第19話 本当の彼女

 ふと思ったことがある。


 彼女たちはなぜ美女格付のランキングで争っているのだ、と。


 俺を奪い合って戦ってくれているのは理解した。

 それに彼女たちのプライドの問題で争うのは勝手だ。


 でも、俺を口説くことが目的なら格付の順位なんてどうでもよくないか?

 別に俺はランキングが上の人と付き合うなんてことは一言も言ってないし。


 なにか彼女たちにもそれなりの理由があるんだろうか、なんて考えながら制服に着替えていつものように家の前で待つ忍のところに行く。


 今日はずっとそんなことを考えていた。

 忍と話している時もメールしている時もなぜかそれがひっかかった。


 忍が一位でなければならない理由。桜が一位になりたい理由。

 それがただの本人たちの見栄であればいいが、なんて憂いていると隣で忍が言う。


「おい、さっきからずっとボーっとしているが何かあったのか?」

「い、いや別に。ちょっと眠くて」

「うむ、寝不足は体に毒だからな。気を付けないと」


 あんたのせいだよ、とツッコみたくなるのもいつもの通り。

 朝からいつも通りの日常を過ごしていたが、昼休みについにあのイベントが始動する。


「おーい、美女格付のビラ、うちのクラスにも回って来たぞー」


 誰かがそういうと、みんなが一斉に騒ぎ出す。


「おお、ついにきたかー。今回も結城先輩で決まりだろ」

「いや、俺は桜ちゃんを応援するぞ。可愛いもんなー」


 別にこのランキングがどうあっても、誰にも何の影響もないはずなのだが、今日は学校中がこの話題で埋め尽くされた。


 来週からの中間テストが終わったら早速投票開始になるとのことで、みんな自分の推しが勝つかどうかハラハラしていた。


 そのランキングトップたちに狙われている渦中の人である俺は意外と冷めていた。


 どっちが勝つとかどうでもいい、そんなことより俺の気持ちを誰か教えてくれなんて考えながらうるさいクラスの隅でじっとしていると、忍が教室までやってきた。


「航、ちょっといいか」

「え、うん」


 クラスのみんなは「また早瀬かよ」「付き合ってるってほんとなんだー」なんて悲鳴にも似たひがみを俺に浴びせてくるが、そんなのも慣れた。


 忍について行くと、向かったのは先日桜が一ノ宮さんに襲われかけていた屋上だった。


「こんなところに来てどうするの?」

「決まっている、一緒に飛び降りる」

「え!?」

「冗談だ、そんな顔をするな。少し、話があってな」


 飛び降りると言われた時は心臓が口から飛び出そうだった。

 忍が言うと冗談に聞こえないんだよなぁ。


 しかし話があると言った忍の顔は暗い。

 どうしたのかと心配になりながら彼女を見ていると、振り絞るように忍が言う。


「航は、もし私が一位でなくとも私の事を嫌いにはならないか?」

「え、それって……格付の話?」

「ああ、私は一位であることに意味があると思っていたが、最近わからなくなってきたのだ」

「わからなくなった?」


 忍が何を言いたいのかよくわからない。

 しかしこんなに困った表情の忍を見るのも初めてで、何か相当思い詰めている様子だけは伝わってきた。


「私は、みんなの一番であるべきだと思っていたが、今は誰かの一番になれればそれでいいと、昨日ふと思ったのだ。だから、ランキングなんてものは私にはもはや無意味だと、そう思うのだがどう思う?」

「え、まぁ正直俺はランキングとか気にしないけど……忍はそれでいいの?」

「負けるよりは勝つ方がいいに決まってる。しかし一番勝たなければならない勝負にだけ勝てれば、なにも全て一位でなくても」


 忍がそう話している途中で屋上の扉がバンっと音を立てて開いた。


「忍ちゃん、先生が呼んでたよ……ってごめん、お邪魔したかな」

「あかねか。いや、大丈夫だ、すぐに行く。航、今の話は一旦忘れてくれ」

「は、はい……」


 忍はさっさと屋上から出て行った。

 代わりに忍を呼びに来たはずのあかね先輩が俺の方に来る。


「忍ちゃんとこんなところであいびきなんて、やるじゃん早瀬君」

「い、いえ……でも忍、悩んでたみたいで」

「忍ちゃんには何があっても格付も一位とらせるから。ちゃんと励まして支えてあげてね」


 あかね先輩は言った。

 しかし俺はその言葉に疑問を覚える。


 忍は別に一位であることを望んでいないのではないか。

 ただ、周囲の期待に応えようと必死でやってきただけで、本当は普通の女の子でいたいのではないか。

 そう思うとあかね先輩の言葉に自然と反論してしまった。


「別に一番じゃなくてもいいんじゃないですか?忍だってそんなこと望んでは」

「だめ、絶対にダメ。彼女は完璧でいてくれなければダメなの」


 あかね先輩の目つきが豹変した。

 まるでさっき人を殺してきたかのような殺気と、この世全てを恨んでいるかのような澱みをはらんだ目で俺を見る。


 そして少し思い出すようにあかね先輩が語りだす。


「忍ちゃんはね、小さい頃からずっと一番で何をやっても完璧で全部持ってたの。でも、その陰に隠れている人間も頑張った。頑張って勝とうと努力したけど無理だった。だからその人間はね、忍ちゃんが完璧な人間であり続けてくれることで、自分が勝てない理由を正当化したいの。こんなすごい彼女だから負けても仕方ない、彼女の影でもいいって、そう思えるの。全部持ってる人はね、そうやって才能のない人間を納得させる義務があるの。だから彼女は完璧じゃないといけない。わかる?」


 あかね先輩の言いたいことは、なんとなくだが伝わった。

 つまり、忍が完璧であることで自分の弱さを正当化できるということなのだろう。

 しかし、もちろんそんな話に納得はできない。


「いや、でもそれは忍の意思じゃないんじゃ……」

「あの子の意思とか関係ない。そうある必要が、義務が彼女にはあるの。だから」

「いや義務って言っても」

「反論は受け付けないわ。言っておくけどあなたが忍ちゃんと付き合うのも別れるのも私次第でどうにでもなるんだからね?その辺り忘れないでね」


 あかね先輩はそう言って去っていく。

 彼女たちが格付なんて言うものに拘る理由が、今何となくわかった。

 しかしそれはあまりに歪で、気持ちのいいものではない。


 結局のところ、忍はあかね先輩の操り人形にされているのではないか。

 そう思うと途端に忍が不憫に思えてくる。

 

 それと同時に忍の本心が知りたくなった。

 彼女はさっき何を言いかけたのか、今何を思っているのかが気になった。


 本当にあかね先輩の言うままに突き進む彼女が本当に幸せなのかということを思いながら俺も階段を降りて下に向かった。


 放課後までの俺は抜け殻だった。

 聞いてはいけない人の本音を聞いてしまい、どうしていいのかわからなくなっていたのだ。


 しばらく呆けているとあっという間に放課後になった。

 あまり気が進まなかったが生徒会室に向かうと、今日は忍しかいなかったので少しほっとした。


「なんだ、浮かない顔だな」

「い、いや。今日の屋上の話って」

「忘れろと言っただろ。あれは一時の気の迷いだ。学校で格付の話が盛り上がっていたのでな、少しだけ弱気の虫が顔をのぞかせただけだ。」


 言って忍は俺を隣に座らせる。

 そして書類をトントンと整理すると、そっと俺の肩にもたれかかる。


「忍?」

「少しこうしたい」

「……」


 横目で彼女を見ると、いつもの自信に満ち溢れた彼女はそこにはいなかった。

 遠い目をしながら、静かに彼女が口を開く。


「私は、不安なのだ。自信がないわけではない。しかし、今は航を誰かにとられることが不安で仕方ない。桜に負けたくない理由だって、今はそれしかない」

「忍……」

「ああ、もっと私の名前を呼んでくれ。航に人生で一番多く、私の名前を呼んでもらいたい。航が人生で一番名前を呼ぶ人は私であってほしい。それさえあれば何もいらない。格付なんてくれてやるし、バカになっても誰に嫌われても構わないのだ」

「……」


 静かな生徒会室で、二人でじっと佇む。

 そして、今まで見てきた忍とは全く違う乙女な彼女に俺は酷く心臓の音を高鳴らせた。


 やがて日が落ちていく。

 何もしないまま時間だけが過ぎ、うす暗くなった部屋でようやく忍が席を立つ。


「すまない、もう大丈夫だ。私も女だ、勝負は正々堂々と真正面から受けて、勝って皆を納得させる。だから、支えてくれ」


 そう言われて俺は、自然と彼女の手を取った。

 

 そしてこの時初めて誰かを愛おしいと思った気がした。

 今まで桜に抱いてきた感情とは少し違う何かを、俺は感じている。


 その正体に気づくまでには、そんなに時間は必要なかった。

 多分これが、誰かを好きだと思う気持ちなのだろう。


 まだ曖昧ではあるが、俺は忍が好きだ。

 桜より、とかそういう話ではない。単に彼女自身に抱く感情だ。


 帰り道、二人で話す短い時間もとても楽しかった。

 あかね先輩のことは気になるが、今はそんなことより彼女との会話を楽しんだ。


 そして家についてから俺は静かに横になった。

 なんとも説明しがたいモヤモヤする気持ちを抱いたまま、俺は寝た。


 そして翌日の朝、俺は忍を待っていた。


 早く来ないかとワクワクしながら玄関先で待っているが忍はまだ来ない。

 代わりに桜が、前の家から姿を現した。

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