第3話 出るとこ出ますか?出てますか?

「おかえりなさい航、桜ちゃんがきて……ってお友達?」

「あ、いやこの人は……」

「航君の先輩の結城忍です。初めましてお母様、突然のご訪問をお許しください」

「え、いえいえいいのよ。ささ、あがってあがって」


 一瞬の出来事だったが、やはり結城先輩の品格というか立ち振る舞いの上品さは異次元のものがある。

 そのあまりに完璧な挨拶に母さんが警戒する暇すら与えなかった。


 時々覗かせる変な顔の先輩はやはり気まぐれ、いや俺の見間違いだったのだろうか。


「さて、桜ちゃんとやらのご尊顔を拝む時が来たな」

「あ、そうだった……ちょっと待っててもらえます?」


 俺は先に桜のところに行って事情を説明したかった。

 しかし俺の手を先輩が離してくれない。


「え、え?」

「だめだ、まだ繋いでいないと」

「い、いやでも」

「桜ちゃんに見られたら嫌なのか?ええ、どうなんだ?」

「そ、そんなことはないですけど」

「じゃあ問題ないな。行くわよ」


 結局なぜか結城先輩と手を繋いだままリビングに入ると、一人で携帯を触りながらイライラした様子の桜がいた。


「あ、おかえり……ってその人、結城先輩!?」

「はじめまして、君が桜さんか?知ってくれているのは光栄だな」


 桜は、俺と先輩が手を繋いでいることよりもまず、結城忍という人間がここにいること自体に驚いて飛び上がった。


「知ってるも何も、あの学校で知らない人はいませんよ。それより、なんで先輩の家に結城先輩が来てるんですか?」

「先輩?ああ、航君のことか。いえ、明日おうちデートをすることにしたからその下見だ」

「おうちデート!?」


 またしても目を大きくして桜が大きな声を出した。

 そしてようやく俺たちの手に目線が落ちて、俺を疑うような目で見てきた。


「お兄ちゃん、もしかして結城先輩と付き合ってるの?」

「は?そ、そんなわけないだろ。先輩とは昨日」

「私は航君と清いお付き合いをしている。何か文句があるのか?」

「え?」


 結城先輩が口を開いた時、俺と桜はほぼ同じタイミングで声をあげた。

 桜が思わず俺をお兄ちゃんと呼んだことも気にはなったが、もはやそれどころではない。


「い、いや結城先輩とは昨日初めて」

「ああ、昨日が私の初めてだ。君に初めてを捧げた時は緊張したぞ」

「な、何を言って……」


 この人、やっぱりちょっとおかしいぞ……

 なんだ初めてを捧げたって。俺童貞なんですけど?


 隣で戸惑う俺のことなんかお構いなしに淡々と話す結城先輩に、桜がしびれを切らして言葉を発する。


「それが何よ、私には別に関係ない話だわ!」

「なら問題はない。私は彼と好きにする」

「あ、そう。でも私、お兄ちゃんとはいつもお風呂に入ってた仲だけどね」


 急に桜が変なことを言い出した。

 いつの話だよそれ、幼稚園の頃にしか一緒に入ったことないぞ?


「お、お風呂!?貴様、どういうことだ説明しろ!」

「お、落ち着いて結城先輩……」


 急に胸倉を掴まれて揺すられながら、俺は先輩を必死に止めた。

 その時桜が先輩の方を指さした。


「結城先輩、どうやらあなたとは決着をつけなければならないようですね」

「ほう、私に挑むか。いいわ、相手してやる。」


 なぜか二人がバチバチと睨み合っている。

 お願いだから早く手を離してほしい、苦しい……


 俺が結城先輩の手を叩いてギブと言うと、先輩は俺のことをぽいっと投げ捨ててから桜の向かい側に座る。


 そしてまるで長年のライバルを見るような目で桜を見ていた。


「なるほど、たしかに可愛いな。これは航君が浮気してしまうのも無理はない。しかしだ、君に彼は渡さない」

「ふん、別にお兄ちゃん先輩は私のなんでもないけど、ポッと出の泥棒猫に持っていかれるのだけは癪だから私がそれだけは阻止してあげますよ、年増の先輩」

「私は独占欲の塊だ、嫉妬に狂ったら相手ごと殺してしまうかもな」

「へー、ヤンデレってやつですか。ああいう人、見ててうざいんですよね」


 女通しの口喧嘩ってこんなに怖いんだ……

 なんちゅう罵り合いだ。しかも桜のやつ、あの結城先輩に対しても一歩も退かないなんて……


「さて、マイクパフォーマンスはこれくらいにしておこう。それで、いちいち君に先輩呼ばわりされては敵わないので私のことは忍と呼ぶがいい」

「わかりました忍さん、私は桜でいいですよ。私の方が若いのでそこは譲歩します」

「若ければいいなんて発想が子供だな」

「忍さんの胸ほどじゃあありませんよ」

「何だと?」

「出るとこでますか?あ、出てませんね出るべきところが」

「殺す」

「だー、やめろやめろ!」


 急に二人がファイティングポーズを取ったので慌てて間に入って止めた。

 どうしたんだ二人とも……


「航君、いえ航!あなたも、私のことを忍と呼びなさい」

「は、はい忍……先輩」

「先輩はいらない」

「し、忍……さん」

「まぁいいわ。それじゃ明日の放課後よろしくね」


 結城先輩は桜と目を合わすこともなく颯爽と部屋を出て行ったので俺は追いかけた。


「せ、先輩」

「こら、忍と呼べと言ったはずだが」

「し、忍さん、その……」

「航……後で連絡するから必ず返しなさい」

「は、はい……」


 忍さんはそう言って静かに出て行った。

 

 一体なんだったのかと思いながらリビングに戻ると、桜が貧乏ゆすりをしながら待っていた。


「さ、桜、あのな」

「言い訳とかいい、なんなのあの人?」

「い、いや昨日偶然知り合ってだな」

「別におに……先輩が誰と何しようと私には関係ないけど、あの人とは仲良くなれそうにないから彼女にするなら反対よ」

「か、彼女って……あの結城忍だぞ?俺なんかが」

「はぁ……もういい、私も帰る」


 桜もさっさと帰ってしまった。

 二人とも帰ってしまい静まり返るリビングで俺は一人考えた。

 なんで今日こんなことになったのだ?


 しかし原因がよくわからない。わかったことといえば、結城先輩……いや、忍さんはちょっと変な人だ。

 そして桜は反抗期なのだろう。


 もうそれくらいしか俺の頭には考える余力が残っていなかった。


 とりあえず風呂に入ろう。一度全て洗い流してリセットしよう。

 母さんに声をかけて、俺はさっさと風呂に入った。


 風呂に入っている間もずっと忍さんのことを考えていた。

 やっぱり綺麗だ、それにスタイルもいい。

 そしてさっきの桜との口喧嘩に圧倒されて忘れていたが、俺はあの学校のマドンナと手を繋いだのだ。


 こんなことが誰かに知れたら学校は大騒動だ。

 きっと俺は全校男子生徒、いや男子のみならず忍さん信者の女子達からも袋叩きにされるだろう。


 しかし逆に言えばそれほどまでに誰もが羨む状況に俺はあった、というわけだ。

 それに桜だって学校では忍さんに次ぐ人気女子だ。

 そんな二人が揃って俺の家にいたという事実がどんなすごいことなのかと考えると、今日のあれはたまたま、スーパーラッキーだったのだ。


 なんか幸運すぎてバチが当たりそうなくらいだが、幸運が重ならなければあんな事態は二度と起きないだろう。


 あの状況を幸運の一言で纏めてしまってよいのかとも思ったが他に説明はつかないし、思いつかない。


 とりあえず自分の中で答えを出してから風呂を出た。


 そして晩飯を食べたあと、部屋に戻っていつものようにベッドで動画を見ようと携帯を開くと夥しい量の着信とメールが入っていた。


 な、なんだこれ……着信五十九件、メール三十八件?

 そういえば忍さんに言われてサイレントにしていたから気づかなかったが、それにしてもこんな光景は初めてだ。

 誰かの悪戯かなんて思いながら開いてみると、全て忍さんからであった。


 え……なにこれ。三分おきに電話とメールが交互に入っている。


 「今日はお疲れ様」から始まって「お風呂?」とか「桜は帰った?」とか「もしかしてお勉強してる?」とか、そんなことがズラッと並んでいる。


 怖い。それが最初の感想であり、唯一の感情だ。

 もしかしてあの人、変な人じゃなくてやばい人、なのか?


 いや、もしかしたら何か俺に急ぎの用事が……あるわけがない。

 昨日知り合ったばかりの人と、ここまで催促されるような用事などあるわけがない。


 しかし返事をしないわけにはいかないだろう。

 俺は恐る恐る携帯を触り、結城忍という文字で埋め尽くされた着信履歴の中から、彼女の名前を一つタップした。


 すると呼吸を整える間もなく忍さんが電話に出た。


「もしもし、航?連絡返せと言ったではないか」

「あ、す、すみません……」

「まぁこうして電話をくれたからよしとしよう。桜はもういないのか?」

「は、はい。あの後すぐに帰りました、けど……」

「ならいい。今は部屋か?」

「は、はい」

「もう寝るのか?」

「ま、まぁぼちぼち」

「明日は何時に起きるのだ?」

「ろ、六時くらい、ですかね……」

「桜と登校するのか?」

「い、いえ……」

「何時に家を出るのだ?」

「……」


 いや質問多すぎだろ……

俺の何がそんなに気になるんだ?起きる時間とかどうでもよくないか?


「聞いてるのか?」

「は、はい……」

「明日の朝だが、七時に生徒会室に来れるか?」

「え?まぁ大丈夫です、けど」

「じゃあ待っている。おやすみ」

「お、おやすみなさい」


 電話が切れた。

 なんなんだあの人は……

  

 忍さんと電話をした、なんて誇らしいはずの事実を喜ぶわけもなく、今度こそ動画を開こうとするとメールがくる。


 予感は当たる、忍さんからだ。


 開いてみると「寝るまでメールに付き合え」ということだった。


 俺はすぐに「わかりました」と返す。

 するとすぐに「よかった」とだけ返事がきた。


 俺はしばらく忍さんとメールを続けた。

 誰かとこんな風にやり取りをするのは結構楽しいし、寝る前に女子とメールなんて俺が長年待ち焦がれたシチュエーションそのものだった。


 加えて相手はあの結城忍だ。なんかすごいことをしてしまっているという背徳感もあって俺はテンションが上がっていた。


 しかしそんなのも束の間、すぐに疲れた。

 忍さん、返事が早すぎる……


 なんなら少し返事を考えて躊躇していると「寝たのか?」と追伸がくる。


 慌てて返事をする、というより終始返事に追われていた。

 俺が望んだ形とは随分、というより全く違う……


 今俺がやっているのは女子との楽しいメールではなく、ただ返信をいかに素早く、内容も的確に送れるかという訓練のようだった。



 




 

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