スマホが欲しい、その理由

せてぃ

男の子の優しさは普遍である。

「スマホ、欲しいんだよ」


 わたしの腰の高さで、息子がそんなことを言う。

 息子は小学生。三年生になったばかりだ。確かにそんなことを言われる時期ではないか、と思いはしていた。だが、予想よりも早かった。

 さて、どうしたものか。わたしは少し考え、顔を上げ、宙を見つめる。そうして出てきた言葉を、とりあえず訊いてみることにした。


「なんだ、学校で流行ってるのか?」


 見下ろして訊ねると、猫の毛のように柔らかで、艶が『天使の輪』を描いている息子の髪の毛が、激しく左右に揺れた。


「じゃあ、身近な友だちが持ち始めて、お前も欲しくなった、とか」


 別の質問を投げ掛ける。それでも息子の髪は、左右に激しく揺れた。茜色に照らされた『天使の輪』が、光を乱反射させる。

 夕暮れが射す道を、並んで帰る。下校の時間だ。他の子どもたちと途中までは一緒だったが、いまはいない。息子とわたしはいつも決まった道を選んで帰るため、途中で別れたのだ。

 

「なら、どうして『いま』なんだ? まだ早いのは、学校でも言われてるだろ?」


 正直なところ、別に持たせてやらない、とも、持たせてやろう、とも、考えてはいなかった。ただ単に、帰宅の道すがらの話として、聞いてみたかっただけだった。息子と父親。男同士、そろそろ共通の話題に欠くような年齢に成長した息子を前に、昨今では、こうして会話の糸口を見つけたら、どうにか引き伸ばすことくらいしか、男親のわたしには考え付かなかった。


「そうだね。言われてる」


 わたしの腰の高さにある瞳が、正面に沈んでいく夕陽を真っ直ぐ見据えて、橙色の輝きを放っていた。

 言われている。それがわからない子どもではないことは、自分の子ながら、大したものだ、と思っている。この子はただをこねるようなことをしたことがない。それが、どれほどの我慢によるものなのか、わたしには想像がつかないが、我慢していることは理解していた。いや、、と言うべきなのか。


「でも、欲しいんだよ」

「……まあ、そうだな。理由がはっきりあるなら、考えなくはないが」


 息子の両腕が、大きく振られた。その腕の力を推進力に変えて、息子はわたしより少し前に進む。


「……もうすぐ、入院だろ。そしたら、またママが、寂しがるだろ」


 前に出た息子が、ハンドリムを力強く握り込むことで、車輪にブレーキをかける。重心を、腕と、動かすことのできる範囲の上半身の筋肉を使って巧みに操作し、息子はわたしの前に自身の『足』である車椅子を止めた。わたしは、思わず立ち止まる。

 息子は、幼い頃に自立歩行する能力を失った。保育園の頃だ。

 それから、年に数回の入院を強いられている。時に歩行能力を奪った病気の根本治療のためであり、時に歩行困難であるために習得すべき日常生活動作の獲得を目的としたリハビリのためである。そうした入院生活の甲斐もあり、いまは元気で、リハビリのおかげで、一般の小学生と同じ学校生活が送れている。それでも、年に数回の入院生活は必須であることは、何年経っても変わらなかった。

 夕陽を背にした息子の黒い影が、わたしに向かって伸びている。夕陽を真っ直ぐ見据えて輝いていた瞳が、淡い輝きを宿したまま、わたしに向けられている。

 わたしは、息子の言葉を考えた。無理をしていると思う。だが、本心だとも思う。母親を想う男の子の優しさは普遍であるし、大病を患った子の、他者への思いやりもまた、不思議と普遍である。わたしは、そのことを知っている。


「……じゃあ、ママと相談だな」


 とはいえ、財布の管理を任されてはいないわたしには、この場での決定権はない。そのことは、息子もよく理解している。息子は、説得に必要な味方を増やそうとしているのだ。

 息子がにこり、と笑う。選んで通る極力なだらかな下校路を、わたしは息子の代わりに背負ったランドセルを抱え直して歩き出した。

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スマホが欲しい、その理由 せてぃ @sethy

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