死んだ幼馴染みがスマホの中で生きてた話【KAC20215】

冬野ゆな

第1話

 雄二が死んだ。

 聞かされたその事実を、しばらく受け止めることができなかった。


 須磨雄二。

 あたしの幼馴染みだ。


 幼馴染みっていうと、まあ何かあると好きなのかとか恋人関係になるのかだとか。外野はわいわいうるさかったが、そういうものではまったくなかった。ただなんとなく仲が良かった。ふつうの友達よりも仲が良くて、男と女だったからそう思われたのかもしれない。

 ただ妙に現実感がなくて、ぼーっとしてるアタシをお母さんが神妙な面持ちで連れ出した。出席したのはお通夜だけだったけど、写真の中におさまってる雄二を見てもやっぱり現実感が無かった。

 交通事故だったらしい。

 そんなことをおばさんが、雄二のお母さんが泣きながら話していた。どうしておばさんが泣いているのか、よくわからなかった。


 それから翌日になっても、その更に翌日になっても、アタシはどこかふわふわしたような気持ちから抜け出せなかった。スマホのトークアプリを見ても、まったく既読にならない。いつもだったらすぐに既読になるのに。そんで、既読無視したあいつをアタシが茶化すのだ。それなのに今度ばかりは何度スタンプを送っても、返信はこなかった。


「ゆーじ……」


 ベッドに寝転がり、自分のスマホを何度も見る。アプリを終了しては、何度もタップして再び見る。

 どうして雄二は、返事をしてくれないんだろう。

 アタシはどこか他人事のような感覚だった。

 そんな風に、スマホを弄っていたそのときだ。


「あっ」


 指がスマホの画面に触れてしまったらしく、いつの間にか雄二の電話番号に繋がってしまった。思わず起き上がる。こんなのかけても繋がるはずないのに。

 だけど、アタシはつい、スマホを耳につけてしまった。


 ぷつっ、と小さな音がした。


『もしもし』


 その向こうから聞こえてきた声に、あたしはひっくり返るかと思った。


「……ゆー、じ?」


 あたしは驚いて、彼の名を呼んだ。

 え、なんで。

 どうして。

 なんで電話の向こうから。


 ――あいつの声がするの。


「……雄二なの? な、なんで……? 死んだはずじゃ!?」

『もしもし? ……おい、俺がどうしたって? 何言ってるんだよ』

「ゆ、う、じっ……! このっ……このバカ!!」

『なっ。なんだよ急に!? ってか本当になんだよ!? 泣くことないだろ!?』

「今っ……いまどこにいるの!?」

『いや、どこって言われても。わかんねぇ』


 そんなようなことを言われても、こっちも意味がわからなかった。

 とにかく泣いて叫んで何を言っているのかわからず、気が付いたときには泣き疲れて寝てしまっていた。

 起きた時には、慌てて学校に行く羽目になってしまった。


 いったい何が起きたのか、慌てていたせいで考えるのを後回しにしてしまった。

 授業も全然頭に入ってこなかった。

 昨日のアレはなんだったのだろう。

 雄二が電話の向こう側だけにいる?


 そんなことって、ある?


 アタシは困惑しながら、もういちど雄二に電話をかけてみようとした。

 だけどいざスマホの電話アプリに指を押しつけようとして、ふっと躊躇してしまった。昨日のアレは幻覚だったら?

 震える指先で、押すか押すまいか迷った。何度か深呼吸をしてから、まるで吹っ切れたみたいにしてスマホの画面をタップした。呼び出し音が鳴る。アタシはスマホを耳につけて、出るかどうかを待った。

 やがてぷつっという音がして、電話が繋がった。


「……も、もしもし。ゆーじ……?」

『おう。どうした?』


 電話の向こうからは紛れもなく、雄二の声が響いてきた。


「……ゆーじ?」

『どうしたんだよ? 意味ねーなら切るぞ』

「ち、違うわよ。ねえアンタ、……あの……アンタ、生きてるの……?」

『はあああ? 何言ってんだ?』

「だ、だってアンタ、事故でっ……!」

『お前こそ何言ってんだ? あ、わかった。新手のドッキリだな? その手には乗らねぇぞ?』


 その声に思わず、声が詰まった。


「……そ、そうね。今日は失敗したみたいだわ」

『ったくも~。なんだよお前~。それで、本当は用件あるんだろ?』

「特に無いわよ」

『無ぇのかよ!』

「あっはは! だから今日はこれでおしまいにしとくわね」

『本気かよ。じゃあな、次はもっとマシなやつにしろよ』

「わかってるわよ!」


 そう言うと、こっちから電話を切ってやった。

 急に静かになった部屋で、自分の耳の奥にしんとした静寂が満ちた。

 いましがた切ったばかりのスマホの画面をじっと見つめる。


「……ホントに、幽霊?」


 本人が持ってた電話にだけ、死んだ奴が出るなんて。

 それからというもの、アタシは時たま雄二に電話を掛けることがあった。


「で、さあ! 古典の松下のやつ、なんて言ったと思う!?」

『はあーん。相変わらずだなあ』


 雄二は笑いながら答えてくれる。

 雄二のスマホには、電話だけが掛かった。SNSやトークアプリは何も更新されなかったのに、声だけは聞くことができた。


『なんだよ、今度はどうした?』


 そんな声が聞きたくて、何度も電話をかけた。

 毎日ではなかったけれど、話していると、雄二は幽霊になってもアタシの側にいてくれるんだと思えた。


「でも、本当に死んだ時のこと覚えてないの?」

『ってか、俺が死んでるっていうのも驚きなんだけど』

「ううん……じゃあ、どこかで生きてても体がねえ。もう焼いちゃったし……」

『マジかよ……ゾンビにもなれねーじゃん……』


 ぶっ、と思わず吹き出してしまった。


「幽霊なんだから直接くればいいでしょ」

『!? 本当だな!? 今度やってみるわ!』

「お祓いの塩置いとくね」

『!? やめろや!! 成仏したらどうする!!』


 あははは、と笑い声が木霊する。

 雄二と話すのは本当に楽しくて、死んだことを忘れてしまいそうだった。どうして雄二が幽霊になって、電話にしか出られないのか。そんなことはもうほとんどどうでもよくなっていた。


 それから季節は巡って、夏休みになる頃には大学の相談もした。本当は、雄二がどこの大学に行くのか知りたかったけど。だから相談というよりは、アタシが一方的に喋って終わりだった。

 それから更に年を越すころには、アタシは受験勉強のまっただ中にいた。

 アタシは大学受験の勉強を放り出しながら、雄二に電話を掛けていた。


「はー、もう無理。推薦にすれば良かった」

『まあ、そう言うなよ』

「って言ってもね、アンタ結構他人事よね?」

『だって俺死んでるしさあ』

「そりゃそうだけどぉ」


 アタシは迷っていた。

 もうこの関係になって一年が経とうとしている。季節は巡って、もうすぐ冬が明ける。雄二だってそろそろ、環境が変わるかもしれない。


『おう、どうした?』


 アタシが黙り込むと、雄二は声をあげた。


『もしもし、どうした?』


 向こうから流れてくる声に、アタシはしばらく声を突っ返させていた。雄二のバカにするような声がぴたりと止まる。部屋の中には、アタシのつっかえた声だけがしばらく響いた。


「あの」

『うん?』

「……あのっ! すみません。どこかで、会えませんか」


 アタシはようやくそれだけ絞り出した。







 待ち合わせ場所に来たのは、雄二とはまったく違った人だった。雄二よりほんの少し背が高くて、髪の毛も茶色に染めている人。大人びていて、なんとなく似ているけど全然違う人。

 アタシはお互いの目印にした小さな荷物を確かめて、恐る恐る声をかけた。


「あ、あの。保坂さん、ですか?」

「はい。……あなたが、雄二の……?」


 少しだけ申し訳なさそうな色を帯びたその声は、確かに雄二そっくりだった。


「保坂恭也です。……はじめまして」


 だけどその名前にも、雄二の面影は無かった。

 アタシも自己紹介をしてから、二人で連れ立って墓の前に立った。雄二の骨が埋葬されている、須磨家の墓だ。手を合わせて黙祷してから、保坂さんが声をあげた。


「本当に、貴女には申し訳ないと思っています」

「あ……いえ。あたしのほうこそ。本当にすみませんでした」


 保坂さんがカバンの中からスマホを取りだした。

 間違いなく雄二の使っていたものだ。


「雄二とは従兄弟なんです。俺のほうが三つ上で。昔から、声だけはそっくりだって言われてました。それでたまにイタズラしたりして」


 確かに、声はそっくりだ。

 こうして直に聞くと多少違いはわかる。けれど電話口で聞いた時は、本当に驚いた。


「叔母さん……、雄二の母親がスマホはまったく駄目な人で。写真とか、動画とか……何とか取り出すことはできないかって。俺になんとかしてくれって泣きついてきたんです。それが、このスマホを預かった経緯です。このスマホに貴女から電話があった時、驚いて思わず取ってしまったんです」


 元気づけようとしただけだったと保坂さんは言った。

 知ってる。

 保坂さんは、アタシのワガママに付き合ってくれただけなのだ。

 雄二という存在は、アタシの中では予想以上に大きかったのだ。


「たまに、雄二がどんな反応するかわかんないこともあったんですけどね」

「あー……。アイツ、たまに突拍子もないこと言うから」


 アタシたちはしばらく雄二の思い出を語り合った。保坂さんの話の中にはアタシの知らない雄二がいた。きっとアタシの話の中にも、保坂さんの知らない雄二がいたんだと思う。

 けっして長い時間ではなかったけれど、穏やかな時間が流れた。

 墓場から出ると、待ち合わせをした場所まで戻った。


「……もう、大丈夫ですか」

「はい。あんまり迷惑かけたら、それこそ雄二にどやされちゃう」


 アタシが笑うと、保坂さんは少しだけ笑って手を差し出した。アタシはその手を握り返す。


「今日は、いろいろとありがとうございました」

「こちらこそ。受験、頑張ってくださいね」

「はい!」


 アタシたちはそれで別れた。

 街を行くアタシの髪を、風が攫っていった。

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