第12話 狂気

 朝食後、部屋へと戻る。

 なんでアプロディタ様はドレスじゃなくて、軍服で現れたのだろう?アンナさんも居なかったし、もしかして…

 恐ろしい想像をしてしまい、それを振り払うように頭をブンブン振る。

 何か楽しい事でも考えよう。そうだ、昨日貰ったお駄賃でも数えてみよう。渡された革袋はずっしりとしていたし、全部銅貨だとしても、結構な額になる。

 ゴソゴソと鞄を漁り、革袋を取り出す。うん、実に嬉しい重さだ。普通、重い物なんて極力持ちたくないけど、この重みだけは別だ。お金なら、どんな重さも苦にならない。

「さてさて…」

 うきうきと革袋の口を結んでいる紐を解く。中に見えるのは、金色の輝き。

「ふへっ…」

 驚きと喜びが混じった変な声が漏れる。ザバッと革袋をひっくり返すと、入っていたのは全部金貨。私が養子入りして、必死に汗水流して働いて稼いだ額の数十倍以上の金貨が、目の前に広がる。

「貰っていいのかな…」

 金貨を目の前にして湧き上がるのは、歓喜と恐怖、こんな大金が手に入ること自体は嬉しい。しかし、これだけの額を、代金とは別にポンッとくれるのは、何か裏があるのではないか?と勘ぐってしまう。

 取り敢えず、金貨の枚数を数えてみる。十枚重ねた金貨のタワーが六つ、六十枚の金貨。

「魔導学園の入学金…」

 エルドグリース本家からの遣いが教えてくれた、魔導学園の入学金と同じ枚数。アプロディタ様は、我が家にお金が無いのを、十分以上に知っている。

「アプロディタ様が、『受け取っておけ。』と言ったのも、それが分かってるからなのかな。」

 新たな借金としてではなく、お駄賃としてそれを渡してくれた。アプロディタ様の優しさなのだろうか?それとも、お金渡したんだから言うこと聞け、的な感じなのか?

 うーん、と腕を組み、首を傾げて考えていると、部屋の扉が三回ノックされる。


「リリー様、よろしいでしょうか?」

「あ、どうぞ、入って下さい。」

 昨晩から、ずっと私の世話をしてくれている侍女さんの声が聞こえ、入室許可を出しながら、テーブルの上に並べた金貨を仕舞う。

「失礼致します。リリー様、少しお散歩でも致しませんか?」

「お散歩ですか?」

 想像していなかった言葉に、思わず聞き返す。

「ええ、お散歩と言っても、お屋敷の案内を兼ねたもので、お外には行きませんけど。お嬢様にも、リリー様に、お屋敷の案内をするように言われておりますので…」

 アプロディタ様の指示とあっては、彼女に拒否権は無い。勿論、私にも。

「分かりました。それじゃあ、お願いしてもいいですか?」

 それに、悪い話ではない。こんな豪華なお屋敷を、じっくりと見て回れる機会なんて滅多に無いし、どうせやることもそんなに無かったし、丁度いいや。

「それでは、参りましょう。」

 侍女さんと並んで廊下を歩く。歩幅の小さい私に、合わせて歩いてくれるのが有難い。

「そう言えば、侍女さんのお名前聞いてませんでした。」

「そう言われると、そうでしたね。失礼しました。私、ライサ、ライサ・ジルキナと申します。」

「ライサさんって呼んでもいいですか?」

「はい、それに、敬称などいりませんよ。」

 身分上、それが普通なのかもしれないけど、流石に抵抗がある。

「ライサさん、改めてよろしくお願いします。」

「はい、リリー様。」

 ライサさんとお屋敷内を歩いて回る。目を惹く芸術品や装飾に目移りするのは、職人見習いの性なのだろうか。もし可能なら、このお屋敷の温度を調整している魔導具を見てみたいが、それは断られた。まあ、何かあった場合、大変なことになるから、仕方ないね。


 そして、案内されるまま、長い廊下を渡る。

「あの、これは何処に向かっているんですか?」

「この廊下の先は別棟です。主に、宿舎として使われておりますが、中々に興味深い物もあるんですよ。」

 宿舎に興味深いもの?全く想像がつかない。

 廊下の先にある、重厚な量開き扉をライサさんが開け放つ。なんだか、隔離された空間に入るようで、少し怖い感じがする。

「さあ、参りましょう。」

 ライサさんの誘導に従い、その境界を越える。

 大袈裟な表現をしてみたが、特に特別な感じはない。寧ろ、別棟の内装は、質素な感じで、ヴィドノの衛門の詰所に似た雰囲気を感じる。

「さて、早速いましたね。」

 少し歩いた所で、ライサさんがそう言う。視線の先には、身なりは質素で、くせっ毛なのか、それとも寝ぐせなのか、所々がピンピンと跳ねた短髪のぽっちゃりとした男性がいる。

「あの人は何者なんですか?」

 なんというか、失礼だけど、このお屋敷に仕える人には見えない。

「ダヴィート・ジルキナ、農学者です。このシャンバルで農作物の栽培法を研究しているそうで、お嬢様のご厚意で、ここに住まわせております。今のところ、ただの穀潰しですが。」

 最後の一言で一気に彼への評価が変わる。要するに、今のところ、何の成果も上げていないということだろう。

 そんなライサさんの声が聞えたのだろうか、彼が、ズンズンとこちらに歩み寄ってくる。

「随分な言いようではないか、ライサ。誰が穀潰しだって?僕は、ちゃんとこの不毛の地で、芋の栽培に成功したじゃないか!」

「成功って、お嬢様の魔力で普通の土地と同じ環境を作っただけで、それは成功とは言えないでしょう?ただの農業よ、それは。」

 ライサさんがズバズバと責め立てると、ダヴィートさんはタジタジとなっている。…それにしても、なんだか遠慮なく言い合う二人から親密な関係を感じる。もしかして…!

「もしかして、ダヴィートさんって、ライサさんの―」

「ええ、恥ずかしながら。」

 やっぱり、いやぁ、お屋敷内での恋愛って本当にあるんだなぁ。

「兄です。」

「え、お兄ちゃん!?」

 違った。そういや、同じ姓だったね。全然似てないなこの兄妹。パッチリした目で、可愛らしくも美人な顔の作りで、スレンダーなライサさんとは対照的に、細く、鋭い目つきで、目以外は、全体的に丸みを帯びたフォルムのダヴィートさん。兄妹と言われなければ、分からないだろう。言われても、信じられない程似てないけどね。

「小さくて気付かなかった、君は誰だい?」

 ようやく私の存在に気付いたのか、ダヴィートさんが私の方を見る。悪かったですね、小さくて。

「こちらはリリーヤ・ペチェノ様ですよ。お嬢様のお客様で、貴族の方です。兄さん、無礼ですよ。」

「これは失礼した。ペチェノ嬢。そこの口の悪い妹から聞いているかもしれないが、ダヴィート・ジルキナだ。よろしく頼む。」

 スッと差し出される手、握手すればいいのかな?こちらも手を伸ばそうとしたら、

「兄さん、なんですか、その言葉遣いは…いい加減、敬語くらい使える様になって下さい。」

 バシッ、とダヴィートさんの手を叩くライサさん。顔はニッコリと笑っているけど、大きな目が笑っていない。

「子供相手に、そんなにしなくてもいいだろう…」

 叩かれた手を擦りながら、弱々しく言うダヴィートさん。

「相手の年齢や容姿は一切関係ありません。お嬢様のご客人というだけでも、十分に礼を払うべきです。まさか、お嬢様にも無礼な態度をとってはいませんよね…」

 ゴゴゴ、という音が聞こえてきそうな程、ライサさんから魔力が漏れる。明らかに怒っているのに、笑顔を崩さないのが、恐怖に一層の拍車をかけている。

 ライサさんは怒らせたら駄目な人だな。こういう、静かに怒るタイプが一番怖い。

「アプロディタ様は、僕の大恩人だ。流石にそれくらいは弁えている。だから、落ち着いてくれ…」

 ダヴィートさんは、ブルブルと小刻みに震えている。流石に可哀想になってきたので、助け舟を出す。

「私も、堅苦しいよりも、さっきみたいな感じの方が、話しやすくていいです。」

「ほら、ペチェノ嬢もこう言ってくれてるんだ…」

 私を盾にするように、素早く背後に回ってそう言うダヴィートさん。

「リリー様に感謝して下さいよ、兄さん。リリー様、お見苦しいところを見せてしまい、申し訳御座いません。」

 ライサさんが私に向かって頭を下げるので、

「い、いえ、大丈夫ですので、頭を上げて下さい。」

 慌てて頭を上げるように頼む。

 頭を上げたライサさんは、ダヴィートさんを笑顔で睨むという器用なことをしていた。


「ところで、芋の栽培に成功したって言ってましたけど、ここに農場があるんですか?」

 どの様な形で栽培に成功したのか分からないけど、この広大だが不毛の地で作物の栽培が可能となれば、食料生産は莫大に増加し、安く、大量の作物が国内に行き渡る様になるかもしれない。

「あ、ああ。別棟の裏口から出たところに、試験栽培場がある。見るかい?」

「はい!見たいです。あ、ライサさん、大丈夫でしょうか?」

 なんだか面白そうだし、見てみたい。だけど、勝手に私が決めていいのだろうか?

「はい、リリー様がお望みであれば、一向に構いません。お嬢様からも、施設の見学許可は下りております。勿論、危険が伴わないことが前提ですが。」

 ライサさんからの許可も下りたので、ダヴィートさんの誘導で裏口へと向かう。

「裏口は、廊下を真っ直ぐ行った所にある。ほら、あそこに扉が見えるだろう。」

 ダヴィートさんが指で正面を指す。その先に、確かに木製の扉が見える。

「別棟はシンプルな作りなんですね。」

 私の宿泊している本棟は、自分の部屋に戻れなくなってしまう程、大量の扉や、曲がり角がある。それに対して、別棟は、一直線に伸びた廊下を本線に、横一直線に伸びる廊下が二本伸びており、本棟、別棟共に二階建てなので、左右に伸びた廊下の先には、その奥に階段があるだけだ。

「ええ、本棟は、貴族的な居住空間であり、守りの役割もあります。非戦闘員である使用人たちや、お嬢様の身を守る為に、敢えて複雑に作ってあるんですよ。それに対して別棟は元々、護衛や近衛兵の宿舎として作られた為、すぐに動けるように、シンプルで、廊下を広く作ってあるんです。」

 成程ね。でも…

「アプロディタ様に護衛っているんですか?」

 騎士団ですら歯が立たない魔法生物を、威圧感だけで無力化出来るあの人にとって、護衛は足手まといでしかないんじゃないかな?

「正直、こと戦闘に関しては、お嬢様に勝てる者など、この世に存在しないとは思いますが、万が一の可能性もありますし、形式上仕方なく、という感じですね。専ら、近衛兵はヤニーナ様の帰省時の送迎係となってしまってますが…」

 やっぱり、要らないのか…まあ、何かしら役割を与えられてるから、完全に不要というわけではないみたいだけどね。

「じゃあ、ここにはいるのは、ダヴィートさん以外は皆兵士なんですね。」

「いや、あと一人、学者というのか、研究者というのか分からないが、非戦闘員がいるぞ。確か、魔石と魔力の研究をしていると聞いたが、ずっと自室に引き籠っているから、もう何か月も顔を見てないな。」

 魔石と魔力の研究…滅茶苦茶気になる。

「その人には会えないんですか?凄く興味があるんですけど。」

「リリー様は、魔導具職人でしたね。興味を持たれるのも致し方無いことです。リャホフさんは部屋にいるでしょうし、後で訪ねてみますか?」

 リャホフさんって言うのか…

「はい、是非!」

「なんだよ…僕の農場はリャホフの魔石以下かよ…」

 ダヴィートさんが拗ねたけど、農場にも当然興味はある。だけど、職業柄というのか、どうしても、魔石とかの方が興味を持ってしまうのだ。


「さあ、見ろ!どうだ!凄いだろう!」

 バン!と扉が勢い良く開かれた。その先に広がるのは、極寒の、氷に閉ざされた大地とは思えない、私の良く知る畑だった。

「凄い!なんでここだけ凍ってないんですか!?」

 興奮する私に、満足そうに頷き、

「それはだな―」

「お屋敷を温めている魔法と同じ理論ですよ。ただそれを効率化しただけというだけです。」

 説明しようとしたダヴィートさんを遮り、ライサさんがそう言い放つ。

「ライサさん、君はそんなに僕が嫌いなのか!」

 見せ場を奪われるどころか、その功績をバッサリと切り捨てられ、ダヴィートさんが悲痛な叫びを上げる。

「嫌いとかではなく、農学者一家の端くれとしての意見です。このやり方がシャンバル全土で出来るとでも?それに、このやり方では生産コストの方が多いですし、維持するのにも、お嬢様が必要不可欠とあっては、実用性は皆無です。」

 淡々とダヴィートさんに言葉の刃を刺していくライサさん。

「あの、お屋敷と同じやり方って…」

「農場の四隅を見て頂ければ分かると思いますが、魔導石が置かれています。あれで領域を決め、その範囲を温めております。」

 確かに、大きめの赤い魔導石が置かれている。

「魔導具が発明される以前の古いやり方だ。火の魔法で満たした魔導石で、農場を温めている。勿論、魔導石だけでなく、地面に直接術式を書き、それこそ気が遠くなる程、莫大な魔力を流し込んである。そうやって、ようやく普通の農地となるんだ。このシャンバルという地は、本当に農学者殺しだ。今まで学び、培ってきた技術も知識も、全て嘲笑う様に無力化する。」

 土を触りながら、しみじみとダヴィートさんが言う。

「それがなんだと言うのです。この地を人が生きていける場所にする。それがジルキナ家の悲願であり、宿命。兄さんが自分でそう言ったのではないですか。」

 ライサさんが、少し感情的に言う。

「分かっている。こうやって、機会だけでなく、無償の援助まで与えてくれたアプロディタ様に、恩を仇で返す様な真似はしない。何かやり方がある筈なんだ。」

 ダヴィートさんが力強く土を握って、そう言う。シャンバルを人が住める場所に。歴史上、数え切れない程の人々が挑戦しては、諦めてきたことだ。 

「芋が食用と認められ、可能性は高まったんだ。ただ、シャンバルで芋の栽培に適した気温になる期間が短すぎる。育つ前に氷に閉ざされ、腐ってしまう。」

「気候を変えろと?」

「分かっているだろう?そんなもの、神でもない限り、不可能だし、気候が変わる方が、他の地や農作物へ影響が出て恐ろしい。」

 哀愁の漂う笑みをライサさんに向けるダヴィートさん。彼は、何度も失敗を繰り返し、この先も失敗繰り返す。それが分かっているのに続けるというのは、憐れに思えるのに、その不屈の精神力と、執念をカッコいいと思えるのは、何度も失敗を繰り返し、育っていく職人の道と同じだからだろうか。

 失敗すると分かっていても、やり続けるのは、精神がすり減らされ、心が折れる。それでも前に進もうとする姿に、尊敬の念を抱く。

「他に影響を及ぼさずに、この氷の大地で作物を育てなければならない。全く、先代たちも、随分と無謀で、しかし、面白い夢を決めたものだ。」

 ダヴィートさんの心は折れる度に強くなるようだ。はっはっはっ、と笑う彼に、神の祝福があることを願った。


「それでは、リャホフさんの所に行きましょうか。」

 ダヴィートさんを農場へ残し、ライサさんと別棟に戻る。

「リャホフさんて、そんなに引き籠るくらい研究熱心なんですね。面白い話が聞けそうです。」

 ウキウキとしながら廊下を歩く。裏口からすぐに右に曲がり、階段を昇る。

「研究熱心というよりは、人と話すのが苦手と言いますか…人が苦手と言いますか…部屋に籠っているのは、研究の為でもありますが、人に会いたくないのが一番の理由でして…」

 ウキウキは消し飛ぶ、大丈夫なのかその人…

 不安を抱え、別棟の二階に辿り着いた。

「別棟は部屋の数が多いですね。」

 一階は扉の数が少なかったのに、二階は倍近い扉がある。

「ええ、二階は兵の中でも身分が高い者の為の場所なので、個室が多いんです。リャホフさんの部屋はここですよ。」

 ライサさんと扉の前に立つ。ご丁寧に、表札まで掲げてある。『ルキヤン・リャホフ』部屋の主の名だろう。そして、扉には、面会謝絶の文字、これ、絶対会えないんじゃ…

 そんな貼り紙を無視し、ライサさんが扉を叩く。

「リャホフさん、少しよろしいですか。」

 返事はないが、中でガタガタと音がする。中にはいるようだ。

「リャホフさん!」

 再度ライサさんが名前を呼びながら、扉を叩く。いるのは分かっているのに、返事は一切ない。

「ご丁寧に鍵まで掛けて…リャホフさん!少し位外に出てはどうですか。魔導具職人のペチェノ様がお見えですよ。」

 ライサさんの言葉に、少し興味を持ったのか、ガタガタと中で音がする。しかし、ライサさんの言い方だと、私ではなく、親父の方が来ているみたいに受け取れる。仮に部屋を出てきても、私の姿を見て、すぐに引っ込んでしまいそうな気がするけど、これ以外の手段がないのだろう。

 どんだけ社交性が無い人なのだろう…


 リャホフさんは部屋の中で葛藤しているのか、右往左往している足音が聞こえてくる。そして、コツン、と大きな一歩を踏み出した音がした。扉の近くまで来たようだ。

 さあ、あと一歩だ。顔も、声も知らないリャホフさんという人を、不思議と心の中で応援していた。そんな時、

「あ、いた。探しましたよ、ライサ。」

 随分と探し回らせたのだろうか、少し頬を紅潮させた侍女さんがやって来た。そのせいなのか、リャホフさんの足音が遠ざかる。

「はぁ、あと一息だったのですが…どうしたんですか、ナイナ。」

 肩を落とし、ナイナと呼ばれた侍女さんの方を見るライサさん。

「どうしたんですか、じゃないですよ。お嬢様がリリー様をお呼びなので、ずっと探していたんですよ。」

 クールビューティーなライサさんとは対照的に、そう言ってプリプリと怒るナイナさんは、なんだか可愛らしい。

「それは、すみませんでした。リリー様、大変申し訳ございません。一度、本棟に戻りますが、よろしいでしょうか?」

「はい、全然大丈夫です。」

 本音を言えば、リャホフさんの話を聞いてみたかったけど、アプロディタ様からの呼び出しなら仕方ない。

「では、参りましょうか。」

 ライサさんとナイナさんに連れらえて、別棟を後にする。アプロディタ様からの呼び出しって、要件はなんだろう?心当たりがあるとすれば、昨晩の一件しかない。


 なんだか気が重くなった。



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 何故だ、何故、何処へ行っても変態がいるのだ…

 昨晩起こった騒動の内容を、ヤーニャから聞かされ、頭を抱える。

「以上よ。捕らえた女騎士は、倉庫に縛り付けてあるけど、どうする?あくまで私や侍女たちが見たのは、窃盗後の現場であって、詳しい経緯や状況は、本人とあの子しか分からないわ。一応、軽く話しを聞いたけど、聖遺物がどうとか、喚いていて、頭が痛くなったわ。どうやら、ローディへの思いが暴走したみたいね。」

 そう、現場を見た者たちも、事の顛末を見たわけではない。もしかしたら、大きな誤解と勘違いで、その女騎士は無実かもしれない、いや、勘違いであって欲しい。が、

「しかし、被ってたんだろう…頭に。」

「頭と言うより、顔ね。覆面みたいにしてたわよ。」

「どの様に解釈すれば、彼女が無実となるのだ?あらゆる可能性を考慮しても、彼女が変態である事実は否定出来ないのだが…」

 別に同性から好意を向けられることに嫌悪感や抵抗はない、好いてくれるのは嬉しいし、人の感情を否定する気は全く無い。誰が誰を好きになろうと、構わないとは思っている。思っているが…

「何故、我に好意を抱く者の大半が狂気を孕んでおるのだ…」

「学園の頃も凄かったわね。貴女の身の回りの物が盗まれなかった日なんて無かったんじゃないかしら。」

 毎日の様に盗まれるせいでも、無駄な出費が嵩むだけでなく、精神的にもよろしくなかった。

「学園を卒業し、それから解放されたと思ったら、今度はアレが現れ、シャンバルに隠れたというのに、また別の変態が現れるとは…」

「貴女って、戦いは信じられない程強い癖に、変態から逃げ回る人生ね。」

 呆れた様な苦笑いをするヤーニャ。奴もまた、毎度それに巻き込まれているので、我と同じ被害者と言える。


「取り敢えず、全く気は進まないが、その者を連れて来てくれ。」

 話も聞かずに処断することはしたくない。

「畏まりました。」

 クレメンチーナがそう言って一礼し、侍女たちに指示を飛ばす。

「騎士としての、今後の立場もあるだろうし、大事にはしたくないな。」

「お優しいこと。…まあ、そう言うでしょうと思って、騎士団の方には、体調不良としか伝えてないわよ。」

 体調不良か…確かに、症状としては、頭に異常があるかもしれないし、あながち間違いではないのかもしれない。


 はぁ、と大きく溜息を吐くと、軍服の左胸に大量に付けられた勲章が揺れる。あの戦争の後、軍属でない我に、大量の勲章と、名誉役職が与えられた。

 学園に居た頃、こっそりとクレメンチーナに作らせていた、我好みの真っ赤な軍服は、世界に一着だけの物で、何処の所属を表すものではない。この軍服は、そういう意思表示でもある。

 どんなに勲章を貰おうと、如何なる役職を与えられようと、王国の軍に所属する気はないし、共に肩を並べるつもりもない。それは、実家に対しても同じで、我はエルドグリース家の者であるという自覚も、自負もあるが、家の為に働こうという気もない。

 己の信念と、忠義を貫くべき相手は、一人しかいない。そして、その相手も、もういない。ならば、その遺志を守り、後悔の無い様に生きるだけだ。

 短く息を吐き、気持ちを切り替える。変態が相手であろうと、己の信念は曲げぬ。

 

 そう思っていたが、心が折れそうになる。

 なんなのだ、こいつは!?

「女神様、私はただ、貴女様の聖遺物を保存し、少しだけでも一体化しようとしただけで、何も恥ずべきことではありません。」

 我を前にして、悪びれるどころか、開き直って行為の正当性を主張し始めた。部屋に連れられた当初は、地面に頭を擦り付け、何度も泣きながら謝っていた癖に、何故こうも開き直れるのだ。

「あー、アンナ・エルモレンコだったな。ごく一般的な意見だが、他人の下着を盗み出し、被ることは、恥ずべき行為だと思うのだが…」

 キリキリと締め付けられる様な頭の痛みを堪え、落ち着いた口調でそう言う。

「勿論、私も、普通であれば、この様な真似は致しません。しかし、今回は聖遺物でしたので、恥ずべき事はありません!」

 キリッ、とした表情ではっきりと言い切ってくる。なんだこいつ…

「そう、恥ずべき行為ではないと言うのね。貴女の名誉を思って、騎士団の面々には報告していなかったけど、報告しても問題ないみたいね。」

 見かねたヤーニャが助け舟を出してくれる。

「ほ、報告…」

 ダラダラと、大量の汗をかき始める。自分でも、己のやった行為の異常性は理解しているようだな。その点では、アレよりは遥かにマシだな。

「ええ、構わないわよね。」

 ヤーニャが畳み掛ける。

「申し訳御座いませんでした!!」

 床に頭を突け、全力の謝罪。こいつは、何故途中で開き直っていたのだろう。何を考えているのか、さっぱり分からぬ。いや、変態の考えなど、分かりたくもないが…

「もうよい、今回だけは不問としてやる。今後、この様な事が再度あったら、我が殴るからな。それと、小娘には、お前自身で謝罪しに行け。以上だ。帰れ!」

 取り敢えず、この理解出来ない生物をから距離を置きたかった。

「ところで、お嬢様のショーツを何処へやったのですか?」

 クレメンチーナが、変態に尋ねる。さっさと帰って欲しいというのに、余計なことを…

「それが…その…」

 何故かもじもじとし始める変態、今更何を恥ずかしがるというのだろう。もう十分以上に恥を晒しているというのに…

「食べちゃいました。」

 あの冷静なヤーニャと、ポーカーフェイスのクレメンチーナが、ここまで驚愕した表情を見せたのは、初めてかもしれない。変態を除いた、この場にいる全員が、信じられないものを見た気がして、言葉を失った。


「おい、なんだあの変態は。あんなのが騎士で大丈夫なのか…」

 変態が去った後、机に突っ伏して感想を漏らす。

「ローディへの執着心が異常なだけで、それ以外はまともなのが質が悪いわね。あれでそこそこ優秀な部類に入るみたいよ。」

「まあ、正気とは思えない人物でしたが、教皇庁のアレよりはマシでしょう。」

 クレメンチーナの言葉に、二人で頷く。アレの狂気に勝る者がこの世にいるのだろうか…

「取り敢えず、一件落着となったわけだし、コーヒーを頂けるかしら。」

「畏まりました。お嬢様は如何致しますか?」

 ポスッ、とヤーニャがソファーに腰を下ろした。

「酒…は駄目だろうから、何か甘いものが欲しい。少し疲れた。」

 酒、と言った瞬間、クレメンチーナの恐ろしく冷たい目を向けられ、すぐに注文を変える。 

 飲み物の準備をしに、クレメンチーナが部屋の奥へ引っ込み、ヤーニャと二人だけになる。

「小娘を呼ばねばな。そちらが本来の目的であるというのに、無駄な時間で疲れてしまった。」

「でも、さっきのに比べれば、随分と気楽な話よ。」

「違いない。」

 しかし、この一件で、変態の恐ろしさを改めて痛感した。

「アレから身を隠す為にシャンバルに来たが、なにやら嫌な予感がする。」

「やめなさい、噂をすれば影が差すわよ。こっちでもいろいろと調べてるけど、無駄に能力は高いから、足取りが掴めないわ。情報的優位に立てない以上、守りに徹するしかないわよ。」

「また、婚期が遅れてしまうではないか…」

 学園で同学年だった令嬢たちは、卒業後、早々に結婚し、もう子がいる者の方が多いというのに…

「安心しなさい。貴女は当分の間結婚は出来ないわよ。」

「お、恐ろしいことを言うな。その様なことがあり得る筈がない。自分で言うのもなんだが、我は美しいし、家柄も最高レベルだし、魔力の量では他の追随を許さない。最高の嫁だぞ。」

 その気にならずとも、言いよってくる者等、星の数程いるのだ。

「自分の置かれた状況を考えてみなさいよ。確かに、ローディは容姿も良いし、家柄、魔力量、共にケチのつけようがないわ。でもね、貴女は強すぎるのよ。戦争を一人で終わらせる人間を、他家に渡せるかしら?しかも、家族とは不仲だし。貴女にその気が無くても、脅威でしかないのよ。」

「なら、婿を取ればよい。」

 別に、格上の貴族への婿入りはよくあることだ。

「それは、王家が許さないわよ。現に、あの戦争の後、貴女に婿取りの打診はあったみたいだけど、全部王命で許可が下りてないみたいよ。王としても、容易に王政をひっくり返す力のある貴女の扱いに、困っているみたいね。敵に回すのは出来ないけど、力を与えるのも怖い。貴女が思っている以上に、貴女の扱いには、大陸中が慎重になってるのよ。」

「待て、我はその話を聞かされておらぬぞ!」

 おのれ、ベールナルド兄上め、我に何の相談もなく事を決めおって…いや、兄上ではなく、父上による可能性も…

「そういうわけで、一生とは言わないけど、当分の間結婚なんて無理ということよ。諦めて、独身生活を楽しみましょう。結婚して分かったけど、独身の方がいいわよ。煩わしい事も減ったし、誰にも文句は言われないし。」

「結婚生活一週間未満のお前に言われても、説得力が無い。」

「未婚の貴女も、結婚に夢を見過ぎよ。というより、あんな家庭環境で、よく結婚に夢を持てるわね。」

「反面教師ばかりだったからな。最悪の家庭環境故に、理想を抱くのだ。」


「お持ち致しました。」

 クレメンチーナが、コーヒーと、砂糖たっぷりのホットミルクを持って戻ってきた。

「うむ、甘くて旨い。」

「温めた牛乳の臭いって嫌いだわ。」

 我からすれば、コーヒーの臭いの方が嫌いだ。

「よくもまあ、その様な苦いだけの泥水を飲めるな。」

「この香りと苦味の良さが分からないなんて、いつまで経っても、子供舌ね。」

「味覚が退化していないだけだ。」

 子供舌と言われ、ムスッとして、頬杖を突いた。その姿を、ヤーニャとクレメンチーナに笑われる。

「すぐ拗ねちゃって、本当、子供みたいよ。」

「う、うるさい!」

 また、クスクスと二人が笑う。

 穏やかな時間は、すぐに終わる。それを身に染みて分かっているから、こうやって、二人の笑顔を見れる時間を愛おしく感じるのだろうか。



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「あれ~、何終わった気でいるんですか、まだまだこれからですよ。」

 椅子に縛り付けられた黒髪の男と、修道服に身を包んだ、ニコニコと笑顔の女性。

 男の足元には、血だまりと、手足から剝がされた爪が落ちている。

「こ…殺してくれ…」

 弱り切った男の悲痛な懇願を、女は一蹴する。

「駄目ですよ。邪教の徒であり、神を欺き、裏切ったモバドのゴミは、苦しんで苦しんで、生まれたことを後悔し、懺悔し続けて初めて死ぬ許可が降りるんです。さあ、まだ喋れるんでしょう?次は、耳にします?それとも目?モバド人には、どっちも二つも要りませんよね。」

 女の言葉に、男が泣き叫ぶ。しかし、女は容赦なく、刃を男の右耳に当て、じわりじわりと切り落としていく。

 女による狂気の時間は、数日続いた。


「お疲れ様です。シエルラ審問長官!」

 狂気の部屋から出てきた女に敬礼する。

「はい、お疲れ様です。ドッセーナ審問官。」

 返り血で真っ赤になった笑顔で、そう言う。

「全く、どれだけ私たちがゴミ掃除をしても、ゴミは一向に減りません。我々の信心が足りないということでしょうか?」

 細く閉じたままの糸目を悩ましそうに祈りを捧げている。

「ああ、それも全て、女神様を私が見つけられないからです。ああ、我らが創造主、アプロディタ様。どちらにおられるのですか…」

 この女は狂っている。彼女の部下となってまだ数ヶ月だが、それだけは分かる。今や時代遅れとなった異端狩りや、モバド人狩りを率先的に行い、見ているだけでも苦痛となる様な、悍ましい拷問を好んで行う。

 そして、何よりも狂っていると思うのは、それが全て女神の為であると、信じ切っていることだ。慈愛と豊穣の女神アプロディタが、その様なことを望むわけがないし、そもそも、神などいないということは、教会勢力に属している自分だって、分かっているというのに、この女は、神の意思でそれらの凶行を行っていると言い張っている。

「ドッセーナ審問官、アプロディタ様の行方はまだ掴めないのですか?先任のピスコポ審問官も見つけられずに、殉死されましたし、期待していますよ。勿論、私も命を賭して探しますが。」

 どこまでが本気なのか分からない、ニコニコとした表情のまま、そう言う。

「お言葉ですがシエルラ審問長官、お探しの人物は、エルドグリース家の末子、アプロディタ殿です。女神様では御座いません。」

 誰が考えたって分かること、女神にそっくりに生まれただけで、女神ではないのだ。


「ああ、まさか身内にまたも異端がいたなんて…」

 ニコニコとしていた糸目が、スゥッと開く。

「非常に残念です。ピスコポ審問官に続き、ドッセーナ審問官までも異端であったなんて…」

 一瞬で魔力の鎖に縛られる。

「違う!俺は異端じゃない!」

「女神様を否定したのです。異端じゃないわけがないでしょう。でも、大丈夫ですよ。貴方の身が、この世から消え去った時には、女神様の素晴らしさに気付き、お優しいアプロディタ様に、救済されるでしょう。」

 初めてみた彼女の瞳は、ただただ狂気、狂気のみで満たされ、現実を捉えていなかった。



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「異端は、異教徒や邪教徒よりも救えない者です。女神様の素晴らしい教えを知りながらも、それに反するのですから。異教徒や邪教徒は、まだ女神様の教えに目覚めていないだけで、救済の余地はありますが、異端はいけません。異端者は塵ひとつ残してはいけないのです。」

 かつての部下だった異端者に、油をかける。そう、塵ひとつ残さずに掃除するのです。

「さて、今日は忙しいですね。」

 ポンッと、掌から炎の魔法をソレ目掛けて放つ。油に引火し、火柱を上げる。

「女神様、どうか、どうか私の前に、もう一度ご降臨下さいませ。」

 忌むべき異端者の火柱を前に両膝を突き、祈りを捧げる。

「ペルペトゥア・シエルラ、この身の全てをアプロディタ様に捧げる所存で御座います。」

 

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