第22話 雪下の薔薇は母の愛
ジョンはスパニッシュ系の神父が用意したピックアップトラックに乗り込んだ。
ジョンはその神父に聞いてみた。
「ホイーラーピークまでは車で行くんですか?」と
神父は車を発車させながら、こう答えた。
「中腹までは、車で行けます。そこからは登山道を歩いて登ります。」と
そして、こう付け加えた。
「20年前までは、こんなハイウェイはなかったんですよ。レクレーションの普及により、原自然との共存を謳い文句に道路の整備が進みました。しかし、…」と神父は途中で言葉を切った。
ジョンはその後に続く言葉を代わりに恨み節のように語った。
「しかし、そのため、多くの森が木が倒され、動物は棲家を失い、山は人間が支配した。原自然との共存なんぞ戯言だ。」と
ジョンは話し終え、窓から唾を吐いた。
神父は快適にハイウェイを登り進めながら、ジョンの恨み節に共感するように物語を語り出した。
「貴方のお母さんの遺骨をピークに隠す時は、皆、歩いて登りましたよ。三日三晩、皆で棺桶を担ぎ、精霊に赦しを乞うため、歌を唄いながらね。先住民しか知らない山道を風と共に歩きましたよ。」と
ジョンは神父の物語を遮るように問うた。
「風と共に!」
神父は「そうだ」と言うように頷きながら物語を続けた。
「ブロプロ族の先住民達は風と話ができるのです。ホイーラーピークからは幾つもの風がやって来ます。この者達がピークに来てもホイーラー山が怒らないかどうか調べに来るのです。だから、私たちは『私たちは森の民だ。私たちは山の民だ。私たちは谷の民だ。私たちの神、ホイーラー、ホイーラー』と唄いながら、風に声を乗せ、ホイーラーピークの神に山入りの許可を願うのですよ。
すると、風は向かい風から追い風になり、私たちの体に羽根が生えたように、飛ぶように、足取りが軽くなるのです。それは、ホイーラーピークの神の許可が降りた証でもあるのですよ。」と
ジョンは車窓から顔出し、独り言を呟いた。
「おい!皆んな聞こえるかい!僕は今から母に会いに行くんだ。ホイーラーピークの神は僕を受け入れるかな?」と
すると、ジョンの髪を靡かせていた風速がピタリと止まり、風達がジョンに話しかけてきた。
「ジョン、大丈夫さ。もうすぐ、お母さんの声も聞こえてくるよ。」と
ジョンは風達に聞き直した。
「お母さんは、僕を待っていたのかい?」と
風達はこう言った。
「ずっと待っていたよ。お母さんはこの日をずっと待っていたんだよ!」と
ジョンが頷くと、ハイウェイの前方から朝日が登るのが見え出した。
その朝日が車のフロントガラスを眩しく覆い、神父はサングラスを掛けたが、ジョンはその陽光を目を凝らして見つめると、何種類もの光の色が見てとれた。
その中に光色とは明らかに違う淡い桃色の光があった。そして、その光は一筋にジョンの顔を優しく包むように照らし出していた。
ジョンはその桃色の光になんとも言い難い刹那さを感じた。その光が泣いているようにさえ思えた。
ジョンは心の中で囁いた。
「お母さん、僕だよ。やっと、会えるね。泣かないで。僕は大丈夫だよ。僕はお母さんを恨んでなんかいないよ。ただ、会いたかった…、それだけなんだよ。」と
車が朝日を避けるようにカーブを曲がると、中腹のガレージが見え出した。
そのガレージには標高3500mと記された標識が建てられいた。
そもそも、タオス自体が標高1000mを超えるため、ここまでの所要時間は1時間も掛からなかった。
神父は車を止め、ピッケルを荷台から取り出し、1本をジョンに渡した。
そして、ジョンにこう説明した。
「ここから、あの登山道を歩いて登ります。砂利で整備されて、危険な場所はありませんが、念のためにピッケルは持って行きましょう。」と
ジョンは神父に問うた。
「頂上まで何時間ぐらい掛かるのですか?」と
神父はニヤリと笑い答えた。
「ピークまでは約500mです。ゆっくり登っても小一時間で着きます。」と
ジョンと神父は初夏ではあるが、厚手の毛皮を着込んだ。4000mを超えるホイーラーピークは万年雪で覆われているのが、このガレージからも見て撮れた。
除雪された登山道を2人はゆっくりと登って行った。
北には6000mを超えるロッキー山脈の山々が聳え立ち、西にはカーソン国有林の濃ゆい緑の森が広がり、右手の東には太陽しか存在しないかのように広陵な大地が広がっていた。
ジョンは後ろを振り返り南側を見遣ると、大地に亀裂が走っているかのようにリオ・グランデ川がメキシコ湾に向かい蒼然と流れていた。
神父がジョンに語った。
「スペイン人が南から、イギリス人が東から火の出る筒を持って攻めて来た。村の勇者もその火の出る筒には勝てなかった。皆んなでここまで逃げて来た。ネバダ砂漠を渡った者、リオ・グランデ川を登った者、このホイーラー山を目指して…」と
ジョンは神父の物語を足元に突き刺すピッケルの穴を見ながら聞いていた。
そして、行くほどかすると登山道の砂利が真っ白な雪道に変化して行った。
雪は柔らかく、「グジュ、グジュ」と踏み込むごとに靴音がした。
ホイーラーピークまでの一本道、生き物が往来した足跡は全く無かった。神父とジョンの足跡が初めて訪れた来客のように靴音と共にその痕跡を刻み続けていた。
やがて、神父がピッケルで頂上を示した。
ホイーラーピークには、標高を示した標識が差し込められていたが、雪に覆われ数字は読み取れなかった。
辺りには岩もなく、猫の額ほどの雪面があるのみであった。
ジョンがいぶしげな表情を浮かべ、辺りを見回していると、神父がジョンを案内するかのようにピッケルを銃のように構えた。
その先を見ると、こんもりと雪が盛り上がっている箇所が見て取れた。
2人はそこを目指し、ゆっくりと近づいて行った。
その時であった。
頂上を照らしていた太陽が雲に遮られ、辺りが暗闇に覆われると、雪面を散らすように風が吹き始めた。
ジョンは立ち止まり、眼を閉じて、風の声に耳を傾けた。
風は泣いていた。
ジョンは心で呟く。
「お母さん、貴方の息子です。やっと、会いに来れました。」と
風は泣き止まず、雪面を散らすと、こんもりと盛り上がった箇所から岩肌が見え始めた。
神父はホイーラー山の神に十字を切り、その岩に近づき、そして、ジョンに手招きをした。
ジョンが岩に近づいたのを確認すると、神父は両手で岩肌を撫で回し、雪を払い除け、そして、ジョンに言った。
「この岩の下に、貴方のお母さんが眠っています。」と
神父はジョンに加勢するように促し、1m程の岩を2人で動かした。
すると、岩下に穴が掘られいるのが見えた。
その時、今まで太陽を隠していた雲が風と共に去り、太陽光線が岩を照らし、その穴の中を露わに映し出した。
ジョンの目の中に、あの車のフロントガラス越しに見えた淡い桃色光線の源が飛び込んで来た。
何と!穴の中には雪化粧した赤い薔薇が何本も映えており、多くの蕾を携えていた。
神父はジョンの驚きの表情を見ながら、優しく微笑み、こう述べた。
「これは、奇跡の薔薇です。貴方のお母さんの遺骨をこの穴に埋葬した次の年から、自然と映え始めました。決して、この岩の外には這い出したりせず、僅かな光を吸収し、この万年雪の中、ずっと咲き続けています。」と
ジョンの両目から自然と涙が溢れ、頬を伝わり、涙の雫が薔薇の上に零れ落ちた。
神父はそっと、薔薇を分けやり、その中から骨壷を取り出した。
その骨壷は丸い瓢箪のような壺で白い布に覆われていた。
神父が布を解こうとしたが、ジョンは解かなくてよいと神父に願い、静かに瞑想しながら十字を切った。
そして、ジョンは神父の持つ母の遺骨に心で話しかけた。
「お母さん、ずっと待っていてくれたんですね。雪の中で何年も何年も、僕が来るのをずっと待っていてくれたんですね。」と
すると桃色の光風が囁いた。
「ジョン、私を許してね。貴方を産んだ私を許してね。」と
ジョンは応えた。
「お母さん、感謝してます。貴方の愛に感謝してます。」と
ジョンはそう言うと、雪化粧した薔薇を優しく見遣った。
薔薇がジョンにこう尋ねた。
「ジョン、私の愛する息子。私は貴方に会うため綺麗な薔薇になったのよ。綺麗かしら?」と
ジョンは嗚咽しながら頷き、心の声でこう言った。
「お母さん、とっても綺麗ですよ。とっても…」と
そして、やっとのことジョンは涙を拭き取り、優しく桃色の薔薇を見ながらこう言った。
「お母さん、また、来ても良いですか?僕の愛する人と共に、また、会いに来ても良いですか?」と
泣き叫ぶ風は止まり、太陽光線を浴びて溶け出した雪が薔薇の花弁を程よく揺らした。
「是非、その子と一緒に会いに来てください。私の愛する息子、ジョン。」と薔薇がジョンに答えた。
そのやり取りを見終わり、神父はそっと骨壷を元の場所に戻し、そして、その代わりに一冊の手帳を穴から取り出すとジョンに手渡した。
神父はジョンにこう言った。
「この手帳は、貴方のお母さんが握り締めていたものです。中は誰も読んでいません。」と
ジョンはその手帳を貰い、表紙を見ると、茶色い血の色で文字が書かれていた。
「流れ?」と
そう、ジョンには読み取れた。
その時、風が吹き始め、ジョンに話しかけた。
「ジョン、これを持って、旅を続けて。貴方の願いが叶いますように…」と
ジョンはその手帳をジャンバーのポケットにそっと入れ、再度、薔薇の祠に十字を切って、神父と共に岩を元に戻した。
神父とジョンは登山道を降り、ガレージの車に乗った。
神父がジョンに尋ねた。
「貴方はこれからどうするのですか?」と
ジョンはジャンバーポケットの中の手帳を優しく撫でながらこう答えた。
「やはり、オクラホマに行ってみます。そして、この手帳に書かれた標に沿うよう何かが僕を導くと思っています。」と
神父はゆっくりと頷き、車を発進させた。
ジョンはこう思っていた。
「母は待っていてくれた。ずっと綺麗な薔薇になって。僕の未来も綺麗な花で飾るよ、お母さん、心配しないでね。必ず、浩子という僕の可憐な花と一緒に、また、戻ってくるから。」と
ホイーラーピークの天頂には、真丸としたオレンジ色の太陽がスポットライトのように暖かい光線を降り注いでいた。
それは恰も母の愛がここに永遠に存在していることをジョンに知らしめるかのように…
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