第15話 恋と狩り

 妖精が現れたのだと思った。


 六歳の時、ヴィドノの貧乏貴族貴族として有名な、魔導具職人バンク・ペチェノが、養女を連れて帰って来た。そんな噂は、ヴィドノ中に広まるのに、一日と要しなかった。

 俺は、遊び仲間を引き連れて、そいつを見に行った。瘦せて小汚い男に手を引かれ、街をキョロキョロと見ている、濃い金髪をツインテールに結んだ少女に、目を奪われた。

 可愛い、それが最初に抱いた感想だった。勿論、仲間たちの前でそんなことを言えば、からかわれるから、絶対に言わないが、彼女に視線を奪われていたのは、俺だけではない。

 視線を彼方此方に移していた彼女と目が合った。それが俺なのか、それとも仲間の誰かだったのか、もしかしたら、俺達全員だったのかもしれない。そんなことは、分からないが、小さく手を振ってくる。俺達は、それが自分に向けられたものだと、信じていた。


 一目惚れ、そういうものが本当にあるのだと自覚したのは、いつだったのだろう。その時の俺は、それが恋だとは分からずに、只々、彼女の姿を見たい、どんな内容であろうと話したい、そういう思いしかなかった。

 思い返せば、なんと短絡で、愚かだったのだろうと頭を抱えたくなるが、恋というものを知らずに、自覚も無かったのだから、仕方がなかったのだろう。

 初めて話したのは、日が傾き始めた夕刻。彼女を初めて見た二日後、戦争に劇的な逆転勝利をし、ドドル王国との講和が結ばれた日だった。

 日が落ちる前に帰れと言われていたので、仲間たちとお祭り状態だった街の中心で別れ、自宅へと急いでいた。そんな喧騒の中で、一人うずくまっている者がいた。忘れようもない、ツインテール。彼女だと思った時、急いでいた足が、自然と彼女の方へと向いてしまっていた。

「お、おい、どうしたんだよ。」

 誰に対しても、臆さずに話せる、人見知りしない俺が、なんと話しかければいいのか、分からなかった。

 そんな俺の少し乱暴な問いかけに、少女は顔を上げる。その顔に、ギョッとする。

「誰?」

 グスグスと、真っ赤になった目を濡らし、泣いていた。お祭り状態の街、皆が歓喜に踊り、勝利の美酒に酔いしれているのに、何故彼女は泣いているのか。

 怒りと、守ってやらなければならない、そんな使命感が芽生えた。ヴィドノの借金王、そんな異名を持つバンク・ペチェノは、いろいろと面倒くさい性格だというのは、ヴィドノに住む者全員がよく知っている。まさか…養子に入って二日目、あの貧乏貴族、この子を虐めているのではないか。そんな疑念が生じたからだ。

「お、お前、貧乏貴族の、ペチェノ家の養子だろ。なんで泣いてんだよ。」

 もっと言い方があったと、今思えば後悔しかない。しかし、その時には、そんな言葉しか紡げなかった。

「お家…お家何処か分からない…此処どこ…?」

 俺の心配は空振りだった。迷子になっていたらしい。しかし、街に来てまだ二日目、無理もないのかもしれない。

「なんだ、そんなことかよ。」

 がっかりしたような、安心したような、何とも言えない気持ちになりながら、溜息と共にそう言う。しかし、実際に彼女が養父から虐められていたとしたら、俺に助けることは出来たのだろうか…大人を頼れば、なんとか出来るかもしれないが、自分一人でとなれば、魔力を少し多く持って生まれたとはいえ、仮にも貴族の大人相手に、勝てるのだろうか…いや、無理だ。

 迷子を送り届け、その帰路で己の感情の整理をする。バクバクと鳴る心臓は、彼女が帰り際に見せた笑顔、その残像のせいだ。

 強くならなければ。そう決意したのはきっとこの時だったのだろう。これまでも子ども同士で騎士の真似事をしてチャンバラをしたりはしていたが、それとは別に、毎朝と晩には庭先で素振り、魔力のコントロールを行い、己を高めていく努力をするようになった。


 しかし、肝心の彼女との仲は好転するどころか、悪化の一途をたどっていた。原因は自分と彼女両方だと思いたい。

 日に日に瘦せていく彼女は、ある日を境に、話しかけても

「仕事が忙しい。」

 とすたこらと何処かへと出掛けて行くようになった。それだけではない、毎日『元の家に帰りたい』と泣きじゃくっていた彼女は泣かなくなり、養父の呼び方も『お父様』から『クソ親父』に変わり、可愛らしかった服装もボロボロになっていき…

「おい、貧乏貴族。」

「なに?暴力小僧。働かなくても食べれるって幸せだって知ってる?」

 というように、会えばお互いに喧嘩腰となる関係になってしまっていた。こんな筈ではなかったのに…


 そんな日々が何年か続いたある日、父親が騎士団の任務でシャンバルから帰って来た。

「父さん、お帰り。」

「おお、キリル。元気だったか。」

 酔っているのか、上機嫌に俺の頭をワシワシと撫でる。

「いやぁ、寒かったぜ、シャンバルは。しかし悪いな、土産も面白い話も何もなくてなぁ…」

 何かしらの土産話さえないとは、流石不毛の大地だな。でもなんでそんなところに行くことになったのだろう。

 出発前の父親にもそう尋ねたが、何やら機密事項らしく教えて貰えなかった。

「そうだ、今回は輸送任務だったんだが、面白いのも一緒だったんだ。」

「面白いもの?」

 輸送任務で面白い物を運ぶ?魔石鉱山労働者への物資輸送は分かるが、何かしらの娯楽でも運んだというのだろうか?

「おうよ。ペチェノ家の養女…確かリリーヤだったか?そいつを運んだんだよ。」

「は?」

 意味が分からなかった。何故あいつを…そもそも、帰って来てるのか。

「まあ、大丈夫なの?」

 母親が、思わず声を上げる。

「大丈夫、元気にやってるよ。暫くあっちにいるらしいが、保護者の許可もあるし、大丈夫だ。」

 大丈夫な要素が見当たらない。それに、暫くっていつまでだよ!

 そう聞こうとしたが、玄関で倒れ、いびきをかいている父親。長旅の疲れに酒、眠くなるのは分かるが、このタイミングかよ…

 母親とふたりで協力し、父親を寝室へと運ぶ。

「でも、心配だわ。リリーちゃん、本当に大丈夫なのかしら。」

 あいつ、行く先々で知り合いがいて、随分と顔が広いみたいだが、母さんとも友好的な関係を築いていたらしい。

「そうだな…」

 無意識にそう返していたらしい。

「あら、いつものキリルなら、どうでもいいって言うのに…」 

 そう言って俺の顔を覗き込む。

「成程、キリルもそういう年頃になったのね。母さん嬉しいけどなんか悲しいわ。」

「ちげぇよ!」

「あらあら、リリーちゃんにもそんな態度じゃ、嫌われるわよ。」

 ニヤニヤと笑みを浮かべる母親が、からかう様に言う。

「ど、どうでもいいんだよ、あんな貧乏貴族!」

 そう言って逃げる様に自室に戻る。

 その途中、

「まだ春は遠いみたいね。」

 という母親の言葉が胸に突き刺さる。ベットに倒れ込み、頭を抱える。


 なんで、なんでこうも上手くいかないんだよ!



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「「「お帰りなさいませ。」」」

 ズラリと並び、一礼しながら声を揃えて、お屋敷の主を迎え入れる侍女さんたち。そんな列の奥で、私とヤニーナ様は待つ。

「ご苦労、各自仕事に戻れ。」

 防寒具どころか、外套さえ羽織らずに、軍服姿で帰還したアプロディタ様は、そう言いながら歩みを進める。堂々たる姿だった。ただ、ある一点を除いては。

「それと、夕飯を獲って来た。夕飯はこれを使え。」

 軽々と片手で引き摺っている、とんでもない大きさの熊を指して侍女さんたちに指示をしている。あの時に襲い掛かって来た熊よりも二回り程大きい。なんで片手で引き摺って来れるの…

 そんな異常事態だというのに、私以外は誰も動揺さえせずに平常運行している。

「流石にこの大きさでは、我々では厳しいです。調理場まで運んでもらえますか?」

 クレメンチーナさんが、異常な大きさの熊を見てそう言う。いや、もっと言うことがあるでしょ。

「仕方ないな。」

 クレメンチーナさんの言葉を受け、片手で熊を持上げ、歩き出す。

「な、なんですかあれ、おかしいですよね!」

 隣に立つヤニーナ様にこの異常事態を訴える。

「ええ、ここまで大きいサイズは初めてみたわ。元々シャンバルに生息する生物は、他の地域のものより大きくなるのは普通だけど、今回のは異常的に大きいわ。食べる前に調査する必要があるかもしれないわね。」

 と違う方向の返答を頂く。

「違う!違いますって!熊を狩ってくるの?とか、なんで片手で持ち上げれるの?とか、いろいろと突っ込むとこがあるでしょう!」

 私の叫びに、その場の全員がキョトンとした顔をする。ヤニーナ様に至っては、何言ってんだこいつという、心底呆れた表情をしている。

「バカね…ローディなんだから当たり前の事でしょ。」

 ヤニーナ様の言葉に、クレメンチーナさんを含めた侍女さんたちが一斉に頷く。貴女たちにとって、アプロディタ様はどういう扱いなんですか…

 言葉を失っていた私は、アプロディタ様と目が合う。

「おお、小娘もおったのか。小さくて見えなかったぞ。これを食って、大きくなれ。」

 と笑顔で言ってくるが、熊の死体と目が合って食欲など消え失せる。昼食を待ち遠しく、空腹を堪えていたというのに…

「そういえば、この熊は左利きだったな。今回は特別に小娘にくれてやろう。」

 利き腕がなんだというのだ、それよりも外傷一つない熊は、今にも動き出しそうで恐ろしい。

「良かったわね。熊の手、しかも利き腕は超高級食材よ。東の大陸では王侯貴族の中でも一部の者しか食べれない程にね。まあ、私は獣臭いから要らないけど。」

 高級品と言われても、あまり心が沸き踊らないのは、目の前に広がる理解できない光景のせいだろうか。

「いや、なんで…意味が分かりません!」

 もう耐えきれなかった。ツッコミどころがあり過ぎる。

 

「つまり、食糧の確保と一帯の安定化の為に定期的に狩りを行ってると…」

「そうだ、動物たちには申し訳ないが、ここ一帯で魔石鉱山で働く者たちの安全性を高める必要と、運搬される食糧だけではな若干不足する可能性もあるからな。こうやって狩りをしているのだ。」

 厨房の奥、解体場に熊を吊しながらアプロディタ様が私の疑問に答える。

「シャンバルの魔法生物を狩れるのは、ローディだけでしょうけどね。」

 そんな私たちにヤニーナ様が煙草を吸いながらそう言う。

「ちょっと!ここで煙草吸わないで下さいよ!」

 厨房を任されている肝っ玉母さん、って感じのアクサナさんがヤニーナ様に怒っている。

「そもそも、折角作った料理を残して、煙草とコーヒーだけって、好き嫌いがあるのは仕方ないけど―」

 今まで溜まっていた鬱憤を吐き出すかの如く、アクサナさんがヤニーナ様にお説教を始める。あんなに美味しい料理を毎回、一口も手を付けずに残されたら、そりゃあ、腹も立つだろう。

「失礼ね、トマトを食べてるわよ。それよりも、早く解体して血抜きしないと、食べられなくなるわよ。」

 そんなお説教など馬耳東風、煙草を吹かしながらそう言ってのけるヤニーナ様、申し訳ないとか全く思わないのかな…

 アクサナさんは、溜息を吐きながら他の料理人と共に解体を始める。中々にグロテスクな映像だ…

「熊のお肉って美味しいんですか?」

 手際よく作業をしていくアクサナさんに、そう質問する。

「そうだね、しっかりと血抜きとかの下処理をすれば、他の肉なんて比べ物にならない位絶品だよ。でも、それが疎かになれば、臭くって食べれたもんじゃないね。要は、腕次第ってとこさ。」

 ニカッ、と笑って、解体用の大ぶりなナイフを動かすアクサナさん。顔はこちらを向いてるのに、まるで身体が覚えていると言わんばかりの手つきで作業する手は正確に処理を進める。

「じゃあ、絶対美味しいですね。アクサナさんの料理凄く美味しいですから。」

 彼女の腕前は、ここ数日の料理で十分分かる。どの料理も絶品だったし、仮にも名門貴族のエルドグリース家の料理長、一流以上の腕であることは間違いない。

「嬉しいねぇ。ここの二人のお嬢様とはえらい違いだよ。一人は全然食べないし、もう一人は、苦いものと辛いものは一切駄目な子ども舌だし…」

 ジトッと目線を向けられ、気まずそうに視線を逸らすアプロディタ様と、どこ吹く風でコーヒーを啜るヤニーナ様。アプロディタ様って甘い物が好きなのはなんとなく分かってたけど、味覚が私よりも未熟だったのか…

「そ、そうだ、この熊の利き腕は―」

「左だね。リリーにあげようかね。」

 話題を変えようと切り出したアプロディタ様、その言葉を遮り、正解を一瞬で導き出すアクサナさん。

「凄い!なんで分かるんですか!?」

 思わず声を上げる私。

「まあ、勘だね。長いこと料理をしてると、なんとなく、その食材の一番いい所が分かるんだよ。」

 正しく職人技。尊敬の念を込めてアクサナさんを見つめていた。


 解体を終えたアクサナさんは、中断していた昼食の調理を再開しようと、手や器具を丁寧に洗っている。

「アクサナさんのお料理凄く美味しいです。今度時間がある時に教えて下さい。」

「ああ、構わないよ。でもいいのかい?貴族のご息女がそんなことして…」

「小娘がやりたいようにすればいい。勿論、アクサナが嫌なら断ってもよい。」

 私の申し出に、少し口ごもるアクサナさんに、アプロディタ様がそう言う。

「断る理由なんかないさ。でも、本当にいいのかい?」

「よいと言っておろう。文句を言ってくる者があれば、我が殴り飛ばしてやる故、安心せい。」

 仮にも貴族のご令嬢が殴り飛ばすって…如何なものかと…

「それじゃあ、殴られる奴は死んじまうよ。この熊も、殴って仕留めたんだろ。人間相手にそんな拳を振るったら、跡形も残らないんじゃないかい?」

 アクサナさんが苦笑いしながらそう言う。アクサナさんって、冗談も言うんだなぁ。クスッと笑いが零れる。

「おや、どうかしたのかい?」

 そんな私を、アクサナさんが不思議そうな顔で見てくる。

「いえ、アクサナさんも冗談を言うんだなぁ、って。」

「冗談?何のことだい?」

 さっぱり分からないという様にアクサナさんが首を傾げ、アプロディタ様とヤニーナ様を見るが、二人も分からないといった反応を示す。あれ?

「いや、あの、あれですよ!熊を殴って倒すって…」

 私の言葉を聞き、ヤニーナ様とアクサナさんが、ああ、それね。って顔をする。アプロディタ様は首を傾げている。

「リリー、残念ながらそれは冗談じゃないのよ。」

「私もすっかりお嬢様に染まってしまってるね。普通に考えたら、異常も異常、非常事態で大騒ぎなことを、当たり前に感じてるわ。」

 二人が溜息を吐きながらそう言う。

「熊くらい、拳の一撃で仕留めねば、ここでは生きていけぬぞ。」

 的外れなことを言うアプロディタ様。

「その理論だと、貴女以外全滅よ。」

 ヤニーナ様が呆れた様に返す。

「待って下さい!アプロディタ様が強いってのは分かるんですけど…規格外過ぎませんか…」

「なにを今更、貴女も知ってるでしょう?ローディったら、その気になれば一人で国を落とせるのよ。」

 アプロディタ様が一人でドドル王国の首都まで快進撃を繰り広げ、王城を陥落させたのって、誇張じゃなかったんだ…

 そりゃ、シャンバルに幽閉されるよ。こんな規格外の怪物が身近にいたら、後継者争いの可能性があるエルドグリース家で権力闘争をしている、アプロディタ様の兄たちは気が気でないだろう。

 戦争が終わった後の英雄程、扱いに困るものはないというが、アプロディタ様は正しくそれだったのだ。

 ここに残るって選択肢、もしかしたら、間違ってたのかも…


 そんな不安が少し芽生えた。






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