第20話 親友

「お兄ちゃん、だらしない顔してる」


 第一声でそう言われた俺は顔を手で押さえた。


「え、そうか、な」

「いいことあった?」

「い、いや別に」

「あ、忍さん」

「え、どこ?」

「うそよ」

「……」


 忍という言葉に反応する俺を見て、桜は目を細めて軽蔑するように俺を見る。


「ふーん、そういうことね。なによ、すっかりあの女に篭絡されてるじゃん」

「ち、違うって。でも、思ってたより忍は悪い人じゃない、と思うぞ?」

「その話、私にして何の意味があるのよ。私にとっては敵よ、だから気を許したりしないから」


 そう言って桜は少し怒った表情を見せる。

 そんな彼女を見て俺は昨日の疑問が頭に浮かぶ。


「桜、なんでそこまでして勝ちたいんだ?別に勝敗なんて俺は」

「勝てばお兄ちゃんが好きになってくれるなんて別に思ってない。でも、勝たないと好きになってくれないとは思ってる」

「な、なんで」

「だって私、忍さんに勝ってるものなんて一つもないもの。頭も運動もスタイルも何もかも。だからせめて一つくらいは勝たないと、私の価値がないじゃない」


 桜は言った。

 しかし俺は少し疑問が残った。

 忍になくて桜にあるものなんていくらでもある気がする。単純に勉強やスポーツや見た目だけで判断するものでもできるものでもないと俺は思うのだが、桜なりの考えあってのことのようだしと、余計なことは言わなかった。


「とにかく、私が勝ったらお兄ちゃんとデートだから。覚悟しといてよね」

「ああ、わかったよ」


 桜と話しているうちに時間は朝の六時を過ぎた。

 しかし忍は姿を現さない。


 心配になりメールを入れてみたが、珍しく彼女からの返事がない。

 じっと携帯の画面を見つめていると、桜がつまらなさそうな顔で覗き込んでくる。


「ちょっと、そんなに忍さんが待ち遠しいの?」

「い、いやそうじゃないけど」

「じゃあさ、たまには一緒に学校行こうよ。私、今日は当番で早く行かないといけないし」


 忍からは結局連絡が来なかったので、俺は桜と登校することにした。

 こんな言い方をすれば、まるで桜が忍の代わりみたいに聞こえるかもしれないがそれは違う。


 確かに忍の事は待ち遠しかったが、だからといって桜と登校できるのも嬉しい。

 結局こんな言い訳ばかりを並べているから優柔不断だと思われるし、そんな俺を見透かしてあかね先輩に説教されるのだろう。


「お兄ちゃん、覚えてる?中学の時に一緒に登校してて私のこと好きな男子に囲まれたやつ」

「忘れたくても無理だな。ていうか軽いトラウマだよ。ほんと、好きでもなんでもないって散々説明してもあいつら俺の事ボコボコにしてくるんだからな」

「うん、ほんとあの頃は私も好きじゃなかったんだけどなぁ……」


 そういえば桜はいつから俺の事が好きなんだろう。

 率直な疑問を俺がぶつける前に、その答えを彼女が語ってくれた。


「私、お兄ちゃんが卒業してから思ったの。ずっと一緒にいるのが当たり前じゃないんだって。だから一緒にいるには好きになってもらわないとダメだって気づいて、そこからかな、お兄ちゃんのこと本気になったの」

「でもそれならなんで入学早々あんなに態度が変わったんだ?」

「し、知らないわよ。意識したらなんか恥ずかしくなって冷たく当たっちゃうようになったのよ。そんなもんでしょ?」

「そんなもん、かな?」


 学校に着くと桜はすぐに教室に走っていった。

 忍のようにグイグイ来るわけではないが、最近のあいつはしっかり俺に気持ちを伝えてくる。


 しかし俺は今だにあいつに自分の気持ちを言えない。

 何と言ったらいいかすらわかっていない。


 こんな卑怯な奴の事を好きだと言ってくれる美女が二人もいる事実に俺は今更ながら信じられない気持ちになるが、それでもこれは夢ではない。


 またこの後忍と会って俺の気持ちを揺れるのだろう。

 そんな自覚を持ちながら生徒会室に行ったが、忍の姿はなかった。


 そしてしばらくしても彼女からは連絡もないし姿も現さない。


 俺は痺れを切らしてあかね先輩に電話をした。

 本来は絶対にしたくないのだが、背に腹は代えられないというやつだ。


 しかしあかね先輩も電話に出ない。

 結局どういうことかわからないまま俺は教室に戻って授業を受けることにした。


 いつもなら授業中ずっと忍からメールが来るので時間が経つのが早い。

 しかし今日は何の連絡もないので、退屈な授業の時間がかなり長く感じた。


 ぽっかりと胸に穴があいたようだった。

 昼休みも彼女の姿を探したが見当たらず、何かあったのではないかと心配になっていた。


 そして放課後まで忍とは一切連絡がつかずに困っていたところであかね先輩が俺の前に姿を現した。


「あら、早瀬君どうしたのそんなに慌てて」

「先輩、忍は今日休みですか?連絡がつかなくて」

「ああ、今日は何か用事があるって言ってたわ。忙しいのよきっと」

「そ、そうですか。ならいいんですが」

「こういう時だから、桜ちゃんとデートでもしてくれば?たまには幼なじみの機嫌も取っておかないと可哀そうよ」


 あかね先輩はクスクス笑いながら言う。

 はっきり言ってこの人からそんな話が出るだけで、何か企んでいるとしか思えない。


「どういうつもりですか?」

「やだー、何もないわよ。でも迷ってるんなら桜ちゃんともしっかり向き合って自分の気持ちをはっきりさせた方がいいんじゃないかなって、ね」

「……まぁ、それはそうですけど」

「正門の近くにいたわよ彼女。行ってきなさい、今日は生徒会はお休みね」


 正直な話、あかね先輩の言うことに従うのは癪だった。

 しかし一理ある。俺は桜と向き合っているようで向き合っていなかった。


 忍がぐいぐい来るからというのもあったが、それでももう少し彼女との時間も作ってあげないと不公平ではないか。

 少し上からなようにも思えるが、今は桜の為に時間を割いてあげても罰は当たらないだろう。


「桜!」


 俺は走って正門まで行き、帰ろうとする桜を捕まえた。


「お兄ちゃん?どうしたの」

「いや、せっかくだし飯でも食べて帰らないか?今日は忍いないし」

「なんか私、間女みたいね」

「そ、そういう意味じゃないって」

「はいはい知ってるわよ。うん、それでどこに行く?」


 冗談を言った後ニッコリ笑う桜を見てほっとした。

 その後二人で駅前のクレープを食べた。


 久しぶりに桜とゆっくり語り合うのは少し新鮮で、それでいてとても居心地がよかった。

 この後はゲームセンターにでも行こうなんて盛り上がりながら話は続く。


「はは、お兄ちゃんって昔からチョコばっかりだよね」

「うるさいな、大体チョコ味が一番なんだよ」

「他を食べてないくせにチョコが一番って評価するのはちょっとエゴだなー。私は両方食べて、両方の良さを知ったうえでどっちが好きか決めるタイプだから」


 なんでもないクレープの味の話だったが、妙に自分の事と重なった。

 片一方しか知らないのに、それが一番だと判断するのは変、か。


 確かにそうだ。多くの中から選ぶのか、たまたま最初に好きになったからそれなのか。

 それは大きな違いがあると思う。


 でも、どっちが間違いとか正解とかでもない。

 結局俺は桜と忍の両方ときちんと向き合ってからどちらが好きか決めるのか、それとも先に好きだと思った方に走っていってしまうのか。


 クレープをかじりながら考えていると、なんと一ノ宮さんの姿が見えた。


「あら、デートですか?忍様のことはついに諦めたのですね」

「近づかないでください、俺はあなたに気を許してはいませんから」


 桜は隣で少し怯えていた。

 そりゃそうだ、あんなことがあったんだから怖くて普通、二度と顔も見たくないと思うのが当然だろう。


「随分嫌われてしまいましたね。まぁでも、その様子だとあなたはもうライバルじゃあなさそうですね」

「どういうことです?」

「だって、病気で忍様が苦しんでる時に他の女とデートなんて、そんな人の事私はライバルとは思いませんわ」

「……なんだって!?」


 俺は一ノ宮さんの肩を掴んで聞いた。


「触らないで汚らわしい」

「あ、すみません……いや、今なんて言いました?」

「忍様は今日高熱で倒れていますと言ったの。まさか知らないわけはないでしょう。ああ、男に触られて穢れましたわ。不快なので帰ります」


 機嫌が悪そうに去る一ノ宮さんは桜の方を向いて「またね」と言ってからどこかへ消えた。


「お兄ちゃん、忍さんのこと知ってたの?」

「い、いや……ごめん桜、この後は無しだ。今度絶対埋め合わせする」

「あ、お兄ちゃん!?」


 俺は桜を置いて忍の家に走った。

 そして以前紹介された駅裏のマンションに着くと、部屋の番号を押してインターホンを鳴らす。


「も、もしもし……結城です」

「忍?俺だよ航だ。開けてくれ」

「航?うん、わかった」


 実に弱々しい忍の声が切れると、オートロックが開いた。

 俺は駆け足でエレベーターに飛び乗り、忍の部屋の前までついた。


 するとノックをする前に忍が玄関を開けてくれた。


「あ、航……きて、くれたのか」

「忍、ごめん起こしたか?」

「ううん、だいぶ落ち着いてきたから……ごほっごほっ」

「おいおい、寝ていないと。ちょっと、入るぞ」


 俺は部屋にあがって、フラフラする忍を支えながらベッドに連れて行き、タオルを冷やして忍の頭に当てた。


「ごめん、知らなかったんだ。体調悪いなんてこと」

「かまわん、連絡しなかったのは私の責任だ」

「なんですぐに連絡くれないんだよ」

「あかねが、自分から伝えるからと言っていたのでな。もちろんあいつから聞いたのだろう?心配かけたくもなかったし、任せたが正解だったな。来てくれてよかった……」

「あ、ああ……」


 忍が言ったことには間違いがある。

 俺はあかね先輩に電話もした。しかし出なかった。

 放課後にあった時も、忍は忙しいと嘘をついた。


 どういうつもりだ?忍がこんなに苦しんでいるのに、どうして俺にそれを伝えずに桜のところへ向かわせた?


「航、顔が怖いぞ。どうした」

「え、いや……でも無事でよかった。心配したんだよ連絡つかなかったし」


 弱々しく横になる忍を見ていると、あかね先輩の意図はともかくやったことに無性に腹が立ってきていた。

 しかし忍は、かすれそうな声で言う。


「ふふ、あかねの言う通りにしたおかげで、航がこうして私を心配してくれる。やっぱりあかねは私の親友だ。あいつのアドバイスは何も間違わない」

「忍……」

「すー、すー、」


 忍は眠った。

 意識が朦朧とする中でも、ずっとあかね先輩の事を信じていた。

 そんな忍を私利私欲のために使うあの女を、俺は許せない。


 もう一度だけ忍のタオルをかえてから、横で彼女の寝顔を見守った。

 そしてその間にあかね先輩に電話を入れる。


「もしもしどうしたの早瀬君。桜ちゃんとのデートは終わった?」

「今は忍の家です。どういうことですかこれは?」

「あら、バレちゃったんだ。でも、結果オーライなのかな忍ちゃんにとっては」

「どういうことか聞いてるんだよ!」


 俺は思わず大声をあげてしまった。

 しまったと思い忍を見たが、どうやら目は覚めていない。


「早瀬君こわーい。そんな怒らなくてもいいじゃない」

「ふざけるな、あんたにとって忍は駒か何かなのか?親友じゃないのか?」

「親友よ。だから私は忍ちゃんがなんでも一番になれるように手助けしてるのよ」

「そんなの、そんなの親友なもんか」

「価値観の違い、かしらね。相互依存ってやつも立派な友情よ。私と忍ちゃんはそういう関係。だから互いに利用し合う。それでいいじゃない」


 あかね先輩の声は冷たく響く。

 相互依存、お互いに利用し合う。そんな関係で構わないという彼女だが、そばで眠っている忍は決してそんなことを思ってはいないと俺は知っている。


「あかね先輩、一度お話しませんか?言いたいことが山ほどあるんで」

「ええ、いいわよ。私に時間をとらせるんだから、それなりのお話が待ってるんだよね?ふふっ、楽しみだわ」


 あかね先輩は電話を切った。


 俺は熱くなった頭を冷やすように深呼吸して、もう一度忍の傍に戻る。


 そして彼女が目を覚ますまでジッと看病を続けているうちにうたた寝をしていた。

 



 

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