第10話 金本位制と未来

 領地の多くが極寒の地となるルユブル王国内では、王侯貴族や上流階級と呼ばれる人々の食生活は、如何に温かい物を食べるのか、という点に重点を置いていた。

 その為、提供される料理の順番が決められており、食べ終わる時間を逆算して作り始められ、最もベストなタイミングで提供される。勿論、一般的な家庭ではその様なことは不可能であり、多くの使用人や料理人を雇うことが出来ることが前提となる。

 そんなルユブル王国の食文化だが、このマルネェ大陸においては異質であった。極寒の地であるが故に独自の発展をしたそれとは違い、他国の王侯貴族の食文化は、見た目の豪華さを重視したものが多い。特にそれが顕著に表れているのは、やはりドドル王国だろう。

 不可食な孔雀の羽根や花などを食事と共に飾るなど、提供するのに最適な温度よりも見た目を重視している。それには、大陸で最も煌びやかな社交界と評される、大陸文化の中心地、ドドル王国の象徴とも言える。だからといって、ドドル王国の食事が美味しくないかと言えば、断じて違う。ドドル王国の料理は、大陸で最も美味しいなどとも言われ、ドドル王国出身の料理人は大陸全土で重宝される。


「美味しい。」

 いろんな食文化があるが、結局は温かい食事が最も心と胃に沁みるのは言うまでもない。食事の前にクレメンチーナさんが持って来てくれた鞄にコッソリ詰め込んで持ち帰りたい位だ。

「あら、私のもの全部食べていいわよ。」

 そんな料理に一切手を付けずに、食後に提供される筈の紅茶を飲んでいる、偏食家なヤニーナ様が私にそう言う。

「ありがとうございます!」

 そんな申し出に遠慮なくお礼を言う。こんな美味しい物を食べれないなんて、どんなに身の上が良くっても、不幸と言えるだろう。

「そんなに瘦せてるのに、よく入るわね。」

 見るのも嫌、というように料理を口に運ぶ私から目を背けながら、退屈そうに紅茶をスプーンで混ぜている。

「食べたくても食べれなかったんです。食べれる時に食べておかないと勿体無いじゃないですか。」

「逞しいと言うべきなのか、意地汚いと言うべきなのか、どっちかしら…」

 どっちもです。前菜のサラダ、パンできのこのシチューが入った壺の上を包んだガルショーク、ペリメニと呼ばれる水餃子、そしてメインは仔羊のシャシュリク。何もかもが絶品だった。

「小娘は瘦せすぎだ。それでは成長にも支障をきたす。よく食べ、よく寝て、強い身体を作るのだ。」

 モリモリと食べている私に、食前酒から始まり、食事をつまみに、次々とワイングラスを空けているアプロディタ様が、満足そうに上機嫌に言う。

「はい。」

 食べていいと言われて、遠慮なく食べる。こんな幸運はもうないかもしれないのだから。

「うむ、良い食べっぷりだな。どれ、これもやろう。」

「お嬢様、嫌いなものをリリー様に押し付けてはいけませんよ。」

 アプロディタ様が玉葱と人参を載せた皿を差し出そうとしたが、

「少しは食べる努力をして下さい。お嬢様が小娘と呼んでいるリリー様は、あんなに好き嫌いなく食べておられるのですよ。お嬢様の方がよっぽど子供ですよ。」

 クレメンチーナさんから一喝される。クレメンチーナさんが、アプロディタ様の好き嫌いを改善しようと奮闘しているので、その申し出は一旦保留しておこう。勿論、残すくらいなら喜んで頂くんだけどさ。

「その身体の何処にそんな量が入るのか、不思議でならないわ。しかし、貴女、食べ方といい、意地汚さといい、マナーを教わる相手はいなかったの?」

 ヤニーナ様から、チクリと指摘される。仰る通り、マナーを教わる機会など無かったし、マナーを必要とする様な食事も無かった。だから、見様見真似で食べていたが、やはりダメだったみたいだ。

「お恥ずかしながら、教わる機会が無かったもので…」

 周囲を見れば、あの破天荒で子供っぽいアプロディタ様も、騎士たちも、皆、上品に、美しく食べている。それまでは食べることに夢中になって気にならなかったが、指摘されると、急に恥ずかしくなってくる。

「呆れた、本当に教わってないのね。ああ、呆れたのは貴女にではなくて、あの頑固親父によ。貴族の親として、最低限の義務さえ怠っていることに呆れたのよ…アプロディタ?」

 ヤニーナ様の仰る通りです。ヤニーナ様がアプロディタ様の意見を伺う。不特定多数の人間がいる場合、ヤニーナ様は、アプロディタ様を愛称で呼ばないようだ。


「我としては、マナーを咎める気は無い。この場では気にせず、存分に思うがままに食べればよい。しかし、学園に入学するとなればそうは言ってられないな。如何せん、あそこは色々と面倒だからな。さて、どうしたものか…」

 そう言って、考え始めるアプロディタ様。そっか、魔導学園じゃあ、周りは皆貴族。マナーや礼儀には五月蠅そうだ。

「お嬢様、お食事の手が止まっておりますよ。」

 顎に手を当て、完全に思考の迷路に入り込みかけていたアプロディタ様を、クレメンチーナさんが現実へ呼び戻す。 

「おっと、いかんいかん。考え事は食後だな。まあ、小娘、心配せずともよい、我がその気になれば、どうとでもなる。」

 正しく女神の笑顔でそう言う。なんか凄く安心出来るけど、サラッと凄いこと言いませんでしたか?


 コースでやって来る料理が一旦止まった。ヤニーナ様のお陰?で二人分の絶品料理を頂け、満腹だ。

「食後の飲み物は、コーヒーと紅茶、どちらがよろしいでしょうか?」

 食器を下げていく侍女さんが、そう尋ねてくる。コーヒーは、芋や煙草と同様に、アルガン大陸から渡って来た嗜好品で、今や紅茶と同等、もしくはそれ以上の人気がある飲み物だ。しかし、私はそれを飲んだことはない。

「コーヒーをお願いするわ。」

 先程まで、紅茶を啜っていたヤニーナ様がコーヒーを選択した声が聞こえる。あの偏食家のヤニーナ様が好んで飲むってことは、よっぽど美味しいのか、それともなんの癖もないのか、そのどっちかだろう。

「じゃ、じゃあ、コーヒーで。」

「畏まりました。」

 カフェで飲んでいる大人たちを見たことはあったけど、実際に飲むのは初めてだ。コーヒー、楽しみだなぁ。

「失礼します。」

 侍女さんがそう言って、私の前に、黒くて独特な匂いを発する液体が入ったカップと、甘くて美味しそうなプディングが置かれる。

「クレメンチーナ、何故我のデザートが無いのだ?」

「つまみ食いなされたお嬢様には、デザートは御座いませんよ。紅茶でよろしいでしょうか?」

 人って、あんなに悲しい顔が出来るんだ…出された紅茶はミルクがたっぷりと入っているのか、紅茶本来の鮮やかな色はもはや無く、薄っすらピンクがかった白色をしていた。そんな、ティーの部分が殆ど見当たらないミルクティーに、アプロディタ様は、スプーンで掬った砂糖をどぼどぼと入れていく。

「お嬢様、それ以上は駄目ですよ。」

 スプーン山盛り三杯を入れ、四杯目を入れようとしたアプロディタ様に、クレメンチーナさんからストップがかかる。

「甘くないと飲めぬ。」

「もう十分甘くなっております。」

 クレメンチーナさんの言う通り、あれはもはや、物凄く甘いホットミルクで、紅茶ではない。そんなアプロディタ様はほおっておいて、私はコーヒーを飲んで見るとしよう。

 しかし、どうやって飲むのがベストなんだろう?コーヒーと共に持って来られた、ミルクと砂糖は入れる方がいいのだろうか?

「ヤニーナ様、コーヒーって先ずはそのまま飲んだ方がいいんですか?」

「そうね、先ずはそのままで、飲み辛かったら、砂糖やミルクを入れて飲めばいいわよ。」

 成程、では早速…ふー、ふー、とまだ熱いコーヒーに息を吹きかけ、冷ましながら、一口啜る。

「ブッッ!!」

 あまりの苦味に、吹き出してしまう。

「汚いわね。」

 そんな私を非難するヤニーナ様。しかし、その口角は上がっているので、こうなると分かっていて、コーヒーをそのままで飲む様に誘導し、その姿を見て楽しんでいるのだろう。

「うぅぅ…なんですかこれ~、凄く苦いですよ~。」

 こんなものを美味しそうに啜るヤニーナ様の味覚は、おかしいんじゃないのかな。

「この苦味がいいのよ。まだ子供には早かったみたいだけど。」

 そう言いながら、煙草を吹かしては、コーヒーを啜るヤニーナ様。その姿は、大人っぽくて少し憧れる。ヤニーナ様には憧れないけどね。

 とりあえず、砂糖とミルクをたっぷりと入れ、何とか飲めるようにする。私も、甘い方が好きだなぁ…そう思いながら甘くなったコーヒーを飲んでいると、 

「おい、あれはいいのか。」

「あれは仕方ないでしょう。」

 砂糖をたっぷりと入れる私を見て、アプロディタ様がクレメンチーナさんに異議を申し立てている。甘い方が好きだけど、早く大人の味を楽しめる様になりたいなぁ…あんな風にはなりたくないもん。


 コーヒー以外は大変美味しく楽しめた食事が終わると、アプロディタ様が軽く挨拶をして、騎士団たちを残し、クレメンチーナさんと共に退室する。それに続いて、ヤニーナ様が立ち上がる。

「リリー、ついて来なさい。」

 そう言って、スタスタと部屋の外へと歩いて行く。

「は、はい。」

 返事をし、慌てて立ち上がり、鞄を掴む。食事中、あまり見なかった騎士団の方をチラリと見る。皆、食後に振る舞われているお酒を飲み、楽しそうにしている。その中に見えるアンナさん。よかった、変態モードにはなっていないみたい。狂気にも近い憧れの対象であるアプロディタ様が見える範囲にいたのに、大人しくしていたみたいだし、先の一件で反省したんだろう。

 一安心してヤニーナ様の後を追いかける。

 廊下へ出ると、三人が待っていた。

「さて、小娘、お前の仕事をして貰うぞ。」

 食後に、と後回しにされていた私の仕事、アプロディタ様が依頼した魔導具の引渡し。いよいよかと、少し肩に力が入る。そんな私見て、

「ついてこい。」

 アプロディタ様が歩き始める。背が高く、大変脚の長いアプロディタ様の歩幅で歩かれると、私の小さな歩幅では追いつけず、小走りになってしまい、はしたないとヤニーナ様に窘められる。どうしろと…


 広く、豪奢なお屋敷の中でも、一際立派な扉の前にアプロディタ様が立つ。その扉を二人の侍女さんが丁寧に開ける。

 入浴前に見たのと同じアプロディタ様の自室に足を踏み入れる。綺麗に並べられたソファーと机、その一番奥、上座となる一人掛けの椅子にアプロディタ様が腰を下ろす。

「さて、好きな所に座れ。先ずは品を見せてくれぬか。」

「はい。」

 アプロディタ様の斜め左、長い三人掛けのソファーへ腰を下ろし、机の上に、親父から預かった、魔導具の入った箱を置く。蓋は私が開けるべきなのだろうか?そう悩んでいると、アプロディタ様の手が伸びる。

「相変わらず、腕だけはケチのつけようがない。」

 蓋を開けたアプロディタ様が皮肉交じりの苦笑を浮かべ、箱の中に手を伸ばすと、放たれていた光が、若干小さくなる。溢れ出ていた魔力が吸収されているのだろう。

「して、これはなんだ?我宛のようだが。」

 箱から取り出された一通の封筒。そんなものを入れているなんて…親父からは何も聞いてない。

「ごめんなさい、何も聞いてません。」

 正直にそう伝える私。

「まあよい、後でグスタール兄上からの手紙と一緒に読むとしよう。先ずは何よりも、これのサイズを合わせよ。如何せん発注は五年前の物で、依頼したサイズでは合わぬだろうからな。」

 そう言いながら、指先で指輪を転がすアプロディタ様。五年前となれば、アプロディタ様は当時十五歳でまだまだ成長期の頃だろうし、発注した当時のサイズなんて、合う筈がない。

「はい、畏まりました。」

 フンス、と張り切って息吐き、親父から教わったやり方を頭の中で再度復習する。大丈夫、私なら出来る。そう言い聞かせる。

「では…」

 おっと、平然とそれらの魔導具を触るアプロディタ様のせいで、忘れていた。手袋着けなければ、普通は死んでしまう。真っ赤な手袋を両手に填め、先ずはネックレスを手に取り、アプロディタ様の首の後ろでフックを掛けると、その美しい金色の髪を持ち上げ、チェーンの外へと出す。

「いかがですか?」

「これは調節不要だな。次を頼む。」

 それから、ティアラやイヤリングなどの調節が不要なものを先に身体へ装着していくと、徐々に光が薄くなっていく。一つで致死レベルの魔導具をもう既に四つも着けても全く、弱った様子は微塵もない。だが、その威力を身をもって知る私からしたら、恐ろしくて仕方ない。あと一つ着けたら突然死んじゃうじゃないだろうか、という不安なイメージが搔き立てられる。

「どうした?早くせぬか。」

 そんな私の心配など知らぬ、と言わんばかりに、次の魔導具を要求してくる。

「本当に大丈夫ですか…その…」

「全く問題ない。まだまだ収まっておらぬではないか。」

 薄くなったとはいえ、今なお燦燦と輝く光を放っているアプロディタ様。本当に、なにか世界の異常で生まれたとしか思えない程の魔力量だ。 


 結局、依頼された十二個全てを装着しても、アプロディタ様は全然平気でヘッチャラだった。

「まあ、こんなものか。」

 己の放つ光を見て、アプロディタ様がそう言う。十二個の魔導具を着けてなお、薄っすらと光を纏った様にぼんやりと光っているが、眩しくはない。例えるなら、消えかけの蛍の光。

「うむ、伊達にあの頑固親父の下で四年も生活していられるだけはあるな。十歳の小娘だと考えれば、良い腕だ。」

「はぁ、ありがとうございます。」

 褒めてもらえるのは有難いけど、調整の為に、凄く集中力を使ったので、気力がすっかり削げた。手袋を外し、鞄にしまう。

「さて、代金だが…」

 え、お金!有難いお言葉に、アプロディタ様の方を見る。なんというか、衝撃の光景だった。

 アプロディタ様の右腕が、肘から先が無くなっている。

「ぎゃーっ!!」

 ショッキングな光景に思わず悲鳴を上げる。え、なんで皆平然としてるの!?大事件が目の前で発生してるんだけど!?

「おい、突然叫ぶな。驚いたではないか。」

 かく言う本人が一番平然としている。

「だって…」

「全く、本当に、よく分からぬ小娘だ。ほれ、受け取れ。」

 そう言うと、右肘を曲げる仕草と共に、消えていた腕の部分が表れ、手には革袋を手にしている。

「いや…えっ!?なんですか今の!?」

 え?なに?手品なの?

「今の?…ああ、これか。これはお前の鞄と同じ仕組みをここに作っただけだ。こうしておけば、我にしか開けられぬし、盗まれたり、無くす心配もない。便利だろう。」

 何もないところに空間魔法で別空間の収納スペースを作ったと…確かに便利だけど。

「いやいやいや…おかしいでしょう!?なんでそんな意味が分からない事が出来るんですか!?空間魔法ってそんな使い方じゃないでしょ!?」

 そんな無茶苦茶が許されるの?

「あら、全くの無知って訳じゃないのね。」

 ヤニーナ様が、私の反応に対してそんな評価を下す。

「そりゃ、これでも職人の端くれですから。」

 信じられない程の金額で取引される空間魔法の収納魔導具。これを作れる様になれば、借金はあっという間に返済出来る。なので、私の目標のひとつとなっている為、当然、それについてはそれなりに自分で調べた。

「職人が扱う魔法と、ローディが使う魔法は根本から違うのよ。確か、収納魔導具を作る場合、空間魔法を素材に流し込んで別空間を構築し、その空間への入口を固定するのよね。」

「はい、そうです。でも、アプロディタ様がしていたのは…」

 あくまで私の仮定だが、あれは…

「そう、ローディの場合、別空間を構築するのは同じ、だけど毎度空間と空間を繋げているのよ。」

 やっぱりそうなのか…空間を構築し、自身の魔力だけでその空間を維持し続けて、且つ、その空間へと繋ぐ為の空間魔法を同時に展開出来るということ。

「それって、極論言うと、別空間に自分を移すことも出来ますよね。」

「極論っていうか…」

 ヤニーナ様がアプロディタ様の方を見る。

「出来るぞ。」

 アプロディタ様がそう言うと、ズモモ、とアプロディタ様の椅子の下、床が少し歪んで見える。そして、椅子ごと姿を消す。

「すみません、脳が処理出来る範疇を越えて、頭が痛くなってきました。」

「あら、奇遇ね。私もローディと初めて会った時には頭が痛くなったわ。」

 規格外とかそういうチャチなレベルじゃないよ、この人。

「随分な言われようだが、理論上可能なのだ、出来ても問題なかろう。」

 音もなく、私の後ろに出現するアプロディタ様。

「理論上は可能でも、実現は不可能とされていたのよ。どうやったって魔力量が足りないから。」

 ヤニーナ様の言う通りだ。それが出来るだけの莫大な、無尽蔵の魔力と、魔力が消費されない特殊体質が相まって初めて可能な事で、後にも先にも、アプロディタ様以外は出来ないと思う。

「まあ、出来てもあまり意味はないぞ。なんせ、目視可能な範囲までしか移動出来ぬし、速度も普通に歩いた方が速いからな。」

 アプロディタ様はそう言いながら、椅子を片手で持ち上げ、元の位置へと戻す。確かに、普通に移動した方が速い。

「所詮、空間魔法など収納に便利な魔法の一つでしかないのだ。その希少性と利便性で、実情以上に持ち上げられているだけだ。」

 そう言って、テーブルに置いたままとなっていた革袋を掴み、私に握らせる。ずっしりと革袋の重みが伝わる。

「代金は金貨十五万、そのまま借金の返済に充てる。残りの返済額は金貨八百七十万、端数は切り捨ててやる。これは幼き身でありながら、ここまで来た駄賃だ。受け取っておけ。」

「あ、ありがとうございます。」

 サラッと言われたけど、我が家の借金凄いな。一般家庭の生涯収入の百倍以上あるぞ。本気で収納魔導具を作れるようにならないと、返済は不可能だろう。


 仕事を終えた私に、クレメンチーナさんが紅茶を入れてくれる。コーヒーで痛い目を見た私の為に、砂糖とミルクも用意してくれており、それも有り難く頂く。

 アプロディタ様はアルコール濃度の高い、ヴォートカを、ヤニーナ様はコーヒーを飲みながら、二人でグスタール様の手紙の内容に対して論議している。節々で聞こえるツーカ?という言葉や、様々な知らない難しい言葉が飛び交い、全く理解出来ない。

 紅茶を飲み終わり、少し手持ち無沙汰になると、眠気が徐々に襲ってくる。時計を見れば十時を回っている。普段ならとっくに寝ている時間だ。うつらうつらと私が見えたのか、アプロディタ様がクスリと笑う。

「おっと、子供は寝る時間になっていたか。つまらぬ話に付き合わせて悪かったな。誰か、部屋に連れていってやれ。」

 アプロディタ様の声で、一人の侍女さんが私の側に来る。

「リリー様、ご案内致します。」

「ありがとうございます。」

 侍女さんにお礼を言い、

「お先に失礼します。おやすみなさい。」

 アプロディタ様たちに一礼する。

「ああ、おやすみ。今日はゆっくりと休め。」

 優しい目で、小さく手を振るアプロディタ様に、なんだか妙に安らぎを覚えた。ヤニーナ様は煙草吸いながらグスタール様の手紙を読み返しており、こちらを見ようともしない。私への接し方に差があり過ぎる。


 侍女さんの誘導で、部屋に案内される。

 部屋の中央には、二人掛けのソファーが二つに、その二つの間に置かれたテーブル。部屋の奥側には、大きめの机もあるし、洗面台や大きな姿見もあり、部屋というより、ちょっとした家だ。

 侍女さんが持ってきた寝間着へと着替え、天蓋の付いたベットに横たわる。

「夢みたい…」

 素敵なお風呂に入り、美味しい物をお腹いっぱい食べて、ふかふかのベットで眠る。なんと贅沢で、夢のような時間だったのだろう。あれ程行くのが不安で仕方なかったシャンバルで、こんな体験が出来るなんて、出発前には想像すら出来なかった。

 親父が言っていた『最高の経験』って、これの事だったのか。確かに、もう一生味わえない様な贅沢を味わえたし、確かに、『最高の経験』だ。

「楽しかったなぁ…」

 夕食の味を思い出すだけでも、幸福な気分になり、ふふふ、と自然と笑いが零れる。

「明日の朝食はなんだろう?」

 そんな呟きが無意識に漏れ、ヤニーナ様に食い意地が張っていると言われても、仕方ないなと我ながら思う。

 朝食のメニューを想像してるうちに、瞼が閉じていた。




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「相変わらず内容は愚痴ばかりだな。」

「そうでもないわよ、中々興味深いのもあるわよ。」

 念願の魔導具を身に着け、煩わしかった光から解放された我は、グスタール兄上からの手紙をヤーニャと読んでいた。

「ようやく我らがルユブル王国にも紙幣が導入されるのよ。他国にはだいぶ遅れを取ったけど、これで少しは私の提言も受け入れられるかもしれないわ。」

 グスタール兄上からの手紙には、他国への留学や、周遊経験のある貴族たちからの要望に、王都で宰相の職にあるミハイル兄上からの進言もあり、近々紙幣の導入が開始されると書かれていた。

 以前から紙幣導入に積極的に賛成していたヤーニャにとっては朗報である。もっとも、彼女の考えている貨幣システムとは異なるが、大きな一歩といえるだろう。

「金本位制ではない、別の通貨体制だったな。正直、私もヤーニャの理論はあまり理解出来んぞ。」

 金本位制、紙幣に金何gという決まった価値を持たせることで、ただの紙切れに価値を付与するシステム。しかし、以前彼女に聞かされた、彼女の思い描くシステムは、それとは違っている。

「そんなことはないわ、私が言っていることは簡単なことよ。そもそも、ここルユブル王国で流通している貨幣は金貨と銀貨、そして銅貨。じゃあ、何故金貨が一番高価なのかしら?」

「それは、金が古代より貴金属としての価値が高かったことと、加工のしやすさだろう。」

 輝く黄金には、不思議と価値があると納得させる存在感がある。だからこそ古代より価値のある物とされていたのだろう。

「そうね、金には古来より価値があるとされてきた。そういう信頼があったの。でも今は逆、信頼があるから、金には価値があるのよ。その信頼をもって、無価値な紙切れに黄金の価値を与えるのが金本位制。」

 そこまでは理解出来る。

「でも、おかしいと思わないかしら?何故黄金にしか価値がないの?価値なんて、時代によって、評価によって簡単に揺らぐものよ。かつては無価値とされた芸術品が、古いというだけで評価されたり、逆に、少し前までは流行として、入手するのさえ困難で、法外な価格で裏取引された品が流行の終結と共に無価値になることもあるわ。そんな中でも価値が下がらないのは貴金属や宝石の類ね。だから価値がある。」

「ああ、だからこその金本位制だろう?国家の保有する金に応じて貨幣を発行する。金と交換が可能で、価値を保障されているから他国で浸透したのだろう。」

 金貨などの硬貨は、見ただけで価値が分かるという利点の反面、持ち運びが不便という難点がある。場所を取り、その重みも面倒である。だからこそ、収納魔導具が価値を持つ一因でもある。

「じゃあ、金が流出してしまった場合はどうするの?金の保有量に応じた量の紙幣しか発行出来ないなら、金の量がそのまま国家の力となるわ。そうなれば、金を確保出来ない小国は全て経済崩壊を迎えるわよ。」

「金を増やそうにも、そもそもの国力が無いということか?」

「まあ、概ねそういうことよ。でも、それだけじゃないわ。交易で他国との貨幣のやり取りが発生するわよね。例えばこのドドル王国の主な交易品は魔石という高価なもので、莫大な利益を上げているわ。その反面、作物は輸入しているわよね。ただでさえ不足がちな作物が不作の年は交易は大赤字になるわ。そうなった時、交易赤字はそのまま金の保有量の減少を意味するわよ。兌換紙幣は確かに、信頼出来るけど、結局は現状と何も変わらないのよ。国内の金が減れば経済規模が縮小するし、金の量には限りがある、そんな状況になれば、一度傾いた経済を建て直すのは困難で、大国有利で小国不利な制度なのよ。」

 言いたいことはなんとなく分かる。

「しかし、それは現状も同じではないか。紙幣を導入せずに金貨を使用しているのだ。だったら利便性で勝る紙幣の方がいいだろう。」

 それは当然のこと、間違っている筈がない。しかし、その言葉を待っていたと言わんばかりに、ヤーニャの口角が上がる。

「ええ、そうよ。今よりはましになる。だけど、それだけ。私の考えているのは、不兌換紙幣よ。金の保有量に関わらず、国家や国王の威信や信用を、つまり、貨幣の価値そのものを担保にするのよ。そうすれば紙幣の発行に制限が無くなるし、金によるパワーバランスは無意味になるわ。」

「そこだ、そこが全く理解出来ぬ。担保がない貨幣は無価値であるのに、無価値な貨幣の価値を担保にして価値を生み出すというのは、完全におかしいのではないか。それで信用出来るのか?出来ないだろう。」

 国家も、国王も、容易に揺らぐ。一度の戦争で消滅する国家も、疲弊する国家もある。そんな情勢において無価値を担保に価値を生み出せるだろうか。

「そこが難点ね。でも、全ての国家が、全ての国の貨幣、つまり通貨を保有している。お互いにその通貨を担保に自国の通貨に価値をもたせたら、無価値な紙切れも、あっという間に価値を持つのよ。どこかひとつでも無価値になれば、連鎖的に全てが無価値になる。そうなれば、必死にその無価値なものを信用するしかないじゃないかしら。ローディも嫌と言う程知ってるでしょうけど、国政は、一部の貴族と王族、そして大金持ちが行っているのよ。全員が富裕層。彼らは自分の利益と財産を守る為なら、国も魂も、容易に売ることが出来る奴しかいないのよ。そして、自国通貨を管理するのは彼ら。そんな奴らが持ってる財産が、全て無価値になるなんて許せるかしら?無理でしょう?だから、死に物狂いでそれを守ろうとするわ。各国で通貨を管理するシステムは、一度成立してしまえば、崩壊し辛いと思うのよ。」

「逆に言えば、ひとつでも綻べば、全て共倒れか。」

 何事にも、メリットとデメリットがある。

「ええ、でも、誰だって不利益を被りたくはない。だから協力もするし、安定を求める。紙切れの価値を守る為に戦争は減るし、経済が中心となってパワーバランスが決まる。血の代わりに、無価値な紙切れを垂れ流す。醜い世界だけど、一番平和な世界よ。」

 どこかしらで戦争が起こり、その連鎖が終わらないこの世が平和になることなどあるのだろうか?

「血を流す戦争は終わっても、それでは紙切れで財産を奪い合う戦争となるだけだな。」

「それはどうしようもないわよ。人は他人から奪うことでしか生きられない、歴史がそれを証明しているでしょう。だったら、血が流れずに、理不尽な死が多発する戦争よりも、醜く、誇りも英雄も無い戦争の方がマシなんじゃないかしら。」

 そう言って、ヤーニャは煙草を咥え、煙を吐き出す。言わんとしていることは分かる。人の歴史の本質は、同じことの繰り返しだ。制度や体制の変化は数あれど、結局やること、起こる結末はいつだって同じ。

 そんな結末を、少しでも変え、歴史に抗うというのは面白いかもしれぬが…

「それは、私たちが生きている内に実現出来るのか?」

 現状、その理論を理解し、受け入れることが出来る者がどれ程いるというのか。こうやって説明を受けて猶、理解出来ているかと聞かれたら自信がない。貴族として高い水準の教育を受けた我でさえこうなのだ。大衆の理解が得られることはない。

「さあ、可能であればそうなった世界を見てみたいけど、現状では無理でしょうね。だからといって諦め気は無いわ。あくまでそれは私が学者として考える世界。人の欲は想像を越えてくるもの。明日にも想像以上の奇想天外な未来になることだってあり得るのよ。」

 ヤーニャは、短くなった煙草を灰皿に押し付けながらそう言う。

「どの様な未来であっても、完全な平和はないのだな。」

 人の欲を我は否定しない。人は欲によって進化するし、文化を発展させてきた。欲の無い世界は停滞し、淀む。


 グラスに注がれた酒を煽る。強いアルコールが喉を刺激し、それが心地よい。

 時計を見れば十時を回っている。随分と話し込んでいた様だ。ソファーの隅で、うつらうつらと船を漕ぐ少女の姿。その小さな頭が揺れる度に、大きなツインテールも一緒に揺れる。そんな姿に自然と笑みが溢れる。

「おっと、子供は寝る時間になっていたか。つまらぬ話に付き合わせて悪かったな。誰か、部屋に連れていってやれ。」

 子どもは可能性の固まりだ。己の向き不向きさえ知れば、無限に才能を伸ばす可能性があり得る。この少女は、己の才能を最高の師によって開花させようとしている。

 間違いなく、彼女の養父と同等か、それ以上の職人になるだろう。

 普通の職人の娘ならばそれでいい。己の腕を磨くだけの日々を送れば十分だっただろう。しかし、彼女は職人であり、一応貴族なのだ。

 それだというのに、貴族としての最低限の教育さえ受けていない。流石にそれは不味い。不要な攻撃を受ける理由を不特定多数に与える口実となってしまう。

 

 欲しい。この少女を我がものにしたい。才能のある者を見ると出る我の悪い癖だが、安定的にこの魔導具を供給出来る存在を囲っておく必要もある。

 なんとしても欲しい。そうは思うが、理性は正常に働く。欲するままに奪うことはしない。本人の意思も分からぬからな。

「お先に失礼します。おやすみなさい。」

 小娘が閉じかかった瞼で一礼する。 

「ああ、おやすみ。今日はゆっくりと休め。」

 まだ多少時間はある。我がものに出来ずとも、多額の借金を立て替えているし、手懐けることは出来るだろう。

 

「随分と気に入ったみたいね。」

 呆れた様に煙草に火を点けながらヤーニャが言う。

「ああ、我はあの小娘が欲しい。」

 彼女に対して、己の気持ちを偽る必要はない。

「私の時にもそう言ってたわよ。女神様は浮気者ですこと。」

 少し不機嫌そうに言うヤーニャ。

「ヤーニャとクレメンチーナは我の特別だ。お前たちがいなければ、我は生きて行けぬ。多少の移り気程度は赦してもらうぞ。」

 ヤーニャがいなければ、仕事は停滞するし、クレメンチーナがいなければ、我は日常を送ることさえ困難となる。

「貴女は他人に依存し過ぎているわ。その気になれば自分一人で全部出来る癖に。」

「依存は繋がりだ。我という存在を証明する大切な繋がりだ。忘れられたくない、共に生きたいと思えるから依存するのだ。」

「その繋がりに、リリーも加えるつもりかしら。」

 煙を吐きながら、ヤーニャが言う。

「そうなりたいとは思う。…嫌か?」

「別に構わないわ。貴女が決めることだし、私も新しいおもちゃが手に入るわけだから。なんなら私がリリーに命令しましょうか?今のあの子は私に逆らえないし。」

 ヤーニャめ、また何かしたな。そういう手回しは本当に素早いな。

「アレは我の獲物、手出しは不要だ。」

 

「ところで、あの頑固親父からの手紙はなんなの?まさか恋文かしら?そうだったら、最高の娯楽を提供してくれたお礼を用意しなければならないわ。」

 愉快そうに口角を上げるヤーニャ。

「一番あり得ぬな。大方、小娘の為に借金帳消しにしろとかだろう。」

「それも大概無礼ね。普通の貴族相手なら、とっくに死んでるわよ、あの親父。」

 国王相手であっても己の信念を曲げない頑固者だからな。

「とりあえず、読んでみるか。」

 がさつな文字が並ぶそれを広げた。


「渡りに船というのか、まさか利害が一致するとはな。」

「私としては、あの貧乏くさい頑固者に、ここまで考える頭があったことが驚きだわ。」

 こちらにとっては都合の良い申し出ではあるが、予想外の内容に、二人で少し困惑する。

「彼も親になったということでしょう。養子とはいえ、その将来を守ってやりたいという、親の心理でしょう。親になったことのないお二人には、分からないかもしれませんが。」

 クレメンチーナの言葉に、二人で苦い顔をする。結婚したもの、一瞬で離婚したヤーニャと、そもそも結婚さえ出来ていない我には、耳の痛い言葉だ。

「まあ、いいわ。こちらには好都合よ。幸いにして、ここには必要な物も人も全て揃っている。あとは彼女の意思だけよ。」

「とりあえず、旨いものでも食わせて心を掴むか。」

 あれだけやせ細っているのに、大食らいだった少女。案外、安定した食事の提供という条件程度で釣れるのではないだろうか。

「まあ、正直なところ、あの子にとっても良い話な訳だし、誰も損しない稀有な事よ。力技で引きずり込んでも、最終的にはあの子も感謝するんじゃないかしら。」

 ヤーニャの言う通り、あの小娘にとってもメリットが大きい。ならば、下らぬ小技も不要とも言える。

「まあ、とりあえず、明日の朝食は少し豪勢にしよう。朝食後、小娘を我の部屋へ呼べ。」

「畏まりました。」

 クレメンチーナの返事を聞き、酒を煽る。愉快な気持ちを、仕事モード切り替えた。


「それと、ミアを呼んでおけ。聞きたいことがある。」

 ドドル王国で起こっていることが、最近、頻繫に耳に入ってきている。それを確かめる必要を嫌と言う程感じていた。噂が事実であれば、最悪の事態を想定しなければならない。


 四年、戦後からたった四年で、仮初の平和は終焉を迎えることになるのだろうか。



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