた。この人も大概ヤバいよね…




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「お初お目に掛かります、ペルペトゥア・シエルラで御座います。」

 何が見えているのか?それとも何も見えていないのか?そんな疑問を抱かせる閉じた瞳に満面の笑みを浮かべたペルペトゥアは、数人の従者を従え、私に一礼した。

 修道服に身を包んでいなければ、どこぞの王族や名門貴族の子女だと言われても何の違和感も無い。そんな優雅な立ち振る舞いは、教皇庁のあるベンス―嘗ては商業の中心地で、大陸一帯の貿易を支配した彼の地で王に近い権力を持ったペルペトゥア家―その本家の長女であり、それに相応しくあるようにと施された教育の賜物なのだろう。

「ベールナルド・モコシュ・エルドグリースだ。遥々お越しいただいて申し訳ないが、父サムイルは病床の身、貴殿に会える状態ではない故、当主代理である私が話を聞せて頂く。」

 そう言って席に着くよう促す。ペルペトゥア・シルエラ、彼女は枢密卿という、教会では非常に高い身分を有しているし、恐らく地元では彼女に逆らえる者など存在しない程の絶大な権力を持つペルペトゥア家の子女となるが、単純な身分的には同格か、若干それ以下である為に無礼に当たらぬ程度に上位者としての言葉を使う。

 ゆったりと一礼し席に着くペルペトゥア。それを見て私も腰を下ろす。私と相対しても一切崩れぬ柔和な笑顔は、彼女の狂気を隠す仮面であるのは理解しているが、分かっていても尚、その様なものが感じ取れぬ程完璧な鉄仮面であると感じた。

「ベールナルド様、先ずは、長年にわたる、エルドグリース家の多大なる教会への支援、教皇に代わり、感謝の意を申し上げます。」

 ペルペトゥアは、深々と首を垂れ、神妙にそう伝えてくる。

 妹…アプロディタが産まれて以降、父サムイルは人が変わった様に欲を失い、教会への多大な寄進を行う様になった。それ以前も、形ばかりの寄進は行っていたが、アプロディタの誕生以降、なにかに取り憑かれた様に教会を尊ぶ様になり、女神の元に帰依するかの如く寄進と祈りを怠らない、そんな情けない者に成り果てた。

「そのような言葉を、枢密卿たる貴殿から頂けたこと、当主サムイル…ひいてはこのエルドグリース家の誇りとしよう…」

 何時からだろうか?心にもない言葉をさらさらと述べれる様になった。そんな自分を、一貴族として、正しくあれる様になったと喜ぶと同時に、内に秘めたものを、生涯、誰にも見せることは出来ないのだという悲壮感を一瞬だけ襲った。

「教会…その教えを遵守して頂けるエルドグリース家の方々には大変感謝しております。…これは、教会など関係ない、ただ私一人の思いです。…女神様の再臨なされた地、則ち、新たなる聖地となったこの場…この場に居られる全ての方々が皆、我が女神…アプロディタ様のご寵愛を受ける尊き方に成り得ると信じてお尋ね致します。」

 ほら、始まった。噂通りイカれた狂信者の一方的な決めつけだ。女神再臨の地?ふざけるなと叫びたくなる。何が女神だ!!あの忌まわしき妹は、散々このエルドグリース家を引っ搔き回すだけでは飽き足らず、方々に多くの潜在的な敵を作り、父を狂わせた諸悪の根源の様な存在。そんな奴が女神であってなるものか!!妹であることでさえ許し難い程の存在が、女神など有り得ぬのだ。

「その質問の前に、私から一つお尋ねしたい。貴殿は、我が妹たるアプロディタを如何にしたいのだ?」

 ひくひくと顔を引きつらせているのが、己でも分かる。妹であることでさえ認めたくない奴を妹と称し、このイカれた女の世迷い言に付き合う。このイカれた女が、教会の枢密卿という重役であり、異端審問会の部長という、最も狂気と悪意に満ちた機関のトップでなければ、この場で首を刎ねてやるところだ。

「如何にする…?その様な大それた、不躾なることは一切考えておりません!!只、私は、一人のビーブラ教、その正しき信徒として、女神様にお仕えしたい、それだけなのです!!勿論、お仕えしたいという考え自体が大それたものであることは百も承知で御座います!!されど!!女神様に必要とされずとも、この身の全てを捧げ、その信仰を保って祈り、お仕えすることこそが我ら愚かな人間を導いて下さるアプロディタ様の大恩に報いる唯一にして至高の務めであるのです!!…まさか、それを否と言う、許しがたき異端者ではありませんよね?」

 声高々に、天を仰ぎ涙を流しながら饒舌に語ったかと思えば、狂気に歪んだ口元と、正常とは思えぬ瞳を見開いて私を見るペルペトゥア。

 イカれてる…神を信仰する、それを否定する気はない。宗教は心の拠り所であり、己が力だけでは如何ともし難い困難や状況において、唯一縋れる最後の拠り所であるからだ。しかし、この狂人は、己の全てをそれに捧げており、また、それがこの世で唯一の正解であり、それ以外は全て悪であり排除せねばならない。そんな余りにも一方的で、独善的、尚且つ狂気で構成されたそれを全ての者に強要している。

 関わりたくない。それが改めて感じた思いであり、このイカれたペルペトゥア・シルエラという女の言い分を形だけ受け入れ、忌まわしき妹をこいつに引き渡しておさらばしたいという当主としての思いと、こいつを生かしておいてはいけない、一人の人間として抱いた思いが心中で入り混じる。

 なんと返すべきか…己を殺し、全てを肯定するのか、それとも、何も言わず、配置した近衛兵と共に斬りかかるべきなのか…

 そんな葛藤さえ許さない狂人は、更に口元を狂気に歪ませる。

「さあ、お答えを…」

 ああ…これも全てあの忌まわしき妹が巻き起こした不幸。エルドグリース家に厄災しかもたらさぬあの馬鹿者を心から恨む。

「ペルペトゥア猊下、聖職者…神の教えと愛を説くべき貴女が、余りにも酷な問いをなされるのですね。」

 閉口していた私の後ろから、淡々としたいつもの通りの口調でフロルが臆した様子もなく言う。何か一言間違えば、すぐさま異端認定してくる狂人を相手にしているとは思えぬ冷静さだ。

「酷な問い…ですか?」

 狂人が狂人を見る目でフロルを見る。

「ええ、非常に酷な問いです。」

 その狂気を受けて尚、顔色一つ変えることなく、いつもの鉄仮面を着けた様な無表情のままにフロルは続ける。

「ペルペトゥア猊下、我が妹アプロディタは、確かに女神でしょう。されど、あの子が生まれた時より共に過ごした我らにとって、あの子は女神であると同時に、可愛い妹なのです。ペルペトゥア猊下、貴女にも家族がおられる。それとも同様に、アプロディタにも家族が居る。それが我らであり、それを認めないというのは、我らとっても、そして、アプロディタにとっても余りにも酷。それとも、ペルペトゥア猊下は、女神は孤独でなければならないのでしょうか?彼女を愛する家族がいてはならないのですか?」

 鉄仮面、氷の男、そんな風に評されるフロルから放たれたとは思えぬ言葉。しかし、それ故に狂人にも響くものがあるのかもしれない。…まあ、フロル自身はそれだけ饒舌に語ったにも関わらず、相変わらずの無表情ではあるが。

「…失礼。つい熱くなってしまいました。ベールナルド様、それにフロル様、ご無礼をお許し下さい。」

 狂気の瞳が閉じられ、糸目に戻ったペルペトゥアは、深々と頭を下げた。 

「構わぬ、いや、寧ろ、貴殿の信仰の深さに敬意を表したい。」

 フロルのお陰で平静を取り戻し、思ってもいないことを威厳をもって言える。

「寛大なるお言葉、感謝致します。」

 笑顔を貼り付けた、狂気を隠す仮面を再び纏い、ペルペトゥアは顔を上げた。

 

 それが新たな試練の始まりとなるのだが…




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「ねえ、凄いと思わない?民を苦しめる野盗を討伐したのに、何故か善良な市民を無差別に殺戮したことになってるわ。」

 マリアンヌが新聞を読みながら錠前を作る私にケラケラと笑いながら言ってくる。都の周辺で活発化した野盗討伐の令を出し、先日それを一網打尽に捕らえたという知らせを受けたばかりだ。野盗たちは牢に繋がれ、弁護人を立てた上で裁判を行い、裁く。その手筈を進めていた矢先に、そんな荒唐無稽な記事が紙面を飾っているというのだ。

「マリアンヌ、それは笑って済ませれる問題じゃない。ああ、胃が…」

 痛い。もう、民心はとっくに王族から離れているという表れにしか思えない。

「大丈夫よ。だってこれ、私が指示して、改革を求める善良で王を慕う市民を虐殺したってことになってるみたいだし、貴方は、そんな邪悪で国民の敵である王妃に毒を盛られている衰弱してるってことらしいわ。嫌われてるのは私一人で、貴方を救おうと国民は躍起になっているみたいね。大丈夫、貴方は私の知っている通り、優しい王様よ。」

 太陽の様に笑い、駆け寄ってくる彼女。何が大丈夫だというのだ…何一つ間違ってない、正しいことしか行っていないし、情けない私を、正しく導いてくれる愛しい人、たった一人の真の理解者が根も葉もない噂でレッテルを貼られ、罵詈雑言を浴びせられている。

 それなのに、それを何一つ改善出来ないどころか、悪化させているのに、今だに何もできずに憤るだけの私。全ては己の不徳によるもの。それを一切責めることなく、それどころか、僕を励ます彼女に申し訳ないという思いを抱くことさえ恥ずかしく感じてしまう。

「マリアンヌ…私は…」

 なんと彼女に伝えればよいのだろう。何か一言、そんな簡単なことさえ出来ない私の顔を、彼女の豊かな胸が包む。

「大丈夫。私は大丈夫だから。…ねえ、ルー、貴方は素敵な王様よ。私、貴方と結婚出来て幸せよ。こんなにも優しい人と一緒になれたのだから。王侯貴族の陰謀と嫉妬、欲に塗れた世界しか知らなかった私に、世界は美しいと教えてくれたのは貴方よ。だから本当に、今は幸せだわ。本当にありがとう。…愛してるわ。」

 優しく耳元で囁かれる言葉。きっとそれは、私が言わなければならない言葉。それなのに、ただ溢れる涙を止める事さえ出来ずに、母の胸に抱かれる赤子の様に泣きじゃくっていた。

 彼女の言葉が嬉しくて、そして自分が情けなくて、何より、何だか彼女と過ごせる時間がもうあまり無いような、そんな恐ろしい想像が一瞬頭を過り、ただ嗚咽を漏らしていた。




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「それでは続きを始めるか。」

 私が必死におだて、褒め称え、貴重なおやつ(コッソリ昨晩のデザートを半分取っておいた)を差し出し、ようやく機嫌が戻ったアプロディタ様は、私の心労など露知らず、再び教鞭を取った。

 デザートをコッソリ包んで隠し持ってたなんてクレメンチーナさんに知られたら、恐ろしいお仕置きが待っているのだ。私をいじめるのが大好きなヤニーナ様がいるこの場でそれを差し出すということは、実質お仕置き確定なのだが、そんな恐ろしいお仕置きよりも、不機嫌なアプロディタ様の方が遥かに怖かった。正直、いつ死んでもおかしくないと覚悟をしていた程度には…

「我と同様の力を持っておきながら、聖気法さえ使えぬとは、如何なる罵倒を以てしても足らぬ愚かさであるが…我は寛容であるからな。許し、教えてやろう。」

 私の寿命が縮む体験をもたらした当の本人は、私の神経を逆撫でするような事を平然と言ってのける。

 そんな様子をニヤニヤと眺めるヤニーナ様がチラッと見えた。青筋をビキビキと立てながら、私は逆らえぬ相手の機嫌を損ねぬ様に平伏した。

「お願い致します。」

 そんな私の姿にウンウンと頷きながら、上機嫌でアプロディタ様が言葉を紡ぐ。

「聖気法。大それた呼称であるが、その実態は大したものではない。恐ろしく単純なものだ。」

 そう言って千変万化する神々しい炎を生み出すアプロディタ様。

「聖気法とは言うが、その形態はこれしかない。…何故か、それは、これしか出来ないからだ。」

 下らないとばかりにその神々しい炎を片手で撫でる。

「六法一聖、そんな単純な魔術式の掛け合わせ。それだけによって生み出される下らぬ炎だ。」

 六法一聖、火・水・土・風・木・雷の六法と呼ばれる魔法や魔術の属性と、唯一治療等に用いられる神術と評される一聖。それを称して六法一聖と魔法の世界で用いられる言葉だ。

「火を四、その他を一ずつ。その術式を同時に寸分違わず展開し、それを寸分違わず重ねる。ただそれだけの単純な魔術だ。」

 スーッと右手を左から右へとなぞり、七つの術式を表すアプロディタ様。

 成程、確かに理論的には単純だ。しかし…

「無理です。」

 言語化すれば簡単に思えるが、魔術式を七つ同時に展開するなど熟練の魔術師を以てしても不可能に近い芸当。それを寸分違わず同時に重ねて展開するなど、正しく神の領域だ。

 そんな芸当を、一介の魔導具職人見習いに出来る訳がない。そもそも、そんな芸当が出来るなら、見習いどころか、その道の第一人者となってるし、強いて言えば、魔導具職人なんかにはなっていないのだ。…別に職人を蔑んでいる訳ではない。職人は必要不可欠な存在だし、一流と認められれば、下手な騎士よりも遥かに尊敬される素晴らしい仕事であり、王侯貴族でさえ援助し、一定の敬意を払う。まあ、家のクソ親父みたいな例外もいるけど…

 まあ、それくらい職人だって優れているってことなんだけど、そんな秀でた職人でも、…いや、職人どころか、魔法や魔術、その精度や威力を誇る騎士、圧倒的魔力量を誇る領主や王族でさえも辿り着けぬからこそ畏怖と敬意を以て評するのが聖気法なのだ。

 故にそれを扱えるだけで教会からは聖者(女性の場合は聖女)と認められ、教皇様同等の権力を振るうことが許されるのだし、仮にそれを認められずとも、どの国に所属しようと多大な恩給を保障された存在となれる。だから、そんな常識を超えた異常なる魔法を扱える者は職人にはならないし、騎士にもならない。権力の中枢にあり、その圧倒的な力を以て王や貴族の威厳を高める存在として、又、戦力としての切り札、要するに抑止力として利益を得ることが出来るからだ。

 まあ、全部ヤニーナ様から教わったことだけどね。

 大多数の国家は、戦争するよりも、圧倒的な抑止力で戦争をせずに、軍事費を貿易や国内産業に費やし、地盤を盤石とした後に、経済によって他国を支配することこそが人的、及び経済共に最も被害の少ない侵略である。その抑止力とは、他国が手出ししたくないと思わせる様なものであると。ドドル王国なら大陸最強と評される陸軍と大陸で最も多い人口。ルリラ皇国なら大陸中に長年に渡って婚姻関係を結ぶことによって培った同盟関係と、教皇より任じられたということになっている皇帝という政治力がそうだという。

 まあ、そんな説明の締めの言葉は、『最も、それ程の経済規模と貿易販路を確保・維持できるのなら、そもそも侵略なんか不要な筈なのだけれど。』だったけど。

 じゃあ我らがルユブル王国の抑止力たり得るものは何なのか。ヤニーナ様の解答はこうだった。

「魔石を筆頭に、ウックル周辺から齎せる大地の恵み。まあ、要するに資源と食糧の輸出ね。それによって齎された莫大な財産。これが今までこのルユブル王国を守ってきた抑止力であり、国家の根幹。でも、それを奪おうとドドル王国は攻め、戦争となったわね。抑止力よりも、利益が勝ると判断した結果と言えるわ。普通なら今頃エルドグリース家は滅んでるし、ルユブル王国も弱小国に成り果てていたわ。それを運良く覆すバカが居たことによってそうはならず、ルユブル王国…いえ、エルドグリース家は新たな抑止力を得たわ。…そう、あのアホのローディよ。あの子は正直、一人で大陸の勢力図を書き換えれる力があるわ。」

 それを聞いた時、半分は本気でそう思ったけど、もう半分は、『流石にそこまでではないよね。』という感想を抱いた。

 それは今も変わらない。常識外れの聖気法をいとも容易く扱う姿は確かに圧倒的な力を持っているのは分かるし、これまでにもそういう異常な力を見せつけられる場面は多々あった。

 かと言って、それだけで大陸を…世界を変える力なら、私の知る歴史は、きっと何度も滅びる、作り変えられたものとなる。聖気法や魔力量、それだけで世界を変えれるなんて思えないのだ。





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「では、最後に一つだけお聞かせ頂けますか?」

 ペルペトゥアの言葉。

 想定通りだ。父と会わせろ、それこそ、感謝を込めて祈りたいだの、治療を行いたいだの、適当且つ否定出来ない理由を並べてそう言ってくる。そう思っていた。

「リリー…あのペチェノ家の養女らしいのですが、何処におられるのですか?」

 想定外の問いに呆気にとられた。この女は、妹…アプロディタ以外に一切の関心は無いと思い込んでいた。しかし、彼女の口から放たれたのは、数ヶ月前にシャンバルへと旅立った少女の名。…確かに、あの少女は現在アプロディタの元に居るのだが、全く予想外であることに変わりはない。

 リリーヤ・ペチェノ。この狂人が関心を寄せるものなど…

 ああ、あったな。あの少女の瞳の色か。

「王都に行かれたとお聞きしておりますが、誠で御座いますか?」

 狂気に満ちた瞳を開き、問いかけるペルペトゥア。

 …何故王都に行ったことになっているのだ?

 しかし、これは好機。どこでこの狂人がその誤った情報を得たのか知らぬが、それを肯定しつつも、責任を負わぬ言い回しをすれば良いのだから。

「確かに王都へと…出稼ぎに行く許可を出した。如何せんペチェノ家は困窮しておるからな。最も、出稼ぎであるが故、王都に今だ留まっているという確証はないが。」

 出稼ぎということにしてしまう。実際、ペチェノ家の極貧ぶりは、エルドグリース領内どころか、ルユブル王国を飛び越えて、大陸中に知れ渡っている。狂信者であり、神と異端者以外に一切興味のないペルペトゥアでも、枢密卿という地位は大陸どころか、世界中の情報が嫌でも入ってくる立場だし、最低限の説得力はある。

「ああ!!なんと嘆かわしいことでしょう!!女神様のもたらして下さった使徒様が困窮し、出稼ぎ!?一刻も早くお探しし、許しを請い、女神様への忠誠を誓わねば!!」

 蒼白となりそう叫び、

「…何をしているのです?何故使徒様が困窮しているというのに、何故その様にしていられるのですか?

?女神様への忠誠、信仰があるのなら直ちに王都へと向かう手筈をなさい!!」

 殺気、それも圧倒的な殺気、逆らうことなど有り得ないとばかりの殺気を込め、従者に怒声を飛ばした。

 蒼白となったペルペトゥア以上に顔面を蒼白にし、従者たちは一人の修道女とペルペトゥアを残し、死に物狂いで駆け出した。彼らにあるのは恐怖、想像するのも恐ろしい程の恐怖。それが彼らを支配しているのだろう。

「ベールナルド様、貴重なお時間を頂き、感謝致します。非常に不躾ながら、急務が出来ましたので、これにて失礼致します。…ベルタ、行きますよ。」

 私に一礼し、傍に控える、ただ一人残ることを許された修道女に声を掛けるペルペトゥア。

「では見送りを…」

 そう立ち上がる。

「いえ、私如きにその必要は御座いません。ベールナルド様…それにフロル様、またの機会にゆるりとお話しできれば幸いで御座います。」

 その一礼に狂人の姿はなかった。ただ優雅な名門出身の令嬢、そんな姿。…またの機会など絶対に御免だがな。


「嵐の様な方でしたね。」

 精神的な疲労を隠さず、ソファーにぐったりと座る私に、フロルがそう言ってくる。

「確かに、血の雨を降らせる嵐だな。幸い、今回はそうはならなかったが…フロルお前のお陰だ。」

 フロルのフォローがなければ、どう転んでもおかしくない状況だった。

「いえ、私は何も…全てベールナルド兄上の手腕です。」

 謙虚に答える無表情な末弟。こんな弟なら何人いても良いのだがな…

「そう謙虚にならずとも良い、この度は紛う事なくお前のお陰だ。お前の様な弟がいる事、それが私の支えだ。」

 最も信頼出来る、いや、唯一信頼出来る親族がこの末弟だ。私にとって最大の不幸は、アプロディタという最悪の妹がいることだが、その次に大きな不幸は、このフロルと孫程の年が離れている事だろう。

 もし、彼がこのままの性格と考えで私と近い年に生まれていれば、私の精神はこれ程摩耗していなかっただろう。

 それと同時に、私にとって最大の幸運は、このフロルが年の離れた弟であったことだ。こいつになら、私以降、つまり息子や孫たち次代の当主たちの良い補佐役となってくれるという信頼と安心を持てるということだ。

「有難きお言葉。」

 深く首を垂れるフロル。彼に求めるとすれば、強いて言うなら、常時その堅苦しい態度ではなく、時には弟、兄弟としてもう少し砕けた関係で話したいということだけだろう。

「しかし、お前の口から、アレをあの様に評するとは…咄嗟に、しかも表情を変えずに言ってのけるその丹力、本当に大した奴だ。」

 大っ嫌いなあの妹(父を除く親族は皆そう)を咄嗟にそう評すなど、誰にも出来ない芸当だ。

「…兄上、実はこの後、妻と夕食の約束が入っております。申し訳御座いませんが…」

 顔を隠す様に礼をしてそう告げるフロル。鉄仮面と称される無表情な男だが、実は愛妻家だ。月に数回は屋敷を出て、夫婦水入らずで夕食を取り、宿に宿泊するのが彼ら夫婦の恒例となっている。

 勿論、兄としてそれを妨げる気はないし、微笑ましく思っている。

「おお、そうであったか!!それはすまぬことをしたな。ヴィルヘルミーナにも宜しく伝えておいてくれ。」

 フロルの妻ヴィルヘルミーナは、ルリラ皇国とルユブル王国の間に位置する小国、デーデン王国の姫君。政略結婚ではあるが、なんとも珍しい、両領主の勝手な決定ではなく、ヴィルヘルミーナのアプローチをフロルが受け入れ、両者両親も合意しての恋愛政略結婚であった。


 立ち去るフロルの背を流し見ながら考える。

 政略結婚、顔も声も知らない相手と初対面で結婚した私(それでも結婚生活はうまくいってる)にとって、恋愛結婚という珍しい結びつきをした彼らが、二人っきりの時、どの様な会話をするのか…あの鉄仮面のフロルも、ヴィルヘルミーナと二人だけの時は、彼女にだけ違う表情を見せるのだろうか?

 これ程信頼している弟にも、誰か一人にしか見せぬ表情があるのかもしれない。想像すると何だか面白い。

「その時間を大切にしろよ。子が産まれたら、そんな時間は無くなるのだからな。」

 まだ子のおらぬ弟に、決して聞こえないアドバイスを送った。



 




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