第10話 手を緩める気はない

「おはようお兄ちゃん」


 忍が迎えに来る前に桜が家にやってきた。


「おはよう……ってこんな早くにどうしたんだよ」

「そうしないとあのメンヘラが来ちゃうでしょ?だからよ」

「だからってこんなに早くきてもまだ学校には……」

「先に行って待ってたらいいじゃん。私、今日は早めに教室にいって自習しとくし」


 桜という人間は昔から頑固でまっすぐなところがある。

 そしてなによりも負けず嫌いだ。


 勝負となれば、それがたとえジャンケンでも譲る気はない。

 やれる限りをつくして勝つことだけを目指すその性分は、性格が今より穏やかだった中学時代から変わらないようだ。


 一度言い出したら聞かない性格なのも知っているので、今日は桜と早朝から学校に向かった。


 奇しくも今日が高校生になった桜と初めて一緒に登校した日になった。


「生徒会、どうなの?」

「どうって……仕事多いし治外法権すぎるし、それに……」


 それに藤堂先輩という厄介な人がいる。

 しかし、もし誰かに彼女の愚痴を言っていたことを聞かれたりしたら、俺のみならず桜の身にまで危険が及ぶ気がしたのでその先の言葉を飲み込んだ。


「なによ、だったらやめたらいいのに」

「そうもいかないんだよ……まぁわかるだろ」

「あの二人、目的の為なら手段は選ばないって感じだもんね。でもそんなの私が許さない。絶対に一位になってあいつらの鼻をへし折ってやるんだから」


 そう話す桜の顔は自信に満ちているように見えた。

 何か策でもあるのだろうか。


「でも相手はあの結城忍だぞ?何か勝算でもあるのか?」

「あれ、お兄ちゃん私の心配してくれるんだね。でも大丈夫、二人は自分たちの立場にあぐらをかいてるから隙はあるもん」


 多くは語らないが、桜がここまで言うのだからきっと何か考えはあるのだろう。


 誰もいない学校にはすぐに到着した。

 そして正門をくぐろうとしたところで忍から電話が来た。


「もしもし航、家にいないのか?」

「い、いえその……ちょっと先に学校に来てまして」

「桜と一緒か?まぁいい、すぐに行くから生徒会室でな」


 あっさり電話が切れた。


「忍さん?ほんとあの人ってあの生徒会長と同一人物なの?ちょっと信じられないんだけど」

「まぁ、俺だってこうして知り合うまではあの人に幻想を抱いてたけど……」


 忍がやばいやつなんていうのは今更だが、むしろ今はそのやばいやつがあっさり電話を切ったことの方が怖かった。


 流石に桜といるところに鉢合わせしたら何が起きるかわからないので、俺はさっさと生徒会室に向かうことにした。


「それじゃ桜、また」

「お兄ちゃん、今日の夜待ってるから」

「まぁ終わったら連絡するよ」

「うん、待ってるね……」


 ん、桜のやつがなんか照れた?


「桜、おまえ……」

「な、なによ忍さんに会いに行くんでしょ?だったらさっさと行きなさいよグズ先輩!私勉強しにいくからそれじゃあね!」


 桜はまた怒った様子で教室の方へ行ってしまった。

 何をそこまでイライラする必要があるんだと呆れながら生徒会室に着くと、中で忍が仁王立ちをして待っていた。


「おはよう航、私を差し置いての桜との登校は楽しかったか?」

「い、いやあれは桜が……」

「やはり桜といたんだな」

「あっ……」


 カマをかけられた。

 そして桜と一緒だったことがバレた途端、忍の様子がおかしくなる。


「航、私はそんなに魅力がないのか?胸が小さいからいけないのか?私は航が他の女といたと知っただけで胸が苦しい。辛いんだ、嫌なんだ……」

「し、忍?」

「いやだ、他のやつに渡すくらいなら……ここでおまえと一生一緒に暮らす。もう誰にも渡してやらない」


 忍はドアの鍵を閉めてから俺に再び迫ってくる。


「なぁ航、私の体に興味はないか?」

「ちょ、ちょっと何してんの……そ、それに勝負は?」

「勝負なんて関係ない、それに航から手を出してくれればそれで万事解決なのだ。なぁ、私を抱いてくれ」


 ここは学校、そして神聖な生徒会室だ。

 しかし人知れず中で行われようとしていることは不純極まりない。


 上着を脱いで迫ってくる忍の目は本気だ。

 スレンダーなボディが俺の妄想を掻き立ててくる。


「だ、だめだってここ学校だから……」

「関係ない、ここは私の部屋だ」

「ちょっと違う気がするけど……」

「私のこと、嫌いか?」

「い、いや……」


 やばい、押し切られる。

 うっとりした忍の目が俺を捉えて離さない。

 そして俺もその目から逃れる方法を知らない……


「忍……」

「航……」


 もうどうにでもなれ。

 俺はそう開き直って忍の差し出す唇に向かっていった。


「ドンドンッ」


 その時生徒会室のドアを強く叩く音がした。


「誰だ、こんな朝から」

「さ、さぁ……」


 あとほんの数センチで忍の唇に届きそうなところで、またお預けをくらった。

 雰囲気に流されていただけのはずなのに、しかしそれでも悔しいと思う自分がいた。


 物欲しそうに忍の唇を見ていると、またドアを強く叩く音がする。

 忍はイライラした様子でドアを開けに行く。


「なんだ、用があるなら放課後に……やはりおまえか」


 ドアの前には桜が立っていた。

 

「おはようございます忍さん。でもこれってルール違反じゃないんですか?」

「何の話だ?私たちはただ生徒会の仕事をこなしていただけだ」

「鍵を閉める必要あるんですか?」

「大有りだ、重要書類が山のようにあるのであまり部外者に入ってこられると困るのだ」

「そーですか。でも、ルールを逸脱した行為は禁止ですからね。わかりました?」

「ああ、心得ている」


 忍はそう言ってチラッと俺の方を見た。

 何事かと思ったその瞬間、忍は俺に飛び込んできた。


「!!?」


 あっという間の出来事に俺は全く反応出来なかった。

 気がつけば忍と俺はキスをしていた。



 そして俺の目線の先には驚きで言葉を失う桜の姿があった。

 

 俺は忍が離れてあとも、何が起きたのかわからずに固まってしまっていた。

 そんな俺なんて放ったまま二人は言い争いを始める。


「ちょっ、何してるんですか!?」

「何って、キスだ。知らないのか?」

「な、なんでキスしてるのかってことですよ!抜け駆けは禁止だって」

「私は恋人だ。そしてそれでいいと言ったのは桜の方だ。だから恋人同士キスして何が悪い?」

「……それじゃ勝負の意味が」

「私は目標の為には手段を選ばない。航を譲る気もない。だから私は自分の立場を最大限利用する。それだけだ」


 俺は二人の会話を聞きながら、ようやく自分が結城忍とキスをしたのだという実感に包まれだした。

 もちろんだがこれが俺のファーストキスだ。


 忍の顔を見ると改めてとんでもないことをされたのだと自覚し、心臓が破れそうなほどに強く脈打った。


「航、どうだった?」

「い、いや……あ、あの」

「足りないか?ならもう一度」

「ダメー!」


 もう一度俺に迫ってくる忍を止めようと、桜が飛び込んできて俺と忍の間に割って入った。


「ダメ、絶対ダメ!ここ学校ですよ何考えて」 

「桜だってしてたではないか。言っておくが私はあの件を許す気はない、一生な。だから貴様は徹底的に潰す」

「……」


 桜は黙った。

 そして悔しくて仕方がないのか、ずっと肩が震えている。


 しかし今桜に声をかけたら忍がどんな嫉妬を見せるかわかったものではない。

 結局俺は彼女に声をかけられずにいると、桜が俺に向かって一言だけ言ってきた。


「お兄ちゃんの変態!」


 そう言って部屋を飛び出していった桜は、多分泣いていた。

 

 バタンとドアが閉まったあと、忍を見ると少し様子がおかしい。


「キス、キス、キス……航とキス……」

「え、ええと……忍?」

「う、嬉しい……私、私……」

「あ、あのー……」


 忍の顔を見るとふにゃふにゃになっていた。

 凛々しく気品高い結城忍の姿はそこにはなく、デレデレしたただの女の子のような忍がそこにはいた。


「うれぢい……うう、もうじんでもいい……」

「な、泣いてるのか?」

「う、うう……」

「……」


 こんな忍は初めてみる。

 だからどうしたらいいのか戸惑っていると、またしてもバタンとドアの音がした。


「あ、藤堂先輩?」

「はーい、忍ちゃんをちょっとお借りしますねー。さっ、行きましょう生徒会長」

「う、うみみ」

「あーあ、重症ねぇ。早瀬君ったらいけない子」


 背骨を抜かれたかのようにふにゃふにゃになった忍を抱えて藤堂先輩が足早に出て行こうとする。


 そして部屋を出る時に藤堂先輩がこっちをみながら一言。


「責任、ちゃんととらないといけないよ?」


 バタンとしまったその扉を俺はしばらく見つめていた。



「忍ちゃん、大丈夫?」

「ふみみ……キ、キスしてしまった……気持ちよかったよ、えへへ」

「キャラが戻ってないよ。しっかりしっかり」

「い、いかんいかん。しかし、もうキスまでしたのだから私の優勢は変わらないだろ」

「でもね、今回の勝敗は美女格付の順位だから関係ないんじゃないの?」

「そ、それもそうか。しかし、格付なぞ桜は相手にならん。ぶっちぎりで勝ってやるし航にも私しか見えないくらいに惚れさせてやる。完全勝利でないと気が済まない」

「さっすが忍ちゃん、パーフェクトクイーンだね!さっ、先生に呼ばれてるんでしょ?いかないと」

「ああ、助かったよあかね」


 忍はようやく正気に戻り、あかねに手を振って先に職員室に向かう。


 そんな忍の背中を見ながらあかねが独り言。


「ふふっ、いつまでもそのままの忍ちゃんでいてね。あなたはパーフェクトクイーンでないといけないの」




 

 

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