第17話 決められない


 俺は屋上の手前まで来たが、桜はいなかった。

 そして立ち入り禁止と書かれた屋上に続く扉が少し開いていることに気づき、俺は屋上に飛び出した。


「桜!」

「お、お兄ちゃん!助けて」


 見るとそこには桜と一ノ宮さんがいた。

 そして桜の体に密着した一ノ宮さんは今にも桜の服を脱がそうという態勢に見えた。


「あら、お早い到着だこと。随分この子にご執心なのですね」

「桜を離せ。さもないと」

「さもないと何?私は自分の性癖とか気にしてませんから。言いふらしても無駄ですよ?有名だし、私が百合だってこと」


 自信に満ち溢れる一ノ宮さんの顔はまるで悪魔だ。

 日本人形のような端正な顔の作りが余計に彼女の不気味さを際立たせる。


「と、とにかく桜に手を出すな、俺が許さないぞ」

「私の忍様に手を出しておいてよく言えますわねそんな台詞が。でも、いいでしょう。あなたが忍様と縁を切るのなら私も考えてあげます」

「そ、それは……」


 桜は俺の方を見て助けてくれと目で訴えてくる。

 俺は全てを捨てて桜を助けるべき、そうすべきだと頭ではわかっている。


 しかし、なぜか言葉が出ない。

 忍と縁を切る?そんなことができるとも思えない。


 切れた縁を勝手に溶接して繋ぎ直してしまうような彼女が、俺からあっさりと手を引くなんて考えられない。


 いや、それよりも俺はどうだ?彼女と縁が切れて果たして嬉しいのか?


 ……


 俺はその可能性を考えた時、とても嫌な気持ちになった。

 忍と縁を切るから桜を見逃してくれ、とは言えない。言いたくない。


 どうしたらいいかわからなくなり、俺はただ口をパクパクさせていた。


「あら、やっぱりこの子より忍様が大事なのですね。じゃあこの子はいただきますわ」

「や、やめ」

「お兄ちゃん……」


 足が動かない。

 言葉が出ない。

 もう何もできない。


 ただ桜が一ノ宮さんにいいようにされるのを見ているしかないのか。

 そう思った時後ろから声がした。


「はーい、そこまでだよ鈴音ちゃん。おイタはほどほどにね」

「あ、あかね?邪魔するというのですか?」

「んー、邪魔というよりは取引に来たの。あなた、生徒会の人間でもないのに屋上使ったら校則違反よ?違反者はどうなるか、知ってるわよね?」

「お、脅すのですか……」

「人聞きが悪いなぁ、取引だって言ってるでしょ?さっさとその子解放したら、特別に見過ごしてあげるって言ってるの。これまでのことも全部、ね」

「……わかりました」


 一ノ宮さんは悔しそうに桜を解放した。そして肩を落としてそのまま屋上から出て行った。


「桜!」


 俺は弱る桜に駆け寄った。

 しかし彼女は俺に言う。


「来ないで!」

「え……」

「信じてたのに……信じてたのに!」


 桜は走って屋上から消えた。

 その時彼女が泣いていたのを俺はしっかりと見ていた。


「桜……」


 俺は彼女より忍をとった。そう思われても仕方のないことをしたのだと、わかっている。

 だが、これでよかったのかと自問自答の渦に飲まれそうになる俺の肩をポンっと叩いて藤堂さんが言う。


「自分の気持ち、ようやくわかった?いい加減素直にならないとみーんな傷つけちゃうよ?」


 俺は先に行く藤堂さんの背中を見ながら膝から崩れ落ちた。 

 

 しばらくその場で俺はうずくまって泣いた。

 桜を傷つけた。その事実が俺の胸を締め付ける。

 更にそれが自ら選んだことだと知っているので、余計にやり場のない気持ちが俺を痛めつけた。


 そして枯れるほど泣いた後、俺は生徒会室には寄らず、勝手に一人で家に向かった。


 帰る途中も帰ってからもずっと携帯が震えている。

 しかし俺はそれを見る気もしない。


 なんであの時、俺は忍と縁を切るから桜を離せと、そう言ってやれなかったのかをずっと悔やんでいた。

 でも、もう一度同じ状況になったとして果たして俺はそう言えただろうか。


 長年一緒に過ごしてきた幼なじみよりも、いきなり現れた生徒会長の方がいい、とはっきりは断言できない。

 でも逆に、忍よりも桜の方が大事だともはっきり言えない。


 そんな優柔不断な俺のせいで桜を泣かせてしまったのか。

 いや、それなら俺が桜をとったら忍はどうなる?


 きっと同じように悲しむだけだ。

 そう思うとなんて残酷な選択を強いられているのだと、俺は布団の中で胃を痛めていた。


 やがて何かを悟ったかのように俺の携帯が静かになった。

 俺も泣きつかれたのか、まだ明るいうちから眠りについた。



 目が覚めると夜になっていた。

 リビングに降りると、母の字で「桜ちゃんのカレー温めて食べてね」と書かれたメモ書きが食卓に置いてあった。


 腹が減ったので冷蔵庫に入れてあるルーを冷ご飯と一緒に温めて食べることにした。


 一口食べた時、俺の頭は桜のことでいっぱいになった。

 昨日、ここで一緒にカレー食べてた時はまだ笑ってたのに。

 

 大袈裟かもしれないが、もしかしたらああやって桜と食事をすることも、もうないのかもしれない。

 そう思うと押し寄せる辛さと緊張で吐きそうになった。


 ゆっくりゆっくりとカレーを食べてから、俺は一人で洗い物をして部屋に戻る。

 空腹が満たされて少しだけ余裕が出来た。


 さっきまで寝てたけど、もう一度寝よう。

 寝て、明日になってから考えようと部屋に戻った。


「遅い、待ちくたびれたぞ」

「……」


 俺の部屋にはなぜか忍がいた。

 いや、これは幻だ。そう思って一度ドアを閉めてからもう一度開ける。


「なんだ、食事くらいさっさと済ませろ」

「いやなんでいるんだよ!?」

「だっていくら連絡しても出ないから、心配になってきてみたのだ」

「いやだからって勝手に……」


 俺は突然の忍の訪問に少し呆れ気味だったが、彼女の顔を見て口を閉じる。

 少し目に涙を浮かべて心配そうに俺を見る彼女の表情が次第に崩れていくのを見たからだ。


「し、心配したんだぞ……突然学校からいなくなるし連絡もつかないし」

「い、いやごめん。色々あって」

「知らん!色々あろうがなかろうが、私はお前の彼女なのだからちゃんと報告をしろ、してくれないと私は……私は」

「忍……」


 忍が泣き出してしまった。


「桜のところへ行ってしまって私は寂しかったのだ!だからずっと待っていたのに帰ってこない時の私の気持ちも少しは考えろ、バカたれが」

「ごめん、そんなつもりはなかったんだけど」

「許さん、許さんから許す気になるまでこうさせろ」


 忍は俺の胸にもたれて甘えた。

 それを俺は戸惑いながらも受け止めた。


 その後はしばらく無言だった。

 泣いた名残で時々ヒックとなる忍はそれでもじっと俺から離れようとはしなかった。

 

 やがて忍が少し落ち着くと、お腹が空いたと言い出した。

 

「泣いたらお腹が空いた。何か食べるものはないのか?」

「え、いやさっき食べたカレーならあるけど……」

「けど、なんだ?」


 目を腫らす忍に、このカレーは桜が作ったものだとどうしても言いづらかった。

 それにそんなものを食べるとは到底思わなかったのだが、忍は目ざとかった。


「桜が作ったのだな」

「え、いや昨日、たまたま」

「いい、食べてみたい」

「え?」

「さて、キッチンに行くぞ」

「ちょ、ちょっと」


 忍は俺の言うことになど耳を傾けずキッチンへ降りていく。

 そして勝手に冷蔵庫を開けて勝手にカレーを温めだした。


「忍、何勝手に」

「桜の作るカレーの味は知っておくべきだろう。なにせライバルだからな」


 先ほどまでの悲しそうな表情と違い、どこか嬉しそうにそう話す忍を見て俺は改めて彼女の凄さを知る。


 常に探究心があって、どんなことでも、それが自分の嫌なことでも自分の為になるのなら進んで行う。

 そういった姿勢が今の彼女を作り上げているのだろう。


 チーンという音で準備できたカレーを忍は迷わず食べた。

 そして少しだけ顔をしかめる。


「うーむ」

「お、美味しく、ないのか?」

「逆だ、どうしてこんなにバランスがいいのだ?何か作り方とかは知らないのか」

「し、知らないって。昔からこの味だよ」


 最後の一言が余計だった。

 素直に桜のカレーを食べる忍を見て油断してしまった。


「昔から……いつからいつまでの話だ?」

「い、いやそれは」

「頻度は?回数は?ずっとこんなことをしてもらってきていたのか?それとも今も私に内緒で続けて……そうか、このカレーは一日寝かせてあるな。ということは昨日も食べたのか?ええ、言ってみろ」


 謎の推理力を発揮する忍に嘘は通じなかった。

 結局昨日も桜のカレーを食べたと話すことになり、俺は怒られると覚悟した。


 しかし反応は思ったものと違った。


「航は桜のことが大切なのだな」


 柔らかい表情で話す忍はどこか寂しそうに見えた。

 そんな彼女を見ていると、どうしてか機嫌を取ろうと必死になってしまう。


「い、いや桜は妹みたいなやつだから、さ。昔馴染みというか……うん、そんな感じなだけで」


 話しながら思う。なんでこんな浮気の言い訳みたいなことを俺はつらつらと並べているのだろう。


 忍に勘違いされたくない?

 そんな気持ちがどこかにあるのだろうかと思うと、また気持ちがぐちゃぐちゃになる。


「そうか、わかった。まぁ私も先輩として昔のことにまでは口を出さぬようにしよう。大切なのは今だからな。今、航が誰を好きか。それが重要なことだ」


 当然それは私だが、なんて言いたいことは言わずとも伝わってくる。

 そんな自信満々の彼女は、カレーを平らげると洗い物をして帰り支度をしていた。


「さて、航の無事がわかったところで私も帰るとしよう。ちゃんと連絡を返すのだぞ」

「う、うん。今日はごめん……」

「いいさ、何があったかは敢えて聞かないが、辛いことがあったら相談したまえ。そ、その……彼女なのだからな」


 最後に照れ臭そうに話して忍は帰っていった。

 

 あの様子を見る限り、忍は藤堂先輩から何も聞かされていないのだろうか。

 そんなことを考えていると、また桜のことを思い出す。


 そしてまたしてもセンチメンタルな気持ちになりながらも、今日の忍からのメールの嵐の残骸を拾い集めるように携帯を見た。


 すると、一通だけ忍からではないメールがある。


 桜からだった。


 急いで開くと、そこには「今から会いたい」と書いていた。

 送られてきたのは三時間も前だ。

 俺は慌てて返事をする。もう遅いし寝ているかもしれない。


 少しやらかしたと後悔していると、すぐに桜から返事がきた。


「今からそっちに行くから」


 その文章を見て少し固まったあと、慌てて部屋を出たところですぐに桜が来た。


「こんばんは……」

「お、お疲れ様、桜……」

「……」

「……」


 気まずい。

 そりゃ気まずいのも無理はない、昼間に桜を泣かせたばかりで、そのあと初めて会うのだから。


 俺は彼女になんと声をかけたらいいかわからない。 

 頼むから何か話してくれと、目を逸らしたまま黙っていると桜が言う。


「今のお兄ちゃんの気持ちはわかった。でも私、今じゃなくて先を見てるから。絶対最後は私がお兄ちゃんの隣にいる!」


 桜が俺を強く見ながら宣言した。

 それに対して俺は何も言えない、言おうとしても言葉が出なかった。


「お兄ちゃん……」


 桜がぼそっと俺のことを呼んだあと、振り向いて帰ろうとするその時につぶやく。


「大好き……」


 そう言って彼女は玄関の向こうに消えた。


 俺は誰にも聞こえない声で「桜」と一言呟いてからまた部屋に戻る。


 そして布団にくるまってとっちらかった頭を整理しようともがいたが、答えはでない。


 忍も好き、桜も好き。そんな最悪な答えでは誰も納得はしない。

 しかし今はどちらにもドキドキするし、ときめいてしまう。


 だからどちらのことも好きとも言えるし、反面まだどちらのことも好きじゃないとも言えるだろう。


 決めきれない。恋愛をしたことのない俺にとっては永遠に答えの出ない問題ではないかとも思う。


 多分このまま悩んでもダメなんだと、俺はそう感じた。

 しかしどこかでケジメをつけるとしたら、それはおそらく格付勝負が決した時だろう。


 俺はそれまでに答えを出せるだろうか。

 そして俺はどちらに投票するのだろう。


 結局何も考えがまとまらないまま、今日という激動の休日が俺の睡魔と共に終わっていく。

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