第31話 藤堂あかね

 待つこと三十分、まだ誰も姿を現さない。

 ここに改めて立っていることでわかったが、ここは生徒があまり通らない。

 だから時々来る人の気配にいちいちドキッとしながらも、俺の目当てのあの人は姿を見せない。


 もう、フラれたのだろうか。

 いや、もう少しだけ。


 そんなことを考えながら俺は窓の外を見る。


 ◆


 藤堂あかねという人間は他人より才能があると幼い頃から自覚していた。

 自分が人より優れている、誰かより生まれ持ったものが多いという優越感は、ある日を境にプレッシャーへと変貌する。


 小学生の時からそんなことを考えるあたり、やはり自分は大人びた、というよりすでに達観した価値観の持ち主だったと思う。


 しかしそんな自分に生まれてよかったと思えたのは親のおかげ。

 幼少より特別だと育てられて自分は親から過度な期待を寄せられていたことを知っている。


 だから努力した。

 誰にも負けないようにと努力した。


 しかし案外負ける時はあっさりしていた。

 靴紐がほどけてかけっこでクラスの子に負けた。


 可愛い子だった。とても嬉しそうにしていたのを覚えている。


 しかし悔しくて泣きながら捨て台詞を吐いた私は親の元へ帰ると、今度は質問攻めを受けた。


 あの子は誰だ、クラスでも優秀なのか、あかねより優れているとはよほどの子なのだろう。

 どうしてかけっこ一つでここまで詮索されなければいけないのだと、心底ウンザリしたことはもはやトラウマに近い思い出として刻まれている。


 最初は抗ったりもした。

 しかし自信をつけたためか、その子はどんどん私の先を行くようになった。

 もちろん親からは叱られた。しかしある日父が「その子が優秀過ぎるのであれば仕方ないのかもしれない。仲良くしなさい」と言ってくれたのが始まりだった。


 私に勝ったあの子が私のように、いや私以上に優秀であれば親は納得する。

 だから私は彼女に近づいた。

 そして私の代わりに一位に君臨するスケープゴートとして彼女を選んだ。


 そして彼女は頭角を現した。

 みるみるうちに成績を伸ばし、身長も伸び美しくなっていく彼女は学校のトップに君臨した。

 誰もが私ではなく彼女を見る。

 それは私の親も例外ではなかった。


 私のことなど見向きもしなくなった親は、彼女の事ばかりを私に訊いてきた。

 美しくて賢くてスポーツ万能で。


 そんな話を毎日した。

 いつの頃からか、私は父と目が合わなくなった。


 私には兄がいる。

 年も離れ、海外にいる兄だがそんな兄の婚約者に彼女が欲しいと父は言う。


 何も息子を気遣っての話ではない。ただ彼女が欲しいだけ。

 そんな父の提案を受けて私は心底喜んだ。


 彼女が優秀であり続け、大学をそのまま首席で卒業して私の兄と結婚。

 そうなれば本当の意味で私はこの家から、この立場から解放される。


 そう思って必死で彼女に尽くした。

 一位であることを義務付けて、一位であり続けて自分の代わりに私の親の期待を勝手に背負って勝手にその期待に応えて勝手に人の理想を体現してくれる彼女が、私の自由の為には必要だった。


 だから世間知らずの彼女には意図的に恋愛を覚えさせないように根回ししていた。

 送られてくるラブレターの中には、真剣に彼女との交際を希望している男子もいて、彼らの中の誰かが彼女を幸せにしてくれるかもしれない。


 だがそれは都合が悪かった。


 別に兄と結婚してくれればいいとは思っていたがそれは最終地点での話。

 寄り道はいくらでもしてよかったし誰とどう遊ぼうが構わないと思っていた。


 しかし彼女は依存体質だった。

 多分男が出来たら離れられない、その人のこと以外考えられない、そんな病的な恋愛をするタイプだと普段の会話から察する。


 ヤンデレ、というやつかメンヘラというのか。

 とにかくそんな彼女に恋愛を覚えさせるのは危険だと思いラブレター他彼女に向けられる行為の全てを私が未然に処理した。


 高校をうちの親が経営するところに選んだのは必然。

 彼女は私なしではもう生きられない。いや、結城忍を保てないというべきか。

 学校では随分とスムーズに彼女は成長してくれた。

 父も満足し、私を好きにさせてくれた。


 しかし一目惚れ、なんてくだらないものまで防げるほど私も万能ではない。

 彼女はどうやら下級生の一人に惚れたようだった。


 すぐにそれが誰か突き止めた。

 なんでもない、グズだ。彼女にふさわしい人間ではない。


 だから遠ざけた。コネを使って退学させてやろうかなんて考えたりもした。

 でも、嬉しそうに彼の事を話す彼女の顔がとても輝いていて、少しくらいご褒美をあげてもいいかな、なんて気まぐれを働いたのが今となれば間違いの始まり。


 両立できるかという問いに自信満々に首を縦に振った彼女を信じて彼を近づけてみたが、悪い方向にばかり予想が当たる。


 どんどんエスカレートする彼女はのめりこむ。

 それでも彼がとどのつまり彼女と付き合ってくれたらやる気になるのではとも思った。しかし彼女は自分の地位名声より女としての立場を選ぼうとする。


 だから突き落とした。

 正確には彼女の困る形を作った、というべきだろうか。

 望み通り噂を流して彼女の評判を下げ、幼なじみをけしかけて勝負をエスカレートさせて、そして挫折してもらう。


 一度彼女は壊してから作り直さないといけない。

 それが彼女にとっての幸せかどうかなんてどうでもいい。


 あの子がいなければ私はまた、窮屈で暗いところに連れ戻される、そんな気がする。

 

 彼女だってわかっている。今更人の上に立つあの快感を、崇められる高揚を捨てられるはずがない。

 ただ一人からの気まぐれの愛情よりも、大勢からの揺るがぬ信仰心。

 

 私が捨てたものを彼女は欲する。

 私が欲しいものを彼女は捨てる。


 それが、私と彼女の関係……



「あかね……」

「忍ちゃん、来てくれたのね」


 ほら、彼女は私の目の前にいる。

 勝った、なんて喜ぶことではない競ってすらいなかったのだから。


 最初からわかっていたこと、それだけ


「あかね、すまない私は航のところに、行く!」

「そう……え?」


 今、私はなにかとんでもないことを聞いた気がする。

 何かが音を立てて崩れていく。


「私は、航のところに行く。すまないあかね」

「あ、そう。そういうことなの。失望したわ忍ちゃん」

「で、でも私は、私はあかねのことを」

「両方は取れない。それ、この勝負で学んだんじゃなかったの?」

「……」

「さっ、早く彼の元へ行きなさいよ。私を捨てて」

「どうしてそんなに極端なのだ。私は航もあかねのことも」

「選べって言ってるのよ!」

「あか、ね……」


 ああ、忍ちゃんの言いたいことはわかる。

 わかるけどダメなの。両方を選べるような器用さはあなたにはない。


 だから……


「どうするの?早くしないと彼、帰っちゃうわよ」

「……」

「どうしたの?早くしなさいよ」

「あかね、私は」





 


 

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