第19話 マリアの願い
ジョンはマリアとビリーの勤務するタオスのカーソン国有林管理事務所に保護された。
ジョンの馬は近隣の放牧場に放たれ、すっかり、そこが気に入ったように他の馬達と戯れていた。
マリアはジョンに1つの提案をした。
「ジョン、何も手掛かりがないままオクラホマに行っても無駄骨を折るだけだわ。何か当てはあるの?当てが無ければ、暫くの間、ここに滞在してみたらどうかしら?」と
ジョンはマリアに言った。
「当ては砂漠の農場とオクラホマから西に向かったルートだけだよ。」と
マリアはジョンに言った。
「それはスタインベックの『怒りの葡萄』だわ。1930年代のダストボール(砂嵐)から逃れるために土地を捨てカルホルニュアを目指した農民達のこと見たいね。」と
ジョンは頷きこう言った。
「マリアの言う通りと僕もそう思っているよ。恐らく、母はその農民達の1人としてオクラホマを離れたに違いない。
あと、手掛かりとしては、母がユダヤ系であったということだ。」と
マリアは言った。
「その手掛かりもかなり骨を折るものね。オクラホマにどのくらいのユダヤ系アメリカン人が居たなど見当が付かないわ。」と
ジョンもそれは分かっていると言うように頷きながらこう言った。
「あと、夢で見たのは娼婦小屋、その中に将校が居たんだ…」と
マリアはジョンに尋ねた。
「ジョン、手掛かりとは貴方が夢で見たことなの?」と
ジョンは恥ずかしげもなく、マリアを見つめ、こう言った。
「君には分かると思う…、僕は風の声が聞こえるんだ。カーソン国有林の中で迷わなかったのも風達からルートを教えて貰ったからなんだ。
母の亡くなったビュートの岩山で風達が僕にこう言ったんだ。『夢が教えてくれるよ。』とね」
と
マリアはこう言った。
「そうなんだ。ジョンは風の声が聞こえるんだ。私には聞こえないけど、何となく、そのインスピレーションは理解できるわ。」と
マリアは感じていた。
「ジョンの言っていること、私には何となく分かる。私の森の中の直感もジョンと同じものだもの。」と
マリアは若くしてカーソン国有林の保安官となった。それは、マリアはレーダー等の機器が無くても森の中で所在地が正確に把握することができた。そのため、助手の時から多くの遭難者を救助し、また、多くの密猟者を摘発する功績から保安官に抜擢されていたのだ。
マリアはこうもジョンに提案した。
「オクラホマの情報をある程度掴むまで、このカーソン国有林で働いてみない?
ジョンのお母さんの情報、オクラホマ州のユダヤ系アメリカン人の地域などについては、ここの事務所のパソコンやデータを使って調べて良いから。」と
ジョンはマリアに問うた。
「それは僕にとって願ったり叶ったりだが、僕に働けるかな?」と
マリアはジョンの前向きな返答に嬉しさを隠せず、ジョンに飛び付きながらこう言った。
「ジョンなら国有林保安官の仕事なんて簡単にできるわ!だって、ジョンは風と話せるんだからね!」と
ジョンはマリアの好意に甘えることにした。
この旅も急ぐものではない、また、あのカーソン国有林の森の中の感覚は久住の森の中と同じで、ジョンにとって居心地がとっても良かった。さらに、このまま、マリアと別れるのが何となく寂しかった。ジョンが初めて同じ血を感じた人間であったから、もう少しの間、マリアと一緒に居てみたかったのだ。
マリアもジョンと同じ気持ちであった。いや、ジョンの気持ち以上の感情を抱いていた。
マリアはジョンの境遇に共感するとともに、ジョンの放つオーラー、孤独感、閑寂感に惹かれ、恋愛感情を抱いていた。
マリアはジョンを事務所の一室に案内し、ジョンに説明した。
「この部屋で過ごしてね。ここは、避難者を保護し、休養させる部屋なの。何でも使って良いからね。」と
ジョンは嬉しかった。
どうだろう、もう1週間はベットに横になってはいなかった。
ジョンはマリアに聞いた。
「君の家はこの近くなのかい?」と
マリアは嬉しそうに答えた。
「うん、このタオスにあるプロブロ族の居留地に家があるの。車で直ぐのところなの。」と
ジョンは柔かに頷き、マリアに言った。
「仕事の内容は大体分かるよ。僕みたいな奴を探索するんだね。」と
マリアは笑い、うんうんと頷いた。
ジョンはマリアにこうも言った。
「森の中の探索に馬を使っても良いかい?」と
マリアは即答した。
「是非とも馬で探索して。だからこそ、ジョンを雇ったんだから!」と
カーソン国有林の中はジープやトラックで行き届かない獣道も無数にある。
遭難者は多分にそのような道に迷ってしまう。そこで、馬による昔ながらの捜索も必要であった。
だが、最近の保安官で馬を上手に乗りこなす者が少なくなっていた。
ジョンは打って付けの人材であったのだ。
このタオスの森林事務所は職員は10名程の小さな事務所であったが、地域のコミュニティの役目もあり、毎日、多くの地域住民が集う場所でもあった。
ジョンにはそれが久住での教会勤務の時のように思われて、神父としての説示こそしないものの、地域住民との触れ合いは、また、とても楽しいものであった。
ジョンが例の1967年のリンチ事件の犠牲者の子であることは直ぐに周辺地域に情報が広まった。
しかし、ここタオスの町は、先住民居住者か多く、ジョンに対する住民のもてなしはとても優しいものであった。
また、ジョンが馬だけで広大なカーソン国有林を抜け出し、リオ・グランデ川を降った行動に、先住民の人達は、自分らの『偉大な自然の血』の現れであると称えるのであった。
ジョンがこの事務所で生活するに従い、一層、事務所に集う人達は増え、所長を始め職員達も嬉しかった。
所長はエドワード・ウィリアムといい、そう、マリアの育ての親でもあった。
エドワード所長の家系は代々、このカーソン国有林の保安官であり、また、先住民であるプロブロ族とも友好関係であった。
エドワード所長は非人間的支配である原自然主義者であり、全てのものと共存することをモットーにしていた。
ジョンに対しても、とても親切であり、それどころか、特別な存在としてジョンを見ていた。
「あの白人至上主義のリンチ事件の犠牲者であるナボハ族の男。あの勇敢な男が、ここカーソン国有林まで知らせに来なかったら、マリアも殺されていただろう。
その救世主である男の子孫に巡り会えるとは‥
何という奇跡だろうか!」と感慨無量でいたのだ。
この日、ジョンはビリーと一緒に馬に乗り、カーソン国有林の捜索に向かった。
ビリーも乗馬が上手く、ジョンを良き相棒として、細々な仕事の内容をジョンに親切に教えてくれた。
ビリーは、馬に乗りながら、ジョンに説明した。
「森林保安官は、遭難者や密猟者の捜索だけではなく、森林の生態系の観察や植林、枝打ちの仕事もしなくてはならないんだよ。」と
そして、今日は適切な生態系を維持するための猟をすると言い、鞘からライフルを取り出し、ジョンに手渡した。
ジョンはライフルを受け取り、ビリーに尋ねた。
「何の猟をするのかい?」と
ビリーは言った。
「今日はウサギだよ。」と
ジョンはビリーに更に問うた。
「何故、ウサギを狩るのかい?」と
ビリーはジョンを手招きする様に手を振りながり森の中に入り、ムクの大木の前で馬から降りた。
ジョンも馬から降り、ビリーと同じように大木に馬を繋ぎ、腰を下ろした。
ビリーは森林保安官らしからぬ胸ポケットからタバコを取り出し、一服しながら、先程のジョンの質問に答えた。
「ウサギの数が年々増大し、木々の新芽を食い荒らすんだよ。それで、ある程度、間引く必要があるんだ。」と
ビリーはジョンが質問する前に話を続けた。
「ウサギが増えた理由は分かるだろ?そうさ、ピューマやオオカミが減ったからさ。いや、もう、この森の中には居ないかも知れないな。」と
ジョンはビリーの説明で全てを納得した。
ジョンがカーソン国有林の麓の湖で怒りに満ちた考えと同じ現象が、この森の奥で起こっていたのだ。
全てを白人が奪い獲った。
実際、このカーソン国有林においても、白人開拓者達は、勇気争いとして、また、猟の標的である鹿を捕食する邪魔者として、ピューマやオオカミを散々に殺しまくった。
最早、ピューマとオオカミは絶滅危惧種となり、そのため、鹿や猪、そしてウサギの数が増え、原自然の予定以上に植物を食べ尽くし、森の形態に変化を及ぼしていたのだ。
ビリーは一服が終わると立ち上がり、馬のもう一方の鞘から別のライフルをジョンに渡した。
「ジョン、お前はこのライフルでやってくれ!」と
ジョンはビリーに言った。
「僕はライフルの免許を持ってないんだ。」と
ビリーはジョンに笑いながら言った。
「害獣処理のため免許は必要ないんだ。そして、ライフルの保持は保安官である俺が認めてるから問題ないのさ!」と
ジョンは了解した。
ジョンはライフルで猟をした経験はあった。ボーイスカウトで習っていたのだ。
ジョンは久しぶりにライフルを握り、狩猟民族の血が湧いて来た感じがした。
ビリーとジョンは林が途切れ、野原が広がるエリアに進み、草陰に潜み、ウサギが動き出すのを狙った。
ジョンは驚いた。
眼前に幾らでもウサギが見えるのだ。これは猟とは言えない。やはり、駆除だと思った。
ビリーがジョンに言った。
「今日のノルマは20羽だ!」と
そう言うとビリーはライフルを構え、レバーを引き、1発撃った。
遠くから見ても分かるよう、ウサギは吹っ飛びピクリとも動かなかった。
ウサギ達が別の草陰に逃げ込もうと走り出した。
ジョンは先頭を走るウサギを撃った。
するとウサギ達は方向を変えようと立ち止まった。
そこをすかさずビリーが連射した。
ビリーは言った。
「俺が何も教えなくても、お前は全て知ってるよ!先頭を狙うとは流石だぜ!」と
ジョンもニッコリ笑いビリーとハイタッチを交わした。
その頃、事務所ではマリアがジョンの部屋の掃除を熱心にし、ジョンのための食料も沢山買い込み冷蔵庫に詰めていた。
1人の保安官がマリアに言った。
「おいおい、マリア!事務所を新婚さんの新居にする気かい!」と
マリアは「そんなんじゃないよ!」と言いながらも、照れて顔を赤らめていた。
マリアには満更ではなかった。出来れば、ジョンと恋人になりたかったのだ。
ジョンとビリーは今日のノルマのウサギ20羽を仕留め、ハラワタを出したウサギを草袋に詰め込み、馬に乗せていた。
時刻は昼を回っていた。
ビリーとジョンは作業を終えると大木の元で昼餉を摂ることにした。
サンドイッチを食いながらビリーがジョンに言った。
「ジョン、お前は恋人は居ないのか?」と
ジョンは照れながらも答えた。
「居るよ。日本人だよ。」と
ビリーはジョンに尋ねた。
「神父として責任を取ったわけか。でも、神父辞めたんだから、彼女と別れる必要はなかったんじゃないかい?」と
ジョンはビリーに言った。
「うん。別れてないよ。神の摂理に任せたんだ。彼女が戻って来たら、彼女は初めから僕のものになる。」と
ビリーはなるほどと頷きながら、こう言った。
「彼女の名前は何と言うんだい?」
ジョンは即答した。
「浩子だ!」と
ビリーは「OK」と言い、そして、こう付け足した。
「良いかいジョン!浩子のことはマリアに言うんじゃないぞ!頃合いを見て、俺から切り出すから。分かったな、相棒!」と
ジョンは笑いながら頷いた。
マリアのジョンに対する感情が愛情に向上したことは、既にジョンは痛いほど感じていた。
それを気づいてくれたビリーに感謝するとともに、ある違和感を感じていた。
「浩子は来てくれるかな?こんな山奥まで…、来てくれるはずはないな。無理だよ、俺がここに居る間は。でも、何故かここから離れたくないんだ。マリアからも…」と
そんな頃、浩子とバーハム神父はナバホ族の居留地に居た。やはり、酋長は既に死んでいた。ただ、酋長の門番から、ジョンが馬でオクラホマに向かったことを告げられた。
バーハム神父は浩子に言った。
「ここから馬でオクラホマまでは、10日以上掛かる。ましてや、ジョンがどの行程を辿ったかで時間も変わってくる。」と
浩子は感じていた。
「兎に角、ジョンが生きていて良かった。ジョンはオクラホマに向かった。今から車で行けば間に合う。でも、ジョンは都市には居ない。ジョンは必ず森の中に居るはず。」と
バーハム神父は何か真剣に考え込んでいる浩子に聞いてみた。
「浩子、風に聞いてくれないかい?ジョンの向かった方向を!」と
浩子はニッコリ笑いバーハム神父を見遣り、「良いわよ」と言うと、指を舐め、空に翳し、風を感じると、瞑想を始めた。そして、心で風に問うた。
「皆んな、ジョンの向かった方向、分かる?分かるなら教えて頂戴!」と
すると急に微風が浩子の真っ白なワンピースを吹き揺らした。
「浩子!森と川だ!久住と同じ森の中にジョンは居るよ!」と、微風が囁いた。
浩子は目を開き、バーハム神父に告げた。
「神父様、ジョンは森と川のある場所に居ます。」と
バーハム神父はそれを聞きこう言った。
「東に向かい、森はカーソン、川はリオ・グランデか…」と
バーハム神父が見張る東方面には、ニューメキシコ州最高峰のホイーラー山が悠然と聳え立っていた。
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