第2話 バザロフ家の食卓

 一日の仕事を終え、ヴァルラムさんの家で夕飯をご馳走になる。帰りが遅くなるけど、まあ、大丈夫だろう。しかし、昼食だけでなく、夕飯までもパンと水以外のものが食べれるとは、本当にありがたい。


「リリーちゃん、遠慮せずにいっぱい食べていいのよ。」


 ヴァルラムさんの奥さん、ジャンナさんが食卓に夕飯を並べながら、私に笑顔を向ける。ヴァルラムさんが貴族となる前に結婚したジャンナさんは魔力を持たない一般人で、齢50を超えているというのに、30代と言われても、通用する、若々しい女性だ。


「ありがとうございます。ジャンナさん。でも、こんなに食べれないですよ…」


 私の前にズラリと並ぶ料理の数々、我が家の食費の3ヶ月分くらい掛かってるんじゃないだろうか?どれも美味しそうだけど、大人だってこんなに食べれない程の量だ。。普段が少量の粗食しか食べていない、私の小さくなった胃では、半分も食べられないだろう。


「リリーちゃんが来るって聞いて、張り切り過ぎたの。食べきれなかったら、持って帰ってくれていいからね。」


 ありがたい、これだけあれば、当分の間飢えることはないな。


「そうだわ!私の子どもの頃の服がまだあったわ。リリーちゃん、着てくれるかしら?」


 ジャンナさん、なんでそんなにハイテンションなんですか?グイグイと腕を引っ張られる。


「よさねぇか。飯の後にしろ。」


 ヴァルラムさんの言葉で、渋々といった様子で腕を離してくれた。


「ごめんね、リリーちゃん。なんだか娘が出来たみたいで、嬉しくなっちゃったわ。」


 バザロフ家は、4人の子供がいるが、全員が男だ。長男のアキムさんは魔力が遺伝しなかったが、武器職人として自分の工房を持てるまでの職人となった。ちなみに、ヴァルラムさんの工房に卸される加工用の武器はアキムさんが作っている。アキムさん以外の弟たちには全員魔力が遺伝している。


 次男のエゴールさんは、ヴァルラムさんの一番弟子として、工房の主任をしている。ヴァルラムさんの後継者だ。三男ロジオンさんは、工房を手伝いながら魔導石や魔法史の研究をしている。


 そして、四男のヤコフさんは、ヴァルラムさんが貴族となった後に12歳を迎え為、兄弟の中で唯一、王都の魔導学校に通うことが出来、今は魔法騎士として王都の軍にいるらしい。


 ヴァルラムさんの息子さんたちは皆、成人をしており、アキムさんと私は親子程年齢が離れている。因みに、アキムさんは既に結婚し、私よりも年上の息子が2人いて、実家を離れ、奥さんと子供たち4人で生活している。まあ、こんな感じでバザロフ家は、男ばっかりなのだ。


 そういえば、コペイク島にいる実母は元気だろうか?手紙を出すお金さえ無いから近況が分からないなぁ。まあ、便りが無いということは元気なんだろう。




「しかし、魔導石を作る様子を見せて貰ったけど、特異体質の噂は本当みたいだね。」


 食事の最中、ロジオンさんが私にそう言ってくる。噂って、そんな有名なのか私は?そりゃ、貴族の養女のくせに、孤児院の子供たちよりも貧相な身なりをしているから有名にもなるだろうけど。しかし、特異体質ねぇ、魔力を消費しないということが基本的に有り得ないことだと知ったのは親父に言われてからだし、そもそもの魔力量がアレなので、消費がなくとも、使える量がたかが知れてる。魔法で戦闘を行い、それを生業としている騎士や魔法使いの平均的な魔力を100とすれば、私は1にも満たない。まあ、消費が無いおかげでなんとか仕事出来てるわけだから、ありがたいんだけどね。でも、そんな特別なものを与えるなら、もう少しおまけで魔力をくれてもいいと思うんだよね。神様って意地悪だなぁ。


「魔力を消費しないだけですよ。元の魔力量なんてたかが知れてますし、私は工房の皆さんくらいの魔力がある方が良かったです。遺伝もしないらしいので、私の市場価値は低いままです。」


 せめて遺伝してくれれば、もうちょいましな貴族の養子になれただろうに。


「そんなに卑下しちゃいけないよ。他にも色んな特異体質はあるけど、その体質は、魔法史から見ても、凄く珍しい体質なんだよ。」


 え?他にも特異体質ってあるの?その中でも極めつけレア体質でこの魔力量かよ…確率バグってませんか?


「そんなに珍しいんですか?」


 正直、そこまで自分の体質に興味がなかったけど、少し知りたくなってきた。親父なんて、同じ体質の人を私以外に一人知ってるとしか教えてくれなかったし。


「そりゃ、もう。だって、歴史上で5人しか確認されてないんだよ。リリーちゃんを入れたら6人だけど。その内4人は伝説で語られているだけで、実在したのか怪しいし、間違いなくその体質だと言えるのはリリーちゃんともう一人だけだね。」


 つまり、親父が言ってた通り、私ともう一人だけってこと…ヤベェじゃん。マジモンの超レア体質じゃん。なんで私、魔力量で外れ引いてんの!?


「そのもう一人って誰なんです?」


 そうなると、もう一人が気になる。歴史に名を残すくらいなのだから、余程の人物だろう。あれ?そんな希少な体質だったら私も名前が残るの?それはヤダなぁ。晒しものじゃん。


「え!?知らないの!?」


 ロジオンさんがめっちゃ驚いてる。え、常識なのそれ。教わった記憶が無いんだけど。不安になって、きょろきょろと周りを見ると、ヴァルラムさんや、エゴールさんだけでなく、ジャンナさんまでもが、同じ表情だ。


「バンクの野郎、子供に教えるのは、魔導具の作り方だけかよ…」


 ヴァルラムさんがテーブルに両肘を付き、頭を抱えている。成程、私は常識を教わっていなかったらしい。知らないって恐ろしいね。


「リリーちゃん、アプロディタ様は知ってるよね。」


「ええ、そりゃあもう。」


 アプロディタ様、本名はアプロディタ・モコシュ・エルドグリース。エルドグリースの姓、私たちの過ごしているエルドグリース領の領主様。ではなく、その領主様の娘。つまり、エルドグリース家の御令嬢。だが、エルドグリース家の御令嬢としてよりも、もう一つの認識の方が強いだろう。


 ルユブル王国とドドル王国の20年戦争に終止符を打った、ルユブル王国の大英雄としての知名度の方が高いだろう。ヴィドノにやって来た頃に戦争がルユブル王国の勝利で終わり、街がお祭り騒ぎになった。それから4年経った今でも、アプロディタ様の名を聞かない日の方が珍しい程に街を歩けば誰かがその名を口にしている。それこそ、何百年も前の話を描いた絵本の中ではなく、つい最近の話なのだから、子供たち(私も子供だけど)は、英雄に憧れ、広場や空き地では、第二のアプロディタ様になろうと夢見る少年少女が日々、魔法の鍛錬をしている姿を見る。私?私は日々、生きるために働いてます。


 しかし、そんな大英雄様がなんだというのだろう?…いや、まさかね…


「アプロディタ様がその特異体質だよ。」


 噓やん、いや、なんで大英雄様と同じ体質なんだよ!もうちょい時期ずらせよ!同じ時期に同じ超レア体質の人がいたらダメじゃん!しかも、大英雄と借金まみれの貧乏土地無し貴族って、絶対比較されて惨めになるだけじゃん。神様の嫌がらせなの!?


「ちょっと、死にたくなってきました。」


 親父が教えてくれなかったのって、残酷な現実を見なくていいようにしてくれてたのかなぁ。いや、あの親父に限ってそんな優しさはないな。純粋に興味が無かっただけだろう。


「お、落ち込まなくてもいいわよ。魔法のことはあんまり分からないけど、リリーちゃんだって凄いのよ。比較対象がその、アレなだけで、十分凄いわよ!」


「そ、そうだ、10歳であれだけの魔導石を作れてる時点で誇っていいんだぞ!」


 ジャンナさんとヴァルラムさんがそう言って励まし、エゴールさんとロジオンさんも、そうだ、そうだと一緒になって励ましてくれる。優しさが痛い。




「そ、そうだ。今日の賃金、渡してなかったな。」


 場の空気を変えようと、ヴァルラムさんがそう言ってテーブルに一枚の金貨を置く。


「今日の賃金だ。」


「へ?多くないですか!?」


 金貨一枚って…魔導具の修理50回分!?そんな大金をポンと渡されては、テンパるのも当然だ。


「いや、繫忙期で、あの質の魔導石作れたら、このくらいが普通だ。魔導具の修理、噂で聞いたが、リリーは技術を安売りしすぎなんだ。相場をちゃんと勉強しろ。」


「あれは、私みたいな見習いが相場と同じ金額じゃあ、仕事貰えませんから…」


 名が売れてるわけでもないし、それどころか始めた頃は、9歳でそんな子供に修理の依頼をする人などいる筈もなく、仕方がなかったのだ。


「この魔石の原価、知ってるか?」


 ヴァルラムさんの隣に座るエゴールさんが、ポケットから魔石を取り出し、テーブルにおいてそう質問してくる。


「えっと…銀貨30枚くらいでしょうか…」


 一番使われている並のサイズだし、そのくらいだろうか?魔石の仕入なんてやったことないから、高いということ以外分からない。親父もその辺教えてくれないからなぁ。


「金貨2枚だ。」


 ん?凄い金額が聞こえた気がするんですけど…


「金貨2枚だ。それだけの価値があるもんを、手間暇かけて魔導石にする。そこから更に加工する。だから魔導石を使った製品は高くて当たり前だ。」


 魔石ってそんな高いのか、…そりゃ、我が家の借金が増えるわけだ。


「じゃあ、この魔石を使って魔法剣を作った場合、いくらになるか分かるか?」


 魔石が金貨2枚で、加工に掛かる時間と手間、技術、それに元となる剣の値段を考えると…


「き、金貨5枚くらいでしょうか…?」


「10枚だ。俺の様な弟子が作ったとしてもそんだけの値段になる。親父みてぇな一流が作った場合はそれの4、5倍したって買い手がつく。それだけ職人の技ってのは価値があるんだ。安売りしていいもんじゃねぇんだ。」


 エゴールさんが真剣な目でそう言う。


「つまり、この賃金で間違ってねぇんだよ。寧ろ安いくらいだ。」


 ヴァルラムさんがそう言って、テーブルに置かれた金貨を私の方へ指で押しやる。四の五の言わず受け取れと、目で伝えてくる。


「ありがとうございます。」


 そう言って受け取るしかなかった。職人という、職業。親父に無理矢理定められた将来、そうしないと生きていけないと思って踏み出した道が、そんなにも凄い世界だと知ると同時に、自分がそれ程の付加価値を付けれる人間なのか、そんな重圧がのしかかった。




「それはそうと、魔武具の作り方と修理方法は覚えておくのは、いいことだと思うよ。」


 ロジオンさんが金貨を受け取った私にそう言う。食卓に居並ぶバザロフ家の皆さんが一同に頷く。そんな大仰に…


「ヤコフが魔導学園に通っていたころ、手紙で言っていたよ。魔武具職人の息子で良かったって。学園では魔武具の調整とか修理を出来る生徒は希少で、それだけで王都に家を買えるくらいの稼ぎになったみたいだよ。お陰で有力な伝手が出来て騎士にもなれたみたいだし。」


 続くロジオンさんの言葉で、私の興味が一気に高まった。お金になる話は大好きですよ私。これは詳しく聞く必要があるな。でも魔導学園って王都だし、遠いなぁ。あんまりいい噂聞かないし。


「そう言えば、ヤコフさんってお会いしたことないですけど、卒業してからもずっと王都にいるんですか?」


 学園は四年通えば卒業だが、私がヴィドノに来た頃には既に学園の三年生だと聞いていたけど、まさか騎士様になるとは思わなかった。私だったら、こんなに大きな工房があるのだから、帰って職人になる方が安泰だし、命懸けの軍人よりも、職人を迷わず選ぶだろうなぁ。


「あの馬鹿野郎、王都の生活に染まりやがった。あそこを居心地が良いと思う様になるとはな。学園生活で道を踏み外しやがって。」


「挙句、俺たちまで王都に来させようってんだからな。」


 ヴァルラムさんとエゴールさんが、苦々しく言葉を吐く。なんか、あんまり関係が良くないみたいだ。


「王都って、なんかあんまりいい噂聞かないんですけど、そんなに酷いんですか?親父も王都は嫌いだって言ってたし。」


 バザロフ家の皆が、何とも言えない表情になる。なんと説明すればいいか迷っているようだ。


「まあ、リリーちゃんにはまだ少し難しいかもしれないけど、誰にとって良い場所なのかってことになるのかな?」


 ロジオンさんがそう言った。


「誰にとって良い場所?」


 私が知る土地、ヴィドノと6歳までを過ごしたコペイク島。その二つの場所しか知らないが、どちらも収入がアレという点以外で不便はない。多くの人に助けてもらったり、優しくしてもらっている。コペイク島の領主も、私の魔力量故に、縁談という点ではスルーされてきたが、それ以外では、普通に気さくなおっさんだったし、高い税を取ったり、領民を苦しめることはなかった。ヴィドノもそうだ、領主のエルドグリース家の方々は、お会いしたことはないから、どういう人たちなのかは知らないけど、我が家の借金を肩代わりしてくれたり、税を免除してくれたり。そのおかげで、苦しいながらも、なんとか生活出来ているわけで、どっちも私にとっては良い場所だ。


「ヴィドノに貴族は何人くらいいるかな?」


「えっと、我が家と、ヴァルラムさんとこ…領主様の騎士団って貴族なんですか?」 


 ヴィドノで知り合った人々の顔を思い浮かべる。騎士団の人たちが貴族なら、結構沢山いるなぁ。コペイク島にいる貴族は、領主と側近の二人だけだった。そう考えると、伊達にルユブル王国第二の都市ではないな。


「騎士団の団長だけだね。軍団は六つあるから、六人だ。つまり、ヴィドノには領主のエルドグリース家を含めて九つの貴族の家があるわけだ。まあ、エルドグリース領全体で見たら五倍以上になるけど。それは置いておいて、貴族と一般市民の比率だと、圧倒的に貴族が少ないわけだ。」


「それは、分かりますよ。街で貴族の方なんて滅多に合わないですもん。」


 まあ、市民よりも、貧しい生活をしながら、家業とバイトに明け暮れる私が本当に貴族なのか、疑問が残るところだ。


「でも、王都は人口の一割が貴族になるんだ。正確に言えば貴族の子弟や親族も含めてなんだけど、市民からしたら貴族と同じだよね。」


「多いですね…」


 多分ヴィドノよりも人口が多い王都の一割。そんなにいると、家同士の付き合いとか大変そうだ。


「そんなに貴族がいたらどうなると思う?」


「えっと、市場が潤う?」


 私の答えに、ロジオンさんが笑いながら、


「そうだね、確かに貴族同士の見栄の張り合いなんかで高級品が良く売れるし、食材とか色んなものが高く売れるから、商人には嬉しいかもね。でも、貴族の買い物のせいで、市場に並ぶ物が少なくなったり、値段が高くなったら、普通の市民にとって、それはいいことかい?」


 そうか、高くて買えないなぁ。


「良くないです。我が家は餓死してしまいます。」


「そう、市民からしたら生活が苦しくなるだけだ。それに…」


 ロジオンさんが少し言いにくそうに言葉を区切る。


「貴族が全員、民に優しいとは限らない。ヴィドノでは適用されていないけど、貴族なら、市民を一人二人殺したって、罪に問われないんだ。王都ではそれが通用する。そんな貴族たちが我が物顔で街を歩いていたら…」


「怖いです。」


 私みたいな貧乏臭い格好だったら、市民と間違われて殺されてしまうかもしれない。それ以上に、魔力を持ち、それを振るうことができるのだ、普通に考えれば、それだけでも怖いことだ。


「要するに、王都って場所は、貴族にとって住みやすい場所ってこった。俺はそれが嫌でヴィドノに引っ越してきたんだ。」


 ヴァルラムさんがそう言ってこの話題を終わらせる。そう言えば、ヴァルラムさんと親父は王都で修業してたんだっけ。王都で職人している方が儲かるのに、ヴィドノに来たってことは、本当に相性が良くなかったんだろう。私も話を聞く限り、あんまり好きになれない。まあ、王都に用事なんてないし、行かなければいいだけのことだ。 


「リリーちゃんも後二年で王都だから、心配になるわよね。」


 ジャンナさんが心配そうな顔で私を見て言う。へ?なんのことです?


「貴族は強制入学だからな。リリー、後二年間、偶に手伝いに来い。入学金もいるし、魔武具作れる様になっておく方がいいぞ。それだけでなんとか食いつなげる筈だ。」


 ヴァルラムさんとがそう言う。


 …私も行かなきゃいけないでしたね。魔導学園。入学金って、払えるのだろうか…払えなかったら行かなくてもいいとかないですよね…行きたくないなぁ…




 ヴァルラムさんの工房の手伝いも、一ヶ月という短い期間であったけど、今日で最終日、感慨深いものがあるなぁ。振り返ると良いこと尽くめだった。


 技術を学びながら給金は貰えるし、食事にもありつける。それに、社会に対する知識を得ることも出来た。重い剣や杖は持てないからと、小型杖(木の枝の様な細くて短いもの)の作製を教えてくれて、私自身も技術の幅が広がった。本心ではもう少しここで働きたいけど、繫忙期が終わり、人手不足は解消されているし、何よりも、魔導具の職人になろうとしている私が、いつまで魔武具の工房にいれば、本気で魔武具職人を目指している人たちの邪魔になってしまう。


「また来年も頼めるか?」


 ヴァルラムさんが帰路に着く私に声を掛けてくれる。願ってもない申し出だし、本来なら、私が言い出したい言葉だ。


「はい、勿論。」


 こんなに良い職場は滅多に巡り会えない。それに、そんなことを度外視してでも、バザロフ家には恩がある。借金の問題が無ければ、無償でも働く所存だ。


「ありがとよ、お陰で号泣してるマクシムも、少しは落ち着くだろうよ。」


 お礼を言うのは私の方だと思う。マクシムさんは、今日、お別れを告げて以来、ずっと泣いている。別に同じ街に住んでるし、何時でも会おうと思えば会えるのだから、そんなに悲しむ必要はないのだが、あそこまで別れを惜しんで貰えると、私も思わず涙が溢れてしまった。


「次来た時に腕が落ちてたら容赦しねぇからな。」


 ヴァルラムさんが笑いながらそう言うので、


「度肝を抜いて見せますよ。」


 と笑って返す。そんなことを出来る気はしないけど、それくらいの覚悟はある。魔武具作るのも楽しかったし。


「生意気言いやがって。…仕事じゃなくとも、家に偶に遊びに来てくれ。ジャンナが喜ぶからよ。」


「ありがとうございます。」


 まるで、今生の別れの様なやり取りだが、一ヶ月間のバイトが終わっただけだ。でも、それくらい感傷に浸れる程、濃密な時間だった。




「ただいまー。…親父?」


 帰宅後、工房に籠っていると思っていた親父の姿がない。出掛けたのかな?


「掃除から始めないと…」


 一ヶ月間、家に帰っても寝るだけで、家事をほったらかしになっていたせいで、工房はゴミ屋敷と化している。私が来たばかりの時もそうだったけど、親父は片付けとか整理が出来ないし、掃除もしないので、ほったらかしておくとすぐに家がゴミ屋敷になってしまう。


 溜息をつきながら、工房の片付けを始める。


「なんだ、これ?」


 大方の掃除が終わり、親父の作業台を見ると、指輪やネックレス、ブレスレットなどの装飾品がある。そんな物が我が家にあること自体が驚きだが、それが女性用だということに、更に驚く。


「私がいないから、女連れ込んだのか?」


 親父は独身だし、そういうことがあっても、別にどうでもいいとは思っている。むしろ、いつまでも独り身で私への負担が大きいから、結婚してくれる方が有り難いとも思う。だけど、その装飾品たちは、親父の女となる人が持つには、余りにも高価な物に見える。装飾品に詳しいわけではないけど、この人を惑わせ、狂わせる様な雰囲気は、安物には出せない筈だ。


「綺麗だなぁ。」


 豪勢に埋められた宝石や金・銀。あれ?土台部分が魔導石で出来てる。よく見ればリング部分など装飾の宝石や金銀以外は全部魔導石だ。


「凄い、どうなってるの、これ?」


 魔導石の加工、装飾、その技術の高さに驚愕する。親父が作る魔導具を色々と見てきたけど、これは別格だ。これ程の技巧が織り込まれた物は見たことがない。


 吸い込まれる様に、その装飾品に惹き込まれる。恐る恐る、指輪を手に取ろうとしていた。


「なんだ、帰ってたのか。」


 親父の声が背後から聞こえる。帰ってたのか、気づかなかった。それ程のこの装飾品を見つめるのに集中していたのか。


「うん。」


 指輪に伸びそうになっていた手を引っ込めて振り返る。この一ヶ月、作業台に向かう親父の背中にただいまとおやすみなさいを言って。寝ている親父を起こさないように親父の食事を準備して家を出る毎日だった。久しぶりに見た親父の顔は、以前よりも痩せ、目や雰囲気からは披露が滲んでいる。工房に一日中籠ってることなんて今まで何度もあったけど、これ程疲れた様子を見せたことなんてなかった。


「ちっ、掃除しやがったな。おい、手袋があっただろ。どこやった?」


 親父が舌打ちしながらそう言う。そういえば手袋が床に落ちてたな。


「確か洗濯桶に入れ気がする。あれいるの?めっちゃ汚かったけど。」


「あれはなぁ。」


 親父が何か言おうとしていたが、それ以上に私はあの装飾品が気になって仕方なかった。


「そんなことより、親父!これ親父が作ったんだよね!凄い、どうやるの?」


 そう言って指輪に手を伸ばす。


「馬鹿野郎!触んじゃねぇ!」


 親父が怒鳴った。それと同時に指の先が指輪に触れた。一瞬触れただけだった。それなのに、


「えっ?」


 ガクリと力が抜け、膝から崩れ落ちた。倦怠感や脱力感が一気に襲い掛かる。なにこれ…


「そこで大人しくしとけ。」


 親父が私を床に寝せ、工房を出る。大人しくもなにも、力が入らないんだけど。




 一分程して親父があの汚い手袋を持って戻ってくる。私の倦怠感もその頃には消えていた。


「なんだったの、あれ?」


 手を開いたり閉じたりしながら、親父に質問する。


「魔導具だ。」


「それくらい分かるよ。なんであんなことになるの?」


 力が抜ける、そんな魔導具が何なのかが気になると聞いているのだ。


「魔力を吸い、抑制する為の魔導具だ。おめぇは、カスみてぇな魔力が吸われて、一時的に魔力欠乏症になったんだよ。この手袋はその防御用だ。」


 親父が手袋を填めて指輪を掴んでそう言う。そんな魔導具とは思っていなかった。見た目のイメージからは想像出来ない呪いの装備だったとは…


「あれ?でも私の特異体質で吸われても大丈夫なんじゃ…」


 消費分すぐに回復する私の特殊体質なら大丈夫なのでは?


「おめぇ以外がそのまま触れたらあっという間に魔力欠乏症であの世だ。力が抜ける程度で済むなら大丈夫だろ。」


「なんておっかないもの作ってんの!?」


 簡単に魔力持ちを殺せる兵器じゃんそれ!なに?殺した奴でもいるの?


「俺だってこんなもん作りたくねぇが、仕方ねぇだろ。エルドグリースからの依頼だ。」


「前に言ってたのって、それなの?まさかそこにある装飾品って全部…」 


「そうだ。」


 エルドグリース家は何を考えているのだろうか…いや、深入りしない方がいいだろう。しかし、あれ程見事な宝石や魔導石の装飾、人を惹きつける力がある。贈り物で貰ったら、嬉しくて思わず手に取ってしまうんだろうなぁ。そして…おっと、これ以上はいけない。


 でも、これだけの物を作れる親父を、初めて純粋に尊敬した。


「私もそういう綺麗なの作りたい。」


「四十、いや五十年早ぇよ。」


 そりゃ、まだ未熟者だけどさぁ。もう少し優しくしてくれてもいいと思うんだよね。


「すぐ追いついてやる。」


「上等だ。とっとと追いついてこいよ。」


 そう言ってイヤリングの加工を始めた親父の手元を、作業をやめるまで見つめていた。




 

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