第13話 迫る恐怖

 意識を取り戻した忍は何事もなかったかのように平然としていて、せっせとお茶を淹れていた。


「さて、少しゆっくりしたら授業に行くか」

「せっかく家庭教師してもらってるのに授業サボったら意味ないからなぁ」


 少し前まではチャイムの音に大慌てしながら教室に戻っていたというのに、今ではすっかり生徒会の傍若無人なルールに慣れてしまった。


 昼休みの終わりを告げるチャイムを聞きながら忍とお茶を飲んで、少ししてからそれぞれ教室にもどることとなった。

 

 静かな廊下を一人で歩いていると、さっきのふにゃふにゃ忍のことが頭をよぎる。

 

 なんか別の生き物みたいで可愛かったな。

 普段からあんな感じだったら俺はとっくの昔に攻略されていたかもしれない。

 それくらい結城忍という人間が見せる可愛く弱々しい一面には破壊力があった。


 少し口元を緩めながら教室に近づいていると、偶然なのかある人とすれ違った。


「あっ……」

 

 思わず声が出た。

 すれ違ったのはあの一ノ宮鈴音、美女格付三位につけるこの学校の有名人の一人。

 そしてさっき藤堂先輩の口からその名前を聞いていたことで、彼女を見て反応してしまった。


「なんですか、私に用でも?」


 俺の声を聞いてか、すぐに向こうが反応した。

 振り向きざまの彼女の妖艶さは忍とは違った美しさがある。


「い、いえなんでも……」

「そう。おや、あなたは確か二年生の早瀬君ですよね?」

「ええ、そうですが」

「なるほど、忍様はこういうのが好きなのね」

「忍、様?」


 なんか意味深、というか訳ありなように聞こえる。


「な、なんでもないですわ。それよりあなた、生徒会長と付き合っているって本当かしら?」

「え、いやまぁ……」

「あのお方にあなたのような凡人はふさわしくないわ。さっさと夢から覚めなさい」

「え、それはどういう」

「あ、もう行かないといけないわ。それじゃ、私は警告したわよ」


 一宮さんはさっさとどこかへ消えていった。


 なぜあの人が忍の恋愛に口出しを?

 ランキング争いをしているのならむしろ彼氏の存在なんて忍にはマイナスなんだし一之宮さんにとってはプラスだと思うんだけど……


 よくわかんない人だなぁと首をひねりながら教室に戻り、一人でこっそりと席に座ってボーっとしていると、先生から声をかけられた。


「あとで職員室に来なさい」


 これは学生からしたらまずまずのパワーワードだ。

 

 一体俺は何をやらかしたのだろうか。

 以前までなら先生に呼び出されても何も怯えることはなかった。


 しかし今は生徒会であることをいいことに好き放題しているわけで、当然後ろめたさがあった。

 だから調子に乗りすぎたことを説教されるのではと不安になり、また胃が痛くなった。


 授業が終わると大人しく職員室に向かう。

 中に入ると、さっき授業中に俺に指示した国語の中島と英語の滝本が座って待っていた。


「早瀬、君は生徒会に入ったそうだな」

「は、はい……」

「生徒会長とは随分懇意にしているそうだな」

「は、はぁ……」

「副生徒会長とも仲がいいのか?」

「ま、まぁ……」


 もしかして俺と忍が学校でいかがわしいことでもしていると疑われているのだろうか?

 確かに密室で大胆なアプローチをかけられてはいるが、それでもやましいことは何一つ……いやキスはしたっけ。


「おい早瀬、聞いてるのか?」

「す、すみません……」

「まぁいい。それよりこれを副会長に渡しておいてくれ」

「藤堂先輩に?」

 

 中島と滝本から渡されたのは小さな封筒だ。

 しかしその中身がなんなのか、見なくても大体の察しはついた。


「先生、これって」

「私たちが渡しても受け取ってくれないのだ。くれぐれも頼むぞ。それにお父様にもよろしくお伝えくださいと、ちゃんと伝えるんだぞ」

「……」


 俺は封筒を持ってさっさと職員室を出た。


 そして一言だけ言いたい。大人って汚い!


 結局権力には逆らえない、長いものには巻かれろというのが大人の生き方なのだと改めて知ることで、俺のテンションは一気に下がっていた。


 しかし大事な預かりものをなくしてはいけないからと生徒会室に向かうと、タイミングよく藤堂先輩がいた。


「先輩、ちょうどよかった。これ、先生たちから」

「もう、何回も断ったのにしつこいなぁ。でも、いただけるものはいただこうかしらね。それで、パパによろしくって?」

「そ、その通りです」

「大人って汚いよね。権力欲しさになりふり構わずって感じで。大体賄賂なんて古いのよ。時代じゃないわ」


 皆の欲する権力の象徴みたいな人がそう言うと、全く説得力がない。

 多分この人には下の人間の考えることなど一生わからないんだろうなと、その時確信した。


「そ、そういえば噂を流した犯人はやっぱり一ノ宮さんだったんですか?」

「ええ、彼女にはきちんと話しておいたわ。でも、無駄みたいだけど」

「無駄?」

「あの子、ランキングでトップ取る気なんてないのよ。ただ変な噂を流して忍ちゃんが傷ついたところを狙ってただけみたい」

「な、何のために?」

「あら、わからない?」


 不思議そうな顔で俺を見る藤堂先輩は、あっさりと俺の前で衝撃的なことを言う。


「あの子、百合なのよ」

「ああ、ゆ……百合!?」

「そう、忍ちゃんのことが好きみたい。だから忍ちゃんのライバルは桜ちゃんだけど、早瀬君の恋のライバルは鈴音ちゃんかしらね」

「は、はぁ……」


 全く予想外の展開に俺はしばし茫然とした。

 しかしよくよく考えると、忍にその気がなければ成り立たないじゃないか、なんて思ってから、なぜかホッとしていた。


 しかし安心を見せる俺に対して藤堂先輩はまたしても衝撃的な一言を放つ。


「あの子、狙った女子は全員食べてるから気を付けてね」

「ぜ、全員!?」

「あの子の票のほとんどがセフレ票だから。もちろん全員女子だけど」

「ああ、もう頭がおかしくなる……」


 聞きたくない話が次々と俺に浴びせられる。

 あまりの情報量に俺は頭を抱えた。


 そして困っている俺を見ながら実に愉しそうな表情を浮かべた先輩が最後に一言。


「ちなみに桜ちゃんのことも狙ってるらしいわよ、可愛い子には目がないから」


 そう言ってその場を去る藤堂先輩はケラケラと笑っていた。

 俺はこの数分で流れ込んできた信じられない情報群についに思考をやられていた。


 その後は授業に出る気にすらならなかった。

 生徒会ばんざーいと一人でつぶやきながらずっと生徒会室の椅子に腰かけてボーっとしていた。


 放課後を告げるチャイムでようやく目が覚めた俺は、気を取り直して忍が来るのに備えた。


 しかし今日は忍が来ない。

 連絡をしても返ってこない。


 何か別の用事でもあるのだろうと、しばらくは仕事をして待っていたが段々と不安が俺を襲う。


 もしかして、一ノ宮さんの毒牙に忍が!?

 それに藤堂先輩は言っていた。一ノ宮さんは桜も狙っていると。


 様々な不安が込み上げてきて、ジッとしてはいられなくなった。

 慌てて部屋を飛び出すと、一目散に二人の姿を探した。


 そして校舎を駆け巡りながら桜に連絡をすると、電話が繋がった。


「何、私今から帰るところなんだけど」

「そ、そうかよかった……でも、正門まで送るから」

「どうしたのよ急に、別にいいわよ」

「い、いやとにかく待ってろ」


 慌てて下に降りると、校舎の入り口付近で桜の姿が見えた。


「桜!よかったぁ……」

「何よ気持ち悪いお兄ちゃんね。私に何かあったの?」

「い、いやそれは」


 桜は下ネタとかが嫌いだ。

 そんな彼女に一ノ宮さんの話は到底できない。


「とにかく、最近変な人が多いから気をつけろってことだよ」

「まぁ変質者って多いもんね。でも学校だよここ?」

「ここが一番危険なんだよ……」

「どういうこと?」

「あ、いやこっちの話……とにかくそこまで見送るよ」


 俺は桜を正門を出るところまで見送った。

 もちろんこの後忍も探しに行かないといけないので引き返そうとすると、桜が俺の袖を掴んだ。


「ど、どうしたんだ?俺、ちょっと急がないと」

「……なんか知らないけど心配してくれて、その、ありがと……」

「そ、それはまぁ幼なじみとして当然と言うか」

「でも嬉しかった。お兄ちゃん……」


 桜の顔が真っ赤だ。

 夕陽のせいかもしれないが、それにしたって赤い。

 まるでりんご飴のように赤く染まった彼女は、少し強めに俺を見ると、言った。


「お兄ちゃん、私お兄ちゃんが好きだから!だから負けない、絶対に!」


 そう言ったと思うとすぐに桜は走り出した。

 俺は遠くなる桜の背中を見ながら、少しの間動けなかった。


 もしかしたらなんて思っていても、いざそう言われたら話は全く変わる。

 桜は俺の事が好きなんだ。

 そう思うと複雑で、どういう気持ちになったらいいのかわからなくなった。


 嬉しいのか辛いのか、喜ばしいのか困るのか。それすら何もわからない。

 桜の告白をどう受け止めていいかわからないまま、ただ桜の赤くなった顔を思い出していると忍から着信が入った。


「も、もしもし」

「こら、今どこにいるのだ?生徒会室の鍵が開けっ放しだったぞ」

「ご、ごめんすぐに戻るから」

「桜か?」

「そ、それは……」

「まぁいい、さっさと戻れ」


 俺はふわふわする癖に重い足取りで生徒会室に戻る。

 そして部屋に入ると忍が仁王立ちしていた。


「生徒会の仕事を投げ出すとはいい度胸だ。しかし懲罰ものだぞ」

「ち、違うんだって、忍が一ノ宮さんに何かされてないかなって心配で」

「鈴音に?私が彼女に何をされるというのだ」

「い、いやそれは」


 忍には言っていいのか?

 まぁ彼女は俺よりも先輩だし大人だし、藤堂先輩と仲がいいくらいだから当然そんな話もしていると思うが。


「もしかして、鈴音と何かあったのか?」

「そ、そうじゃなくて」

「じゃあなんだ、言ってみろ?」

「……鈴音さん、百合なんだって」

「百合……?」


 忍は意味がわかっていなかった。

 しかし気になってか、百合とはなんだと散々俺に問い詰めてきたので懇切丁寧に説明する羽目になった。


「……というわけだから、忍も狙われて」

「はわ、はわわわわ……ゆ、ゆりってすごいにゃあ……」

「忍!?」


 あまりにも赤裸々に話し過ぎたのか、忍が完全にショートしていた。

 どうしようとうろたえていると、今度は藤堂先輩がすぐに回収に来た。


「あらあら、忍ちゃんは純粋だからエッチな話題はダメよー」

「す、すみませんつい」


 忍を抱えて連れ出そうとする藤堂先輩は、俺に一言。


「先に桜ちゃんのところに行くのはいただけないなぁ」


 バタンと扉が閉まる直前に、俺は藤堂先輩の顔を見た。

 その顔は一切笑っていなかった。


 どこで見ていたのか、なんて疑問よりも先に恐怖が俺を襲う。


 大粒の汗が俺の額に浮かぶ。

 しばらく一人で呼吸を整えたあと、家に帰ったが忍からの連絡はなく今日は家庭教師はお休みのようだった。


 そして桜からも連絡はこない。


 どうしたらよいものかと再び頭を悩ませているうちに夜になった。

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