第21話 ホイーラーピークの風の声

 ジョンはタオスの森林管理事務所で荷物の整理をし、隣地の放牧場に行き、芦毛の馬に向かい口笛を鳴らすと、その馬は群れから離れ早足でジョンの元に駆け寄って来た。

 ジョンは馬を柵から出し、鼻輪に綱を通し、鞍を乗せ、荷物の入ったリュックを服帯で結んだ。


 そこにビリーが近づき、ジョンにショットガンを放り投げた。


 ジョンはそれを受け取ると困惑したようにビリーを見遣ったが、ビリーは構わず、次に鞘をジョンに向かって投げた。


 ジョンは鞘を受け取り、鞍に差し込み、ショットガンを格納すると、ビリーはジョンのリュックに弾の入った箱を2、3箱押し込んだ。


 ビリーはジョンに言った。


「お前は森林保安官だ。道中、害獣の駆除を頼むぜ。」と


 ジョンはビリーにこう言った。


「ビリー、ありがとう。銃が有れば心強いよ。」と


 ビリーは唾を吐きながら、最後にこう言った。


「兎に角、浩子と会って、無事に此処に戻って来いよ、相棒!」と


 ジョンは帽子の鍔を触り、微笑みながらビリーに別れの挨拶をした。


 ジョンが馬を回し、道路に向かう時、マリアが急いで駆け寄って来た。

 マリアの手にはバスケットが抱えられていた。

 マリアはジョンに何も言わず、そのバスケットを鞍の後ろにロープで結んだ。


 ジョンはマリアに何も言わず、帽子の鍔を触り、別れの挨拶をした。


 ジョンと芦毛の馬が時代錯誤の雰囲気を醸し出し、国道に消えて行くのをマリアとビリーはずっと見送っていた。


 ジョンはサンタフェを目指して、国道を南下し、そこから、やはり、バーハム神父と浩子が通ったルート40沿いを東に向かい、オクラホマを目指すつもりでいた。


 ジョンは国道の路面の硬さが馬の蹄を消耗すると思い、道路沿いからリオ・グランデ川に降りて川沿いを南下することにした。


 ジョンはやはり近代的な構造物が好きではなく、自ずと自身の血が騒ぎ、古来先祖が通ったように、際立った岩壁に挟まれたリオ・グランデ川をゆっくりと降って行った。


 タオスを出て、リオ・グランデ川沿いのルート570を降ること2時間ぐらいした時、前方に集落が見えてきた。


 その集落は時代から取り残されたように白漆喰の平家の建物が道路脇にがらんと並び、人っ子1人も居ない様子であった。

 ジョンは街のメイン通りと思われる大通りに出て、辺りを見渡したが、人の居る気配は全く感じられなかった。


 すると、大通りの突き当たりに一つの教会が見えた。


 ジョンは教会に向かい、その近くの空家と思われる家の門柱に馬を繋ぎ、教会の門を潜って入って行った。

 

 教会の造り、庭園のマリア像からして、カトリック教会であるとジョンには読み取れた。


 教会の扉は開かれており、ジョンが中を除くと、大勢の人達が神父の説教を聞いていた。


「今日は日曜日か、ミサの日だ。」と漸く暦の世界から離別していたジョンに曜日の感覚が蘇った。


 説教をしている神父はスパニッシュ系の混血人であった。

 そして、このミサに集まってる人々は殆どがネイティブ・アメリカンであった。


 ジョンはこの地の歴史が頭に浮かんで来た。


 原自然を神とする先住民にスペイン人が改宗を求めた歴史を。


 しかし、神父の説教を聞く人々は皆、熱心に聞いており、他所者から無理矢理、改宗をさせられた者達とは到底思えなかった。


 ジョンはこの時、一つのインスピレーションを感じた。


「全ての過去、歴史が、現代に災いを齎しているものではない。良いものは良いものである。」と


 ジョンは教会に入ることなく、玄関の前で中を覗くだけにし、ミサが終わるのを待つことにした。


 ミサが終わると、人達が祭壇上に祀られているイエス・キリストの十字架像に十字を切りながら席を立ち始めた。


 ジョンは一番最初に玄関に出てきた1人の老人にこう聞いた。


「この町は何という町ですか?」と


 その老人はジョンの黒い瞳を見て、同族感を覚えたのか、親し気にこう答えた。


「ランチェス・デ・タオスという町だよ。プロブロ族のコミュニティだよ。」と


 ジョンはその老人に尋ねた。


「今日はミサで皆さん教会に来ているのですね。」と


 老人はジョンの予想と反して哀しげに語った。


「今日のミサはワシらプロブロ族の教訓となったミサだ」と


 ジョンは更に問うた。


「教訓?とは何ですか?」と


 その老人は答える前にジョンに問うた。


「あんたは、ネイティブかい?」と


 ジョンは即答した。


「はい、僕はナボハ族と白人の混血です。」と


 そう聞くとその老人はジョンを爪先から頭の毛の先まで見遣り、恐る恐る、こう聞いた。


「あんた、もしかすると、タオスに来ていた、ナボハ族の英雄の息子さんかい?」と


 ジョンは「そうだと」と言うように頷いた。


 その老人は慌てて教会の中に飛び込んで行き、大声で皆に叫んだ。


 ジョンはその言葉が先住民の言葉であるため、何と叫んでいるのか分からなかったが、皆の様子からして、ただならぬ事態だということは理解できた。


 神父を始めミサにいた全員がジョンを取り囲んだ。


 ジョンは一瞬、身の危険を感じ、馬の方を見遣り、その鞍に刺したショットガンを見つめた。


 すると群衆の中から神父と思われる男がジョンの前に現れ、ジョンにこう言った。


「ようこそ!必ず、貴方が此処に現れると思っていました。今日のこのミサは貴方の母親のために行なっているんですよ。」と


 ジョンは何が何だか分からない様子で辺りの人々を見渡した。


 ジョンを見る人々の目は皆、恰も「奇跡」、そう、イエス・キリストを見るように敬いの眼差しであった。


 ジョンは群衆の1人の老婆に手を引かれ、教会横の平家の建物の中に通された。


 そこには、数々の料理がテーブルに並んでおり、ミサの後の食事会であるとジョンは察した。


 ジョンは神父の横の席に座らされ、皆はそれぞれ先に席が決まっていたかのように着々と腰を下ろしていった。


 ジョンが経緯を神父に問う暇も与えず、神父の説示が始まった。


「皆さん、「奇跡」が起こりました。あのタオスの戦いにより、我々、スパニッシュとプロブロ族の先祖は白人達に葬られました。その後も我々の共存、このコミュニティは幾度の危機に晒される中、あの、1967年の奇跡を信じ、神を信じ、今日まで耐え忍んで来ました。

 待ち望んでいた日が今日、実現しました。

 我々の共存の証である、この青年、神が我らの元に出現させたのです。

 神の偉大なる摂理に…アーメン」と


 皆も瞑想し、「神の偉大なる摂理にアーメン」と唱え、そして、神父の言う「共存の証」であるジョンを見つめた。


 ジョンは自ずと自己紹介を求められている雰囲気を察し、立ち上がり、こう述べた。


「僕はジョン・プラッシュです。神父様の仰る1967年にナボハ族と白人の混血としてこの世に生を受けました。両親は1967年の白人至上主義者によりリンチに遭い殺されました。

 プロブロ族もナボハ族と同様にその悲劇に遭遇したことを聞き及んでいます。

 僕は、今、自分のアイデンティティを探す旅をしています。

 今日は僕の母のためのミサと聞きました。

 どんなことでも良いので僕の母のことを教えてください。」と


 こう言うとジョンは腰を下ろし、皆の顔を見渡した。


 皆は「うんうん」と頷きながら、ジョンに拍手をした。


 神父が皆に声を掛けた。


「では、皆さん、今日は盛大にやりましょう!」と


 皆の顔から笑顔が溢れ、また、中には喜びのあまり泣き出す者もいた。


 ジョンは料理に手を付けながら神父におずおずと聞いてみた。


「神父様、どうして、僕の母のミサを行っているのですか?」と


 神父は料理に手を伸ばすのを止めて、「あっ」と説明し忘れた事を思い出したかのように、布巾で指を拭い、そして、ジョンの方を向き直し、こう物語った。


「言い忘れていました。私はスパニッシュ系の混血でカトリック教徒の神父です。

 このミサは貴方のご両親が亡くなった1967年から行われています。

 このコミュニティはスパニッシュ系とプロブロ族の小さな村でした。

 ニューメキシコ州の独立の際の米墨戦争の時、メキシコ側につきアメリカと戦い多くの血を流した村です。

 その後も国、州には属さず先住民と混血人、メキシコ人のコミュニティとして細々と生活して来ました。

 1965年、ニューメキシコ州に白人至上主義者の襲撃が近々起こると取り沙汰されていた時分、貴方の母であるカレン・フランクリン達の団体が混血人の自由を呼びかけ、ニューメキシコ州のこの北部で集会を開きました。

 貴方のお母さんは、我々にこう言ったのです。『この地は貴方達の土地です。白人の土地ではないのです。自然を取り戻しましょう!』と

 我々は驚きました。白人が我々に自由を与えると言っている事に。

 我々はこのコミュニティを守ることに初めて意義を感じました。『此処は我々の土地なんだと』ね。

 貴方のお母さんは、自然を愛していました。貴方のお母さんは常々言っていました。『肌の色、出身地、血の根源、そんなもの自然の摂理からすると人間のエゴイズムに他ならない。自然は皆と共存している』と。そして、いつもカーソンの森に足を伸ばし、原自然を体感していました。そこで、貴方のお父さんであるナバホ族の英雄と恋に落ちたのです。

 貴方のご両親は白人至上主義者が襲撃に来るという噂が立ち込めても、決してこの地を離れようとしませんでした。『共存』これを皆に示すようにカーソンの原自然と共に生きることを望んだのです。

 あの悲劇…、我々は悲しみました。しかし、決して、白人至上主義者に背を向けることを良しとしませんでした。ナバホ族みたいにはね…」と


 神父は此処で一息入れるかのようにワインを一口飲み、物語を続けた。


「我々の共存の証として、我々は貴方のお母さんの遺骨を白人至上主義者に奪われる前に見つけ出し、このコミュニティで守っているのです。

 そして、貴方のお母さんの遺骨を祀った日、5月23日、今日、毎年、「共存のミサ」を開いているのですよ。

 その日に貴方が現れた。

 これが奇跡でなければ、何が奇跡なんですか!」と


 神父の顔はワイン色に紅潮していた。


 他の列席者もジョンに言葉を掛け始めた。


「貴方のご両親は我々の新たな礎です。貴方のアイデンティティはこの地にあるのですよ」


「此処はアメリカ合衆国ではないんですよ。誰もが自由な共存の地なんです。貴方のお母さんのお陰です。」


「血の根源の戦いはもう懲り懲りです。選別してはいけない。共に分かち合う。このコミュニティはどんな人種でも受け入れます。」


 等々とそれぞれが高らかにジョンに叫ぶように、声を枯らしながら、称え合った。


 ジョンは皆に向かって問うた。


「僕の母の遺骨はこの教会に祀られているんですか?」と


 すると、皆は首を横に振り、合言葉のように叫んだ。


「ホイーラーピーク!」と


 ジョンは神父の方を見遣った。


 神父はジョンに言った。


「貴方のお母さんは、我々の神の山、ホイーラー山の頂上に祀られています。決して、白人どもが足を踏み入れることが出来ない、神の山、ホイーラーピークにね。」と


 その日、ジョンはコミュニティの皆に「よく来てくれた」と身体中を叩かれながら、手荒い祝福の元、楽しい夕食を食べ、神父が用意した教会横の宿舎に泊まる事にした。


 夜、神父がジョンの元に来て、こう言った。


「明日、お母さんに逢いに行きましょう。」と


 ジョンは神父に快くお礼言い、その日は余りにも急転直下の展開に疲れたのか、あっというまに眠りに堕ちてしまった。


 ジョンは夢を見た。


「村人に案内されホイーラーピークを目指している。隣を見ると浩子が居る。その後ろにはマリアもビリーも居た。そして、ロバの背にはバーハム神父も居た。  

 4000mを越すホイーラーピーク!でも、何故か足取りは軽く、息苦しさも無かった。

 そして、後ろから、あの人懐っこい風達がジョンの背中を後押ししてくれていた。

『ジョン、遂にお母さんに会えるな!』と。

 ジョンは風達に言った。

『母を感じたインスピレーションは無かったが、今、何かを感じつつあるよ』と。


 すると、浩子が言った。

『ジョン、私も貴方のお母さんの声が聞こえるわよ、ジョン!、心で聞いてみて、風の声を』と


 ジョンは浩子に言われたとおり、瞑想し、心を無にした。


 すると、風達の声の中に一つの違う旋律が聞こえてきた。ジョンは目を開け、耳をそば立てた。


『ジョン!私のジョン!私の声を聞いて!私は此処に居るわ!ジョン!私の息子!ジョン!』


 ジョンは思わず声を漏らした。


『お母さん!』と


 ジョンがこの世に生まれて、初めて使った単語「お母さん」と


 母の風の旋律は、多種多様の風達の旋律に守られるように、ホイーラーピークへの道のりを虹色に醸し出した。


 ジョンは思った。


『母の愛情など考えたこともなかった。母とは母胎、マトリックスであり、そこには感情も愛情もなく、宇宙の神秘しかないと思っていたのに…

 これが、母子を繋ぐ愛情か、これが僕に生命をくれた掛け替えのない愛情か』と」


 その時、ドアのノックの音がし、ジョンは目を覚ました。


 神父が部屋に入って来て、ジョンの為に登山服とピッケルを置いて行ってくれた。


 ジョンは登山服に着替えると、宿舎を出て、ホイーラー山を見遣った。


 すると、ホイーラーピークの天頂の真下に夢で見たように虹が掛かっていた。


 ジョンは呟いた。


「お母さんが僕を待っている…」と

 


 

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