第16話 本音と建前
◆
「航、おはよう。今日もいい天気だな」
朝から忍は機嫌がいい。
俺の家まで迎えにくるのはもはや毎日の事なので今更驚くことでもないはずだが、今日は少し事情が違う。
そう、今日は学校が休みなのだ。
なのになぜか朝早くから忍が迎えに来ている。
「忍、今日は土曜日だぞ?それに」
「休日にも仕事はたくさんあるのだ。しかし登校日ではないから私服でよい。さっさと着替えてくるんだな」
俺は少しだけ忍の私服姿に見蕩れていた。
いつもの制服姿と違い、女の子らしいふわっとしたファッションに、また忍の違う一面を見たような気がした。
俺もさっさと着替えてから外に出ると、忍が俺をじーっと見てくる。
「な、なんだよ」
「いい、私服」
「は?」
「航の私服、かっこいい」
「ど、どうも……」
朝からデレデレする忍は、学校に向かう途中で俺に腕を組んできた。
「お、おい誰かに見られるぞ」
「今日は休みだから大丈夫だ。それに、こうしていたい」
「……」
いつもストレートな忍は今日も絶好調だ。
そんな彼女の控えめな胸が時々俺の腕に当たる。
その度に緊張しながらも、結局いつものように生徒会室に二人で向かった。
休日の校舎はとても静かだ。
部活に励む生徒の声が時々遠くから聞こえてくるが、それがなければこの世に俺たちだけ取り残されたのではと思うほどに誰の気配もない。
「さて、今日は秋の文化祭についての話し合いだ」
「え、もう文化祭の準備?」
「たわけ、秋は運動会もあるのだから直前に準備などできぬ。今からやっておかねば間に合わんぞ」
最近のポンコツ忍を見すぎて忘れかけていたが、基本的に彼女は仕事ができる。
そして真面目で責任感もあるのだ。職権乱用もひどいが。
「それで、今日は文化祭実行委員を呼んである」
忍が言って、すぐに誰かが部屋に入ってきた。
俺は目を疑った。なにせ入ってきたのは一ノ宮さんだったからだ。
「おはようございます、文化祭実行委員長の一ノ宮です……ってなんで早瀬までいるんですか?忍様、話しが違いますわよ」
「航は生徒会の人間として文化祭を行うのは初めてだから、勉強させねばなるまい」
「もう、忍様と二人きりだと思ってたのにー」
上品な見た目、愛くるしい声、しかし中身は百合。
そんな一ノ宮さんに警戒心マックスな俺は、自然とあとずさりする。
「あら、私が怖いのですか?でもご心配なく、私、男に興味ありませんので」
「それが一番心配なんですよ……」
俺のことを心底邪魔だと言った目で見てくる彼女だが、しかし急にニヤッとして俺に話をしてきた。
「そういえばあなた、一年の桐山さんと幼なじみなんですってね」
「え、ええ……そうですが」
「あなたの幼なじみ、とても可愛いわね。一度味見させてほしいわ」
「!?」
ペロッと舌なめずりした後で、一ノ宮さんは続けて言う。
「桐山さんみたいな子って、一番落としやすいのよね」
その一言に俺は震えた。
謎の百戦錬磨感を出す彼女に言葉が出ない。
忍がすぐに「余計な話はよせ」と言ってくれたことでこの話題は終わったが、俺は話し合いが始まってからもずっと不安だった。
仕事モードの忍と一ノ宮さんはどんどんと企画立案をし、やがてタイムスケジュールや予算、外部誘致の概要までをさっさと決めていき俺は必死にそれをメモしていた。
「さて、ここまで決まれば大丈夫だろう。明日あかねから先生に資料を提出してもらう」
「忍様、私お腹が空きましたわ。何か出前でもとりませんか?」
一ノ宮さんの提案でお昼に出前を取ることとなった。
しかし今日はどこも混んでいて、テイクアウトならすぐにできると言われた弁当屋で注文をすることになった。
「俺、受け取りに行ってくるよ」
「ああ、よろしく頼む」
さっきまで桜の話しかしていなかったことと、文化祭の相談を真剣にしていたことで俺はうっかりしていた。
弁当屋に自転車を走らせる途中で思い出す。
一ノ宮さんの狙いは忍だった……
あまりに迂闊だった。
しかしもうすぐ弁当屋に到着するので、急いでそれを受け取ってから引き返す。
十中八九何もないとは思うが、一ノ宮さんの自信にあふれた目を見ていると何が起こるか正直わからない。
必死に自転車を漕ぐ俺は、まるで恋人の危機に駆け付ける主人公さながらに必死だったと思う。
急いで校舎の前に自転車を止めて弁当を持って階段を駆け上がる。
どうしてこんなに必死になるのか、それはよくわからない。
でも、早く行かなければ後悔する。そんな不安が俺を動かした。
「忍!」
急いでドアを開けると、そこには忍だけがいた。
一ノ宮さんの姿はない。
「どうした、そんなに慌てて」
「い、いや……一ノ宮さんは?」
「茶道部の部室に寄っていくと言って一度出て行ったぞ」
「そ、そうか……」
その瞬間全身の力が抜けて俺はその場にへたり込んだ。
疲れと安心感が一気に俺に押し寄せる。
そんな俺に忍が駆け寄ってくる。
「航、私を心配してくれていたのか?」
「ま、まぁ、一応」
「嬉しい……優しいな航は」
「い、一応生徒会の一員として、だよ」
「ふふっ、このツンデレめ。よし、お昼にしよう」
忍は飲み物を用意する間も鼻歌を歌いながら上機嫌だ。
俺が心配していたとわかり嬉しかったのだろう。
お弁当を食べる時も終始俺の隣を離れない。
時々おかずをあーんしてくるので、俺はそれを素直にいただいた。
一ノ宮さんが戻ってくるまでの短い時間ではあったが、俺たちは本当の恋人のような時間を過ごした気がする。
やがてまた三人になった生徒会室で、最後に資料をまとめてから今日の業務は終了となった。
「鈴音、今日は助かった。また頼む」
「ええ、忍様のお願いとあらばいつでも。でも今度は二人きりがいいですわ」
そう言って部屋を出る一ノ宮さんは去り際に俺にだけ聞こえる声で「いつか殺す」と言った。
俺は一体何人の女性に命を狙われたらいいんだ……
そんな絶望感の中、気が付くと忍と二人きり。そんな折に藤堂先輩からの連絡が入る。
「もしもしあかねか。うん、わかった。待ってる」
藤堂先輩もどうやらこの後こっちに来るらしい。
珍しいこともあるもんだと、俺は少し驚いた。
忍と俺の二人きりの時間に割り込むなんてことを藤堂先輩の方から進んで行うのはちょっと不気味だ。
彼女はすぐに部屋に来た。
そして自分でお茶を用意し、席について一息ついた後俺に言う。
「桜ちゃん、さっき鈴音ちゃんと一緒にいたけど何かあったのかなぁ。すごく怖い顔してたなぁ二人とも」
俺はそれがどういう意味かすぐにわかった。
この人は暗に「桜が狙われている」と言ったのだ。
「え、ど、どこでですか!?」
「さっき見たのは屋上の手前の階段だったかなー。あ、もしかして二人って……キャー、発展場なのよねあの辺って。だから」
「し、失礼します!」
俺は急いで部屋を飛び出して屋上に向かった。
桜が危ない。
俺は何もないことを祈りながら、必死に足を前に出した。
だいたい休みだというのにどうして桜が学校にいるんだ……
あいつ、もしかして俺が学校に来てるのを知って……
「さくらー!」
誰もいない校舎に俺の声をこだまさせながらがむしゃらに走っていった。
◆
「あかね、これで大丈夫なのか?」
「うん、ばっちりだよ。桜ちゃんを救出しに行った早瀬君はきっと気づくわ。桜ちゃんに抱くその感情は恋愛じゃなくて家族愛だってね。それに鈴音ちゃんのことだから勝手にいい仕事してくれるだろうし」
「で、でももし桜に何かあったら……それにいい雰囲気にならないとも限らないだろ……」
「あはは、ないない。どっちも絶対にないよ。鈴音ちゃんって口だけで実際はヘタレだし。それに早瀬君、もう忍ちゃんのこと好きだと思うから」
「そ、それは本当か?間違いないのか?」
「うん、私は絶対間違わない。今までもこれからも、ね」
あかねがそう話すと、じわじわ込み上げる喜びに忍は震えた。
「航が、私のこと……好き。ああ、私は幸せものだ……」
浮かれた表情で給湯室に向かう忍を見ながらあかねが独り言。
「ふふ、桜ちゃんにはこれから起こることはちょっと残酷かもね。でも、私に逆らった報いは受けてもらうわよ。私、忍ちゃんみたいに甘くないから。さて、そろそろ行こうかしら」
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