第12話 本音はまだ明かさない


「うぅっ、なんか鳥肌が……」

「お兄ちゃんどうしたの?風邪でも引いた?」

「いや、なんか嫌な予感がして……誰かに噂されてるのかな」


 今俺は桜の部屋で彼女に勉強を教えている。

 とは言っても桜は勉強も俺よりできるので教えることなどほとんどない。


 ただ俺が一年早く生まれたから先に知った情報を提供してあげる、くらいのことしかできない。

 それでも何かしていないと落ち着かない。


 なにせ桜の部屋に入るのなんて小学生の時以来なのだから当然とも言える。


 まだお互い恋愛なんて興味もなかったあの頃の桜の部屋は可愛らしい人形でいっぱいだったような気がする。

 

 しかし今はさっぱりしていて、難しそうな本が少し本棚に並べられているだけの殺風景な部屋になっていた。


「なによ人の部屋キョロキョロ見て。別に何もないわよ」

「いや、昔はなんか女の子って感じの部屋だったよなーって」

「そりゃ私も高校生なんだからお人形とかとっくに卒業するわよ」

「そ、それもそうか」


 桜は昔から何でもできた。

 足も速いし友達だって多い。


 そんな彼女が、ただ近所だというだけで俺のことをお兄ちゃんと慕ってくれていたのは嬉しかったのだ。

 だから俺も本当の妹のように接してきたつもりだった。

 だが今は少し違う。


「忍さん、やっぱり勉強教えるのも上手いの?」

「ま、まぁ学校始まって以来の秀才なんて呼ばれる人だからな。なんでもできるって感じだよ」

「ふーん。でも、やっぱりお兄ちゃんには似合わないと思うけどなぁ」


 桜は明らかに俺を男として意識している。

 察しのいい方ではない俺だって、それくらいはわかる。


 もちろんそんなことを言えば「そんなわけないじゃない」とか言われて怒られそうだが。


「今日の怪我、あれも忍さんが原因なんでしょ?彼女のファンが暴走したって聞いたけど」

「あれは俺を殴ったやつらが悪いだけで忍は悪くないよ。むしろ助けてくれたわけだし」

「へー、庇うんだ。やっぱり好きなの?」

「そ、それは……まだなんとも」

「ふぅん」


 桜とは昔から恋愛話なんてしたことがなかった。

 俺に好きな人や恋人がいなかったから、というのもあるが、なぜかこいつとはそういう話をする気になれなかった。


 だから今はかなり気まずい。

 俺自身どうしたらいいか困っている忍のことを聞かれると更にどうしたらいいか迷う。


「まぁいいわ、それはお兄ちゃんが決めることだし。私は全力で勝ちに行くだけだし」

「なぁ、あの人に逆らったら後が怖いぞ?藤堂先輩もついてるわけだし」

「藤堂あかね……あの人って絶対性格悪いよね。私、二人とも嫌いだから安心して」

「心配だよ……」


 少し勉強の手が止まり、桜と雑談をしているとまた俺の携帯が騒がしくなってきた。

 

 もちろん忍からで、今どこだなんてメールがズラリと俺の携帯を占拠していく。


「それ、どうにかならないの?うるさいんだけど」

「あ、ああ……どうにもならんな」

「あっそ。じゃあ今日は帰ったら?集中できないし」

「もういいのか?」

「いい。ここで忍さんとメールされる方がうざいし」

「そ、そうか」


 桜に言われて俺は家に帰ることにした。

 鍵を閉めるついでだと言いながら玄関まで来てくれた桜は、別れ際に自信満々な顔で一言。


「私、頑張るから。期待しててね」


 そう言った彼女の決意に満ちた表情は俺の不安をさらに加速させる。


 忍とメールをしながらベッドで一人、明日桜は一体何をするつもりなのかと怯えていた。

 なんか胃が痛くなってきたのですぐに寝たかったが、今日はいつにも増して忍のメールが止むことはなく、夜遅くまでやり取りは続いた。



 翌朝は忍が俺を迎えにきた。

 いつものように二人で登校してから生徒会室で仕事を終え、一人で教室に向かう時、知らない生徒から声をかけられた。


「なぁお前って二年の早瀬だよな?」

「ええ、そうですけど……」

「結城さんってメンヘラなんだって?それにすっげーエッチなんだろ?いやーショックだよ俺、ファンだったからさー」

「え、誰がそんなことを……」

「みんな言ってるぜ?誰が言い出しっぺかまでは知らないけどさ」


 その話を聞き、慌てて教室に入ると、同じような話で溢れかえっていた。

 清純で硬派なイメージの忍が実はメンヘラだった。

 そんな噂は彼女の好感度を下げるには十分で、中にはすでに「次の投票は桜ちゃんかなー」なんて言い出すやつらも出てきていた。


 俺は学校に蔓延する忍の噂話を誰が流したか、一人心当たりがあった。


 桜だ。


 もちろん桜が人の悪口を他人に言うなんて信じたくなかったが、今の状況では疑わざるを得ないだろう。


 俺は昼休みまで噂で溢れる教室の隅でジッと耐えながら、桜にどう問いただすか考えた。


 そして、素直に聞いてみることを決めた。

 

 相変わらず授業中休み時間を問わず忍からのメールは鳴り止まないが、その噂話のことについては一切触れてこない。


 まだ本人の耳には入っていないのかもしれないと思い、俺もその件については触れないようにした。


 そして昼休み、忍に少しだけ待っててくれとメールしてから桜のところへ向かった。


「桜、いるか?」

「おに……先輩?教室まで何の用事?」

「いいからこい」


 俺は桜を連れて人の少ない場所へ連れて行った。


「なによ急に、用事ならメールでも」

「忍の噂話、流したのお前か?」

「え……」


 俺は桜に強い口調で聞いた。

 多分だが、この時の俺は怒っていたと思う。


「お前、なのか?」

「違うもん、私そんな噂流してないもん……」

「え、本当か?」

「う、嘘なんか言わないわよ……」

「……」


 桜の顔は嘘をついているようには見えない。

 

「お兄ちゃん……私を疑ってるの?」

「い、いや……」

「私、絶対そんなことしないもん!」


 目に涙を浮かべながら話す桜を見て、彼女は嘘を言っていないと確信した。

 また、そんな桜を疑ってしまった自分を反省した。


「ごめん……疑ったりして。でも、昨日秘策があるようなことを話してたからさ」

「わ、私の作戦は……ひ、秘密!でも人を陥れようなんてことはしないもん!」

「わかったわかった、俺が悪かった……ほんとごめん」

「でも今の状況なら疑うのは仕方ないし……まぁ特別に許してあげなくもないけど」


 俺は桜に最低なことをした。

 しかしこいつはそれを許してくれる。

 

 昔からそうだ。俺が泣かせてしまったりちょっと意地悪をして怒らせてしまっても最後には必ず許してくれる。


 それに桜は絶対に相手と争う時も正々堂々真正面から勝負に挑む。

 手段を選ばないといってもそれは相手を傷つけない範囲であって、決して相手を陥れるようなことはしない。

 そんな桜を一度でも疑ってしまうなんて、最近の俺はどうにかしてる……


「ほんとごめん、今度埋め合わせするから」 

「もういいわよ、疑われるようなこと言った私も悪いんだし。それより、その噂一年生の間でも流れてたけど誰が言い出したんだろ?」

「確かに……忍に恨みがあるやつ、だとしてもそんなことする必要があるやつなんているのか?」

「一人いるじゃなーい」


 突然俺たちの会話に入ってきた声のする先を見ると、藤堂先輩が立っていた。


「藤堂先輩……心当たりがあるんですか?」

「ええ、あるわよ」

「そ、その人って」

「格付ランキング、桜ちゃんがくるまで二位にいた人、知ってるでしょ?」

「あっ……」


 そう、忍と桜の勝敗を決する舞台である校内美女格付にて、ずっと忍につけていた、そして藤堂先輩よりも上位にランキングする人が一人いる。


 前回三位の一ノ宮鈴音いちのみやすずねだ。


 俺と同じ二年生で、去年までは忍の次のナンバーワン候補筆頭だった彼女はまさに和風美人という表現がピッタリな大和撫子。


 黒く綺麗な長髪に平安貴族のようなぱっつん前髪、そして白い肌と大きな目はまるで人形のようだと評される茶道部の部長だ。


 しかし彼女もまた、男を寄せ付けないオーラとあまりの品格で他を圧倒する。

 女子人気に関しては忍以上なんて噂もある彼女なら忍を蹴落としたいと思うだけの動機はある。


「そう、彼女は前からずっと忍ちゃんにつっかかってきてたし、今回の件に関わってる可能性は高いわ。それに、忍ちゃんの次はあなたかもね、桜ちゃん」

「私?」

「ええ、あなたに負けた時鈴音ちゃんは相当怒ってたみたいだし、明日あたりあなたがビッチだなんて噂も流れてるかもね」

「……私はそんな噂になんて負けません」

「あら、でもみんな噂話って好きだから。せいぜい気をつけなさいね」


 気をつけなさい?

 そんなことを桜に言うなんて、藤堂先輩にも他人を心配する心があるんだな……


「ご忠告感謝します先輩、でも先輩の方こそ気をつけてくださいね」 

「大丈夫、私はそういうのは興味ないから」


 さっさと藤堂先輩はどこかへ向かおうと歩き出した。


 しかしすぐに足を止めて俺の方を見ると手招きしてくる。

 なんだろうと思って近づくと、耳元で俺にしか聞こえないような声で一言。


「桜ちゃんのおうちに行くのはいいけど、内緒にしたらダメよ」

「え?」

「隠し事は揉め事の原因だから。これ、先輩女子からのアドバイスよ」

「は、はぁ……」


 俺はあいた口がふさがらなかった。

 手を振りながらこっちなど見向きもせずに去っていく藤堂先輩の背中はとても大きく、そして黒く見えた。

 あの人の全知全能感は一体なんなんだ……


「お兄ちゃん、何言われたの?」

「え、いやまぁいつもの脅し、かな……」

「ふーん、あの人やっぱり好きになれないな」

「まぁ俺も苦手だよ。怖い」

「うんうん、お兄ちゃんは苦手そうだもんね」


 うっかり桜を疑って呼び出したことがきっかけだったが、少しの間桜と楽しく雑談が出来た。

 昨日の夜だってあまりうまく話せなかったし、こうして自然な会話を桜とするのはほんといつぶりだろう。


 ついつい楽しくて話に花が咲いていると忍からのメールの津波、もはやメイルストロムとでも言っていいような激流が押し寄せてきたので桜との会話を終わらせることにした。


「桜、今日はほんとごめんな。でも、頼むから無理しないでくれよ」

「もういいって言ってるでしょ。それに私が頑張りたいのよ今は」

「なんでそこまで……」

「……気づいてるくせに、バカ」

「え?」

「さぁ、もう行った行った。でもくれぐれも忍さんとチューとかしたらダメよ」

「あ、ああ……」


 どこか機嫌よさげに去ってい桜を見送ってから俺は生徒会室に向かった。


 もちろん忍からは「遅い!」と散々説教をされたが、お弁当を食べているうちになんとか機嫌が回復してくれたので胸をなでおろしていた。

 すると忍がさっきの噂話の件を話題にあげた。


「航、私がメンヘラだという話を誰かが流しているようだな」

「ああ、聞いたのか。でもそれは藤堂先輩がなんとかするって言ってたけど」

「あかねにかかれば昼休み中には解決だろうな。それより、私はメンヘラなのか?」

「え、いやそれは……」


 うーん、メンヘラなのかヤンデレなのか。

 そもそもその二つの違いってなんだ?単に言い方の違いというだけか?


 いやいや、そうじゃなくてそもそも忍は病的か否かということだろう。


「どうなんだ?私はメンヘラ処女なのか?」

「いや処女かどうかは知らないけど」

「処女に決まっているだろうがたわけめ、私がそんな軽い女に見えたか?」

「そ、そんなことは言ってない、けど……」

「私は航に処女を捧げていいのだぞ。その気になればいつでも襲え。そして二人で子をなして家族で誰も知らない土地に行って、家族だけでひっそり暮らすのだ。ふふ、想像しただけでよだれが。ふふ、ふふふ、へへ」

「……」


 やっぱりメンヘラだなこの人。

 しかし噂を流した人間は忍の本性を知っている人なのだろうか?

 あてずっぽうだとしたら一言「ビンゴ」と言ってあげたいよ。


 少し壊れかけた忍と二人で昼食を食べてから席を立とうとするとバランスを崩して思わず忍にもたれかかってしまった。

 抱きしめた格好になってしまったので慌てて離れた。


「あ、ご、ごめん。ちょっと足が」

「かまわん、それより大丈夫かにゃ」

「にゃ?」

「にゃ、にゃんでもにゃい、ぞ。ふみ、足元には気を付けたまえ」

「……」


 明らかに忍が照れていた。

 手を繋ぐのも俺を触るのも平気なのに抱きつかれると弱いのか?

 しかしこのモードの忍……かわいいな。


「忍、あの」

「はにゃにゃ?にゃんだ」

「……可愛いなそれ」

「きゃ、きゃわわいぃ?はぅぅぅ……」

「し、忍!?」


 急に電池が切れたように気絶した忍が崩れ落ちそうになったので慌てて支えたが、既に意識はなかった。


 困ったことに今日は回収業者さんが来ない。

 しばらく俺は忍を介抱して、彼女が意識を取り戻す頃には昼休みが終わってしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る