第20話 底の底

「そうか…あいつらは今日、休暇であったな。あまり用がない故忘れておった。」

 別棟にいる兵に探している二人の所在を訊ねた所、休暇で出かけていると言われた。休暇の許可印を打ったのは我だというのに忘れていた。しかし休暇か…

 む?そういえば、クレメンチーナが休暇を取ったという記憶が無い。思い返せば、クレメンチーナはいつも我の傍にいた。

「偶には休ませてやるか…」

 我に対して当たりが強いが、我にとって、最も信頼できる側近中の側近であるクレメンチーナ。いつも無表情でそれでいて常に我を監視し、的確な補助を行う。そして、時にはあんまりだと思う程の罰を我に与える。そんな奴が倒れる姿なんか想像出来ないが…

「必要不可欠である故に、おらぬことを考えもしなかったな…」

 奴も若く見えるが結構歳だ。体力的にも衰え始めているだろう。

「小娘の教育が終わったら、休暇を取らせるか。」

 鉄仮面の侍女長にも、休養は必要だろう。あいつだって人間なのだから。

「その間、我も好き放題出来るしな。」

 夢のぐうたら自堕落生活。クレメンチーナがいる限り実現することの無いその夢を、僅かな期間ではあるが、実現出来そうだ。


「そうと決まれば、あいつらを捜すとしよう。何事も早い方がいい。」

 場所は想像がつく。あいつのことだ、どうせあそこだろう。

「これは紛うことなく仕事であるし、クレメンチーナの奴も文句は言うまい。」

 ずっと行きたいと思っていた場所へ足早に向かう。





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 ああ、こいつと一緒にいると、碌なことにならない。出会ってからもう四年以上になるが、二回り近く年上であるこの男は、驚く程にトラブルしか起こさない。


「っひゃぁっ!!」

 艶めかしい女の嬌声が坑道に響いた時、この男から一瞬でも目を離した己の愚かさを呪う。

「良い女になったじゃねぇか、ジークリンデ。暫らく見ねぇうちに随分と大きくなって…俺ぁ嬉しいぜ。」

 薄着の破廉恥な女、その豊満な胸を背後から鷲掴にし、そんなことをいう男の言動に頭を抱える。

 神よ、何故こんな男が俺と同列なのだ?

「ルーカス!?テメェなんで生きてやがる!!…っ!!このクソ野郎!!さっさと放せっ!!俺は安くねぇぞっ!!」

 酔いとは別に、少し顔を紅潮させた女は、そう怒鳴り、魔力で強化したい拳を振るう。

「つれねぇなぁ…愛しのパパだぜ。」

 モロにその拳を顔面に受けながらも、ヘラヘラと笑う男は、俺の脳の処理を越えた言葉を発する。

「俺に親はいねぇ!!」

 そんな言葉に、激昂する女。

 理解出来ない状況。しかし、このままというわけにはいかない。

 というより、この場でこれ以上の騒動を起こしては、あの御方に申し訳が立たない。


「お、落ち着け!!…ああ、お前らもさっさとどっかに行け!!えぇいっ!!飲み代だ!!ほら、さっさと散れ。」

 我ながらどうかと思うが、革袋から金貨を一握り掴み、遠くへ投げ、剣を抜き、坑夫に向けると、坑夫たちは、金貨を目で追い、そして抜かれた剣に目を剥き一目散に逃げ出す。

「なんだよ、随分と気前がいいじゃねぇか。ちったぁ俺に別けてくれよ。」

 元凶たる男が、それを見て言うのに、殺意が湧く。

「全部お前のせいだ…これも貸しにしておくからな…」

 殺意を抑え、剣を仕舞う。

「若気の至りを俺のせいにして…抱きてぇならそう言えよ。観衆は俺が追っ払ってやるさ、そのくれぇならしてやるぜ。」

 悪びれるどころか、何か決定的な勘違いをしているこの男は、女の胸を再び鷲掴み、再度反撃を受けている。

「触んじゃねぇ!!って言ってんだ!!このクソ野郎!!テメェ、なんで生きてんだよ!!」

 死ね、死ね、と連呼しながら女が短刀を振るう。その剣戟を男はヘラヘラと躱す。

「おいおい、オメェに生きる術を教えたのは俺だぜ?オメェが生きてんだ、俺が死んでる訳ゃねぇさ。」

 短剣を振るう女の手を掴み、羽交い絞めにすると…

「しっかし、こんな所にいるってこたぁ、オメェも焼きがまわったか?」

 そう言って女の尻を撫で回している。神よ、何度でも問おう、何故こいつと俺が同列なのだ?


「クソ野郎!!テメェが生きてんのが気に食わねぇ!!」

 ダンッ!!とテーブルに酒瓶を叩きつける女。

「そうつれねぇこと言うなよ。お互いに、生きてたことを喜ぼうぜ、我が娘、ジークリンデよ。」

 そう言って酒瓶を煽るルーカス。

「誰が娘だ!!俺に親はいねぇ!!たった数年、しかも、最低の手口で俺を連れ回したオメェは親なんかじゃねぇ!!そもそも、あの時の代金払えよ!!」

 男の胸倉を掴み、怒気満載に言うジークリンデと呼ばれた女。

「ありゃぁ、教育代、とっくに完済済みだ。」

 悪びれる様子もなくそう言うルーカス。

「テメェ…俺は安くねぇんだ!!あの頃はまだガキだったとはいえ、一銭たりともまけねぇからな!!」

 彼女とコイツの間に何があったのか…知りたくもない。しかし、毎度の如く、コイツが代金を踏み倒しているのだろうと思うと、少し申し訳なくなってしまうう反面、諦めろと女に言いたくなる。

 最近分かってきたが、この世の中には、どうしようもないクズがいるのだと、漸く理解出来てきたのだ。


「あー、すまんが、とりあえず俺にも分かる様に説明してくれ。」

 正直、あまり関わりたくないが、あの御方の治める土地で、しょうもない問題を起こしたくはない故に、この二人の間に渋々入る。

「単純なこった。コイツはジークリンデ。俺の娘みてぇなもんさ。」

 赤髪の女を指差し、ルーカスが言う。

「何が娘だ!!俺はオメェみてぇなクソ野郎に一ミリも育てられちゃいねぇし、何より俺は孤児だ!!親なんかいねぇ!!」

 犬歯を剥き出しに怒鳴るジークリンデという女。

 噛み合わない二人の会話を聞きながら、痛くなる頭を押さえながら、言葉を切り出す。

「ジークリンデ、と呼んでいいのか?その…お前はなんでこんな所にいるんだ?」

 そう言って赤髪の女を見れば、机に乗り出してルーカスに掴み掛かろうとしており、扇情的な薄着姿、そんな彼女の胸元、深い谷間が見えて、思わず目を逸らす。

「そうだ、オメェ、なんでこんな所にいんだ?せっかく俺が仕込んでやったってぇのに、こんな所に堕ちやがって。それで、坑夫か?それとも娼婦か?俺としちゃ、娼婦であって欲しいねぇ。」

 女の手を躱しながら、ニヤニヤと言うルーカス。

「ざけんな!!俺はテメェとは違う!!ここには呑みに来ただけだ!!」

 俺の質問を無視し、ルーカスへと噛みつかんばかりに怒鳴るジークリンデ。

「んだよ、それなら俺らと同じじゃねぇか。しっかし、こんな辺鄙な所で仕事たぁ、傭兵稼業も楽じゃねぇなぁ。」

 ルーカスの言葉に、口を大きく開けて、呆気にとられる女。おい、何故俺を見る。


「信じられないかもしれないが、こいつは一応真っ当な職に就いている。」

 俺の言葉に、信じられないという目を向けてくる女。安心しろ、俺も信じられない。

「おうよ、これでも近衛騎士団の分隊長だぜ。」

 肩書に似合わぬ軽い返答をするルーカス。

「お、お前みたいなクソ野郎が…姉御の護衛…?」

 彼女の言う姉御という人物が俺の主であるのなら、そういうことになる。

「オメェの言う姉御って奴が誰か知らねぇが、俺が今従ってんのは、あのエルドグリースのアプロディタって嬢ちゃんだ。いやぁ、ホント、あんなおっかねぇ化物以上にヤベェのがいるたぁ、ホント、世界は広いぜ。」

「貴様はもう喋るな!!」

 我等が主、アプロディタ様の名を出すことはタブーだと言うのに、何をペラペラと喋っているのだ、コイツは!!

 場合によっては、この女を消さねばならないではないか!!


「なんで雇用主まで一緒なんだよ!!巫山戯んな!!やっぱ死ね!!」

 怒り狂って短剣を握るジークリンデ。…我が主アプロディタ様よ、何故新たに雇用した人物を我々に教えて下さらないのですか?

 いや、現実逃避している場合ではないな。

「ルーカス、それにお前も、臣下に相応しくない振る舞いは控えろ。」

 女の短剣を握った手を左手で押さえ、ルーカスの眼前に右手を付き出す。

「貴様らの粗暴な振る舞いは、主の名を汚す。もう少し振る舞いに自覚を持て。」

 若干の殺気を込めてそう言うと、

「へいへい、流石に俺でも、お嬢の怒りを買う気はねぇさ。」

 楽しそうな笑みを潜め、頬杖をつくルーカス。

「じょ、冗談みてぇなもんだろ…お硬い奴だな…」

 そう言いながら、顔色を悪くして大人しくなるジークリンデ。一瞬だが、彼女の赤髪に隠れた左側の顔が見えた気がした。





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「そろそろ夕食の時間ね。」

 パタンと本を閉じる音と共に、ヤニーナ様の声が、私を逃避世界から連れ戻す。

「おや、もうそんな時間ですか…リリー様、お疲れ様でした。」

 ゴトッ、と鞭を机に置き、クレメンチーナさんが言う。

 終わった…やっと終わった!!

 もう中盤からは完全に思考が停止し、ただひたすらに『こういう場合はこう振る舞う』というのを条件反射的に出来る様に、身体に叩き込まれているだけだった。痛みと共に…

「有難う御座いました。」

 魂の抜けた声になっているのが自分でも分かるが、不思議と身体が自然と動く。

「少しは見れる様になったわね。まあ、まだ全然なってないけど。」

 一礼する私を見て、ヤニーナ様がそう言う。

「まだ初日ですから、あとニ週間で及第点迄には出来る様になって頂きますので、ご安心を。」

 手を抜く気どころか、この程度はまだ序の口。そう言わんばかりの目でクレメンチーナさんが応える。

 …私の精神は保つのだろうか?


「お食事の時間も、マナー講座をしながら行います。」

 廊下を歩きながらクレメンチーナさんがそう言ってくる。提案ではなく、決定事項らしい。

 幸せの時間も消え去るのか…

「ところで、ローディは何してるのかしら?またサボってるんでしょうけど、それにしては随分と静かね。」

 少し訝しげに言うヤニーナ様。サボってること前提なんだ…

 まあ、アプロディタ様を制御出来る二人が私に付きっ切りだった為、自由を得たとばかりに部屋を飛び出していたし、あの人のことだし、大方、大好きなお酒とお菓子を堪能して寝てるんじゃないかな? 

「寝てるんじゃないですか?」

 私の言葉に、

「寝てるにしろ、好き放題飲み食いしてるにせよ、こんなに静かなわけないわ。アレを誰だと思ってるの?」

 ヤニーナ様はそう答える。いや、ヤニーナ様こそ何だと思ってるんですか!?ただ飲み食いしたり、寝ているだけで大騒ぎになるなんて有り得ない筈だ。…有り得ないよね…いや、あの人なら有り得そうかも…あれ?どうしよう、ヤニーナ様が言っている方が正しい気がしてくる。

 まだそんなにアプロディタ様のことは知らないけど、あの人は普通じゃないってことだけは良く分かる。

「侍女達にも慌てた様子はないですし、狩りにでも行かれたのでしょうか?」

 クレメンティーナさんも何やら考えながらそう言う。


「アプロディタ様、何処に行ったんでしょう?」

 食堂に入り、席についてから数分が経ってもアプロディタ様は現れない。お屋敷の主人たるアプロディタ様に配慮し、あえて二十分近く遅れて食堂に入ったというのに…

 主が席につかない限り、食事が運ばれることは無いので、お預けを喰らった犬の様に、テーブルに綺麗に畳まれて置かれているナプキンを見つめながらそう呟いた。

「ローディーに限って危険な目に遭ってるなんてことはないでしょうけど、あの子が食事に遅れるなんて珍しいわね。」

 対して食事に興味の無いヤニーナ様は、退屈そうに読んでいた本から顔を上げてそう言う。

 ヤニーナ様の言う様に、アプロディタ様の身に危険が迫る程の相手がこの世にいるとは思えないけど、なんだか心配になる。なによりお腹がペコペコだ。

「寝室を見て参ります。」

 主不在の席。その傍らにジッと立っていたクレメンチーナさんがそう言って食堂の出入り口に歩き出した。


「すまん、待たせた。」

 三十分近く遅れ、お屋敷の主が現れる。何故か数人引き連れて。その中になんだか不機嫌そうなジークリンデさんの姿もあった。

 また理不尽な絡まれ方をしないといいけど…

 そして、遅れて来たアプロディタ様は、ヤニーナ様とクレメンチーナさんにお小言を頂きながら席に向かう。

 そんなアプロディタ様は席に向かう道すがら、私の横を通り掛かり、

「小娘、我はお前を見くびっていた様だ。」

 私にしか聞こえない声量でそう言って通り過ぎて行く。

 なんのことだろう?少し考えて結論に至る。アプロディタ様もクレメンチーナさんの指導、そう、あの恐ろしき指導を受け入れているのだ。きっと耐え抜いた私を褒めているのだろう。

 色々と残念なとこばかり見てるけど、アプロディタ様は一応超一流貴族の子女だ。そんな彼女から褒められ、少し沈んでいた気持ちが上向く。

「待たせて悪かったな。食事としよう。」

 席に着いたアプロディタ様はそう言って目で合図を送ると、クレメンチーナさんが小さく一礼する。

 いつもの流れ…

 あれ?見慣れぬお二人の説明は無しですか?

 ジークリンデさんと共に、アプロディタ様の後ろをついてきていた二人の男性、一人は綺麗な金髪で、まだ若い印象を受ける男前。もう一人は、赤褐色の髪に無精髭、ガタイはいいけどなんだか碌な印象を受けない男だ。後者は、なんだか我が養父に近い雰囲気があるせいか、第一印象は最悪だ。

 まあ、あのクソ親父はその男の人と違い、痩せ細っているけど。


 そんなことなど意識の彼方へと旅立つ程の、見事な料理が運ばれ、意識はそこに集中する。

 うん、今日も最高に美味しそうな見た目だ。実際は、見た目だけでなく、味も最高なんだけど、手をつけることを躊躇いそうな綺麗な盛り付けは実に見事だ。…まあ、毎度躊躇なく食べるんですけどね。

 一日の中で最大の楽しみである夕食の時間がやってきて、いつもの様に手を伸ばした。


 ビシィッ!!

 強烈な一撃が伸ばした手の甲に響く。

「リリー様、はしたないですよ。」

 ああ、ここでもやるんだったね…

 数時間受け続けた痛みが再び走ったことで、私の目からハイライトが消えていくのが自分でも分かった。


「今日はお夕飯は抜きですね。」

 あまりにも酷な宣言がクレメンチーナさんからなされた時には、耐え難い空腹よりも、この時間から解放されることへの喜びが勝っていた。





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「良い女になったじゃねぇか、ジークリンデ。暫らく見ねぇうちに随分と大きくなって…俺ぁ嬉しいぜ。」

 突然背後から胸を鷲掴にされ、数年前は毎日聞いていた、四年前に死んだ筈の、憎ったらしい男が、耳元で囁く。

 声の主はブルーナー・ルーカス。俺にとって、この世で最も忌むべき存在であり、憎たらしくて仕方ないが、師の様な存在でもある。

 金にも、女にも、酒にもだらしない。挙句、ギャンブル狂いで救いようのないダメ男。そのくせ、腕っ節と、鉄火場における勘の鋭さだけは桁違いという質の悪い男だ。

 そんな破天荒で、自由気儘に生きた風来坊にも焼きが回ったと、皆が思ったのは、四年前。俺が傭兵としての仕事が安定し始めていた頃だ。

 

 誰にも告げず、ある依頼を受け姿を消したルーカスは、戻ってくることはなかった。


 良い噂は何一つ無く、悪い噂ばかりが広がり、柄の悪い連中からは慕われるが、上からは余りにも嫌われ過ぎた男だった故、当然の末路だと、皆がそう思っていた。

 そんなクズが生きていた、それも、シャンバルという北の僻地で。


 ルーカスとの出会いは七年前。ゴミの掃溜めの様なスラム、そんなゴミの一部だった俺の前に偶然現れたのがこの男だった。


 スビスという傭兵国家、羊飼いと傭兵しかいないなど他国から評される国(実情は全く異なる)に孤児として生まれ、規則が厳しく、年長者に全てを奪われる、堅苦しい孤児院を逃げ出したのは十一歳の時だった。

 魔力を持って産まれた俺は、孤児院にとっては大切な商品だった。何人もの追手が俺を捕らえ様と待ち伏せしており、逃げる先はゴミノ掃き溜め…スラムしかなかった。

 そんな場所に逃げ込んでも尚、迫る追手。

 スラムに落ちた俺を最初に拾ったのは、当時スラムの顔役で、ゴミ山の大将だった男だった。

 そいつが口を聞いたお陰で追手は去ったが、当然対価が発生する。

 ゴミ山の大将は、ゴミを煮詰め、不純物を取り除いた純粋な汚物の如き男であった。そんな奴が無条件で人に手を貸すことは無い。

 貴重な魔力持ちであり、女である俺は、そいつの言いなりとなって仕事をした。

「まだガキだが、上玉だ。仕込みゃぁ、良い道具になる。おまけに魔力持ちで客も獲りやすいし、兵隊にもなる。」

 ゴミ山の大将、そんな男の元で、鉄砲玉として敵対するチンピラに特攻し、そして幼い娼婦として変態共に抱かれる日々が続いた。

 

 そんな日々を終わらせたのは、ルーカスだった。

 それは偶にある、客も無く、仕事も無い日。そんな時は、俺にとって休みではない、最も忙しい日だ。ゴミ山大将と、その取り巻きに玩具にされる時になるからだ。

 抗うことなく、否応なしに身に付けられた技術で、下衆な笑みと、下品な言葉を受けながら、酒と煙草、そして薬物の匂いが充満した部屋で、男共の相手をする。

 気力も、体力も尽き、虚ろな目で床に伏した。ゴミ共に髪を掴まれ、腹部を殴られる。

 嗚呼、こんな奴ら、一対一なら殺せるのに…

 虚ろになっていく視界で、そんなことを思った。


「おい、殺すなよ。まだ使えるんだからよぉ。」

 ゴミ山の大将のドスの利いた声に、男達の手が止まる。

「まあ、立場を染み込ませるのは大事だ、仕事に支障がねぇ様に、程々にやれ。」

 下衆な笑みと共に発された声に、男達の手が再び動き出した。

 死なない程度、その言葉通りに痛みつけられ、死の淵にいた俺の、霞む視界に映ったのは、痛快で、それでいて新たな恐怖が迫るものだった。


「つまんねぇクズだな。もうちょいハジケてみろよ。」

 ゴミ山の大将、その首が胴体から離れ、宙に舞う。

「アウトロー気取んなら、もうちょいハジケようぜ、ゴミ共。」

 悪鬼羅刹の如く、ゴミ共を斬り裂いていく男。

「ケッ、ゴミとしての格が違ぇのよ。」

 全てを薙ぎ払い、返り血のべったりとついた顔に煙草を咥えてそう言う。

 いや、お前もゴミなのか!?自身をゴミと評する男に呆気にとられると同時に、服従以外の選択肢を見出だせなかった連中を一掃した男に恐怖を感じた。



ーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


「いやぁ、あの時、小便漏らして命乞いしたガキンチョがこんな良い女になってるとはねぇ。」

「殺してやる!!」

 懐かしむ様な表情で酒瓶を煽り言うルーカスに掴みかかるが、躱されるし、

「やめろと言ってるだろ!!ルーカス!!貴様もだ!!」

 クソ野郎の隣に座る男に止められる。

 身なりも良く、振る舞いも俺らとは違うこの男から見える魔力は、俺の数倍はある。良い家の坊っちゃんか、突然変異で産まれ、姉御に拾われたか、その二つに一つだろう。

 どっちにせよ、争いたくはない相手だ。

「さっきから、止めてくるけどよぉ、こんなクズ、さっさと始末しとけよ、姉御にとっても害しかねぇぜ。」

 短剣を仕舞いながらそう言う。ふらふらと、テメェの気分次第で勢力を渡り歩く男、嘗て、俺を裏切った様に、信用なんか絶対にしてはならない相手だ。

「こいつには、忠義など欠片も無いというのは分かっている。」

「酷い言い草だな、オメェら。俺ぁ、好きな様に生きてるだけだぜ。」

 ルーカスは、芝居がかった言い方で言う。

「好きな様にねぇ…姉御は、俺みてぇにはいかねぇぞ。」

 姉御、あのアプロディタという怪物は、俺らが這いずりながら生きて来た、ならず者や傭兵といった連中どころか、遭ったら逃げるしか無い様な上級騎士達とも違う。

 相対したなら、逃げるということを考えることさえ不可能になる圧倒的な存在だ。俺以上に生き残るという術に優れた野郎とはいえ、逃げ切ることは決して無いと断言出来る。

「んなこたぁ、重々承知よ。だからここに居るってこった。」

 そこも俺と同じかよ…どんなに嫌おうと、認めずとも、俺はコイツの影響を大いに受けている。

 




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「初めて見た時、それまで神なんざ、教会の連中が創り出した想像上のモンだと思っていたが、お嬢、ありゃ、本当にその成り代わり、いや、成り代わりなんかじゃなく、そのものなんじゃねぇか?そう思ったぜ。」 

 罵り合いが終わり、大人しく酒を飲み始めた二人。酒瓶から口を放したルーカスはしみじみと言う。

「神ねぇ…そんな安いもんじゃねぇよ姉御は。」

 ジークリンデは呆れた様に言う。

 教会の力は衰えたとはいえ、今だ健在。政治的にはかなりの力を有している。それを全否定するような二人の会話に、もしや、貴族以外はそういうものなのか?と、教会と、それに付随するそれらnI配慮する己の常識を疑ってしまう。

「んなこたぁ、身に沁みて分かってる。お嬢は神なんかじゃねぇ。神という架空じゃねぇ、この世で見てて一番面白ぇ何かだ。」

「貴様!!無礼だぞ!!」

 聞き捨てならないルーカスの言葉に、思わず机を叩き立ち上がる。

 面白い?その様な見方をして良い人ではない!

「分かってねぇなぁ…面白ぇ、そりゃあ、生きていく上で、一番大事なことだぜ。」

 悪びれる様子もなくそう言って酒瓶を煽るルーカス。

「アレを面白ぇと思えるオメェは、やっぱ、どっか壊れてんだよ…」

 ルーカスに向かってそう言うジークリンデ。

「お前たち、アプロディタ様をなんだと思っているんだ…」

 俺の全てを変えた御人に対し、余りにも散々な言い様だ。

「「なにって、この世で一番ヤベぇ奴に決まってるだろ?」」

 何故そこだけピッタリと合うんだ?いや、お前ら、主を何だと思っているんだ!?


 アプロディタ様の素晴らしさ、それを熱を持って伝え続ける。この不忠者共を正すことも、俺の使命だ。

「オメェ、姉御に惚れてんのか?やめとけ、望みはねぇぞ。」

 俺の熱意は一ミリも通じなかったらしい。ジークリンデは畏れ多いことを言う。

「な、なんと無礼な…!」

「いや、図星だろ。やめとけ。それより。オメェ、いいとこの坊っちゃんだろ?俺なら相手してやるよ、金貨20枚でいいぜ。」

 この女は、俺に反論の時間を与えずに、胸元を大きく開きながらニヤニヤとそう言ってくる。 

「お、俺はそんな不浄なことはせぬ!!」

 今にも溢れ落ちんばかりに強調された谷間から目を背け、そう言う。

「初心だねぇ…俺が男にしてやるよ、金貨30枚な。」

 狩人の目になった女が、俺の背に胸を、身体を押し付けてくる。

 神よ!!何故俺に試練を与えるのだ!!


「い、いけません!!お嬢様!!」

 危機的な状況におかれた俺と、それを面白がる二人、それを正気に戻す様な、坑道市の衛兵の声が響く。

 お嬢様、衛兵がここでそう呼ぶ人物はあの御方しかいない。

 女を振り解き、屋敷に続く出入り口へと駆ける。

 何故この様な場所に赴かれたのだ?

 そんな疑問よりも、一番に出迎えねばという使命に駈られた。


「隊長にも、侍女長にも、お嬢様をここに入れてはならないと、キツく申し使っております!!どうかお許しを!!」

 衛兵の必死な声。

「その二人と我、お前はどっちの命を聞くのだ?」

 この声は間違いない…全てを捧げる覚悟をした御方だ。

 衛兵が言い微睡むのが見えた。タジタジとなった衛兵の男に痺れを切らしたのか、主は、

「もう良い。我の意識で入る。」

 門どころか、入口付近の山ごと消し飛んだ。

「あ、姉御…こんなところへようこそ…」

 いつの間に駆け付けたのか、ジークリンデは青い顔で平伏している。

 入口を塞ぐ瓦礫を跡形もなく消し去りながら、主が姿を表す。

「昨日の今日で来ていたのか、ジークリンデ…全く、呆れた奴だ。それに、アレクサンドル、ルーカスよ。」

 神々しいその姿が徐々に現れる。最後にその姿を拝見した時と比べ、身に纏う、あの後光は和らいでいる。そのお陰で、そのお姿がはっきりと見える。

「我が主、この様な場所にご足労頂き、感謝致します。」

 膝を付きそう言う。

「うむ、ご苦労…」

 正しく女神。そうとしか言い表せぬ主が眼前に現れ…


「…臭い!!なんだここは!!」

 鼻を押さえて光の速さで出て行かれた。あの豪快で自由奔放な性格のせいで忘れがちだが、そういえば、あの御方は、筋金入りの箱入り娘だ。数日身体を洗っていない男共の臭いの充満する空間など、体験したことはないだろう。

 …俺も、ここの匂いに慣れるまで、長い時間がかかったなぁ…

 そんな、耐え難い悪臭にも慣れた己を嘆かわしく思いながらも、どこかそれを誇らしく感じながら、主の後を追った。





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 夕食(と言っても、全く食事にはありつけなかったが…)後、アプロディタ様に呼び出された。

 クレメンチーナさんから一時的に解放された私は、緊張感と恐怖心が解かれ、急激な空腹感に襲われながらアプロディタ様の部屋に向かう。

 あれ?アプロディタ様の部屋に行くってことは、クレメンチーナさんもいるんじゃ…

 この空腹感の中、あの地獄の教育に耐えられる気が微塵もしない…

 一瞬の気の緩みで、自ら追い込まれてしまった。これも予定調和なのだろうか?心を折る技術が高過ぎるよ…


 そんな絶望感は杞憂に終わった。入室したアプロディタ様の自室には、部屋の主を除き、誰も居なかった。

「あ、あのっ…」

 椅子の肘掛けに片肘を付きながら、ワイングラスを傾けるアプロディタ様に声をかけようとしたが、片手を上げ制される。

「小娘、お前を呼んだのは、叱責をするためではない。」

 そう言ってグラスを傾け、グイッ一息で流し込み。

「辛い初日、よく耐えた。褒めてやる。」

 口角を僅かに上げ、優しい目で私を見る。

 ただそれだけなのに、堪らえていたものが湧き上がり、涙が溢れ出す。

「泣くな半端者。」

 そう言っているけど、アプロディタ様の声色は優しい。

 ますます涙が止まらなくなった私に、

「全く、泣くなと言っておろう。せっかく貴様の為に食事を準備しておったが、これも抜きにするか?」

 優しく笑い、諭す様に言いながら、歩みより、何度も鞭打たれた腕を優しく撫でてくれる。魔法をかけてくれているのだろう、痛みが一瞬でとれた。

「ご飯…ご飯は絶対食べる…」

 ボロボロと涙を零しながら、嗚咽混じりに呪詛の如くそう言う。

 我ながら情け無いとは思うけど、空腹には抗えない。

「仕方のない奴だ…持って参れ!!」

 呆れた様に笑い、アプロディタ様がそう言うと数人の侍女たちがカートを押して部屋に現れる。

「今宵だけは思う存分に食せ。明日以降、食事を抜かれる様なヘマをしても、我は知らぬぞ。」

 グシャグシャと頭を撫で回され、再び椅子に戻ったアプロディタ様は、一心不乱に食事にありつく私を眺めながら、優雅に酒瓶を何本も空にしていた。

 上機嫌になられたアプロディタ様はその後、空間魔法の中から隠し持っていたお菓子やお酒をどんどん取り出され、私にもお菓子をいっぱいくれた。

 好き放題の飲み放題でアプロディタ様は、大変ご満悦、といった様子で私を部屋に返した。酒樽を取り出してたから、まだ飲む気なんだろう。


 その翌日、私とアプロディタ様の一日の始まりは、クレメンチーナさんからのお説教に始まり、アプロディタ様は、全てのデザートと、お酒を抜きにされ、私は前日よりも厳しい教育を受け、悲しみに暮れていた。

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