第9話 開戦

 一人の生徒会室は初めてで、静かなその部屋に閉じこもり書類に目を通しているとあっという間に一時間程が過ぎた。


 しかしなんとも仕事が多い。

 よくこんな量の仕事をこなしながら勉強で常にトップにいられるものだと、今更ながら忍のすごさを痛感していた。


 桜とはもう合流して話をしているのだろうか。

 また二人で大喧嘩になっていなければいいが、なんて心配をしながら俺は忍からの連絡を待つ間、仕事を進めた。



「待たせたな桜」

「いえ、お忙しいのにすみません忍さん。でも、今日は一人ではないのですね」

「はじめまして桜ちゃん、私三年の藤堂あかねです。以後お見知りおきを」

「知ってますよ、有名ですから先輩も。まぁ立会人は必要だと思うし、早速話をしましょうか」


 桜が先にファミレスで待っていたところに、忍とあかねが到着し三人で席について今後のことについての相談を開始した。


「さて、まずは忍さんに聞きたいことがあるんですけどいいですか?」

「ああ、いいぞ。なんだ?」

「早瀬先輩のどこが好きなんですか?」

「その話は今必要なのか?」

「はい、もし遊びだと言うのなら今日の話し合いも無しです。私が今すぐ別れさせます」


 桜は真剣な表情で忍に質問をする。

 しかしその気迫を感じながらも忍も一歩も退かない。


「私は真剣だ。それに人を好きになるのに理由などいらぬであろう。私は航が好きなのだ、だから一緒に居て楽しいし幸せなのだ。そういうお前こそどうなんだ?」

「わ、私は……私は幼なじみだから心配してあげてるだけよ!お兄ちゃんが変な女に騙されたらって思うと」

「それでは私が変な女でなければ問題ないのだな」

「そ、それは……」


 桜は逆に質問を返された上に痛いところをつかれて困ってしまった。


 そのまま口籠っていると、さっきまで黙っていたあかねが口を開く。


「ねぇ桜ちゃん、あなたの言い分だと忍ちゃんじゃなくて他の人なら早瀬君と付き合ってもいいってことなんだよね?あなた以外の誰かに早瀬君を持っていかれても構わないってことなんだよね?」

「そ、そう言う意味じゃ……なくて」

「え、聞こえないけど?素直にならないんならこちらこそこんな無駄な時間はおしまいにするわよ」

「……わ、私は」


 あかねに煽られて、桜は肩を震わせながら怒りをあらわにする。

 しかし肝心なことが言葉にできない。

 それをわかっていてか、あかねはさらに意地悪なことを言う。


「てっきり桜ちゃんが早瀬君のことを好きだから、勝負を挑んだのかと思ってたけどそうじゃないなら関係ないわね。忍ちゃん、もう早瀬君のところに戻りましょ」

「ああ、桜に邪魔をされる理由がないな」

「ちょっと待って!」


 ファミレスのフロアに桜の甲高い声が響く。

 そして目に涙を浮かべながら桜は二人に言う。


「私は……私はお兄ちゃんが大好きなの!ずっと一緒でこれからもずっと私のものなの!だからあなたにも他の人にもあげたくないの!」


 桜は大声で一気に言い切った。

 その必死な宣言を聞いて、あかねはフッと笑った。

 そして忍は「よく言った」と褒めた後で桜に手を差し出す。


「この手は……?」

「開戦の握手だ。お互いライバルとして頑張ろうと言うのだからな。ま、私が彼女だから君は脇役に過ぎないが」

「知ってますか?だいたいこういう話って最後に幼なじみが勝つんですよ?年増は引き立て役に過ぎませんから、ね!」


 桜は忍の手をガッチリ掴んだ。

 そしてしばらく握り合いを続けて睨み合ったあと、ようやく本題に入った。


 桜と忍が決めたルールはこうだ。


 まず次の校内美女格付が行われるのが一ヶ月後に控える中間テストの後なので、そこまでお互いに色仕掛けは禁止にする。但し、早瀬の方から求めてこられた場合は無論オーケーで、その場でこの勝負は終了。


 忍は彼女として早瀬に接することは問題なし、しかし二人きりで部屋に入ることは特別な理由や、やむを得ない場合を除いて禁止。

 お互い自分の部屋に呼ぶのも同じ理由で禁止。


 外泊デートなどももちろん禁止。


 もちろんルールを破った場合はその人間が無条件で負けとなる。


 このルールは主に桜からの提案で、現在彼氏彼女の関係に無理矢理なった忍を牽制する為に用意したものだったが、忍は意外にもすんなり要求をのんだ。


 そして格付で桜が勝った場合は早瀬とのデートを、負けた場合は早瀬を諦めるという条件で落ち着いた。


「だいたいのルールは決まったようだが、私は航の彼女だからな。その辺は忘れないように」

「ええ、それでいいですよ。ちょうどいいハンデだと思っておきます」

「ふっ、大した自信だと言いたいところだが、やはり経験の無さがその無謀さを生むのだろうな」

「若さですよ。歳をとると臆病になるって言いますもんね、今日だって保護者同伴じゃないと後輩とすら話し合いできないんですからね」

「うるさいウシ女」

「なんだとまな板」

「殺す」

「望むところですよ」

「はいはい、二人ともその辺にしましょうね」


 あかねが前のめりになる二人を制止しながら、桜に向かって一言。


「桜ちゃん、あなたの度胸に免じて色々目を瞑ってあげてるだけってこと忘れないでね」


 ニヤッとしながらそう話すあかねに対して、少し冷や汗をかきながらも桜は退かない。


「私に脅しとか通じませんから」


 そう言い残して桜は二人を置いて先に店を出た。



 そこに残された忍は、緊張を解いて隣のあかねに甘える。


「あかねー、桜がこわかったよー」

「はいはい、忍ちゃんはああいう子苦手だもんね。でも大丈夫、いざとなれば私がなんとかするから」

「うんうん、あかねがいてくれてよかっだー」

「ほらほら鼻水出てるよ忍ちゃん。さっ、このあとは早瀬君に会うんだから楽しんできてね。くれぐれも早瀬君の前ではそんな弱々しいところ見せたらダメだよ」

「ゔん、わがっでる……」


 あかねに渡されたハンカチで鼻水を拭きながら忍は席を立ち、二人で店を出た。



 窓の外が暗くなってきた。

 そろそろ部屋を出ようかと書類を整理していたその時電話が鳴った。


 それは意外にも桜からだった。


「もしもし?どうした桜、もう終わったのか?」

「…………いてよ」

「え?今なんて」

「聞いてよお兄ちゃん!なんなのあの女ほんと性根腐ってんだけど!ていうか藤堂先輩って相当性格悪いよね、マジで大人気ないんだけど!」


 桜は音が割れるくらいの声で急に怒鳴り上げた。

 俺の耳はその声量に耐えきれずキンキンしていた。


「い、いきなり大声出すなよ……ていうか藤堂先輩までいたのか?」

「そうよ、寄ってたかってなんなのあの二人。ほんとこれだから年増は嫌いなのよ」

「それで、話はまとまったのか?」

「まぁ、一応」

「どんな内容なんだ?俺も当事者なんだし教えろよ」

「な、なんでそんなこと言わないとダメなのよ!女同士の話に首突っ込まないでスケベ!」


 急に電話を切られた。

 何がどうスケベなんだよ、俺には言えないようなことでも話してたんじゃないだろうな……


 少し不安になりながら、暗くなった校舎を一人で歩いていると今度は忍から電話がきた。


「もしもし、今どこだ」

「今ちょうど校舎を出るところだけど」

「そうか、なら夕食を食べにいこう。駅前で待っている」


 電話を切られた。

 桜にしても忍にしても俺の意見というものを聞く気は全くないのかな……


 一方的な話ばかりの電話にうんざりしながらも素直に駅前に向かう。

 その道中でも忍からのメールは絶えない。

 今どこだ、なんて内容がひっきりなしに送られてくるので、必死に目印になるものを探しながら居場所を伝えた。


 そしてようやく駅前に到着したところで忍の姿が見えた。


「あ、お疲れさま」

「ああ、少し疲れたな。腹が減った、何がいい?」

「うーん、どうしようかな。忍は?」

「桜と行ったことのない店ならどこでもいいぞ」

「……」


 忍の桜に対する嫉妬心は相当なものだ。

 しかし幼なじみとはいっても俺は桜と二人でデートなんてしたことはない。

 ただ下校道で買い食いくらいはあるが、そんなのだってほんの数回のことだ。

 

 だからどこでもいいよと話をして、結局近くのラーメン屋に入った。


「それで、桜との話し合いはまとまったの?」

「ああ、先輩として桜の要求をある程度のんでやった。偉いだろ」

「無茶なこと言ってないよな……」

「問題はない、少しの間不自由になることはあっても、私と航の絆は誰にも引き裂けない」

「ま、まぁ問題ないんならいいけど……」


 誰にも引き裂けない絆……なんと重い響きだ。


 もし運命の赤い糸なんてものが存在していたとしても、俺の場合は誰かと繋がっていても勝手にちょん切られた上に更に勝手に固くグー結びされているような気がする。


 それくらい忍は強引で容赦ない。


「ここのラーメンはよく来るのか?」

「駅前に来ることがそもそも少ないから初めてだけど。なんで?」

「そうか、航のはじめてをまた一つ私がいただいたのだな。ふふ、よいではないかよいではないか、ふ、ふふふ、ふふ」


 この人は本当に俺のことが好きなようだ。

 そして今更だが、相当変な人だ。

 でも厄介なのは相当なまでに美人だということだ。


「お、航のスープの方がうまそうだな。一口もらってもいいか?」

「うん、どうぞ」

「そこはあーんだろうが、たわけめ」

「……はい、あーん」


 俺は蓮華でひとすくいしたスープを忍の口に運んだ。

 それを飲んだ忍は嬉しそうに「間接キス、してしまったな」と言って幸せそうな顔をする。


 その顔が何とも言えず可愛い。

 いつもの凛としたかっこよく綺麗な彼女ではなく、俺にだけ見せてくる可愛い忍が時々俺の心を揺さぶる。


 そして店を出て忍と二人で歩いていると彼女からいくつか質問があった。


「桜は家によくくるのか?」

「まぁ、なんか持ってきたりで時々」

「そうか、しかし部屋に入れてはならないぞ。これはルールなのだ」

「そういう話だったのか。まぁ、別にそれはいいけど」

「あと、航は塾などには通っていないのか?」

「塾?いや、特には。でもそれがなんの関係が」

「なら私が家庭教師をしてやろう。それなら部屋に入るのにも相応の理由となる。どうだ?」

「どうだと言われても……」


 軽く聞いただけだが、忍と桜はお互いに抜け駆けしないようなルールを決めたらしい。


 だから部屋には不必要に行くなということのようだったが、忍は早速抜け駆けしようと必死だ。


「家庭教師は明日からにしておいてやる。生徒会の仕事終わりに航の家でいいな」

「い、いやそんな急に」

「いいな」

「……はい」


 忍の目が怖かった。

 だから思わず返事をしてしまった。


 しかし不幸中の幸いとしては、それに機嫌を良くした忍があっさりと家に帰ったことだ。


 明日からどうなるんだろうと頭を抱えながら帰宅すると、今日も桜が家に来ていた。


「遅い、また忍さん?デート禁止って約束なんだけど」

「い、いやそれはだな」

「まぁ勝負は明日からだし大目に見てあげるわ。それよりお兄ちゃん、明日から私の家庭教師よろしくね」

「ああそういえば家庭教師とか……今なんて?」

「耳までバカになったの?家庭教師をお願いしたのよ。別にここでも私の家でもいいから」

「あ、ああ……」


 結局忍も桜も発想は同レベル、ということか。

 しかし先約で忍が家庭教師をしにくることを桜に伝えると、怒るどころか少し笑っていた。


「絶対そうくると思ってたのよ。でも忍さんが先約だから、私はそのあとでいいよ」

「いいよって言われても……何時に終わるか知らないぞ?」

「いいの、私好きなものを最後まで取っておくタイプだから。す、好きっていっても今のは食べ物の話で例えばのことだからね!」


 自分で勝手に墓穴を掘りかけてあたふたする桜は、少し顔を赤くしながら俺に言う。


「私が勝ったらさ、一緒に遊園地行こうよ」

「遊園地?まぁいいけど、行きたいのか?」

「べ、別に行きたいというかデートスポットなんてこの辺あんまりないから遊園地選んだだけよ!」

「デート?」

「な、なんでもない!帰る!」


 慌てて家を出て行く桜を見送ろうと追いかけると、振り向きざまに舌をベーッと出して桜が一言。


「お兄ちゃん、明日からよろしくね」


 いつぞやの朝のように優しい顔だった。

 そのまま家を出る桜の背中を見ながら、いつもあれくらい可愛かったらいいのになんて思っていた。


 そして桜との会話に気を取られてすっかり忘れていたのが忍からの連絡だった。


 鬼のような着信履歴に対してメールは一通だけ。


「桜だな」


 そう書かれたメールに背筋が凍った。

 急いで電話をかけ直して一時間くらい、ずっと言い訳をしながら謝った。


 ようやく忍の怒りがおさまった頃に彼女が「明日は楽しい夜になりそうだな」と言うもんだから桜の家庭教師を依頼されたことなんてとてもじゃないが言えなかった。


 電話を切った後も夜遅くまで忍とのメールは続く。

 最近は寝不足だったので早く寝たいはずなのだが、今日は眠りたくなかった。


 明日から忍と桜の闘いが始まると思うと憂鬱で仕方がなかったからだ。

 それでもやがて忍からの返事が途絶え、俺も眠りにつく。


 そして翌日、先制攻撃を仕掛けてきたのは桜だった。

 



 

 

 

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