第13話 選択と面倒事

 扉を三回ノックする音が響く。

「リリーヤ・ペチェノ様をお連れ致しました。」

 ライサさんの言葉。

「入れ。」

 短い返事が返ってくる。アプロディタ様からの呼び出し、要件は昨晩の一軒、そう思っていた。


 あれ、変態アンナさんがいない?

 てっきり、証人喚問的な感じで、呼ばれたと思っていたのに、被告人の姿が無い。あるのは、軍服姿で執務用の椅子に腰を下ろしたアプロディタ様と、その脇に立つ無表情のクレメンチーナさんと、ただでさえ悪い眼つきを、更にしかめながら、煙草を吸っているヤニーナ様だけだ。

「突然呼び出して悪かった。屋敷の案内をさせていたと思うが、何か面白いものでもあったか?」

 話題を切り出す様に、アプロディタ様が口を開く。

「はい、ダヴィートさんの農場と、あと、お会いできなかったですけど、リャホフさんと話してみたいです。」

 素直な感想を述べる。

「リャホフか、確かに、魔導具職人を志すなら、何かしら役に立つ話も聞けるだろう。我が奴には話しておくので、時間を作ってやれるだろう。」

「ありがとうございます。」

 人嫌いの引き篭もり、そういう印象しかないリャホフさんも、流石に雇用主の命令には逆らえないのだろう。

「まあ、何かしら興味を持てたのは何よりだ。」

 そう言うと、例の空間魔法に、腕を突っ込む。

「さて、本題だ。」

 封筒を取り出して、そう言った。


「小娘、ここで暫く生活してみてはどうだ?」

 予想外の本題に、思考が止まる。

「暫くとは?」

 咄嗟に出た言葉はそれだった。最初に心配したのは、家には頼りない親父が一人だということだ。長いことほったらかしていたら、帰った時には、以前のようなごみ屋敷に逆戻りだ。

「そうだな、我が想定しているのは、学園入学の少し前までだな。」

 二年近く…アプロディタ様が何を考えているのか分からない。分からないけど、二年という月日は長い。一日でも早く一流の職人にならなければならない私は、親父の下、修行に励まなければならないのだ。…殆ど教えてくれないけど。

「家にダメ親父がいるので、そんなに長くは…」

 親父をダシに、帰らせて貰おう。別に、ここでの生活に魅力が無いわけではない。寧ろ、最高だ。美味しい食事が毎日三食、お風呂もあるし、家事もしなくていい。良いことしかない。しかし、一生面倒を見てもらえるわけではない、二年だ。二年間の幸福の為に、不安を先延ばしにするべきなのか…悩ましい。

「その、ダメ親父からの頼みなのだがな。」

 ピッ、とアプロディタ様が手に持っていた封筒を飛ばす。魔法が掛かっているのか、私の手の上に、ふわりと落ちる。

「お前のダメ親父が、我に寄越した手紙だ。読んでみろ、無礼極まりないぞ。」

 アプロディタ様は頬杖を突き、そう言う。

 その言葉に従い、既に開封済みの封筒から、手紙を取り出す。


 本当に、無礼極まりない。

 読みながら呆れる。敬称もなければ、敬語もない。それどころか、命令形での表記まである。何様だバカ親父!

 そんなふざけた文面の内容は、『アホ娘に貴族教育なんて出来ないから、お前がしろ。』というもので、とてもじゃないが、依頼主であり、借金を肩代りしてくれている恩人へ送る内容ではない。

 そんな手紙を読み終わり、パタリと閉じる。うん、こんなの、私へ送られても怒る。

「申し訳ございません!!」

 床に頭を突けて謝る。何やってくれてんだあのバカ親父!

「頭を上げろ。別に謝罪を求めてはおらぬし、お前が悪くわけではない。子が、親の尻拭いをする必要はない。…逆なら必要だがな。」

 おお、なんと寛大な。私だったら、ネチネチ嫌味言うね。

「この際、無礼な文面は置いておくとして。小娘、あの男に、貴族としての作法を教えることが出来ると思うか?」

「無理です。」

 即答出来る。最低限の礼儀さえないのではないかと思う。

「なら、このままヴィドノに戻り、あの男の下で二年過ごし、学園に入学するか、我の下で、学園入学までに、最低限の作法と、学問を学ぶか、どちらがいい?」

 そりゃあ、後者に決まっている。

「当然いろいろと教わってから入学したいですけど、そもそも私、入学したくないんですけど、何か方法はあります?」

 一番の理想は、そもそも入学しないという選択肢。まあ、無理だろうけどね。

「入学しないか…出来ぬこともないが、あまり勧めんぞ。」

「え!出来るんですか!」

 出来るのかよ!だったらそっちをさっさと教えて欲しい。

「ええ、出来ないことはないけど、国王の近衛騎士になるって条件だから、貴女には無理よ。貴女、戦えるの?」

「無理です。でも、なんで強制入学なんですか?」

 そこが納得出来ない。

「ああ、それは簡単だ。貴族の子弟を人質として王都、いや、王国軍の管理下に置くためだ。」

「人質…ですか?」

「そうだ、このルユブル王国は、無駄に広い。そのせいで、様々な国に国境を接している。当然、寝返りや、裏切りの工作を想定しなければならないし、現に、先の戦争でも、敵方に着いた貴族もいる。そういうことを最小限に抑える為に、人質として一箇所に集めておきたいというのが、学園設立の最初の要因だな。」

 まあ、理にかなっているような、そうじゃないような…

「でも、私に人質の価値はないですよ。そもそも、我が家が寝返ろうが、痛くも痒くもないですよ。」

 悲しいかな、これが現実。我が家は私兵もいなけりゃ、金もない。それどころか、役に立たない。

「それでも貴族だからな。形式上、仕方ないと割り切って諦めろ。それが嫌なら、近衛騎士となる為、職人の道を捨て、今から鍛錬に励むか、それも嫌なら、王の首を取り、お前が王となるか?」

 要するに、諦めて入学するしかないというわけだ。てか、最後サラッと恐ろしいこと言いましたよ。

「入学するしかないのは分かりました。でも、強制的に入学させられるのに、なんで入学の為に勉強しなきゃいけないんですか?学園なんだから、授業とかで学ぶんじゃないんですか?」

 入学試験があったりするのなら分かるけど、強制入学なら、必要ないんじゃないかな。

「学園で学ぶことなど、何も無いぞ。」

「すみません、意味が分かりません。」

 学ぶことが無い学園って、矛盾の塊じゃないか。

「貴族の子弟は、基本的に、言葉が話せて理解出来る様になった頃から、家庭教師を付けて英才教育を受けるわ。学園に入学する頃には、学園で学ぶことになっている内容は、学び終わっているのよ。それ以上に学びたい者は、個人で家庭教師を雇うなり、独学するなりして、授業には出ないわよ。」

 煙草に火をつけながら、ヤニーナ様がそう言う。

「そうだな、学園で授業など、出た記憶が無い。」

「ええ、私もないわ。」

 学園って、本当になんだろう。

「勉強したいなら、大学か、学問所へ行くしかないわね。王都には両方あるわよ。入学金は、学園の倍くらいだったかしら。」

「勉強するのに、お金かかり過ぎじゃないですか…」

 知識を身に着けるのにも、お金が掛かるって、一般家庭に生まれた時点で詰んでるじゃん。

「当たり前よ。このドドル王国は王権制、王と貴族が支配しているんだから。民衆は、愚かな方が都合がいいのよ。」

 ふぅ、と煙草の煙を吐きながら、灰を落とすヤニーナ様。

「因みに、自由を謳っている自由都市連合王国も、都合の悪いことは一切教えないし、既得権益を有する者と、王侯貴族、富裕層だけが得する様になっているからな。独裁政治も議会政治も、余り変わらぬな。どっちにせよ、一部の人間だけが下から搾取し、富を独占する構造になっている。」

「夢がないですね…」

 将来に、何の希望も抱けないじゃないか…

「いや、王権制なんかは、案外夢があるぞ。王を倒した者が、次の王となるのだからな。まあ、その後、内乱と外部からの介入を全てに勝つ必要があるから、容易ではないが、王を倒せば、一瞬でも頂点に立つことは出来るぞ。」

「いや、無理ですよ。」

「そうか?我は出来ると思うぞ。」

 それは貴女だけです。この人が、本気で反乱でも起こしたら、ルユブル王国は、一瞬で王権交代を向かえてしまうのではないだろうか…そりゃあ、警戒されるわ。


「話が逸れてしまったな。…小娘、どうする?」

 アプロディタ様が、真剣な目で問い掛けてくる。ここに残るのか、それとも、前の生活に戻るのか。どちらの選択肢を選んだとしても、間違っていないと思う。アプロディタ様の下で学ぶのは、きっとこれからの生き方に、大きな影響を及ぼすと思うし、その逆、親父から教わるのも、職人として生きる上では、重要な時間となるのだろう。

 答えが出せない。

「因みに、我も魔導具くらいなら作れるぞ。勿論、バンク程の腕は無いが、ここの魔導具は、殆ど我が作っている。」

「ここに置いて下さい。」

 もっと早く言って下さいよ。それなら戻る理由なんてないじゃないですか。これだけ広いお屋敷を温める魔導具を作れるなら、今の私なんかよりも、遥かに腕前は上だ。

 そうなれば、毎日三食しっかり食べれる快適な環境を取るに決まっている。

「良い選択だ。しかし、我の下にいる以上、多少は働いて貰うぞ。その代わり、教育と食事、部屋は与えてやる。」

「はい!」

 多少、というのがどの程度か分からないけど、悪い条件ではないだろう。私だって、無償で何でも与えて貰えるなんて思う程、甘い考えはしていない。

「決まったな。明日より指導を開始する。仕事は…お前がどの程度出来るかを知ってからだな。それまでは、何かしら雑用を与えるとしよう。」

「ローディ、教師はどうするのよ。」

 ヤニーナ様が、口を挟む。しかし、それは、私にとっても大事なことだ。

「所作や作法は、クレメンチーナが適任だろう。毎日一時間程度指導すれば、すぐに身に付くだろう。…ただ、小娘、覚悟しておけよ。クレメンチーナは、怖いぞ。」

 アプロディタ様が怖がる程の指導を…ゴクリと喉が鳴る。

「ご安心下さい、ちゃんと出来れば、それ程厳しくはしませんよ。」

 表情を変えずに、淡々とそういうクレメンチーナさん。それって、出来なきゃ厳しくするってことですよね。

「その他の必要な学問は、我とヤーニャで十分だろう。」

「ヤニーナ様はなんとなく分かるんですけど、アプロディタ様で大丈夫なんですか?」

「おい、どういう意味だ!」

 いや、だって、アプロディタ様って、アホって印象が強いし。

「リリー、ローディは、これでも一応エルドグリース家の令嬢よ。必要以上、最高レベルの教育を受けてるし、習得してるわよ。ただ、言動がアホなだけで、頭は悪くないのよ。」

「あ、そうなんですね。安心しました。」

 そりゃそうか、仮にも大陸一の名門と謳われるエルドグリース家のご令嬢なんだから、教育は受けていないわけがないのだ。

「おい、お前たち殴るぞ。」

 アプロディタ様は、面と向かって馬鹿にされ、流石に少し怒っているのか、拳をパキパキと鳴らしている。ご令嬢がする仕草ではないですよ。


 そんなこんなで、シャンバルで二年程暮らす事が決まった。決まりはしたけど、これからどうなるのかなんて、全く分からないし、想像も出来ない。ただ、言えることは…

「食い溜めしなきゃ!」

 昼食の席に向かう廊下で、そう誓う。食える時に食っておく。それが私の信条だ。

「二年も食い溜めしては、太るぞ。」

 アプロディタ様にそう言われる。

「大丈夫ですよ、どれだけ太っても、ヴィドノに戻れば、すぐに瘦せ細りますから。」

 我ながら、なんと不健康なダイエットなのだろう。

「まあ、今は瘦せすぎだな。成長にも支障があるだろうから、よく食べ、適度に運動し、ゆっくり休むことが大切だな。」

「リリー様用の献立を、料理長に作る様に話しておきます。」

 アプロディタ様の言葉に、クレメンチーナさんがすぐに対応する。

「そんな、大丈夫ですよ。私だけ特別扱いしなくても…」

 ブンブンと手を振って遠慮する。

「子供が遠慮するな。成長に良いと言われているものを、食べた方が良い。我も、幼き頃は、嫌だと言っても、無理矢理食べさせられたが、お陰で、これだけ立派に育った。」

 そう言って、無駄に大きい胸を叩く。成程、アプロディタ様と同じ食事をすれば、私も…

「食事の前に食事の話をしないでくれるかしら。ただでさえ無い食欲が、減退するわ。」

 憂鬱そうに顔をしかめるヤニーナ様。成程、食べないと、あんな風になるのか。その水平、真っ平な絶壁を見つめる。

「リリー、殺されたいの?」

 その視線に気付いたのか、ヤニーナ様が鋭い目つきで、睨みつけてくる。

「ごめんなさい。」

 少し本気だったよね。魔力が少し漏れ出してたもん。ヤニーナ様は怖いし、意地悪だし、上手くやっていけるだろうか…


 多少の不安を残しながら、私の新たな生活は始まった。



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 喧騒の街を歩く。何処へ言っても、王と王妃への抗議を行う者で溢れている。

 ドドル王国はどうなるのか…王都で王の味方はいないのではないかと思うほど、皆、盲目的に抗議、時には過激な破壊活動をしている。

「俺には関係ない。いや、好都合だな。」

 愚かな者たちが、後先考えずに暴れ回り、王政が揺らぐか、それとも打倒するのか、どちらにしても、自分にとっては好都合でしかない。

 先ずはこの国、そして皇国、ゆくゆくは大陸全土を手中に収める。そうなった時、女神は俺だけに微笑むのだ。


 空想に耽っていたからか、曲がり角から現れた人物に反応出来なかった。

 相手も前を見ていなかったのか、はたまた自分の様に、それ以上に集中して考えていることがあったのか、お互いに、全く避けることもなくぶつかる。

「っ!…これは失礼しました。」

 軍人として鍛えられた俺とは対照的に、細身の男は、ぶつかった反動で尻餅をついたが、すぐに謝ってくる。

「いや、こちらこそ申し訳ない。少し考え事をしていたら、すっかりそちらに夢中になっていました。」

 平民と思われるその男に、そう言って手を差し伸べる。

「あ、ああ、ありがとうございます。貴族の方に、この様に接して頂いたのは初めてで…」

 男が驚いた様に手を取る。それを引っ張り、立たせる。

「貴族といっても、末席に名を連ねる程度、貴族の連中からしたら、私など、平民と同じですよ。」

 ああ、なんという幸運。この男からは、恐ろしい程臭う。出世の臭いがプンプンする。

「私は、マクシミリアン・ピエール。しがない貧乏弁護士をしております。失礼ですが、お名前を伺っても?」

「オーレリアン・ブオナパルテ、しがない砲兵士官です。貴方も、何か考え事をしていたようですが、伺っても?」

 その言葉に、少し悩む顔をするピエール。

「私は、王政の限界を考えていました。」

 ならば、言いやすいように導くだけだ。俺の言葉に、男は目を見開く。

「まさか、貴族の方が、私と同じ考えをしているとは…」

 その驚きで気が緩んだのか、それとも歓喜なのか分からないが、男は聞いてもいないのに、饒舌に己の政治思想を話し始める。

 ああ、この男は、愚かと思える程に純粋で、優しい。清廉な世の中などという幻想を。本気で夢見ている。貴族や王政に関わる者たちの汚職を憎み、本気で弱者を救済したいと思っている。そのくせ、中々に賢い。他の愚かな民衆とは違い、物事の本質に近づいているし、思考を停止し、王や王妃を非難するわけではない。寧ろ、この男の憎悪の対象は、汚い手段で搾取する連中であって、王家には向かっていない。

 この清廉さも、優しさも、力を手にし、現実と直面した時まで貫けるのだろうか?仮に貫けるとしたら、それは狂気と思われるだろう。そして、再び倒れる…

 決まりだ。この男にしよう。


「素晴らしい!感銘を受けました。貴方のような方と手を取り合い、共に理想的な国を作りたいものです。」

 長い男の話が終わったところで、そう称賛する。正直、議会制や民主主義など糞くらえだが、俺の王政、いや、王如きで終わってはつまらぬ。皇帝にでもなるとしよう。その踏み台として、この男は重要だと、嗅覚がそう告げる。

「まさか、貴族の方に賛同頂けるとは思ってもいませんでした。」

「平民にだって、貴族寄りの者もしるし、その逆も然りです。真に憎むべきは、道を逸れたものでは?」

「貴方とは、良き友になれそうです。」

 男の差し出す手を握る。

「ええ、もう少し早くあっていれば、私も軍人ではなく、貴方の側で働けていたかもしれない。」

「これからでも、遅くないのでは?」

 

 俺の天下も、あと少しだな。



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 ちょこちょこと歩く後ろ姿、それに連動した様に長いツインテールが揺れる。

「アプロディタ様!ご飯楽しみですね!」

 振り返り、子供らしい笑みを浮かべるその姿に、庇護欲を搔き立てられる。今思えば、我の周りは年上の者ばかりで、同い年にヤーニャがいる程度。十以上歳が下な子供た接する機会が殆ど無かった。

「小娘は、食べるのが本当に好きだな。まあ、お前位の歳なら、よく食べ、良く学び、よく寝れば、自ずと成長するだろうし、悪いことではないがな。」

 小娘を観察して思うのは、一つ一つの動作が大きい。意図的にしているのではなく、素のようだ。一生懸命大人っぽく振舞おうと頑張っているようだが、その仕草が子供らしく、精一杯背伸びしているようで、可愛らしく思える。

 成程、これが母性本能か…


 しかし、教育を頼まれ、預かった以上、その様な感情は捨てねばならない。二年、そう、たった二年で、貴族教育を完了させる必要がある。文字はある程度理解出来ている為、ある程度の目途は立てれる。それ以上に、この小娘に必要なことは、経験だ。

 ヴィドノやシャンバル、コペイク島など、そんな狭い範囲ではなく、様々な地や文化を自らの目で見て、己の世界を広げ、魔導具の本質、利便性を高めていくということに気付かせる必要がある。

 全く、手の掛かることを押し付けられたものだ。まあ、文句も言わずに、引き受ける我にも問題があるのだろう。

 様々な地を見せる。それ自体は、問題なく出来る。その程度の金なら別にはした金であるし、将来への投資と思えば安いものだ。ただ、問題が一つある。

 我は動けぬからな…様々な事情が重なり、このシャンバルに留まることが、最も全体の利益となる。下手に動き、周辺国や実家、王都を刺激するのも良くないし、何より、あの女に見つかるのは面倒臭い。教会勢力程厄介なものはないのに、その中でもずば抜けて厄介な女に目を付けられてしまった。

 別に、戦えば負ける可能は皆無だが、そもそも、奴の我に対する感情は、敵意ではないし、寧ろ好意だというのが質が悪い。彼女は全て我の為と言って、純粋な善意で悍ましい行動を平気で取る。アレとは関わらない方が、世のため、人のためになる。これが最善の手、そう結論付けて、逃げることにしたが、随分と厄介な枷となってしまった。


「クレメンチーナ、明日の予定はどうなっている?」

「明日は、ヴィドノへ出立する騎士団のお見送り以外は、お嬢様に特別なご予定は御座いませんので、普段通りのお仕事をして頂ければ、問題御座いません。」

 騎士団の見送りは、朝食後すぐになるだろう。あとは、また書類とにらめっこか…魔石の採掘量と採掘労働者への給金、輸送手続きに収支報告、数字ばかり見ていると、頭がおかしくなりそうになる。

 性に合っていない仕事は、苦痛だ。しかし、このシャンバルだけでなく、エルドグリース領における収入の大半を占める魔石事業を疎かには出来ぬし、何よりも、我の配当金に直結するのだから。

 エルドグリース家の末子として、我に与えられた領地は、このシャンバル。家督の相続を拒否した我に父上がそういう割り振りをした。元々はシャンバル全部を我の領地として、エルドグリース分家となり独立させようとしていた父上の目論見は兄上や継母による妨害で破れ、あくまで、エルドグリース本家より行政官として送られているという扱いになっている。

 しかし、その恩恵は大きい。採掘した魔石の収益の三割を我の私有財産とする事を取り決めてある。その辺は、家中で揉めに揉めたが、家督争いで譲歩し、その他諸々で譲歩していることを引き合いに出し、最悪実力行使に出ると交渉したことで、この程度の譲歩を勝ち取った。

 そしてこの四年間、採掘事業の拡大と、労働者の確保に力を注いできた。正直、数字には余り強くない為、悪戦苦闘したが、ヤーニャが加入したことで、我の苦労は何だったのかと思う程、トントン拍子に開発やシステムが確立されていった。

 大変だったが、なんやかんやで楽しかったな。恐ろしく収入が増えたし、魔石以外での収益の上げ方も出来上がってきた。暫くは…父上が生きている間は安泰だ。


「はぁ。」

 昼食の席、先のことを考えていると、溜息が自然と漏れる。本家の連中は基本的に好きではないが、だからといって争う気はない。争う気はないが、己の権利をその為に手放す気もさらさらない。

 どちらかが折れねば、争いは必至か…家中の争い程馬鹿らしいものはないが、家中だからこそ争いが起こる。父上ももう歳だ、そう長くはあるまい。悲しいとは思うが、こればかりはどうしようもない。それどころか、人間の寿命は六十前後と言われる中、現在八十二歳という長寿なのだ、寧ろよくここまで頑張ったと称賛すべきだ。

 しかし、唯一の後ろ盾を失うのは不安だ。

「はぁ。」

 また溜息が漏れる。ダメだ、先のことを考えると、溜息しか出てこない。頭が痛いな。左の親指と人差し指で眉間を押さえる。

 そんな我を、心配そうに小娘が見ているので、大丈夫だ、と手を軽く振る。そうか、小娘の事も考えねばならぬのか…問題を先延ばしにしてきたツケが、今になって出てきたな。

「ヤーニャ、この後、少し時間はあるか?」

 トマトしか載っていない、白と赤だけの皿を退屈そうに見つめるヤーニャに訊ねる。

少し・・で終わる内容なの?貴女からそういう相談を受ける時に、短時間で終わったことなんてないわよ。」

「うぐっ、じっくりと話したい。今日一日、ヤーニャの時間を我にくれ。」

 トマトを一口頬張り、数回咀嚼し、ごくりと飲み込んだヤーニャは、

「ぐずられても困るし、仕方ないから相談に乗ってあげるわ。」

「すまん、恩に着る。」

 

「小娘、悪いが教育は明日からだ。今日は、バンクから与えられた課題でもやっていろ。」

「は、はい!」

 食事を終えた後、廊下を歩きながら、後ろをちょこちょことついて来ている小娘にそう言うと、素直な返事が返ってくる。

「ライサ、ナイナ、小娘の世話を任せる。」

「「畏まりました。」」

 侍女に指示し、クレメンチーナとヤーニャを引き連れ、自室へ急ぐ。

 ヤーニャの意見を聞きながら、時にはクレメンチーナからの助言を受け、今後の方針を定めていく。我の意見は全て二人からボロクソに叩かれる。 

 ここでは我が一番偉いのに…

 不貞腐れ、テーブルに置かれたお茶菓子に手を伸ばすと、クレメンチーナにその手を叩かれる。置かれているのに食べれぬとは、此れは如何に。

 お預けを食らった犬の様に、ただ眺めるしか出来ぬとは、何とも酷な仕打ちだ。…我なにか悪いことしたか?


 四年前、悠々自適な生活を夢見て、やって来たシャンバルは、仕事と対策、先の不安材料の処理、更に加わった、託児所としての仕事、やる事が多過ぎる。

 我が夢である、自堕落で、自由気ままな、甘味と酒に酔いしれる生活は、いつになれば手に入るのだろうか…なんだか、どんどん遠ざかっている気がするのだが…

 

 夢は夢のまま、耽美な夢は、叶わぬから美しいのだな。



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