第22話 増量と減量

「もう無理…死ぬ…」

 疲労困憊、全身が痛の痛みに耐えられず、冷たい石の床に、顔が、衣服が汚れるのも気にせずにうつ伏せた。

「信じられぬ程弱いな…」

 腕を組み、呆れた様子でアプロディタ様が言うと、

「姐御、こいつ、話になんねぇよ。こりゃあ、いくら鍛えたって糞の役にも立たねぇさ。」

 木製の短剣を上に放り投げ、クルクルと回転するそれの柄を掴む。それを繰り返しながらジークリンデさんが言う。

 現在、アプロディタ様立ち会いの元、ジークリンデさん相手に戦闘訓練中である。

「うむ、そのようだな。小娘、どうやら貴様には職人の道以外無いようだな。…まあ、我の様に容姿端麗、頭脳明晰で天下無双な者など他におらぬがな。」

 ハッハッハと自画自讃するアプロディタ様。

 アンタ、どんだけ自己評価高いんですか?私は毎日クレメンチーナさんとヤニーナ様に怒られてる姿ばっかり見てる気がするんですが?

 忌々しく、その姿を地に伏しながら見つめる。

「まあ良い。我が貴様に期待しておるのは、戦う力ではないからな。」

 カツカツと音を鳴らしながら私に近付き、ヒョイと持ち上げる。

 随分と男前な持ち方だなぁ…

 

 まるで物語のヒロインの様に抱えられる私。見上げると本来見える筈の彼女の顔は見えない。馬鹿デカい胸に視界が遮られるからだ。

 思わず己の胸に手を当てる。…うん、全然成長してない。

 焦るな私、まだ慌てる時間じゃない…目の前に見える巨大な双子の山が異常なだけだし、なにより私はまだ成長期を迎えていない!!これは比較対象がおかしいだけで、私だって数年後には…

 そんなことをアプロディタ様の腕の中で考えていると、モミモミと全身を弄られる。

「ヒャぁ!!なにするんですか!!」

 くすぐったさに思わず声を上げる。そんな私にアプロディタ様は…

「小娘…貴様、肥ったか?」

 残酷な現実を突きつけてきた。


「美味しいです!!」

「舌の肥えた我儘なお嬢様達と違って、アンタは可愛いねぇ。」

 忙しい毎日だが、ほんの少し自由な時間がある。

 そんな時、私は決まってアクサナさんのいる調理場に行く。

 料理を教えて貰うのもあるけど、何より、彼女が考案した新作料理の味見や、残り物を頂けるからだ。

「アンタは本当、美味しそうに食べてくれるねぇ。」

 ガツガツと彼女の料理を食べる私にそう言う。

「だって、本当に美味しいんです。残すなんて信じられません!!」

 嘘偽りない私の返答。こんな素晴らしい食事を、嫌いだからと残すヤニーナ様とアプロディタ様がおかしいのだ。本物のお嬢様達には、食うに食えず、そういう思いとは無縁だったのだろう。

 食べれる物はとりあえず何でも食べる。そういう生活を送って来た私とは、異なる世界に生きる、生粋のお嬢様達の残飯を有り難く頂く。

「ホント、アンタはいい子だねぇ…」

 ワシャワシャと私の頭を撫でるアクサナさん。こんな美味しい料理を残され、彼女だって不満はあるのだろうか?そんな事を思ったが、彼女の眼にあるのは、不屈の闘志と情熱だった。

「でも、こうやって残り物にありつけるのもそう長くは続かせないよ!!絶対にあの我儘なお嬢様共にもっと寄越せって言わせてやるさ!!」

 そんな彼女の宣言通り、日々彼女の料理の味は上がっている様に感じた。

 まあ、その件のお嬢様達は、毎度嫌いな物は全部残してたんですけどね。

 お陰で私は美味しい料理に沢山ありつけたんだけどさ…


 そんな日々が数ヶ月続いたのだ、しかも、ヴィドノに居た頃に比べ歩く距離や魔力を使う機会は減っている。

 つまり、そう…痩せ過ぎだった私は十分以上どころか、過剰な栄養を日々接種しながら、消費速度は遥かに減少している分けであり…

「はは、おかしなことをおっしゃいますね、アプロディタ様。私が太るなんて…」

 ガリガリに痩せ細り、常に栄養不足で太るなど夢のまた夢だった筈の私は、ここ数ヶ月の贅沢な食事、しかもほぼ食べ放題という状況で、太ってしまった。

「脇腹をこんなに摘めるぞ。」

 おい、アンタに乙女心を解する能力は無いのか!!

 容赦なく私の脇腹を摘むアプロディタ様。彼女の腕から飛び降り、ならば私も…と彼女の腹回りにしがみつく。

「なん、だと…」

 しっかり引き締まった腰回りがそこにはあった。毎日あんな馬鹿みたいに大酒を飲み、甘味を食べてるのに…

「えっ、なんで…ア、アプロディタ様は全部の栄養が胸に行くんですか?」

 圧倒的な敗北感に、膝から崩れ落ち、さめざめと泣く。

 アプロディタ様の、無駄な肉が全く無い引き締まった腰回りに触れた腕を己の腰回りに向ける。

 ヤベェよ…肥るなんて一生縁がない生活を送るのだと諦めていたから想定外だ…

 そ、そうだ、これは肥ったんじゃない!!成長期が来ただけだ!!

 そうに違いない。そう現実逃避してると、

「ギャハハ!!なんだこのだらしねぇ腹!!」

 グワシと背後からジークリンデさんが私の腹の肉を鷲掴にし、大笑いしてくる。

 現実に引き戻され、その手を引き剥がそうとバタバタと暴れながら叫ぶ。

「チクショー!!痩せてやるー!!」

 そんな私を見て、更に大笑いするジークリンデさん。アプロディタ様に至っては、私たちの騒ぎに興味が無いのか、姿見の前に立ち、

「うむ、やはり我は美しいな。」

 と言いながら己の姿にウットリとしている。

 どんだけ自分大好きなんですか、アンタは…

 


「そういえば小娘、貴様は他に何が出来るのだ?」

 クレメンチーナさんによるマナー講座が始まってから数日後、あの時連れて来た二人の男の人の説明もなく、アプロディタ様は、数日お酒と甘味を禁止され、絶賛ご機嫌ななめな日々が続き、それこそクレメンチーナさんとヤニーナ様以外、私や侍女さん達は今にも胃に穴が開きそうなほどピリピリとした日々を過ごしていた。そんな当の本人はそれらの禁止が解かれた日の朝食の席で、上機嫌にそんな事を言っていた。

 いや、他に言う事あるんじゃないの?そんな風に思うところもあるけれど、触らぬ神に祟りなしと、私はただその質問の意図を問いながら答える。

「何って、何でしょうか?えっと、簡単な料理と洗濯、あと、掃除も出来ます。」

 取り敢えず出来る事を伝える。多分そういう事を聞いてるんじゃないんだと分かるけど、変な事を言って機嫌を損ね、あの日々に逆戻りは、侍女さん達の胃の負担を考えるとお断り願いたいので、そう答える。

「ローディは、貴族として何が出来るのかを聞いてるのよ。間抜けは顔だけにしなさい。」

 コーヒーを啜りながら、ヤニーナ様がそう言う。言葉はあれだが、私に向ける目は、辛うじて合格点ということなのか、厳しいものではなかった。

「左様。小娘、貴様は一応貴族だ。マナーもそうだが、貴様は何を以て貴族なのだ?そこを考えよ。」

 そう言いながら食後の紅茶に砂糖をドバドバと何杯もスプーンで掬っては入れるアプロディタ様。入れ過ぎとか言うレベルじゃない。あれじゃあ、紅茶の風味のする砂糖だよ…

 どこまで味覚お子ちゃまなアプロディタ様がご満悦の表情で紅茶を飲む、というより食べてるよねあれ、だって、紅茶の染み込んだ砂糖をスプーンで掬って食べてるだけだもん!!

 あれはいいんですかクレメンチーナさん!!と目線を向けると、

「今日だけですよ、お嬢様。」

 呆れた様子で見逃している。あれぇ?なんか甘くないですか?私にするみたいに、もっと鞭で叩くとかあるでしょ!!

 数日我慢したご褒美ということなの?…超が付く程の箱入りお嬢様め!!貧民の苦しみを思い知れ!!

 なんやかんやで恩恵に預かり、贅沢な生活にありつけている事を棚に上げ、内心悪態づいた。


 そんな朝食の後、アプロディタ様が楽しそうに言う。

「小娘、ついて来い。」

 そんなアプロディタ様の表情を見れば、嫌です。なんて言えない。こんな良いこと思いついたとウキウキしている我儘お嬢様に、そんな事を言ったら、再びご機嫌ななめになるのは確定だ。

 仕方ない、私が大人な対応をしよう。

「分かりました。」

 そう答えると、予想通りの答えにニンマリと笑って

「うむ、それでは行こう。…お前たち、ジークリンデを呼んでこい。」

 そう言うと、お祭りに行く子供の様な、はしゃぐ気持ちが漏れ出すのが分かる様子で私の手を引き歩いて行く。

 ホント、子供みたいな人だなぁ…ヴィドノで孤児院での仕事の傍ら、そこの子供達と遊んであげていた時みたいに、なんか微笑ましく思えてくるよ。

 そんな事を考えながら、その手に引き摺られるように廊下を進んでいった。


 子供って、残酷だ。

 一瞬でも微笑ましく思った自分をぶん殴りたくなる。

「とりあえずジークリンデを倒せ。ジークリンデ、手加減は不要だからな。」

 寝起きなのか、目のやり場に困る薄手の寝間着姿のまま連れて来られた、不機嫌そうなジークリンデさん。そんな彼女の表情が見えていないのか、楽しそうに言うアプロディタ様。

 いや、馬鹿なの?それとも、人の心がないの?

 無理に決まってんじゃん。ジークリンデさんは小物感が凄いけど傭兵として、戦う力があるのに対し、身体も魔力も貧弱で戦う術さえ知らない私。勝てるとかそんな段階以前に、勝負にさえならない。

 アプロディタ様に連れられやって来たのは、別棟にある鍛錬場。

 石床に、壁には姿見鏡が幾つかあり、打ち込みの練習用に木製の人形や木製の武具が散見される。

「クソっ…二日酔いで頭痛ぇのに…殺すぞクソガキ…」

 眉間に皺を寄せ、ドスの利いた声で言うジークリンデさん。状況がどんどん悪くなってる。

 てか、何故私に殺意を向けるんですか?普通、呼び出したアプロディタ様へじゃないの?


「ほれ、行けかぬか小娘。」

 パンパンと手を叩き、さっさと始めろと合図するアプロディタ様。

 いや、そう言われましても…右手に握る木製の短剣の握り方でさえ危ういというのにどうしろと?

 一向に一歩を踏み出さない私に、ただでさえお怒りモードなジークリンデさんが青筋を立て、

「死ね!!クソガキ!!」

 容赦ない蹴りを放って来た。

「ウギャーッ!!」

 蹴りの直撃した左腕から、グシャッ!!という音が響き、音年頃の乙女が決して出してはいけない悲鳴を上げながら床にもんどり打って倒れる。

 あまりの痛みに呼吸が出来ない。あれ?左腕が動かない…恐る恐る患部を見ると、曲がってはいけない方向に曲がってしまっている。

「ウワァーッ!!折れてる!!折れてる!!」

 パニックに陥ると同時に、惨状を認識してしまったことで更に痛みが増し、意識が朦朧としてくる。折れてるというより、砕けてる。

「んだよ、この程度でギャーギャー騒ぐんじゃねぇよ。」

 ボリボリと後頭部を掻きながら、呆れた様に言うジークリンデさん。いや、アナタ思いっ切り『死ね』って言ってましたよ。

 痛みで涙の溢れる瞳でジークリンデさんを睨む。

「あぁっ!?右も折ってやろうか?」

 ドスの利いた声でそう言って睨み返される。

「ア、アプロディタ様ぁ~!!」

 本当にやりかねない…慌ててアプロディタ様に泣きつく。


「全く、情けない奴だ。」

 アプロディタ様は呆れた様子で溜息を吐き、私の折れた左腕に右手を向け光を放つ。

「ほら、さっさと起きろ。ジークリンデ、次はある程度構ってやれ。」

「いや、待って下さいよ!!私動ける状態じゃ…」

 あれ?腕の痛みが無い…何気なく折れている左腕を見ると…

「治ってる!?嘘でしょ!?」

 普通、あれぐらいガッツリ折れて、いや、砕けていたら、優れた治癒師の魔法でも十数日は掛かる。

「ふん、当然だ。なんせ我だからな。我ならその程度の怪我なら一瞬で数百人治せる。」

 とんでもない事を当たり前の様に言うアプロディタ様。

「さて、小娘。腕も治ったことだし、再開だな。なに、安心しろ。いくら怪我しようと我が治してやる。」

 ハッハッハと笑うアプロディタ様。

 …やっぱり、この人が一番おかしい。


「おらっ!!死ね!!クソガキ!!ついでに死ねクソ野郎!!」

 ジークリンデさんのストレス解消用のサンドバッグの如くボロボロにされてはアプロディタ様の治癒魔法で無傷の完全体に戻され、再びボロ雑巾にされる。これの繰り返し。

 とはいえ、体力は回復されないので、疲労は蓄積されている。

「もう無理…死ぬ…」

 疲労が限界に達し、身体中が痛む。力無く床に伏す私に、アプロディタ様は、

「信じられぬ程弱いな…」

 と呆れた様子で腕を組み。

「姐御、こいつ、話になんねぇよ。こりゃあ、いくら鍛えたって糞の役にも立たねぇさ。」

 木製の短剣を弄びながらジークリンデさんは言う。

「いや、あの、全身が痛いんですけど…」

 頼む、癒しを!!治癒魔法をねだると、ヤレヤレといった様子でアプロディタ様は自画自讃し、治癒魔法を放ちながら私に近づいた。

 まあ、ここで冒頭に戻るわけで…


「痩せる!!」

 そう決意した私にアプロディタ様は、

「狩りでもするか?良い運動にはなるぞ。丁度今日行く予定だったのだが。」

 一緒に行くか?そんな提案をしてくるのだが…アンタの言う狩りって、ここにいるジークリンデさんどころか、騎士団の総力で一体狩れるか、全滅かの二択になる程の化け物でしょ?命がいくつあっても足りない。

「要するに死ねと?」

 私はそう解釈する。

「臆病だな、恐れる様な獲物ではないぞ?」

 それはアンタだけだ。

「もっと平穏に痩せたいんですが…」

 やっぱりこの人はおかしいや。

「狩りは平穏だとぞ?…まあ、貴様には向かぬか。なら乗馬…は無理か。」

 私の体格を見てアプロディタ様がそう言う。

 言わんとすることは分かる。どうせ鐙に足の届かないチビですよ。


「そうだな…まあ、運動を兼ねて護身の術くらいは学んでおくべきだろう。剣技か魔術か…小娘、どっちが良い?」

 アプロディタ様の中で何かしらのプランが決まったのか、私に問うてくる。

 剣技は痛そうだし、魔術かな…

 先程散々ジークリンデさんにサンドバッグにされそう思う。

「魔術でしょうか…」

 そのように返答すると、

「うむ、我もその方が良いとは思う。小娘、貴様の剣技に関する才能は微塵も感じなかったからな。」

 才能を全否定する言葉だけど、ぐうの音も出ないので何も言わないでおく。

「そうと決まれば、ヤーニャとクレメンチーナ

ナに話しておかねばいかぬな。授業の配分を改めねば。」

 ここで疑問が一つ生じ、それを問うてみる。

「魔術は誰が教えてくれるんですか?」

 これで講義となった瞬間、最も恐ろしい人に変貌するクレメンチーナさんや、常時不機嫌な火薬庫なヤニーナ様が講師であれば、私の精神は保たないだろう。

「決まっておろう。我だ。」

 最悪じゃん…

 上記二人はまだ常識の範疇だけど、この人はその理の外にある人。多分死ぬよね。

「ごめんなさい、剣技がいいです。」

 直ぐ様選択を覆すが、

「我が教えるのが不満か?」

 あっ…これはマズい。不機嫌とかそういうのを通り越してる。『嫌です。』とか、『別の人にして下さい。』とか言ったら、骨どころか、髪の毛一本も残らない勢いで消される。だって、余りの殺気にジークリンデさんがガタガタ震えてるもん。かくいう私はもう意識が朦朧としている。

「い、いいえ!!大変有難いと思います!!ただ、アプロディタ様程のお方に直に教わるなんて申し訳なく思った次第で…是非お願いします!!」

 気力を振り絞り、思っても無いことを言う。

「ならば良い。」

 すうっ、と殺気が引き、冷や汗がドット噴き出る。命拾いした…

「我は着替えて狩りに行く。小娘、本日は予定通り、ヤーニャとクレメンチーナの講義を受けておけ。明日以降、我が貴様を鍛えてやる。」

 ドレスの裾を翻し、背を向けるアプロディタ様は、

「ジークリンデ、ご苦労であった。後で酒を届けさせる。今日はこれ以降、用件は申し付けぬ故、気儘に過ごす事を許可する。…但し、羽目は外し過ぎるな。」

 そう言ってスタスタと場を後にした。


 それから私は、『あと一発殴らせろ』というジークリンデさんから走って逃げ、自室に入ろうとしたところをジークリンデさんに見つかり、廊下を走るなどみっともないと、昼食抜きの罰を受けた。

 私にとって、本当に、踏んだり蹴ったりの午前だった…




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「あーっ!もう、イライラするぜ!!」

 そう声に出し、バリバリと後頭部を掻きながら廊下を早足に歩く。

 二度寝するか、それとも迎え酒を入れるか、苛立ちを抑えられない今、その二択しか思い浮かばない。

「酒飲んで寝るか。」

 ならどっちも取る。そう決め、別棟から本殿に向かう廊下へ向かう。

「「あっ…」」

 鍛錬場から去る俺と、そこに向かう奴。そんな二人の目が合った。

 先日、あの憎ったらしいクソ野郎ルーカスと一緒にいた身なりの良い優男だ。

 そんな優男は、俺の顔を見て、少し視線を下にずらし…

「お、お前はなんと破廉恥な格好で鍛錬場に入っているのだ!!」

 顔を真っ赤にし、慌てて視線を逸らしてそう叱る様な口調で言ってくる。

 そんな言葉に改めて己の格好を見る。…あー、寝間着のまんまだったな。俗に言う肌着だけの己の姿を見下ろし、今だに顔を赤くして、必死に俺を視界に入れない様に顔を背ける男を見て、新しい玩具を見つけた気分になる。この間もそうだったが、コイツは初心だ。

「破廉恥だぁ?どのへんがだ?なあ、こっちを見て教えてくれよ。」

 誂う様に胸を両腕を組んで持ち上げ、強調しながらニンマリと笑いながら男に詰め寄る。

 馬鹿正直に俺の方を見た奴は、更に顔を赤く、目をまん丸にして、再び慌てて視線を逸らす。その様子に思わず笑いが漏れる。

「おいおい、どうしたんだ?なあ、教えてみな?なんならベットに行くか?」

 ぐにっと胸を押し付け、そう言う。

「なっ…」

 言葉を出せない優男を口角を上げ上目使いに見上げる。

「安くしとくぜ?」

 トドメとばかりに、手をスーッと回して囁いた。


「まだ陽も高いっていうのに、何を盛ってるのかしら?」

 冷めた声と目が俺らに向けられた。

「赤いのはともかく、ジューコフ。貴方迄何をしているのかしら?」

 死人の様に青白く、痩せ細った身体に漆黒のドレスを纏った女。ヤニーナだ。

「お、俺は何もしていない!!そもそも、トロツカヤ、お前こそなんでこんな場所に…」

 慌てた様子で死人の様な女に顔を向ける優男。

「別に私が何処へいようと勝手でしょう?それに家を捨てた貴方から対等に口を聞かれるのは腹が立つわ。」

 そう言ってツカツカと歩み寄り…

「来なさい、赤いの。少し話があるわ。」

 優男ではなく、俺を指名した。いや、流れ的に俺は蚊帳の外じゃねぇのか?

 ヤニーナは有無も言わず俺の首を魔力の糸を縛り…

「ローディが突然魔術の講義をすると言って張り切ってるのよ。やめろと言っても聞く耳を持たないし、何があったのかしら?」

 そう質問してくる。いや、質問というより、脅迫だ。

「説明するからこれ、外してくんねぇか?おっかなくて話も出来やしねぇよ。」

 そう言うと、ジトっとした目でしばらく俺を見て、首の締め付けが緩む。とはいえ、まだ何時でも締め直せる様に俺の肩に糸は掛かったままだ。

 多分コイツは俺を殺す事に躊躇はしないだろうし、気に食わなければ適当な理由で殺す事でさえ平気で出来るだろう。そんなのは真平御免こうむりたい。

 なので先程鍛錬場で起こった出来事を事細に伝える。

「全部話したぜ。もういいだろ?これ外してくんねぇか?」

 俺が説明を終えると、ヤニーナは頭を右手で上品に押さえながら、呆れた様に溜息を吐き、

「あのバカ…自分の立場を理解してるのかしら!?」

 怒気を込めてそう言う。

「止めなさいよ赤いの。お陰で厄介な事になるわ。」

「無茶言うなよ。あん時下手な事言ったら消し飛んでるぜ。」

「その程度で済むなら安いもんじゃない。」

 コイツ、本気で言ってる…俺の命をなんだと思ってんだ!!

「とりあえず事情は分かったわ。…こういう場合、適任者は私ではないわね。」

 顎に手を当て、少し何かを考えた後、ヤニーナは、

「ジューコフ、良かったわね。久しぶりの仕事よ?」

 優男を見て続けて言う。それを受け、優男は、

「お前の指示に従うのは非常に癪だが、主のお役に立てるのなら、何でもしてやる。」

「あら、お互い様みたいね。私も貴方の顔を見るのでさえ苦痛だもの。」

 いや、お前らに何があったか知らねぇけど、仲悪過ぎやしねぇか?

 今にも殺し合いでも始めそうなくらい、お互いが殺気垂れ流しなんだけど。


「本日午後、ローディの部屋に来なさい。赤いの、盛ってるとこ悪かったわね。午後迄時間はあるわ、そこの童貞で遊んでいいわよ。」

 そう言って去って行くヤニーナ。姉御も大概だが、アイツも大概だよなぁ…

 しかし、面白い事言い残していったな。

「ふーん…そっかぁ…俺が優しく女を教えてやろうか?」

 優男の手を取り、俺の胸に宛てがう。

「ーーーー!?」

 声にならない声を発し、口をパクパクとさせながら顔を真っ赤にする優男。

「なんならここでおっ始めてもいいぜ?」

 男の股間に俺の手を伸ばし、少し触れた瞬間、

「ってぇな~。初心だねぇ…ま、いいか。ありゃあ面白い玩具になるぜ。」

 突き飛ばされ尻餅をつきそう言う。突き飛ばした本人は走って何処かへ逃げていった。

「あーあ、姉御の酒が届く迄、一寝入りすっかな。」

 ポリポリと頭を掻きながら立ち上がり、大きく欠伸を一つし、自室へと戻るべく歩き始めた。





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「アレは何故こうも碌な事をせんのだ!!」


 今朝方、街の聖堂そこの管理者であるソンズが屋敷を訪ねて来たという。執事のドミトリーが取り次いだが、その内容は、教皇庁より、あの悪名高き異端審問部の長官にして、枢密卿であるペルペトゥア・シエルラが我が父、エルドグリース家の当主であるサムイル・モコシュ・エルドグリースに会いたいと希望しているらしい。

 北方の支配者と恐れられ、王をも凌ぎ、大陸中に影響力を持つ、覇気に満ちた嘗ての姿はない。もはや死を待つのみ、そういうレベルで衰弱し、病床でただその時を待つ者となった男に何の用があるというのか?

 その答えは分かっている。私がこの世で最も恐れ、最も憎たらしく思う父が別人となったきっかけを作った、あの妹の居場所やその他様々な情報を得たいのだろう。

 アレ、妹のアプロディタは、ペルペトゥアから逃れる為にあのシャンバルへ行った様なものだからな。

 まあ、本当に面倒臭い相手なので、アイツが逃げ出す気も分かるが…

 結果、アレが逃げたせいでこっちにツケが回って来ている。

 

 ペルペトゥアのことだ、ここで何かしらの理由をつけ、また後日にと言ったところで、ならそれまで待ちますと、幾日どころか、幾年であろうと待つ相手。

 それだけなら好きなだけ待たせて良いのだが、あの狂った女は、その期間、やりたい放題の狂気に満ちた布教と独善的な異端狩りを行うのは明白。

 それを止めようものなら、コチラを異端認定してくるのまでセットで、更にそれを大陸中に発信する力を有しているのが殊更質が悪い。

 つまり、いち早くお帰り願いたい相手であり、その話を持ってきたソンズ自身もそうなのだろう。いち早い面会を懇願していたらしい。


 そんな非常に面倒で厄介な上、扱いに困る人物がやって来た。その経緯を辿ると行き着くのは妹。

 故に怒りが込み上げて来る。

 何の波風無く動いていたエルドグリース家の後継者の決定や舵取り。それを一転させ、超弩級の大嵐を巻き起こし、今後の舵取りに多大な影響を及ぼしたあの妹を忌々しく思い漏れた言葉だった。


「嘆いても何も変わりません。」

 鉄仮面でも着けているのかという程、表情を変えない、常時真顔の弟、末弟のフロルがそう言う。淡々としたその言葉に、

「分かっている!!」

 思わず激昂してしまうが、如何なる状況であっても冷静沈着どころか、表情一つ変えない男である末弟の役職はエルドグリース当主の政務補助、つまり父サムイル、そして私が最側近として取り立てた弟の優秀さと状況判断能力は他の弟達を群を抜いている。おまけに私の母の姪に当たる人物の息子であるフロルは、私にとって、最も信頼出来る人物の一人である。

 そんな男に対し激昂したのだが、当の本人は何一つ焦った様子もなく更に進言する。

「分かっているのでしたら、迅速に決定して頂く必要があります。ペルペトゥアにはいち早くこのヴィドノを去って頂く必要があります。」

 フロルに詳細はまだ伝えていないが、断片的な情報だけで最適な方針を導き出していた。

「父上に会わせた場合、奴は直ぐに立ち去ると思うか?」

 現在の妹、アプロディタの所在地はシャンバルの一角、それを私たちは父に伝えていない。父とあの枢密卿が面会した場合、どの程度の情報が伝わるのか、そして、あの枢密卿をどの様に誘導することになるのか。そう問う。

「あの女は、アプロディタを追っているのは明白です。その居場所を伝えれば、直ぐ様そこへと向かうでしょう。仮に、それが偽りの場所であっても…しかし、その偽りが露呈した場合のリスクを考えれば、不利益が勝るかと…されど、アプロディタが教会勢力ないしエルドグリース以外の勢力に属するのはそれ以上の不利益を被るのは間違いありません。アプロディタを渡さず、且つ教会を影響下における様に立ち振る舞うのが理想です。」

 そんなフロルの進言に、

「それは理想論であろう。」

 そう答える。フロルのす進言は間違っていない、それこそ、エルドグリース家としては理想形の方針となるのだろうが、そう上手く事が運ぶなど有り得ない。

 なんせ、あのペルペトゥアを除き、教会の上層部は、表立っては言わないが、妹の全てを否定するどころか、認めない方針を掲げている。

 そんな状況下で教会を味方に付けるというのは、現実的ではない。

「仰る通りです。されど、理想に近づける事は可能です。」

 淡々とフロルが返す。

 その言葉に何も返さず、視線だけで続きを促す。

「ペルペトゥアは現在、教会勢力において唯一聖気法に辿り着いた魔術師であり、教皇庁に絶大な影響力を持つペルペトゥア家の娘。彼女を完全にアプロディタの配下とした場合、教会から反感を買えども、強くは出れません。仮に強く出てきたとしても、ペルペトゥア家をその前に抱え込めば、多少の猶予が生まれます。」

 フロルは一息吐き、更に続けて、

「その猶予の間に、アプロディタに然るべき装いで教皇庁府に訪問させれば、腐りきった教皇庁は兎も角、そこに住む市民や信者を動かすことは容易であり、そこにペルペトゥア迄動かした場合、どうなるでしょうか?」

 如何に教皇庁とはいえ、教徒あっての教皇権力。教徒の全てが教皇に敵対した場合、流石の教皇も折れるしかない。

 更に、ペルペトゥア家にはそこを突く力がある。歴史上数多の教皇を排出した大商家であるペルペトゥア家は、王に匹敵する権力を持つ。そこと連動してエルドグリース家、そしてあの妹が動けば、教会勢力をも手中に収めることも出来る。

「フロル…お前の言いたいことは分かった。しかし、私はエルドグリース家は、現在でさえ増長し過ぎていると思っている。今エルドグリース家は王をも凌ぐ力を持った父を持ってはいるが、その弊害でそれに反感を持つ数多の政敵を抱え、おまけにあの戦争で、勝ったとはいえ正直疲弊している。何事も無かった様に振る舞えているのは、シャンバルから齎される魔石による収益があるからだ。しかし、民も、兵も、減少し、疲弊している現実は変わらぬ。故に、私は今、些細な騒動も起こしたくないのだ。」

 エルドグリース家は現在弱っている。王をも凌ぎ、ルユブル王国を思いのままに動かせる程の力を持った父は老衰し、棺桶に片脚どころか、辛うじて首だけで出ているという程度の死を待つのみの老人となり、影響力は激減している。それに加え、先の戦争の最前線となった故に疲弊している。

 おまけに王都では王派とエルドグリース派、そして中立派の三つ巴の権力闘争が始まる気配が漂っている。

 こういった状況でなんとかエルドグリース家の立場を保っているのは、魔石の輸出による収益とそれに伴う優位性。今や魔石は生活に欠かせない物へと近づいて来ている。それが手に入らない、という状況を望む者は少なく、魔石を売らないという圧力を掛けられる立場であるが故の優位性によるものだ。

 しかし、如何にその優位性も、多勢に無勢となれば全てを奪われる。

 だから下手を打ちたくない。現状の回復と政治的優位の再確立が最優先事項である以上、可能な限りリスクは負いたくないのだ。ましてや、それがあの嫌いな妹の為のリスクであれば尚の事である。

「とはいえ、追い返すというわけにもいかないでしょう。」

「左様。大変不本意だが、会うだけ会う。奴…ペルペトゥアがどの程度の情報を持っているのか、それを探りどこまで伝えるか、それを決めねばならぬ。」

 本当に、あの妹は厄介事ばかり持ち込む。殺してしまいたいが、それが出来ないのは既に何度も証明しているし、エルドグリース家にとって害ばかりもたらしているが、現状、大陸で最強の切り札だ。

 大陸各国、それぞれに精鋭部隊や戦略、戦術数有れど、アレは一人でそれを全てひっくり返せる力が有る。故に感情だけで切り捨てる事など出来ない。本当に厄介で頭の痛い存在なのだ。


「ではその手筈で。」

 そう答えフロルは一礼し部屋を出る。

 扉が閉まり、一人だけになった部屋でぐたっと椅子に座り込む。

「頭と胃が痛い…」

 領地経営、国内の政治闘争に外交、それに加え教会。更にアホの妹。

「おまけに信じられるのは己と息子と末弟だけ…」

 もう、何もかもが嫌になってくる。






 


 


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