第3話

 内海大地(ガイア)はキラキラネームが好きでなかった。親を恨むほどではないが、交友関係で浮いている気がして、モヤモヤしだしたのは小学校を卒業するころだったろうか。名前と当世風な面立ちでモテたのだが、そのことがかえってひねくれた天邪鬼な現在の内海に仕上げていた。

 ただ好意を密かに秘めている相手はいた。秋が過ぎようとしている頃だったろうか。恋の心拍数に天邪鬼にならなかったのは、相手が浮ついて言い寄って来るわけではなかったというのもその理由の一つだろうが、それをネタに鵜飼から勧誘された。彼女は、内海が児童の頃から絵画コンクールに入賞していたのを知っていた。鵜飼から「そんなに暗い印象ではなかった」と言われても、形成された性格だからと言い返そうとも思わなかった。

 絵と言ってもそれなりに描けるくらいの自覚だった。入賞しても、何を評価されているのか、理解できなかった。幼稚園から「こうすれば良くなる」と先生に言われた通りにしていただけだし、学校の課程だから課題を提出しているだけで、好きなわけでもなかった。中間・期末考査と大して差はなかった。しなければならないから取り組んでいるだけ。評価されればされるほど、そんなことは自身そのものではない遊離感が強くなった。それは、つまり、能動的に何かをするという気をなくさせていった。

 こういう性格だから好きになった女子へ、どういうアプローチしたらいいか困惑していた。そんな時に、その女子藤開莉彩の友人鵜飼がニンジンをぶら下げて甘言をほざいたのだ。どうせなら、射られた白羽の矢で、今度は自分が恋の矢を射ってやろう。それくらいの気構えで来島したのだった。

 当然、版画とて下絵は描く。それは繊細かつ大胆に描けるものの、彫り作業も馬簾掛けも、それとはかけ離れて実にたどたどしかった。これでよく予選が通過できたのは、完成作品が独特だったからだろう。ミーティングで、鵜飼から分業案を出されても反論はなかった。本選では下絵。他の作業がない分、ずっと気が楽になった。そんなことよりも、内海が重ねて念を押し確認したのは、藤開との仲介を鵜飼がきちんと務めてくれるかどうかだった。

 本選は三日間。初日は与えられたテーマから島内を取材し、ネタ集めをした。カメラ撮影や簡単なメモやスケッチなどを。

 取材から体育館の割り当てられたブースに戻って、内海は腕を組んで木版の前でじっと座ったままになった。サンプルとしていくつかをスケッチブックに描いては見たもののどうもしっくりこなかった。島の特徴的な名所旧跡ばかりでなく、当地の人々の暮らし風俗を撮影してきたので、その画像から案を出すのだが、

「出るまで待つしかねえな、便秘と同じだ」

 内海は早々に諦め気味だった。こういう内海の辛口コメントはいつも通りだった。下絵担当者がお手上げと言っている以上、鵜飼も梅川も画像処理とか雑務しかできなかった。結局、この日はまったく描けなかった。その後もまったく平静に淡々と夕食を進めたり、ヘッドフォンをして音楽を聞いたりする様子に引率教員の方が焦り出してしまったくらいだ。

 翌日も朝からブースの机の前に陣取るものの、全く下絵は進まなかった。教員が鵜飼に協力するよう耳打ちしても、「一応これが私たちの共同作業なので」と相手にせず、それを聞いた内海の方が、鵜飼に禅譲を提案したくらいである。鵜飼は拒否したが。内海の実力を知り、自身よりも上手い彼に譲るのは美術部のプライドがあったらできなかったことである。

 そんな午後、昼食後緊張感もなく船をこぎそうになっていると、過去の大会の作品を見ていたことを思い出した。その評価、テーマとの兼ね合いなどが何と書かれてあったか。実は昨日からぼんやりと頭の中に思っていた疑問でもあった。当地の言葉で言えば、“ことぎょうぎょうしゅう”、つまり大げさに描かなければならないのか、ということであった。全国大会だからの“いかにも”な画風の多さに、内海は釈然としていなかったのである。

 午睡に落ちないよう気晴らしのトイレから再び入館した時である。会場内の、彫刻刀が板を削る音、参加者たちの動き回るせわしない音、いら立ちや励ましや焦りなんかの声が、さならがジャズのセッションのようだった。それは内海にはあたかも一枚の絵がそこにすでに出来上がっているように見えた。

「これでいいじゃん」

 内海が下絵を仕上げたのはそれから三〇分後だった

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