第16話 居眠りと大発見

「午後の予定はどうなっているのだ?」

 昼食が終わり、私とアプロディタ様が紅茶を、ヤニーナ様がコーヒーを啜っている時、アプロディタ様がそう切り出す。

「そうね、私としてはさっさとマナーを叩き込んで欲しいところだけど…」

 ヤニーナ様がそう言いながら、ちらりとクレメンチーナさんを見る。

「申し訳ございません。それよりも先にやるべき事がありますので…」

 そう言ってアプロディタ様を見るクレメンチーナ様。そんな視線など気付かないという様に、

「仕事なら他の者に任せて、小娘に叩き込んでやればよいものを。我が許可する。」

「いえ、他の者では手に負えない仕事ですので。」

 アプロディタ様の申し出に、そのように返す。

「なんだ?そのように難しい仕事があったか?」

「ええ、お嬢様が仕事をサボらない様に、監視するという仕事が御座います。」

 なんというか、アプロディタ様って本当に子どもみたいな人だなぁ…

「な、何を言うか!我がいつサボったというのか!」

「先月は脱走が六回、未遂が十五回。真面目にやろうとした回数の方が少ないわよ。」

「ええ、本当に、首輪でもつけておいた方が良いのではないでしょうか。」

 ヤニーナ様とクレメンチーナさんが呆れた様に言う。

「そ、そうは言うがな、あのような雑務、我がやるようなことではない!」

 雑務、そういう表現をされたら、アプロディタ様がすることではない気がするが…

「行政官としての仕事でしょ。貴女の今の仕事はシャンバルの行政官よ。望む、望まないは別にしてね。」

 自分の仕事ならしょうがないね。仕事が楽しいと思えるのは、最低限の労力で信じられない額が稼げる時か、スキルが向上したその瞬間だけだ。それ以外は全て苦行と言っても過言では。働かなくても生きていけるなら、誰しもそうするだろう。仕事が楽しいと言える者たちは、よっぽど思い通りになっているか、それとも自身は何一つリスクも負担もない状態で道楽的に働いている者か、よっぽどの物好きだけだ。

 職人仕事だって、腕が上がった時や、作っている時はそこそこ楽しいけど、それに数や質のノルマなんかが課せられたら、楽しさなんかすっかり消えてしまい、只々精神的にも体力的のも負担が掛かる苦行へと変わる。その点、好きな様にやってる親父は羨ましいなぁ。

「お嬢様が逃げなければ私の仕事は、半分以下になるんですけどね。」

 逃げるアプロディタ様を捕まえれるって、もしかしてクレメンチーナさんこそが最強なのかもしれない。

「そういえば、学園も数十回脱走したわね。」

 思い出したようにヤニーナ様がそう言う。

「退屈だったからな。」

 悪びれる様子もなく答えるアプロディタ様。

「あの時は大変でした。数回目からは面倒くさくなったのと、お嬢様に危害を与えれる相手がいないのが分かったので追いかけるのをやめましたけどね。」

「まあ、放っておいても、お腹空いたら帰って来るから犬や猫よりはマシよね。」

 家出した子供だ…なんだろう、アプロディタ様って、知れば知るほど天才なのに駄目な人にしか思えない。


「じゃあ、午後の授業は軽く歴史をやってから、数学よ。」

 昼食後、満腹感から襲ってくる睡魔と戦いながら大まかな歴史の流れを説明される。この辺はロジオンさんから聞かされたからなんとなく知っている。中途半端に知っているせいか、睡魔が強くなる。

 ぼんやりと、虚ろな頭でヤニーナ様の話を聞くが、内容は全く入ってこない。寧ろ、心地良い子守唄、意識は徐々に薄れていく。


「起きたか。」

 気が付いた時、アプロディタ様の優しい声が耳に届く。

「わぁ!ごめんなさい!」

 慌てて起き上がると、ふよんと柔らかいものに顔が衝突し、再度膝の上に戻される。柔らかいのに張りが凄い…

「構わん。それより、ヤニーナがカンカンだぞ。」

 さーっと血の気が引いていく。私、精神的に殺されるんじゃ…真っ青になる私の頭を優しく撫でるアプロディタ様。

「落ち着いたら、謝りに行くぞ。安心しろ、我もついていってやる。」

 胸に隠れて殆ど見えないけど、優しく慈愛に満ちた瞳が見えた。アンナさんが、異常なまでの信仰心をアプロディタ様に持つ理由が少し分かる。こんな目で見られたら、この人がこの世で最も尊いものに感じてします。

 まあ、先入観というのか、残念な部分も知ってるから、そこまで心酔はしないけど。それでも無条件で人を酔わせる何かがこの人にはあるなぁ。


「ごめんなさい!」

 教場に戻り土下座する。

「ローディ、少し目と耳を塞いでなさい。」

 冷たい、命令の様な口調でヤニーナ様がそう言う。それとほぼ同時に、身動きが取れなくなり、ぐん!と体がヤニーナ様の下へと引き寄せられる。

「糞ガキ…失礼、リリー。ローディからも頼まれたから、今回は許してあげるわ。…でも、次はないわよ。」

 細い糸で首を絞められた様に、痛みと窒息感が体を襲う。それによって込み上げる恐怖心が全身を震わせる。

「私、認めた人間以外に舐められるのが何よりも許せないのよ。分かるかしら?取るに足らない小娘が目の前で居眠りしている苛立ちが…なにより―」

 ぎゅーっと気道が締まる。触れられてもいないのに、首を吊られた様になっており、意識が朦朧とする。

「そこまでだ。それ以上は我が許さん。」

 すとん、と気道が、体の拘束感が解放される。ヤニーナ様がなにを言おうとしたのか、気にはなるが、空気を思いっきり吸える喜びに、疑問は搔き消される。

「落ちるまでは許して欲しいわね。正直、もう少し痛めつけたいんだけど。」

「子ども相手に何故むきになる。この程度の居眠りなら許してやれ。」

 冷たい目をしたヤニーナ様をアプロディタ様が諌める。カンカンどころの騒ぎじゃないじゃん!危うく処刑だったよ!

「この程度?笑わせないで。」

「ヤーニャ…」

 何か険悪だけどそうじゃない、二人だけの空間という様に見つめ合う二人。


「ええ、『この程度』で間違っておりませんよ。お嬢様に比べれば。」

 そんな二人に割って入る様にクレメンチーナさんが間に入る。

「昼食後は、始まる前から爆睡でしたからね。お嬢様は。」

 なんだけど蚊帳の外だけど、とりあえずアプロディタ様が残念なのは分かった。

「だからなに?論点はそこじゃないわ。」

 冷たい目から、少し苛立ちを宿した瞳がクレメンチーナさんを睨み付ける。

「子どもには、少し早い話ではないですか?」

 ちらりと私の方を見るクレメンチーナさん。逃がそうとしてくれてるのだろうか?いや、違う。あれは本気で邪魔だと思われている。

「おい、そのような言い方は―」

 私を庇う様にアプロディタ様が前に出る。

「お嬢様、お嬢様も精神年齢がリリーさん以下なので二人で退席して頂けますか?」

 目だけが笑っていない笑顔でクレメンチーナさんが言う。ゾクリと悪寒が走る。これはさっさと退散した方が良さそうだ。

 それを感じ取ったのは私だけではなかったようで…

「おい、小娘、逃げるぞ。」

 私の手を取り、一目散に逃げる家主。貴女、このお屋敷で一番偉いんじゃないの?


「参ったな…まさかこんなことになるとはな。」

 アプロディタ様とふたりで廊下を歩く。

「あの、大丈夫なんですか?あのままおふたりを置いてきて。」

 なんだか一触即発の雰囲気だったんだけど…

「子どもが気にすることではない。そうだ、この機会にリャホフに会わせてやろう。」

 前回は会うことが叶わなかった魔石研究家のリャホフさんの名前が出る。有難い申し出だが…

「大丈夫なんですか?リャホフさんって、正直誰とも会ってくれなさそうですよ。」

 あの時の対応を思い出し、そう告げる。

「我が訪ねた時はいつも部屋に入れてくれるぞ?中々に興味深い話を聞かせてくれるのだが…」

 首を傾げるアプロディタ様。彼でも、屋敷の主人に対しては最低限の礼儀を払うのだろうか?


 別棟二階、以前は拒まれたその扉の前にアプロディタ様と立つ。

「リャホフ、我だ。入るぞ。」

 そう言ってドアノブに手を掛け、扉を押すアプロディタ様。しかし、当然の如く鍵がかかっている。

「ふん!」

 お屋敷中に破裂音が響き渡る。木製の扉が、見るも無残に消し飛ばされた。…なんで殴っただけでそうなるんですか?というより、なんで殴ったんですか!?

「ひっ…」

 サッと物陰に隠れる人影が見えた。あの人がリャホフさんなのだろう。すっかり怯えている。うん、部屋に入れてくれるんじゃなくて、押し入りですね。

「ほれ、隠れるでない。紹介しよう、暫く預かることになったペチェノ家の養女だ。」

 猫を掴む様にリャホフさんを片手で持ち上げ、私の前に立たせる。

「あ、リリーヤ・ペチェノです。」

 私が名乗ると、ビクビクと私の様な小娘にも怯えた様子で視線を逸らし縮こまってしまうリャホフさん。対人恐怖症というやつなのだろうか?

「ほれ、相手が名乗ったのだ、返事くらいしたらどうだ?」

 そんなリャホフさんの背中をアプロディタ様が押す。

「リャホフ…リャホフ・ジャブロフ…です…すみません…」

 何故か謝るリャホフさん。

「リャホフよ、なにやら面白い発見はあったか?ないなら小娘にお主の研究内容でも教えてやれ。あれば我に教えろ。」

 縮めるリャホフと視線を合わせ、小さく微笑むアプロディタ様。ボンッ!とリャホフさんの顔が赤くなる。本当、顔とスタイルだけは最高なんだよなぁ…アプロディタ様は…まあ、中身は残念なんだけど。

 しかし、この残念な癖に割と万能なアプロディタ様が、わざわざ手元に置く人材の研究内容というのには興味がある。なにか新しい発見や魔導具作製への効率の良い方法を思いつく可能性だってあるし、純粋に好奇心を擽られる。

「そ、その…発見というわけではないのですが…実験中の産物…副産物なんですが…その…」

 もごもごとどもりながらリャホフさんは喋るが、その目は輝いている。

「何が出来たというのだ?」

「み、見て頂いた方が早いと思います…」

 アプロディタ様の問いにそう答え、ゴソゴソと机の引き出しを漁り始めるリャホフさん。

「あ!ありました!こ、これです…」

 一枚の紙と数個の魔石…いやあれは魔導石?加工具合が微妙で分かりにくいけど魔導石みたいだ。

「ご、ご覧ください…」

 そう言って紙をアプロディタ様に差し出したので、それを覗き込む。

「これは…絵か?」

「随分とお上手なんですね。」

 リャホフさんの部屋の中だろうか?まるで目に映る風景をそのまま忠実に描いた様な作品だ。これ程絵が上手ければ、これだけで十分食べていけるんじゃないんだろうか。だた、紙に対して絵の縁は平行ではないし、斜めになってしまっているのが難点だ。

「そ、その…それは絵ではないんです…こ、これで写したんです…」

 そう言って差し出される魔導石。それをふたつアプロディタ様が手に取り、ひとつを私の手に握らせる。

「光の魔法が流れているな…」

「はい、ただ、なんか変な感じです。魔力が外に出られないで無理矢理封じ込められてる…そんな感じがします。」

 アプロディタ様の呟きに私の感想を述べる。そう、普通の魔導石の様に回路が無く、中に魔石自体の魔力に属性と術式が織り込まれてて封じられたみたいな感じがする。

 これは、私が知っている魔導石ではない。

「そ、そうなんです!光触媒となる魔石の研究をしていて、手当たり次第に術式を織り込んでみたら、偶然出来たんです!」

 どもっていた今までとは違い、はきはきと大声で話し始めるリャホフさん。

「それで、取り敢えず魔力を流してみたら…」

 そう言って、その魔導石を手に取り魔力を流す。その直後、ピカッと眩い光が放たれ、思わず目を瞑ってしまう。

「何かするなら前もって言え、少し焦ったぞ…」

 その一瞬で、私はアプロディタ様の腕に抱かれていた。危険性を感じて私を守ろうとしてくれたらのだろうか…

「す、すみません!…ただ、この光には特に攻撃的なものはなくって…」

「万が一がある。その程度の魔力なら我は何ともないが、小娘は死んでしまうだろうが。」

 サラッと私の弱さをディスりましたね…しかし、守ってくれようとしてくれたのは素直に嬉しい。

「アプロディタ様…ありがとうございます。」

「よい、我にはあの程度の魔力は通じぬからな。」

 別に何の問題もないと言ってくれるが、一瞬で動き、身分的にも守られる側のアプロディタ様がそういうことを自然と行えるのに考え方が改まる。

 この人は、残念な人だけど、根っこの部分は誰よりも優しいのだろう。グスタール様が変わり者だがとても寛容だと言っていたが、寛容というのは貴族的な表現で、ただただ優しい人なのだろう。多分…

「それで、あの光はなんだ?魔力は感じたが何ともないぞ?」

 アプロディタ様のリャホフさんへの問いに私も頷く。

「これがさっきの魔導石です。」

 そう言って、光を放ったそれを見せてくる。いびつな魔導石だった筈のそれは、今にも魔粉へと形を変える寸前の様に、少しづつ崩れ初めている。

「魔力が許容量を超えたみたいですね。」

「そうです。僕も最初はそう思って、魔粉が飛び散らない様に紙を敷いたんです。」

 そう言って、さっき見せられたものと同じサイズの白紙を机に置く。

「そしたら、手が滑って紙の上に落ちたんです。」

 そう言って、手にしていた魔導石を紙に落とした。小さな衝突音と共に魔導石が砕け散る。既に崩壊寸前のものだったので、その結末には驚かない。しかし、その後、紙に写るものに目を見開く。

「最初は何が起こったのか分かりませんでした。」

 そうって紙を持ち上げるリャホフさん。そこには私に覆い被さる様アプロディタ様の背中と、目を瞑った私の姿が、まるで鏡の様に写っている。

「これは…光が放たれた時を切り取ったのか…」

「あ、そうじゃないです。時間を切り取ったのではなく、その一瞬の場面を魔導石が忠実に描いた…と言えばいいのでしょうか?僕もなんと説明すればよいのか分からないのですが…とにかく、絵を描くよりも早く、そして忠実にその風景や人物の姿を残すことが出来るみたいです。」

 

 そこまで言い切ると、リャホフさんはまたモジモジとし始めた、小さくなって隅っこへと逃げようとする。

 それをアプロディタ様が片手で掴み…

「素晴らしい!素晴らしいぞ!リャホフよ、でかした!お前を見込んだ我の目に曇りは無かった!」

 とギュウッと抱きしめる。好奇心と歓喜ではしゃぐアプロディタ様に対して、恐ろしい程強い力で締め付けられたリャホフさんが今にも泡を吹いてしまいそうだが、顔を真っ赤にして、幸せそうな表情をしている。

 アプロディタ様程の美女に抱きつかれたら、そりゃあ嬉しいだろう。しかし、その一方で生死を彷徨う痛みもあり、天国と地獄を行ったり来たりしているんだろうなぁ…

 しかし、アプロディタ様の様に表面には出さないが、私の心臓も高鳴っている。とんでもない発見に立ち会ってしまった。この技術は間違いなくお金になる。それと同時に、多くの芸術家を敵に回すことになる。

 この技術を、どの様にするつもりなのか…

「実に愉快だ!リャホフよ、量産は可能か?」

 リャホフさんへの拘束を解き、そう言うアプロディタ様。

「す…すみません!!それが…再現しようにも本当に手当たり次第で術式を織り込んでいたので…上手くいかないです…」

 ガックシと肩を落とす私。しかし、アプロディタ様は違った。大きく笑い、残ったその貴重な魔導石を手に取る。

「小娘!お前の仕事だ。それで我を楽しませる魔導具を作れ!」

 私の手に握らされた三つの魔導石。

「無理無理!無理ですって!私じゃ無理です!」

 無茶振りにそう言うが。

「出来ぬならそれで良い。やるだけやってみせろ。」

 そう言って一蹴される。出来なくていいって…だって三つしか残ってない貴重なものなのに、そんな恐ろしく勿体ないことが出来るわけがないし、そもそも責任の重さに押しつぶされそうだ。なんとか思い直してもらおうと口を開こうとするが、

「リャホフ、小娘がこれから時折その時のことを聞きに来るだろう。思い出したことやなんでもいい、小まめに書き留めるなりしておけ。それと、小娘が来た時は必ず応対するのだぞ、しなかったら殴るぞ。」

 そう言い残し、愉快そうに笑いながら部屋を出ていく。

 

 取り残された私とリャホフさんはポカンと顔を見合わせ…

「ど、どうしましょう…」

「どうしましょうか…」

 それ以外の言葉が出なかった。

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