第9話 脅迫とお風呂

 絢爛豪華な天井、目を開けて初めに入ってきたのはそれだった。

 ここは…窒息死しかけて気を失っていたのだと、ぼんやりとした頭で朧気に思い出す。そうだ、憎たらしい程大きな胸に押しつぶされて…最近なんか気を失うことが多いなぁ。

「あら、起きたわね。思っていたよりも早いけど、まあ、いいわ。」

 向かい側のソファーに腰掛け、お上品に読書している女性から声を掛けられる。えーっと、確かヤニーナさんだったけ。明るい茶髪の小柄で瘦せた、気怠そうな女性。年齢はアンナさんと同じ位に見える。

「えっと、ここは…」

「ローデ…失礼、アプロディタの自室よ。部屋の主は寝室でお説教中だけど。」

 今、ローディって愛称で呼ぼうとしてたし、呼び捨てってことは、この人はアプロディタ様と然程身分の違いがなく、且つ親しい間柄ということだろう。

「さて、自己紹介がまだだったわね。」

 そう言って、本をパタンと閉じ、チラリとこちらに気怠そうな目で目配せする。彼女の振る舞いや言葉から、それなりの地位にある人だと察する。少なくとも、貴族のご令嬢。もしかしたらエルドグリース家には劣るが、それなりの大貴族の可能性も十分にあり得る。

「リリーヤ・ペチェノです。」

 こういう場合、立場の低い方が先に名乗るのがマナーだ。さっきの目配せも、そういう意味なのだろう。

「ヤニーナ・ルキヤノヴナ・トロツカヤよ。一応、トロツカヤ伯爵家の分家、その家長だから、爵位は子爵。まあ、家名はあんまり好きじゃないから、呼ばないでくれるかしら。」

「はぁ。」

 ご令嬢じゃなくて、家長さんでした。まだ若いのに、もう家督を継いでるなんて、よっぽど凄いのか、それとも身内に不幸があったのか、あまり聞くのは憚れる。とりあえず、お呼びするときは、様を付けないと。

「少しだけ確認するわ。貴女の事はある程度調べてあるけど、顔を見るのは初めてな訳だし、万が一、別人がなりすましている可能性が捨てきれないのよ。悪いとは思うけどいいかしら。」

「は、はい。分かりました。子爵様。」

 私の返事を聞き、気怠そうな目が少しだけ光る。

「協力、感謝するわ。それと、別にヤニーナかルキヤノヴナでいいわよ。それじゃあ、始めるわね。」


「リリーヤ・ペチェノ、旧姓シレンコ。十一月三日生まれ。エルドグリース領キジ港から南西に約30kmに位置するコペイク島の農家に生まれる。父・母・兄が二人。六歳まで同島で生活し、エルドグリース領ヴィドノに住む魔導具職人で貴族のバンク・ペチェノの養子となる。…ここまでは間違いないわね。」

「はい。ところで、これになんの意味が…」

「ここまでは情報の整理、誰でも貴女を知っていたり、調べれば分かる程度の情報よ。さあ、ここからは貴女しか知らない様な事を確認していくわ、こちらの質問に答えて。」

「分かりました。」

「じゃあ先ずは、貴女の両親はなんの作物を育てていたかしら?」

 簡単だ。

「麦とキャベツ、あと玉葱です。こんなことも調べてるんですね。」

「ええ、そうよ。正解ね。それじゃあ次の質問よ。

 あれ、なんで悪い笑みを浮かべているんですか?

「コペイク島での生活をしていた頃、貴女の兄たちから貴女が呼ばれていた渾名はなにかしら?」

 ドッ、と冷や汗が噴き出る。

「ははは、なんでしょう。忘れちゃいました。」

 おい待て、なんで…

「あら、噓は駄目よ。モチィーチでしょ。」

「うぎゃーっ!!やめろーっ!!」

 やめろ、マジでやめろよぉ…

「あら、やっぱり噓だったのね。覚えているじゃない。困るわ。噓を吐かれたら確認出来ないじゃない。」

「なんで、なんで知ってるんですか!!」

「なんでって、調べたからよ。さて、その渾名の理由なんだけど、五歳過ぎてもオシメが取れず、取れた後も暫くおねしょしてたからで間違いないかしら?」

「ああぁぁぁぁーっ!」

 恥ずかしさと、過去の己の痴態を思い出して床をゴロゴロと転がる。やめろぉ、思い出させるなぁ。因みに、モチィーチとは浸すという意味で、おねしょでシーツを水で浸すからそう呼ばれることとなった。

「さて、次の質問よ。島で隣の家に住んでいた…」

「いっそ殺せぇーっ!」

 なんなのこの質問、何故私の消したい過去ばかりピンポイントで突いてくるの!?

「はぁ、まだ質問の途中よ。隣のお兄さんが怪我した時にハンカチの代わりにパンツを渡したんでしょう?あら、違ったかしら?」

「やめて、やめて下さい。本当にお願いします。何でも言う事聞きますから。だからもう、やめて…」

 これ以上は私の精神がもたない。さっきまであんなにも死にたくなかったのに、今は凄く死にたい。

「何でも、ね。その言葉、覚えておきなさいよ。」

 ニッコリと邪悪な笑みを浮かべて満足そうに頷く悪魔がいた。


「さて、言質も取れたことだし、そこそこ楽しめたからもういいわよ。やめてあげる。」

 言質?楽しめた?

「最初からそれが狙いだったんですか!?ふざけんなぁ!」

「黙りなさい、モチィーチ。そんなに興奮して、床を濡らしてしまうわ。」

「うがーーーっ!やめろぉっ!」

 誰がこの悪魔に私の消したい過去を伝えたんだ…お兄ちゃんか!?今度会うことがあったら、気が済むまで殴ってやる。

「さあ、大人しく私に従いなさい。そうすれば、これは私の中だけで留めておいてあげるから。」

 悪魔との取引。そうとしか思えなかった。

「従うって、どの程度ですか?寝首を搔くのはオッケーですよね?」

 この人は信用出来ないし、許せない。寝首を搔くとまでは言わなくても、その記憶を消す程度には殴らなければ。

「何故それがオッケーだと思うのかしら?そんなに酷いものじゃないわよ。私の命令には必ず従うこと。それ以外は自由よ。そもそも、貴女と私では身分が違うのよ。こんな弱みを握らなくても、貴女は私に従わなければならない筈よ。」

「なら、なんでこんなことするんですか…?」

 私に何かさせたいのなら、こんな嫌がらせをせずとも命令すればいいだけだ。まあ、場合によっては断るから、そういう保障だろうか?なら、私は断りたくなるような事をやらされるということなのだろうか?

「なんで、ねぇ…色んな理由はあるけど、一番は暇つぶしよ。羞恥に悶え苦しむ姿は、中々愉快だったわよ。」

「ヤニーナ様、絶対に碌な死に方しませんよ。」

 怒るかな、言った後に気付く。

「ふふ、そんなこと、物心つく前から分かっているわよ。」

 可愛らしく、小悪魔的に笑うヤニーナ様、その笑顔の後ろにはどす黒い邪悪なオーラが見え気がする。


「随分と騒がしかったが、何かしていたのか?」

 部屋の奥、そこにある扉からアプロディタ様が出てくる。あそこが寝室になってるんだ。その扉以外にも、複数のの扉がある。この部屋だけでも我が家よりも遥かに大きいというのに、他にも部屋があるとか…

「この子と少し遊んでいたのよ。お陰で、すっかり仲良しよ。ねぇ、モ、リリー。」

 そう言って、私に悪魔の笑みを向けるヤニーナ様。おい、いまモチィーチって言おうとしただろ。なにが私の中で留めておくだ、もう外に出ようとしてんじゃん。脅迫すんな!

「はい、ヤニーナ様大好きです。」

 死んだ目で、そう言う。

「そうか、それは良かった。さて…」

 そう言って、私の前に来るアプロディタ様。

「えっと…」

 何か言わなければいけないのかな?そう思い何か言葉をひねり出そうとしていた。

「我が横暴過ぎた。怖い思いをさせ、済まなかった。」

 深々と頭を下げるアプロディタ様。私よりも遥かに身分が高く、名声を得ている人が頭を下げている。

「わっ…お、おやめください!そんな、もう大丈夫です。本当に大丈夫ですから。」

 あの時は本当に腹が立ったし、死ぬ、いや、死んだと思ったし、怖かった。でも、そんな気は無かったんだというのは、私を窒息させた時に分かったことだし、あんまりこれを引きずって、心象が悪くなるのは避けたい。なんてったって、我が家の借金を肩代わりしてくれてる人であり、今回の依頼人なのだから。

「本当に済まなかった。これからお互いの信頼を高める為、裸の付き合いといこうではないか。」

「???」

 裸の付き合い?

「お嬢様、それでは伝わりません。ペチェノ様、これからお嬢様はご入浴されます。それにお付き合い頂けませんか?」

 クレメンチーナさんがそう翻訳してくれる。成程、お風呂か。長い旅路では、体をぬるま湯で拭くだけだったし、有難い。

「はい、喜んで!あと、リリーでいいです。そっちの方が呼ばれ慣れてるので。」

 こんな立派なお屋敷だから、きっと凄いお風呂なんだろうなぁ。

「畏まりました。リリー様、お着替えはお持ちでしょうか?」

「はい、少し待って下さい。」

 ゴソゴソと鞄を漁り、着替えを取り出す。…ヤバい、こんなボロボロの服をこんな空間で着ていいのだろうか。

「これは酷いわね。」

 私の取り出した衣類を見て、ヤニーナ様が容赦ない評価を下す。仕方ないでしょ、貧乏なんだから。

「お嬢様、お嬢様の子供の頃の服をお持ちしても宜しいでしょうか?」

「ああ、構わん。どうせ我はもう着れぬからな。」

 アプロディタ様を最初は怖いと思っていたけど、そんなことはない、クレメンチーナさんも優しい人みたいだ。

 クレメンチーナさんが、サッ、と素早く私の体を測る。

「お嬢様が五歳頃の服ですね…先に浴室へお向かい下さい。こちらで用意致しておきます。」

 そう言って、侍女たちを部屋に招集し、指示を出している。五歳…アプロディタ様をチラリと見る。光り輝く姿、美しい透き通るような金髪に、恐ろしく整った顔。抜群のスタイル。身長は親父よりも少し高い位。女性としては、かなりの高身長だ。うん、比較対象が悪いだけだ。

 そう自分に言い聞かせた。


 お風呂、私たちの様な一般市民(一応貴族だけど)にとってのお風呂とは、大衆浴場のことだ。一回銅貨三枚で入れる浴場は、バーニャと呼ばれるもので、蒸し風呂のことだ。密閉された浴場には石組みの竈があり、その中の焼き石を取り出し、冷水の入った水桶にそれを浸ける。そうやって発生した水蒸気を浴びながら体をタオルなんかで叩き、身体の汚れを浮し、最後に水で洗い流す。洗い流すというより冷水に飛び込む。それが私にとってのお風呂だ。

「わぁ…」

 一方、このお屋敷のお風呂は凄かった。脱衣場から透明なガラス越しに見える浴場には、広々とした浴槽に惜しげもなくお湯が張られている。しかも、浴槽も一つだけではない。花の浮かんだ浴槽、果実の浮かんだ浴槽、真っ白い水の浴槽、必要なのか分からない数々の大理石の彫刻品。とりあえず、凄かった。

「あら、今日はミルク風呂まであるのね。」

「客が多いからな。折角大浴場を使うのなら、存分に味わうべきだろう。」

 平然と会話する二人に、ああ、住む世界が違うんだなぁ、と実感する。

「早く、早く入りましょう!」

 想像さえ出来ない様な贅沢を目の前に、妙にテンションが上がった私は、二人を急かす。

「そう慌てるな。まだ服を着たままではないか。」

 アプロディタ様に指摘され、慌てて服を脱ごうとしたら、侍女さんたちに服を脱がせて貰っている二人が見える。あー、なんか本で読んだことがあったっけ。身分の高い人は、極力自分の身の回りのことはしないんだっけ。と思っていると、侍女さんたちは私の方へやって来て、同様に脱がされる。

「わー、自分で出来ますから!」

 そんな私の言葉は聞き入れられず、あっという間に丸裸にされてしまった。

 

 なんだろう、この劣等感は…

 さっきまでのテンションは何処へやら、悲しい格差社会、その現実に打ちひしがれる。

「なんだ、先程まであれだけ浮かれておったのに、どうした?」

 目の前でブルンと大きな双丘が揺れる。そりゃ分かってたけどさ、衣類という締め付けから解放されたアプロディタ様は、そりゃもう凄かった。発育不良な私からしたら、その存在だけで劣等感に苛まれる。ずっと光っているし、本当は女神様って言われたら信じちゃうよね。…てか、なんでこの人ずっと光ってるんだろう?正直眩しいんだけど。

 しかし、こんな凄い身体を見せつけられたら、情けない貧相な自分の身体を隠したくなる。

「浮き沈みの激しい子ね。」

 あ、仲間がいた。アプロディタ様の後ろから現れたヤニーナ様を見て、少し安心する。

「リリー、貴女失礼な事を考えなかったかしら?」

 邪悪な微笑みを浮かべたヤニーナ様。

「いいえ、とんでもないです。ただ、アプロディタ様は凄く綺麗だな、って思っていただけです。」

「我か?当然であろう。我は美しいからな。」

 おお、躊躇なくそう言えるのは、本当凄い。普通恥ずかしくて言えないでしょ。

「全く、ヤーニャも小娘も、もう少し食え。瘦せすぎだ。」

 いや、私は食べたくても食べれなかったんですけど。しかし、アプロディタ様もヤニーナ様を愛称で呼ぶってことは、二人はかなり親しい友人ということなんだろう。

「食べてるわよ。ただ量が入らないのと、嫌いなものばっかりなのよ。」

 なんと贅沢な悩みだろう。

「ヤニーナ様のお嫌いな食べ物ってなんですか?」

 アプロディタ様にコソコソと耳打ちする。いつか復讐する為、情報はあった方がいい。

「ヤーニャの嫌いな食べ物か、先ず肉類は全部駄目だ。魚も駄目だな。後、芋、玉葱、ネギ、人参、キャベツ…」

「すみません、逆に何なら食べれるんですか?」

 予想以上の好き嫌いの激しさに質問を変える。アプロディタ様は少し考え、

「トマト…」

「ちょっと待ってください。トマトだけですか!?」

「失礼ね、コーヒーも紅茶も好きよ。」

 聞こえていたのか…口を挟んできたヤニーナ様。いや、それ食べ物じゃない。

「ああ、そうだ。煙草。」

 思い出した様にアプロディタ様が言う。

「それも食べ物じゃない!」

「煙草と紅茶、煙草とコーヒー、この組み合わせに時折トマトを食べればそれで十分よ。」

 この人、本当に大丈夫なんだろうか?復讐する前に死んでるんじゃないだろうか… 

「それに、偉そうに言うけど、ローディだって食べ物の好き嫌い、酷いでしょ。」

「それでも、ヤーニャ程ではない。」

 くだらない意地の張り合いをする二人。私からしたら、どっちもどっちだ。好き嫌い出来るってだけでも贅沢なんだよね。食うに困る日々を送る私からしたら、好き嫌いなんて言ってる余裕はない。実際、養子入り前は嫌いだった物も、今では美味しく食べれる様になった。空腹は最高の調味料と言うけど、常に空腹の私には、全てが絶品の料理になる。


「随分と残念な会話をされておりますが、どちらも大概ですよ。」

 遅れてやってきたクレメンチーナさんが、呆れた様に言う。その手には、なんだかとても上質で、高級感の溢れるドレスを抱えている。

「我の方がマシだ。」

 それでも意地を張るアプロディタ様。

「そうでした、リリー様。食べられない物があれば、教えて下さい。厨房に伝えて参りますので。」

 そんなアプロディタ様を無視し、私に質問してくるクレメンチーナさん。

「大丈夫です。嫌いな物も、食べられない物もありません。」

 そっか、お夕飯を頂けるんだ。どんな豪華な食事なんだろう。きっと、想像も出来ない様な豪華で、美味しい料理が並ぶんだろうなぁ。想像するだけで涎が出てくる。

「ご立派ですね。その御歳で好き嫌いが無いなんて。少しはそこの我儘なお嬢様方にも見習って頂きたいものです。」

「そんなの、食い意地が張ってるだけでしょ。意地汚いだけだわ。そもそも、体が受け付けないのに、どうやって食べろというのかしら?」

 プイッと顔を逸らし、ヤニーナ様がそう言うのを聞いて、

「ここまで好き嫌いが治らないというのも、珍しいですよ。普通なら、大人になれば、多少なりとも改善するものなのですがね…」

 クレメンチーナさんは諦めた様に溜息をつく。侍女長も大変なんだなぁ。


「気持ちぃ…」

 これ程の贅沢があるだろうか?何十人も入れそうな浴場を、たった三人で占領し、体がも髪も、丁寧に侍女さんたちに洗っている貰い、その後にはマッサージまでしてくれる。

 毎日、こんな夢のような生活をしているのか…羨ましい限りだ。

 三人でゆったりと湯に浸かる。最初は薔薇の浮かべられた、香りの良い、豪華な湯船。次はどれにしよう。そんな贅沢な悩みを、私が出来る日が来るとは思ってもみなかった。だから、湯船に浸かるわけでもなく、メイド服姿で、浴室で待ち続ける侍女さんたちに申し訳ないと思いつつも、例え逆上せても、全部制覇したいと思うのは当然のことだろう。

「これだけ喜んでくれるなら、誘った甲斐もあるな。」

「そうかしら、あんなにはしゃいで、はしたないわ。」

 色んな浴槽に浸かりに行く私を見て、満足そうなアプロディタ様に対して、辛辣なヤニーナ様。はしたないのは分かっているけど、貴女たちと違って、こんな経験、一生に一度しかないかもしれない私は、どんな風に思われても、はしゃぐ心を抑えきれないのだ。


 全部の浴槽を制覇し、火照った身体を少しぬるめの浴槽で落ち着けていると、お二人もそこへやって来る。

「ようやく落ち着いたようね。全く、これだから子供って嫌いなのよ。」

「まあ、そう言うな。さて、少し話でもするか。何か聞きたいことはあるか?」

 湯に浸かり、ゆったりとしながら、アプロディタ様がそう言ってくる。胸って、浮くんだ…おっと、そうじゃなかった。聞きたいことなんて山ほどあるのだ。

「えっと、なんで光ってるんですか?」

 そう、一番気になって仕方のないことを先ずは聞く。眩しくって仕方ないのだ。

「別に我とて、好き好んで光っているわけではない。魔力が溢れる出て、勝手にこうなるのだ。これでも大分抑えているのだぞ。」

「夜は便利よ。」

「我を灯り代わりにするな。」

 魔力が溢れ出てるって…贅沢だなぁ、少し分けてくれませんか。ってことは、

「だから、あんな物を頼んだんですか?」

 魔力を吸収するなんて、一件必要性を感じない魔導具を依頼したのか。

「そうだ、全く、五年も待たせよって…お陰でシャンバルに引き籠らねばならなかったのだぞ!」

 えぇ…親父何やってんの…そりゃ怒るよ。五年って…

「じゃあ、あれをお渡しすれば、ヴィドノにお戻りになられるんですか?」

 こんな僻地に籠る理由が無くなれば、ヴィドノか、王都、とりあえず都市部へお戻りになる筈だ。

「いや、まだ戻れぬ。あまり戻りたくもないが、何より、こうやって身を隠さねばならぬ理由が他にもあるからな。」

 はぁ、と溜息をつくアプロディタ様。

「しかし、漸くこの煩わしい光から解放される思うと、少しは気が楽になる。」

「なにが気が楽になる、よ。いつだってマイペースじゃない。まあ、その鬱陶しい光が多少なりともマシになるのは、私としても有難いけど。」

 やっぱり、あれを眩しいと思ってたのは、私だけじゃなかったんだ。というより、本人でさえも煩わしく思ってたんだ。初めて見た時は、後光みたいで有難く、尊いものに見えたけど、少し目が慣れてくると、只々眩しいだけだったし。

「他の理由って…もしかして狙われているんですか?」

 家柄、魔力、容姿、あらゆるものが他よりも秀でているアプロディタ様が隠れなければならない理由なんて、やっぱり暗殺とかしか考えられない。もっとも、一番そういうことをやりそうな人が隣にいるけどさ。

「まあ、ある意味狙われているわね。」

 アプロディタ様ではなく、如何にも黒幕って位、お腹の中が真っ黒なヤニーナ様が答える。

「そうだな。まあ、小娘は知らずともよい。…いや、知らない方がよい。」

「そうね、これは意地悪で言ってるんじゃなくて、本当に知らない方がいいことよ。」

 そんな凄い敵に狙われているの!?ゾクリと背中に悪寒が走る。これ以上は聞かない方がいいだろう。


「あ、じゃ、じゃあ、なんでヤニーナ様はここに居るんですか?ご自分の領地は大丈夫なんですか?」

 そう、この人は若いながらも、領主様、子爵としての仕事もある筈だ。

「ああ、別にそれはどうでもいいのよ。定期的に連絡しているし、従順な下僕、間違えたわ。忠実な家臣と姉思いな弟たちがいるから、安心して任せられるのよ。」

「今、下僕って言いましたよね!」

 サラッと言い直してたけど、聞き流せる言葉ではない。

「あら、そんなこと言ったかしら?まあ、どっちでもいいでしょ。それで領地は上手くいってるし、私が戻ると色々と面倒くさいのよ。」

「ヤーニャは、多方面に喧嘩売って回ったせいで、滅茶苦茶嫌われてるからな。」

 それは、なんとなく分かります。

「あら、貴女だって大概よ。未だに結婚すら出来てないじゃない。」

 その言葉に私は驚く、アプロディタ様が結婚なされていないのは知っていたけど、ヤニーナ様が結婚していることに驚きを隠せない。

「ヤニーナ様、結婚なされてたんですか!?」

「どういう意味かしら?」

 だって、絶対、性格的に結婚なんて出来なさそうだもん。とは恐ろしくて言えない。

「ヤーニャは出戻りさんだ。」

「待ちなさい、私があの男を捨てたのよ。勘違いしないで。」

 いや、離婚してんじゃん。

「捨てたも何も、式から一週間も経たずに離婚が許された時点で、ヤーニャが悪いだろう。」

「違うわ、あんな下らない低能男と結婚してあげたんだから、あいつは私に感謝するべきなのよ。それなのに、私に文句を言うなんて、あの男、一生許さないわ…」

 なんか相手の男の人が可哀想に思えてきた。悪魔を押し付けられた挙句、逆恨みされてんだもん。

「ああ、思い出すだけでも腹が立ってきたわ。あの男の領地で一揆でも起きないかしら。」

「止めぬか、先月扇動したばかりだろう。今は国内で争っている場合ではない。」

 最悪のストレス解消法だ…アプロディタ様も、もうちょっとちゃんと止めましょうよ。

 アプロディタ様は、ふぅ、と一息つき。

「さて、他に何かあるか?なければ我が―」

「お嬢様、ご入浴はお終いです。お夕食の時間に間に合いません。」

 アプロディタ様がなにか言おうとしたところで、クレメンチーナさんが入浴時間の終了を告げる。

「えっと、何か言おうと…」

「よい、それは食後に話す。上がるとしよう。」

 ザバン、と湯船から上がるアプロディタ様に続き、私とヤニーナ様も湯船を出る。


「あ、そういえば、魔導具、どうしましょう?」

 侍女さんたちに身体を拭かれながら、ふと思い出す。その光を抑える為に必要なら、急いだ方がいいんじゃ…

「それも食後でよい。五年も待ったのだ。今更数時間待つなど、大したことはない。」

「ええ、なんか、すっかりそれに慣れてしまったわ。」

 本当に、家のバカ親父がすみません。

「さあ、お嬢様、大人しくして下さい。」

「しまった!離せ、コルセットは嫌だ!」

 数人の侍女さんたちに取り押さえられ、コルセットを締め上げられているアプロディタ様。コルセットは、大人の女性の証みたいなもので、まだ子供な私には、そんなに嫌がる理由が分からず、寧ろ少し憧れた。

「リリー様も、お着替え致しましょうね。」

 そんな輪に入らずに私の側にきた小柄な侍女さんが、私を着替えさせる。テキパキと着付けをし、あっという間に完成する。

「とてもお似合いですよ。」

「わぁ…凄い…」

 同世代の女の子なら、皆が一度は憧れる様な、ひらひらとした豪奢なドレスを着せられた私。物語の世界に飛び込んだみたいだ。

 侍女さんが、姿見の前に連れていってくれて、全身を見る。ドレスが凄すぎて、ドレスに着られてる感が凄い…

 鏡を見て、夢の世界は一瞬で醒めた。

「あー、髪乾かさなきゃ…」

 少しでも早く、鏡の前から逃げようと、そんなことを言ってみる。

 女の子なら一度は憧れる、お伽噺のヒロイン、お姫様の様な素敵なドレス。それは物語だから良いのであって、現実では身の丈に合わないことはしない方がいい。惨めになるだけだ。夢は叶わない方が美しいままでいられるのだと、知った時であった。


「結局、その髪型なのね。」

 私の頭を見て、ヤニーナ様がそう言う。豪奢なドレスに身を包んだものの、髪型は相変わらずのでっかいリボンで結んだツインテール。新品の上質な赤いリボンを貰ったので、上機嫌に歩いていると、ツインテールもご機嫌にピョンピョンと揺れる。

「はい、だってお気に入りなんです。駄目ですか?」

 昔、いろんな髪型を試したけど、これが一番しっくりくるのだ。しかし、マナー的によろしくないのなら改める必要がある。

「いえ、別に駄目ではないわよ。子供らしくていいんじゃないかしら。…バカっぽい感じが。」

 酷くないですか?

「ヤーニャ、あまりイジメるな。可愛らしくてよいではないか。」

「アプロディタ様…」

 美人に褒められると、少し嬉しい。

「じゃあ、貴女もしてみたら?あの髪型。」

「断る。」

 即答だった。

「酷いですよ…」

「ああ、違う。我には似合わぬからな。ああいう可愛らしいのは。」

 そういうことですか。ツインテールに纏めた私や、シニヨンにしているヤニーナ様と違い、その長い髪をそのままにしているアプロディタ様。髪型弄ったりしないのかな?折角あんなに綺麗な髪なんだから、いろいろと試してみたらいいのに。

 そんなことを考えていたら、ヤニーナ様が憂鬱そうに溜息をつく。

「どうしたんですか?」

「夕飯を考えたら、憂鬱になっただけよ。」

 あー、とんでもないレベルの偏食家らしいから、豪華な食事が憂鬱になるんだ…

「私は楽しみです。」

 どんな料理が並ぶのか、楽しみで仕方がない。エルドグリースのお屋敷で頂いたお菓子や紅茶のクオリティの高さからして、きっと料理も絶品なのだろう。まあ、グスタール様がご馳走してくれた衛兵所のシンプルな料理も好きだけどね。…グスタール様?

「あーっ!」

「なによ、突然叫ばないで。本当、情緒不安定な子ね。」

「ご、ごめんなさい。…じゃなくて、グスタール様からお手紙を預かってたんでした。」

 すっかり忘れていた。しかし、渡そうにも、鞄が手元にない。アプロディタ様のお部屋に置きっぱなしになってしまっている。

「なんだ、そんなことか。てっきり、もっととんでもないことを忘れていたのかと思ったぞ。そんなもの、食後でよい。」

「え、でも…」

 腹違いとはいえ、お兄さんからの手紙をそんなものって…

「お嬢様、万が一重要な報告が書かれている可能性もあるかと。リリー様、ソファーの上に置かれていた茶色の鞄ですね?」

「は、はい。」

 私の返事を聞き、素早く移動し始めるクレメンチーナさん。

「全く、心配性だな、クレメンチーナは。どうせ、いつもの如く愚痴しか書かれておるまい。」

「グスタール様とはあんまり仲がよろしくないんですか?」

 なんか素っ気ない感じがしたけど、グスタール様はアプロディタ様を愛称で呼ぶくらいだから、仲良いのかと思っていた。

「いや、家族の中では、グスタール兄上が多分一番仲が良い。というより、他の兄上とは険悪とも言えるな。そもそも殆どの兄上が我よりも二回り以上歳が離れているし、家督争いの火種となり得る我を疎ましく思っておるよ。当然、継母たちもな。その点、グスタール兄上は、後継者からは外れているし、お互い、家中では爪弾き者同士だからな。」

「じゃあ、もうちょっと大切にしましょうよ。」

 あんなに素っ気なくしなくてもいいじゃん。

「それと、これとは別だ。グスタール兄上は嫌いではないが、グスタール兄上からの手紙は嫌いなのだ。なんせ、なんの実りもない愚痴ばかりだからな。返事を書く気も失せる。」

 そんなに愚痴ばっかなの…そういや、あの時も愚痴ってたなぁ。

「それでも一応、返事は書くんですね。」

「まあ、そうだな。礼儀でもあるし、要らぬ心配をされたくもないしな。」

 このちょっとの間でも、グスタール様が言っていた様に、アプロディタ様が変わった方だというのはよく分かった。そんな変わった、仲の良い妹をなんやかんやグスタール様は心配しているし、アプロディタ様も同じなのだろう。

「なんか羨ましいです。私は、お兄ちゃんから手紙なんて貰ったことないので。」

「そうね、貴女の兄って、何でもペラペラと話すものね。」

 ヤニーナ様が、私に向かってニッコリと笑い、そう言う。成程、やっぱりお兄ちゃんが喋ったのか…絶対ボコボコにしてやる。


 楽しみな夕食の前に、新たな私の目標が一つ決まったのだった。


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