第11話 流されそう
◆
朝から学校中がある話で盛り上がっていた。
もちろんそれは俺と忍のことである。
あのパーフェクトクイーンに彼氏ができたらしい、なんてレベルのものから早瀬とかいう二年生が何か秘密を握って忍を脅して無理やり付き合っている、なんて物騒な、そして根も歯もない噂まであった。
俺のクラスの人間は俺と忍が付き合っていると信じて疑わない。
昨日はそれはそれは驚いた様子だったが今日は比較的落ち着いていた。
やはり噂レベルでは話が変な方向に伝わるものだ。
いっそのこと公言してしまった方が、クラスなみんなのようにいずれ受け入れてくれるのではと考えていたが、それは大きな間違いだったことに気づく。
ある休み時間に三年生男子が数人俺のところへ来た。
見ると昨日俺に絡んできた木下なんかよりも数倍ヤンキーな雰囲気の連中だ。
中に着ているTシャツだけはご丁寧に忍ラブと書かれていたので、あの手のグッズを作って売りつけている輩がいるのでは、なんて想像し呆れていた。
しかしそんな冷静にいられるのもその時だけ。
すぐに教室の外に引きずり出されて二、三発殴られたあと、手を引けと脅された。
俺は思った。手を引けという相手を間違えていると。
俺は言い寄られた側で、どちらかと言えば手を引くべきなのは忍の方だ。
しかしそんな話は信用してもらえるはずもない。
黙っていると相手がイライラしてきたのか、また拳を振り上げた。
「待て!何をしている」
まさに殴られる瞬間、忍の声がした。
「し、忍?」
そこには凛とした姿で立つ忍がいた。
その姿に慌てふためくヤンキー達は必死に何かを弁明していた。
しかし忍ははっきりと言う。
「私の航に手を出す連中は
ヤンキーたちは背中を丸めてトボトボと去っていった。
「航、無事か?」
「う、うん……大丈夫、だけど」
「保健室に行こう。うん、その方がいい」
「大げさだよ、大丈……いてて」
「痛がっているではないか。ほら、いくぞ」
結局また授業をサボって、保健室に連れていかれた。
忍は救急箱を出して手際よく俺の擦りむいた傷を治療してくれた。
しかしその顔はいつもより浮かないように見える。
「済まない、私のせいでこんな」
「いやいや、忍が悪いわけじゃない、から。でも人気すごいよな忍って」
「ああ、私はずっと完璧を貫き通してきたからな。そのために努力もした。だから当然の結果だ」
俺の膝の傷を消毒しながらそう話す忍は、続けて言う。
「だが、私とて女だ。弱い自分もいる……だから、その、今は私のせいで大事な人が傷ついたと思うだけで胸が痛いのだ……」
「忍……」
「航……」
あ、この流れってキスするやつだ。
キスなんて一回しか、それも奪われただけの経験しかないのにそれは直感でわかる。
そのまま忍と見つめ合って次第に忍の顔が近づいてくる。
そっと目を閉じてその流れに身を委ねようとしたその時、保健室の引き戸がガラガラと音を立てた。
「お兄ちゃん、怪我したってほんとう!!?大丈夫なの……ってなんで忍さんがいるのよ」
「ほんと、あなたっていつもタイミングが悪いわね。授業はどうしたのよ」
「ちゃんと先生に言ってからきたので大丈夫です。それより、今何しようとしてたのお兄ちゃん」
「え、いやそれは……別に」
「鼻の下伸びてる」
「え?」
「変態、バカ、死ね!」
桜は怒って出て行った。
「騒がしい女だ。しかしもう邪魔は入らない。続きをするか」
「え、いやあの……」
一度空気が途切れたことで、改めてキスをしようとするのが気まずくなった。
それにふと、今朝の藤堂先輩の発言が頭をよぎる。
責任とってなんて重い言葉が、急に俺を冷静にさせた。
このまま流されてキスばっかりしていたら、(仮)なんて言い訳が通じなくなる。
確かに忍は超のつく美人だしそりゃあ言い寄られるのは嬉しい。
しかしヤンデレっぽいしまだこの人のことよく知らないし、藤堂先輩とか超怖いしこのまま付き合うだけの覚悟はまだ持てない。
だから躊躇った。
そして忍が差し出す唇に吸い込まれることなく椅子を立った。
「なんだ、しないのか?」
「ま、まぁちょっとしらけたというか」
「桜か」
「へ?」
こういう時、うまくかわす術を俺は知らない。
キスを断った格好になったのは忍のプライドを傷つけたのか、すごい目で俺を睨みつけながら、迫ってくる。
「桜の顔を見た途端その態度、さては桜のことが好きなんだな?」
「い、いやそんなわけないじゃないか……」
「航は私の彼氏ではないのか?私はお前に身も心もささげる覚悟、いやもうささげたぞ」
「いや勝手にささげないで……」
「嫌なのか?迷惑なのか?私みたいな女よりもおっぱいの大きな女の方がいいのか?どうなんだ、どうなんだ?」
「こ、怖いって……」
発作を起こしたように必死に俺に言い寄る忍は目の焦点が少々合っていない。
その瞳の奥は濁っていた。
「なぁ、桜より私だと、そう答えてくれ」
「え、ええと……」
「違うのか?」
「い、いや、それは……」
はっきり答えていいものか。そんな躊躇いもあったが今はまずこの状況を鎮めるのが先に思えた。
だから「忍の方が大事だよ」とせっかく答えたのに、まためんどくさい忍が顔を出す。
「じゃあ証明しろ」
「証明って……何をどうすればいいんだ?」
「そうだな、じゃあ……ぎゅっとしろ」
「……わかった」
俺は両手を広げて構える忍をぎゅっと抱きしめた。
細い、あまりにも細いその体はこのまま力を入れたら折れてしまうのではないかと思うほどだった。
そして本人は小さいと気にしている胸も、しっかりその弾力を俺に伝えてくる。
正直言えばやばい。忍の香りが全開だし、いたるところが密着していて俺はひどく興奮してしまった。
そして初めて自ら忍とキスをしたい、なんて衝動にかられた。
なので一度忍から離れて顔を見た。
「忍、俺……」
「はわ、はわわわわ……」
「し、忍?」
「航の、にほひ……はにゃあ」
忍は目を回していた。
そしてタコのようにふにゃふにゃになっている忍は俺が支えていないとその場に崩れそうだ。
「忍、忍?大丈夫か?」
「ふぇーい」
「……」
今朝同様、おかしくなってしまった忍をどうしようかと悩んでいると、保健室のドアがガラガラと開いた。
「はいはい、忍ちゃんちょっとこっちにきてねー」
またしても藤堂先輩が忍を回収しにやってきた。
「早瀬君、生徒会長をこっちに」
「え、ええ」
「もう、ふにゃふにゃになっちゃって。いーい、この忍ちゃんのことは絶対に他の人には言ったらだめよ」
「い、言いませんけど。でも大丈夫なんですか?ほとんど気絶してますけど」
「そうねぇ、しばらくすれば元に戻るわ。それより」
忍をおんぶして外に出ようとする藤堂先輩が振り向きざまに一言。
「もうさっさと覚悟決めてね」
ピシャッと閉まった扉の前で俺は立ち尽くした。
そしてしばらく保健室で時間を潰してから教室に戻った。
放課後はすぐに忍から連絡が来た。
すっかり元の状態に戻っていた忍と一緒に俺の家に帰ると、早速母さんが忍を出迎えた。
「あら、忍さん。今日も来てくれたの?」
「はい、いつもすみません。今日から航君の家庭教師をさせていただくことになりまして。しばらく出入りが続くと思いますがどうかお気遣いなく」
「そうなの?航ったら何も言わないから。ケーキでも買ってくるからゆっくりしていってね」
母さんはどうやら忍のことを俺の彼女だと思っているようだ。
まぁ当たらずも遠からずではあるが……
忍が部屋に来ることは不安でしかなかったが、部屋にあがるとすぐに教科書を出せと言ってくる。
「さて、勉強をするぞ。さっさと準備をしろ」
「は、はい」
「航には学力をあげてもらって私と同じ大学に来てもらわねばならぬからな。夢のキャンパスライフを一緒に楽しむのだ」
「そういえば忍は大学どこ受けるの?」
「迷っている。しかしどこでも受かるからな、海外も選択肢にある」
「はぁ、すごいな」
少しして母さんがケーキを持ってきてから「ごゆっくり」と意味深な笑みを浮かべて出て行った。
そんな母の態度を見て忍が「御休憩の札が部屋に必要だな」なんて冗談を言ってヒヤッとしたが、それでも今日は勉強モードを崩さなかった。
勉強を教えてもらっている間に気づいたことがあった。
忍の頭は恐ろしいほどにいい。
もはやロボットかと言いたくなるほどに正確に教科書の文章や単語を暗記している。
一体どうすればここまで頭がよくなるのだと不思議に思いながらも、その答えも忍が簡単に導き出す。
「はぁ、全然わかんない。どうやったら忍みたいに頭がよくなるんだ?」
「それはな、愛だ。愛があれば勉強など余裕だ」
「愛、ねぇ……」
忍曰く「好きな人と一緒の大学に行きたい」という気持ちがあれば偏差値なんかどうにでもなる」とのことだった。
色々言いたいことがあったが、それだと俺がまずするべきなのは勉強よりも好きな人を作る、ということなんじゃないか。
言えるはずもないそんなことをぼんやり考えながら、しばらく勉強は続いた。
「よし、今日はここまでにしておいてやろう」
「疲れたー。こんなに勉強したのって初めてだよ」
「明日からもビシバシしごいてやる。覚悟しておけ」
「はーい……」
すっかり夜になっていたので、忍は家に帰ることになった。
母さんが忍に「明日は夕食もご一緒に」なんて誘ったもんだから忍は目を輝かせていた。
そして玄関の外まで見送りに出ると、忍が急に照れだした。
「忍、どうしたんだ?」
「こ、恋人はお別れの時にキスをするものではないのか?」
「え、いやでもここ家の前だし」
「関係ない。それとも桜の家の前だから嫌なのか?」
「そ、そういうわけじゃないけど……」
物欲しそうにこっちを見てくる忍はなんとも言えず可愛い。
ついつい彼女の本性なんて忘れてその可愛さに心が揺れてしまう。
ほんと、美人とはなんと卑怯な生き物だなんて思いながらも俺は忍をうっとり見ていた。
そしてそのまま忍を抱き寄せようかなんて思った時、忍の携帯が鳴った。
「しまった、マナーモードにしておけば……あかねから?もしもし」
少し離れたところで忍が電話をしているのを俺はただ見ていた。
そしてすぐに忍が「急用ができたからこれで失礼する」と言い残して帰っていった。
その後少しして、俺は自分から忍にキスしようとか考えていたことを思いだして反省した。
ダメだダメだ、いくら美人だからって流されてらとんでもないことになる……
まだ彼女に心を許すことはできない。色々気がかりなというか不安なことが多すぎる。だからまだ(仮)でいないと、だな。
やれやれと部屋で一息ついていると、何か大事なことを忘れているような気がした。
そしてそれが何か、すぐに思い出した。
桜の家庭教師だ。
俺は慌てて桜に電話する。
「もしもし桜、ごめん今終わった」
「遅い、こんな時間まで勉強してたの?絶対変なことしてたでしょ」
「してないしてない、今日は勉強だけだって」
「今日は?」
「い、いやとにかく今からそっち行くから」
「……わかった」
俺は急いで家を出て桜の家に行く。
時間は夜の九時過ぎ、すでに家の人は寝ているようで俺は桜に玄関を開けてもらってこっそりと夜の桐山家にお邪魔した。
◆
「忍ちゃん、免疫ができるまでは早瀬君とのイチャイチャは控えないと、嫌われちゃうよ?」
「面目ない……でも、よく私が航とイチャイチャしようとしてたのがわかったな」
「女の勘よ。でもばっちり当たったみたいでよかったわ。それより、今早瀬君は何してるのかなぁ」
「もう夜だからゲームか勉強でもしているんじゃないか?」
「そうだといいけど、ねぇ」
夜のファミレスで忍とあかねはジュースを飲みながら話をしていた。
そしてこれからどうやって早瀬を攻略するか、という話で盛り上がる。
「まず、メールは送れるだけ送って、なるべく一緒にいる時間を増やす。そして嫉妬心は隠さず全開に見せることだよ。男の子ってめんどくさい女の子の方が好きだからね」
「ああ、なるほどそうだな。私は基本そういうのは苦にならないから自然体でいけばいいんだな」
「忍ちゃん、今は生徒会長モードじゃなくてもいいんだよ?」
「そ、そうか……あかねー、今日ぎゅっとされたら航の匂いがしたよー、すっごく安心して漏らしそうだったー」
「こらこら、声が大きいよ忍ちゃん。でもよかったね。次は抱きしめられてもふにゃふにゃしたらダメだよ」
「うん、がんばるー」
忍はすっかり気を緩めてドリンクバーにジュースを取りに行った。
そんな彼女を見ながらあかねが独り言。
「早瀬君、今は桜ちゃんのおうちにいるんだろなぁ。明日はちょっとお説教かな。それにしても忍ちゃん、素直で可愛いなぁ」
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