第18話 混血の絆

 ジョンは寒さで目を覚ました。太陽はまだホイーラー山から顔を覗かしていないみたいで辺りは薄っすらと曙光が立ち込めていた。


 昨夜、このリオ・グランデ川沿いに降り立ち、闇夜の中、見渡した景観とは異なり、黒い威風のある空間から、清らかな青色の川色を中心とした透明感ある空気が立ち込んでいるようにジョンには感じられた。


 ジョンは既に川沿いで水を飲んでいる馬を引き寄せ、朝餉を摂ることなく出発した。


 谷沿いの道は降るにつれ、川幅と砂利道が広がり、周辺に草花が見え始めた。


 切り立った渓谷も途中で途切れ、左手に岩肌の高原地帯が広々と見え、タオスに通ずる道路が明瞭に現出した。


 ジョンは当初、タオスを経てホイーラー山を越える計画を立てていたが、急遽、計画変更したのはホイーラー山を越えることを装備的に諦めたことであった。

 

 しかしながら、左手に見える道路を通れば無理なく東に行けるように思えた。


 だが、今のジョンにはその最短ルートを選択する気は全くなく、リオ・グランデ川を南下することしか頭になかった。


 川面を吹く風達も川下に吹きながらジョンに囁いた。

  

「ジョン、心のままに進みな!何も考えずに、進むんだ!」と


 風達は知っていた。ジョンの心、いや、ジョンの血が東に向かうことを拒んでいることを。


 風達はさらに叫び声を上げるかのようにジョンの背中に吹き寄せた。


「ジョン!、リオ・グランデ川から離れれるな!」と


 風達はジョンに何かを予感させるように、谷底を泣き叫ぶように吹き渡るのであった。


 それはこの地の歴史がそうさせたのだ。


 このニューメキシコ州北部、カーソン国有林地帯は、全米の中でも、特に多くの先住民の血が流された歴史があった。


 15世紀にスペイン人の開拓が始まり、先住民はキリスト教への改宗を強要されるなど最初の屈辱を味わった。

 さらに、18世紀からメキシコに独立気運が高まり、1821年にメキシコ独立戦争でメキシコの管轄とされことにより、ヒスパニック系との争いも加わり、そして、1847年のアメリカとメキシコの管轄を巡る戦争により、メキシコ側についた先住民の多くは無惨にも殺戮されてしまった。


 スペイン、アメリカといった白人達の傲慢さにより、先住民は宗教意識の変換の強要、そして、生活圏の剥奪など、自身らのアイデンティティの全てが奪われ、多くの血がこのリオ・グランデ川を流れていった。


 ジョンの目には、川辺を歩くに連れ、このリオ・グランデ川の川面が、次第と赤色に見え始め、ジョンの耳には、両脇の岩壁から声なき声が心に響き出して来るのが聞こえていた。


「リオ・グランデ川を降れ!お前の血はまだまだ南にある。豊かな南に!」と


 先住民の声が風と共にジョンの背中を押し続けていた。


 ジョンはタオス方面を見遣りもせず、サンタフェを目指し、途中休憩地として、エンブトの町に向かった。


 今、ジョンのいる地点からエンブトの町まで2日は掛かる行程であった。


 さらに、足場が岩石で馬の蹄の消耗が早く、ジョンは乗馬せず、馬を引きながら向かうことにしたため、エンブトには早くて、まる3日は掛かりそうであった。


 そのため、ジョンの装備した食料は早くも底をつき、その足取りにも疲れが見え始めた。


 それでも、ジョンと馬は、てくてくと川を降って行った。


 この日も、ジョンは、昨夜に続き、河原で野宿した。そして、朝の暗いうちに出発した。


 川沿いを降り始めて3日目、ジョンと馬は、一旦川縁に癒着していた流木か何かが、もう一度、流れに乗り、仕方なく流れて行くかのように、止まっては歩き、止まっては歩きと、ひたすら降り歩めた。


 渓谷の中、太陽の陽射しも届かない地点もあり、また、標高は依然800mと高く、体感気温はかなり冷たく感じられた。


 何時頃かとジョンは腕を見遣ったが、腕時計を着けていないことを何度も気付かされるのであった。

 

 ジョンは、この旅の資金として、高値で売れる資産は全て売り払っていた。

 また、それでも売却金は知れていたため、1年間近く、ジョンは、ソルトレークシティーで建築業等の仕事に就き、この旅の資金を蓄えていた。


 しかし、この川と岩壁だけの渓谷では、紙幣の価値は小石以下であり、何の役にも立たなかった。


 空を見上げると鳥達が森の中に帰って行くのが見えた。

 夕刻であろうとジョンは思った。


 そして、遂にジョンは、森林に一旦戻ることとした。


 なぜならば、最早、空腹に耐えることは出来ず、森に住み着く野鳥を捕らえようと本能的に血が動いたのだ。


 馬も森林の中に喜んで入り込み、草苔をムシャムシャとむしり食べ始めた。


 ジョンは木枝を探し、その先にジャックナイフを紐で括り付け、草叢に潜み、野鳥(雷鳥)の姿を探した。


 夕陽が沈み、森の中に宵闇が覆い出した時、鳥達が棲家から呑気に出て来た。


 ジョンは森林の草叢を匍匐前進し、黒い二本足の生き物が複数、毛繕いしているのを見つけた。


 ジョンは都会育ちであったが、幼い頃から自然が好きで、ボーイスカウトに良く参加し、このような狩猟活動は得意であった。


 また、それは、自身の狩猟民族としてのDNAであるとも感じていた。


 ジョンはまるでピューマのように物音を立てず、息を殺し、その群に近づき、迷うことなく、即興で作った矢を投げ込んだ。


 その瞬間、獲物が最後のひと泣きを上げたのが分かった。


 ジョンは急いで投げられた矢の近くに走って行くと、一羽の雷鳥が矢が刺さったまま、ぐったりと横たわっていた。


 ジョンは矢を抜き取り、雷鳥の首をジャックナイフで切り落とし、血を抜き、河原に降りて行き、毛をむしり、肉を捌いた。


 かなり大きな雷鳥で腹の中には卵が2つ入っていた。雌であった。


 ジョンは雷鳥を捌き終えると、焚き火をして、肉を焼き始めた。


 肉汁が焚き火にポトポトと滴り、辺りに肉の匂いが充満して来た。


 ジョンが肉を裏返し、焼き具合を確かめていた時、森の中から二つの光が近づいて来た。


 ジョンは思い出した。


「やばい、森林保安官だ。これは、捕まる。」と覚悟した。


 光の点が消え、その光が焚き火の放つ光に吸収された時点、あの時と同じ声がした。


「此方は森林保安官です。此処は、キャンプ禁止地域ですよ。」と


 そして、焚き火の炎で炙られている肉の塊を見て、今度は声高く、警告を発してきた。


「此処は禁猟区です。雷鳥を狩猟することは禁止されています。」と

 

 ジョンは何も言わず、突っ立ったままであった。


 森林保安官の1人が近づき、ジョンの顔に懐中電灯を当て、そして、近くの木に繋がれてる馬を照らし、驚いたように言った。


「この前の方じゃないですか?ここまで、馬で来たのですか?」と


 あの女性の森林保安官であった。


 もう1人の保安官はこの前と違う男性の保安官で、どういう経緯か女性の保安官に尋ねると、女性の保安官が説明し始めた。


「この人、3日前にカーソン国有林の麓の湖で野宿していたのよ。あそこから、ここまで、馬で降りて来たのよ!」と


 男の保安官が驚いて言った。


「200kmはあるぞ。よく、馬で…、あんな山深い森林を抜けて来れたもんだな!」と


 女性の保安官がジョンに尋ねた。


「道に迷ったのですか?」と


 ジョンは正直に答えた。


 ホイーラー山を越えようと思ったが、無理と考え、森林を抜けて、南のサンタフェに行こうとリオ・グランデ川を降っていたが、食糧が底をつき、野鳥を狩ってしまったと。


 女性の保安官は男性の保安官を見遣り、唖然とした表情を浮かべ、そしてジョンに言った。


「よく、この山深いカーソン国有林の中で迷わなかったですね。この森の中で毎年、何人もの人が行方不明になっているのに…」と


 すると男性の保安官が女性の保安官の肩をぽんぽんと叩き、ジョンに言った。


「雷鳥を一緒に食べても良いですか?そうすれば、私達も同罪で貴方を逮捕しなくて済む。」と


 女性の保安官も、はっと感じ取り、「私にも食べさせてください。」と笑いながらジョンに言った。


 ジョンは察した。


「この2人は俺を保護するつもりだ。仕方がない、逮捕されるより、マシだな」と


 3人は焚き火を囲み、雷鳥の丸焼きを食べ始めた。


 男性の保安官が自己紹介を始めた。


「私はカーソン国有林の森林保安官のビリー・ジェームズです。ビリーと呼んでください。」と


 女性の保安官もそれに続いた。


「私は同じくカーソン国有林の森林保安官でマリア・ウィリアムです。マリアと呼んでね。」と


 ジョンも仕方なく名乗ることとした。


「僕はジョン・プラッシュです。ジョンと呼んでください。」と


 早速、マリアがジョンに質問し始めた。


「ジョン、オクラホマに行くと言っていたわね。オクラホマ出身なの?」と


 ジョンは肉を食いながら、違うと首を振った。


 次にビリーが質問した。


「狩をしながらオクラホマに行くのは無理だよ。仕事は無くしたのか?」と


 ジョンは「そうだ」と言うふうに、首を縦に動かした。


 マリアとビリーはその先、どういう質問をして良いのか分からずにいた。


 その重い空気を感じたジョンは、ここまでの経緯をゆっくりと語り始めた。


「1967年のナバホ族居留地でのリンチ事件は知っているかい。そのリンチで殺された男の子供が僕なんだ。僕はシアトルの孤児院で育ち、一時期、カトリックの神父をしていたが、自分のアイデンティティを探すために、神父を辞めて、旅を始めたんだ。その第一歩として、僕の母親の出身であるオクラホマを目指しているんだ。」と


 その瞬間、マリアが驚き、掌で口を押さえ、ジョンを見つめた。


 そのマリアの口を押さえた手はぶるぶると震え出していた。

 

 ビリーがマリアに何も言わせないように、話を変えようとした。


「この地帯、ユタ州、アリゾナ州、コロラド州、ニューメキシコ州はネイティブ・アメリカンの居留地が多い。まあ、オクラホマも多いけどね。」と


 しかし、マリアは、ビリーの存在が邪魔であるかのように、片腕でビリーを後ろに押し倒した。


 そして、いきなり、ジョンの手を握りしめて、こう言った。


「私も同じなのジョン!私もジョンと同じ先住民の血が流れているのよ。」と


 ジョンはハッとし、マリアの顔を改めてじっくりと見直した。


 マリアの瞳は黒深く、髪の色も黒かった。肌の色も浅黒く、目鼻立ちは彫りが深く、メキシコ人の美女のように見えた。


 マリアはジョンの手をさらに強く握りながらこう言った。


「私はヒスパニック系の白人とプロブロ族の混血なの。貴方と反対なの。父がスペイン系の白人で母がネイティブ・アメリカンなの!」と


 そして、マリアは驚くべき事実をジョンに話し始めた。


「ジョン!私は、貴方のお父さんに助けられたのよ!」と


 既にマリアの瞳は涙で溢れ、嗚咽していた。


 ビリーが代わって話し始めた。


「ジョン、マリアの両親も君の両親と同じようにリンチで殺されたんだよ。」と


 ジョンは驚き身震いがした。


 マリアが泣きながらこう言った。


「1967年のリンチ事件は、ナボハ族居留地だけではなく、このニューメキシコ州の各地で蛮行されたのよ!私の両親も殺されたの…」と


 ジョンは慌ててマリアに問うた。


「さっき、僕の父が君を助けたと言ったね?どういうことなの?」


 マリアはジョンの手をさらにしっかりと握りしめてこう言った。


「貴方のお父さんが、白人至上主義者がリンチに来たことを教えに来てくれたのよ!だから、私だけ、赤ちゃんだった私だけ、森の中に匿うことができたの!」と


 そうである。ジョンの父親は、ナボハ族居留地から離れた際、妻をビュートの岩山に匿うと同時に、一晩、早馬で隣地のプロブロ族の居るカーソン国有林まで、その危機を知らせに行ったのであった。


 その情報により、プロブロ族は急いで混血児であるマリアらを森の中に匿ったのであった。


 ジョンはマリアに問うた。


「君は幸せだったかい?君のアイデンティティは分かるのかい?」と


 マリアは泣きながら頷き、やっとのこと嗚咽を堪えて、ジョンを見つめてこう言った。


「幸せよ…、貴方よりは!、貴方よりは幸せなだけよ!私達、混血児に幸せなんかあるはずないじゃない!汚れた歴史の証として生かされているだけじゃない!

 でも、私のアイデンティティは分かるわ。

 この森の中、このカーソン国有林全てが私のアイデンティティだわ!」と


 そして、マリアは涙を拭き、ジョンにこう言った。


「貴方のアイデンティティを探すの、私にも手伝わせて!」と


 ジョンはゆっくり頷き、マリアを抱きしめた。


 そのマリアの身体の温もりには、ジョンが今まで感じたことのない、家族の温かみが感じられた。


 ジョンは思った。


「生きている同族の血は決して冷たくない。」と

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