第20話 旋風の愛の知らせ

 バーハム神父と浩子はナボハ族の居留地を出発し、オクラホマに向かっていた。


 ナボハ族居留地から南下し、アルバカーキからルート40に乗り、ひたすら東へと向かう行程で、車で12時間を要する旅程であった。


 浩子は風達の教えてくれた「森と川」と言う響きから、途中のカーソン国有林地帯にジョンの存在を感じた。


 浩子はバーハム神父に言った。


「神父様、ジョンは自然の中に居るように私には思えます。オクラホマに森と川はあるのですか?」と


 バーハム神父は浩子を見遣りもせず、前方彼方の地平線をじっと見つめながらこう言った。


「オクラホマは農場と砂漠の街だ。ジョンが居そうな森や川などない。」と


 浩子はそれを聞き俯いてしまった。


 バーハム神父は話を続けた。


「浩子、ジョンを探すのを急いではいけない。奴の目的を思い浮かべるんだ。何故、奴が大事な浩子の前から姿を消したかを…」と


 浩子は呟いた。


「愛する人が戻って来るのを待ってる…」と


 バーハム神父は頷き、スピードを緩めると、ウインカーを鳴らし、ドライブインに車を向かわせ、停車させた。


 そこはニューメキシコ州のサンタローザで、そこから、ホイーラー山が北西に聳え立つのがよく見える地点であった。


 バーハム神父は車から出て、曲がった腰を押さえながら背伸びをした。


 浩子も車から降りて、ホイーラー山の雄大な景観を見遣った。


 バーハム神父はパイプを取り出し、煙草の粉を入れ、マッチで火をつけると深く一服した。

 そして、浩子にこう言った。


「ジョンはあの山の、あの森の何処かに居るのであろう。浩子のインスピレーションからすると、カーソン国有林とリオ・グランデ川だとワシは感じた。」と


 浩子はバーハム神父に問うた。


「では、どうして、そこを通り過ぎてしまうのですか?」と


 バーハム神父はパイプから煙をくねらしながらこう言った。


「カーソン国有林は久住の何百倍の広さがある。あそこに入り込むには、ワシは年を取り過ぎたよ。ましてや、浩子、女一人ではクマの餌になりに行くようなものだよ。」と


 浩子はホイーラー山の麓に広がる大森林を見渡し、バーハム神父の言ってることが納得できた。その雄大さは久住の比ではなかった。


 バーハム神父と浩子はドライブインのレストランに入った。


 バーハム神父は席に着くとタコスとコーヒーを二つ注文した。


 そして、片肘をつき、掌に顔を乗せ、窓の外のホイーラー山を眺めながら浩子にこう言い始めた。


「浩子、ジョンは浩子が来るのを待っているのは間違いない。置き手紙も残さず去ったのは、その証だよ。イエス・キリストの言葉どおり、愛する者を捨て、そして、その者が戻ってくるのを待とうとしているのだ。」と


 浩子はじっとバーハム神父の皺だらけの横顔を見つめていた。


 バーハム神父は話を続けた。


「奴はナボハ族の居留地に姿を現した。そして、オクラホマに向かった。それが何を意味するのか、浩子、分かるかい?」と


 浩子はバーハム神父の問いにこう答えた。


「ジョンは自分の今まで生きてきた軌跡を辿っているのでは?」と


 バーハム神父はそうだと言うように頷いた。


 丁度、その時、ウェーターが料理を運んできた。


 バーハム神父は浩子に食べるよう勧めると、自分はコーヒーを一口飲み、そして、浩子を見つめ、こう言った。


「浩子の言ったのが正解だよ。ジョンは浩子に会いに来てもらうように敢えてその軌跡を辿っていると思う。

 だからこそ、オクラホマに向かったのだ。

 ジョンの母親はオクラホマ出身だからな。」と


 浩子は一旦、タコスを食べるのをやめ、バーハム神父にこう問うた。


「神父様はジョンのお母さんの出身地をご存知なんですか?」と


 バーハム神父は、タコスを一つ掴み、齧るように食べると、また、窓の外のホイーラー山を見遣り、こう言った。


「1967年のナボハ族でのリンチ事件はイエズス会でも衝撃的であった。ワシがジョンをシアトルの教会に連れて行った時も白人至上主義者の連中はナボハ族居留地の周辺でジョンの母親を探していたそうだ。それは、有色人種と交わった白人女性を恰も中世の魔女狩りの如く、その見せしめにするため、遺骨でもなんでも良いから、その痕跡を仕切りに探していたそうだ。」と


 ここでバーハム神父は一息つき、コーヒーを飲むとウェーターを呼び、灰皿を貰い、パイプに火を付け、紫煙を蒸した。そして、話を続けた。


「ワシがジョンの母親の遺体をあのビュートの洞穴に埋葬したことは誰も知らないはずであったが、何故か白人至上主義者達は、シアトルのワシの教会に現れ、ワシに『あの女は何処にいる?』と問うてきた。

 おそらく、ナボハ族の酋長がイエズス会が来たことをそいつらに喋ったのだと思う。

 ワシは知らぬ存ぜぬとシラを切った。

 その時、奴らがワシにこう言ったのだ。

『あの汚れた女の血は代々売女の血が流れている。あの女の母親もニューオーリンズからオクラホマに逃げって行った。黒人と交わったからだ!』と

 ジョンの母親はオクラホマで生まれ、その母親はミシシッピ州のニューオーリンズの女郎屋に居たそうだよ。

 そのことはジョンには言ってない。そんな悲惨な血の軌跡をあの子に言う必要はあるかね?」と


 そこまで述べるとバーハム神父はパイプを灰皿にトントンと叩き吸殻を落とした。


 浩子はバーハム神父に問うた。


「神父様、なんとしてもジョンをオクラホマで見つけないと!」と


 バーハム神父もゆっくり頷き、浩子に言った。


「浩子、ワシらはジョンより先にオクラホマの母親の育った所を探すんだ。そして、ジョンを待ち受けるんだ。ジョンは浩子と逢えば、奴の血の軌跡を辿る旅は自ずと終わる。奴を決してニューオーリンズに行かせてはならない。」と


 浩子はバーハム神父の意を介し、しっかりと頷き、目を瞑り、十字を切りながら神に祈った。


「神様、早くジョンに逢わせてください。そして、ジョン!もう、これ以上、苦しまないで…、もうこれ以上、アイデンティティを探さないで。」と


 その頃、ジョンはタオスの森林管理事務所での生活に馴染み、当初の旅の目的を忘れたかのように毎日、ビリーやマリアとカーソン国有林の森の中に入り、その雄大で奥深い原自然を身をもって感じる日々を過ごしていた。


 マリアもジョンと一緒に居れることがとても幸せに感じており、ジョンの母親のオクラホマの情報など全く探す素振りもなく、それどころか、敢えて、1967年のリンチ事件の情報がストックされていたファイルを事務室から別の部屋に隠してしまっていた。


 ジョンは仕事が終わり、事務所に戻ると、いつもジョンの部屋は綺麗に掃除がされ、ベットサイドには花を刺した花瓶が飾られており、夕食もマリアが拵え、二人で一緒に食べるのが慣わしとさえなっていた。


 ある日、ジョンはマリアに1967年の事を尋ねたことがあった。


「マリア、1967年のあの事件の時、どの辺りの森に匿われていたんだい?」と


 マリアは急に愛想笑いを浮かべ、こう答えるのであった。


「覚えてなんかいないわ!だって、私、赤ちゃんだったからねー」と


 ジョンは「そっか」と言いつつ、こう呟いた。


「そうだよね。赤ん坊だもんな。覚えているはずないもんね。

 でも、俺は…」と


 マリアはジョンに尋ねた。


「ジョンはその時の記憶あるの?まさかあるはずないわよね~」と


 ジョンは微笑みながらマリアにこう言った。


「それがね。不思議なことに覚えているんだよ。いつもね、岩の下の穴の中で風達と話していたんだ!」と

 

 マリアはそれ以上、ジョンの話を聞きたくないかのように「ふーん」と興味なしにやり過ごすのであった。


 ジョンはマリアに風達の話をした瞬間、浩子を事を思い出した。


 「俺と浩子は同じ人間‥」と


 次の日、ジョンはビリーとマリアとの3人で森の植林をするためカーソン国有林で一番大きな椋の木の林に向かった。


 その地帯は優良な草木が生い茂り、カーソン国有林の心臓と言われるほど豊かな森林であり、椋の木の植林、枝打ちは、かなり重要な仕事であった。


 ビリーとジョンはロープを使い、高さ30mにもなる椋の木に登り、老化した枝を切り落とした。

 30m級の大木はそのエリアに100本は生息し、2日かかりのキャンプを張っての大仕事であった。


 2日目、ある程度、枝打ちの終わる目処が見えた昼、3人は森の広場で昼餉を摂ることとした。


 ジョンとビリーは重労働により汗びっしょりで、ふらふらの状態で森の広場に腰を降ろした。


 マリアは昼餉の用意として、手作りのサンドイッチをキャンピングテーブルに広げ、焚き火で琺瑯ヤカンのコーヒーを沸かしていた。


 その時だった。


 森の中に一つの旋風が来客のように出現し、焚き火を消し去り、ジョンの側を通り過ぎる際に辺りの落ち葉を綺麗に吹き去って行った。


 その旋風はジョンに何も話しかけることはなかったが、ジョンは気付いた。


 マリアが焚き火を付け直し、昼餉の用意ができたので二人を呼んだ。


 ビリーとジョンはキャンピングテーブルの椅子に腰を降ろした。


 ビリーが汗を拭きながらこう言った。


「さっきの旋風はとても気持ち良かったなジョン!」と


 ジョンはそれに何も返答することなくサンドイッチを食べ始めていた。


 ビリーは無反応なジョンが少し気になったが、腹が減っていたので、サンドイッチに手を伸ばした。


 マリアが付け直した焚き火に沸騰し始めた琺瑯ヤカンを見て、そろそろ湧いたかなとヤカンの蓋を取り、中を確認しようとした時、また、急に旋風が訪れ、焚き火を消し、去って行った。


 マリアが口を尖らせ、「森の中に旋風が起こるなんて今までなかったのに~、今日は変よ!」と愚痴りながら火を付け直した。


 ジョンは感じた。


「分かったよ!そろそろ、行くから、お前らマリアの邪魔をするなよ。」と心の中で風達を諭した。


 その後は旋風が起こることなく、マリアはコーヒーを沸かし、2人のマグカップに注いで、マリアもキャンピングテーブルに座った。


 テーブルの上に枯葉が落ちており、サンドイッチにまとわりついていたので、マリアがサンドイッチの入ったバケットケースを掴もうとした時、「スーッと」微風が一拭き枯葉を綺麗に吹き飛ばした。


 ジョンはニヤリと笑った。


 ビリーがジョンに言った。


「ジョン!お前がさっきから風を綾っているのか!」と


 ジョンはサンドイッチを食べながら、「風達が僕を急かしているんだ!」と風が吹き抜ける方向を見て、独り言のようにそう言った。


 ビリーが言った。


「もう少し、手伝ってくれよな!ジョン!」と


 すると、ジョンは指を舐め、それを天に翳し、風達を呼び、目を瞑り、耳をそば立てながら、風の声を聞いた。


「おいおい、そんなに急かすなよ。一体どうしたんだよ?」と


 風達は揃って言った。


「ジョン!浩子が来てるんだぜ!何、モタモタしてるんだい!早く腰を上げなよ!」と


 ジョンはいきなり立ち上がった。


「浩子がアメリカに来てるのか!」と風達に心の声で確認した。


「来てるよ!すぐ側に来てるんだぜ!」と風達がジョンのデンガロハットを吹き飛ばしながら一生懸命に答えた。


 マリアとビリーは何が何だか分からないように唖然としていた。


 ジョンはそんな2人に気付くと椅子に座り直し、こう言った。


「よくね、日本にいる時、風達が舞台を用意してくれたんだ。」と


 マリアが言った。


「何の舞台なの?」と


 ビリーは帽子を目深く被り直し、ジョンに「もう言いなよ」と言うように手を振った。


 ジョンは「分かった」と言うように頷き、話を続けた。


「森にね、恋人が入ってくる前にさ、風達が広場の落ち葉を綺麗に拭き飛ばしてくれるんだ!」と


 さらにジョンは話を続けた。


「彼女は浩子というんだ。浩子は森の舞台に入る前に神に許しを乞うてから、入ってくるんだ!」と


 マリアはジョンから目を逸らし、ビリーに答えを求めたが、ビリーはマリアにお手上げのポーズをとるだけであった。


 ジョンは2人を見渡し、こう言った。


「そろそろ行かなくちゃ!本当にありがとう。こんなに親切にしてくれて。本当にありがとう!」と


 マリアはジョンに言った。


「うん!分かっていたのよ。貴方には大切な人がいるなぁーって!でも、私はジョンを心の底から好きになったの!貴方の全部が好きになったの!それだけは言わせてね!」と


 マリアの目には涙が溢れていた。


 ジョンはマリアを見つめこう言った。


「僕もマリアの全てが好きだよ!」と


 マリアはその言葉だけで十分だった。


 そして、マリアはジョンに言った。


「変に長引かせるようにカーソンに留まらさせてごめんなさい…」と


 ジョンはマリアに言った。


「こちらこそ、本当にありがとう。ビリー!本当の相棒だ!僕はまた、ここに帰ってくる。浩子を連れて、構わないかい?」と


 ビリーは頷き、マリアはこう言った。


「必ず戻ってきてね。浩子と一緒に!私は待ってるから!」と


 ジョンは頷き、天を仰ぎ、風達に言った。


「東に向かう!そう、浩子に伝えてくれ!」と


 するとサワサワと木々が騒めき、一瞬、焚き火が横流しに傾き、


「ジョン!いい頃合いだ。浩子は先に待ってるぜ。」と風達がジョンの耳元に囁いた。


 ジョンは久々にマリアとビリーのために十字を切り、こう説示した。


 あの聖アウグスティヌスのことばを


「過去はすべて神のあわれみにまかせ、現在はすべて神の深い愛情にゆだね、未来は神の偉大なる摂理、神の計画に、すべてをゆだねなさい。」と…

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