第7話 誰が一番ヤバいのか

 忍との登校は朝の六時。この時間であれば他の生徒と会うこともなく忍は安心して手を繋げると俺に言ってきた。


「どうだ、朝早いと清々しいだろ」

「うん、でも冬は辛そう……」

「軟弱者だな航は。しかし寒いときは」


 忍は手を繋いだまま俺と忍の手を俺のズボンのポケットに突っ込む。


「こうすれば暖かいだろ」

「ま、まぁ。でも今は暑い……」

「いちいち注文の多い奴だ。そんな男は嫌われるぞ。いや、むしろ他の女からは嫌われてくれた方がいいのか。だったらそのままでいい。私だけが愛してやる」

「……」


 この人は俺への好意を一切隠そうとしない。

 積極的、と言えばそれまでだがあまりにぐいぐい来るのも少し考えものではある。


 それにどうして俺の事を好きなのか、なんて肝心なところはわからないから気にはなる。

 でも聞いてしまうと後戻りできなくなるような気がするので、敢えて今はその質問はしないようにしている。


 朝の生徒会室に着くと、すぐに鍵を閉めて俺を隣に座らせる。


「さて、今日は放課後に桜との調停会議があるから今日の分の仕事を終わらせるぞ」

「じゃあまずこの手を離してくれないと書類読めないんだけど」

「二人で持てばよい。初めての共同作業だ」

「いや普通に持てばいいじゃんか……」

「共同作業……ふふ、いい響きだ。ふふ、ふふふ」

「……」


 朝から不気味な笑い声をあげる忍と二人で、それぞれの右手と左手で一枚の書類を持ちながら顔を近づけてそれに目を通す。


 忍の長く綺麗な髪が肩に当たるたびに少しドキッとしたりもするが、それ以上に書類の持ちにくさが気になって、内容が全然頭に入ってこなかった。


「さて、この辺りでいいだろう。そろそろ他の生徒が登校を始める頃だし君も教室に戻りたまえ」

「うん。そういえば俺たちの事が噂になってたって桜が言ってたけど大丈夫なのか?あと教室に来られるとパニックになるからちょっと」

「問題ない。私の計算通りに進んでいる。それにいざ問題になればあかねに頼めばよいだけの話だ。全てなかったことになる」

「藤堂先輩ってどこまで力持ってんだよ……」


 そうはいっても混乱は避けたいので、こっそり生徒会室を出てひっそりと教室に向かうことにした。

 今日は桜のせいでいつもより更に早起きだったので眠たかった。

 朝のホームルームまで寝ようと思って教室に向かうと、俺のクラスの前に桜が立っていた。


「おはよう先輩。忍さんとイチャイチャしてきたの?」

「桜……別にイチャイチャなんて」

「言い訳すんな優柔不断野郎のくせに。それより、あの人何もしてこなかった?」

「ま、まぁ今日の放課後の仕事を終わらせてただけだから」

「ふーん、じゃあ肩に乗ってるその髪の毛も偶然飛んできただけってことでいいのね」

「え?」


 よく見ると何本か長い女性の髪の毛が俺の肩についていた。

 あれだけ至近距離で髪の毛が俺の肩に触れていたのだから当然と言えば当然だが、見る人が見れば疑うのも無理はない話だ。


「い、いやこれは」

「別に嫉妬とかしてないから!お兄ちゃんが不潔だって思われないように教えてあげただけ。でも気持ち悪いからちゃんと払っておきなさいよ」

「あ、ああ……」


 機嫌が悪そうにする桜はそう言って自分の教室の方へ戻っていった。

 今朝一番のあの笑顔はなんだったんだ。ただの気まぐれかなにかだろうか。


 ふと今朝の桜の笑顔を懐かしみながら教室に入ると、既に数人の生徒が席に着いていた。

 そして俺の顔を見るや否やこっちにやってきた。


「おい早瀬、お前結城先輩と付き合ってるって本当か!?」

「早瀬君!私、結城先輩のファンなの。今度会わせてよ!」

「い、いやそれはだな……」


 俺はこいつらと初めて会話をした。

 友人でもなんでもないクラスメイト達は、俺の事をどこか羨むような目で見てくる。

 仮にこいつらに「いやぁ告白されただけだよ」とか「今はお試し期間だから(仮)だな」なんて言ったらどうなるんだろう?


 少しばかりの俺の好奇心が、それを言った先の未来を欲していたりもしたが、すぐに冷静になって言うのをやめた。


「まぁ、付き合ってるけど」


 否定はできない以上、こう答えるしかなかった。

 すると俺のところに来た数人は一斉に「マジ!?」と言って目を丸くした。


 そこまではまだよかった。しかし続々と登校してくるクラスメイト達に瞬く間にその話が広がると少し状況が変わる。


 男子の一人が俺のところにすごい剣幕でやってきた。

 学校指定のシャツを着ずに、上着の下はTシャツ姿で、すこし不良っぽいやつだ。名前は確か、木田とか言ったっけ?


「おいお前、嘘つくんじゃねえぞ」


 どうやら忍の熱狂的なファンのようだ。

 その態度を見ているだけでも明らかなのだが、そいつのシャツには『結城忍 命』と惜しげもなく堂々と書かれていた。


 よくもまぁそんな恰好を、とツッコむ前に俺は胸倉を掴まれる。


「おいコラァ、聞いてんのか?お前みたいな陰キャが結城先輩の彼女語ってんじゃねえぞ」

「ご、ごめん……でも」

「でも事実なのよー、だからその手を離してあげてくれるかしら?」


 俺とそのヤンキーは声のする方を見た。

 するとそこには藤堂先輩が立っていた。


「おい、あれって副生徒会長の?」

「藤堂あかりだ!すげー、こんな距離で見るの初めてだよ」

「スタイルやっばいなー、顔ちっちゃ」


 俺の噂話に加えて藤堂先輩の登場によりクラスは軽いパニック状態だ。

 騒然とする教室の中を颯爽と横切ってくる藤堂先輩は、俺の胸倉を掴む手をそっとどけてから、ヤンキー野郎に一言。


「あなた、今から生徒指導室にきなさい」


 その時の藤堂先輩の顔は俺とそいつにしか見えなかった。

 しかし俺ははっきり見た、あの冷たい目を。


 さっきまで暴れていた木田もその目を見て、捨てられた子犬のように弱々しい声で返事をするだけでさっさと連れていかれていた。


 あの目、絶対人殺してるだろ……

 どういう生き方をして来たらあんな目ができる?


 俺はとんでもない人に助けてもらったのだと思い、その後少し震えていた。


 そして授業中には俺の携帯が震えまくる。


 止まない雨はないなんていうが俺へのメールはいつ止むのだろうか。

 ポケットの中の携帯をじっと見ていると、また先生がこっちにやってくる。


「す、すみませんすぐ電源切りますので」

「生徒会の用事なら構わないから出なさい。」

「……へ?」

「それ以外の私用は禁止だがな。では授業を続ける」


 俺は何が起きたのかよくわからなかった。

 しかし他の生徒も特に何か言うわけでもなく、俺はこっそりポケットから携帯を出した。


 するともちろん忍からおびただしい量のメールが届いていた。

 様々なことを書いてはいたが、要約すると「昼休みに一緒に昼食を食べよう」ということだった。


 わかりましたと返信すると、すぐに忍から「弁当持ってきたから生徒会室に来い」と返ってきた。


 結局授業中も、先生が何も言わないのをいいことにずっと忍とメールをしていた。

 時々視線を感じたが、まぁ公然と携帯を授業中に触っているので目立って当然くらいに想いながら、急かされるようにメールをした。


 そして休み時間、ようやく忍から返事が来なくなって安心していると、クラスメイトが津波のように俺の席の前に押し寄せてくる。


 悲喜こもごも、とでも言うべきか。「すげーな早瀬!」と自分事のように喜ぶ奴もいれば「殺してやる!」なんて物騒な言葉を投げかけてくる輩もいる。


 愛憎渦巻くカオスな状況の中心は間違いなく俺だ。

 こんな風にクラスで目立ったこともないし目立ちたいとすら思わない俺にとっては極度のストレスであった。


 そして次の授業中、俺は腹が痛くなった。

 トイレと言って教室を出たが、別にトイレに行きたいわけではない。

 慣れない状況へのストレスで胃がやられていた。


 教室を飛び出したものの居場所はないので、とりあえずトイレにいって座っておこうと廊下を歩いていると授業中だというのに忍が前から歩いてくるのが見えた。


「忍、なんで……?」

「なんだ、私は風紀委員の仕事で見回り中だ」

「風紀委員?そんなものまで掛け持ちしてるの?」

「まぁ、色々あってな。その辺りは今度話す。それよりせっかく会ったのだから生徒会室でお茶でもしていくか」

「い、いや授業中だし俺はトイレに」

「問題ない、さっさとついてこい」


 俺は忍に手を引かれて生徒会室に放り込まれた。


 するとそこには優雅にお茶を嗜む藤堂先輩の姿があった。

 忍はお茶を用意するからと給湯室の方へ向かった。


「あら、さっきは大丈夫だった?」

「え、ええその節はどうも……ていうか授業は?」

「私も生徒会長も偏差値は七十五、授業なんて受けても意味がないから文化祭の準備でも進めようかなって」

「いや先生は何も言わないのかなって……」

「みんなパパの部下なのに、私に指図するわけないじゃない」

「パパ?」


 訊けばこの学校の理事長、市川英介は藤堂先輩の父親だと言うではないか。

 

 苗字が違う理由は、単に藤堂家が夫婦別姓で母方の性を藤堂先輩が名乗っているからと言うものだ。


「みんなには内緒よ。これは生徒会長しか知らないんだから」

「どうしてそんな話を俺に?」

「秘密を共有した方が仲良くなれるって本に書いてたから。私たち、同じ生徒会同士仲良くやりましょうね」


 スッと席を立ち、同じく給湯室へ向かおうとする藤堂先輩は俺に一言。


「忍ちゃんを泣かせたら私、あなたを殺すかもね」


 そう言い残して給湯室に入っていく姿を見ながら、俺は膝が震えた。


 もう引き返せないところまで来ているという実感が、沸々と沸いてくる。


 




 

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