第6部 その9【完】「ずっとくっついていくよ」

 陽壱はあまりの暑さで目を覚ました。寝ている時は冷えるからと、冷房を弱くしていたのが災いとなってしまった。

 日は高くなっていたが、夜更しをしていたせいで眠気はまだ消えない。ベッドから手を伸ばしてリモコンを操作し、冷房の設定温度を下げた。


「って!」


 微睡みから覚醒する時間を吹き飛ばした陽壱は、慌てて上体を起き上がらせた。

 もう既に二学期は始まっている。部屋に入る日光の角度を見る限り、遅刻は確定だ。

 とりあえず携帯電話の時計を見た。


「あれ?」


 時間は明らかに始業時間を過ぎている。しかし、日付はまだ夏休み真っ最中だった。

 ちょうど、もうひとつの記憶が頭に浮かんだ頃に戻っている。一旦、現状が理解できていない。


 陽壱は必死に記憶を巡らせた。

 突然別の自分の記憶が浮かび、美月と再び友人になり、二学期が始まったはずだ。記憶の共有をしている人とコンタクトを取り、集まった。

 そして、宇宙人を名乗る金髪の少女が、事件の真相を語ったのだ。


「違う。戻った?」


 改めて周囲を見回すと、アニメのポスターは壁になく、漫画本もそう多くない。それは、本来の自分の部屋だった。

 日付は美月に告白をした翌日。昨夜は窓越しに遅くまで話をしていた。

 カーテンのかかった窓を恐る恐る見る。この向こうにいる美月は、果たして陽壱の恋人になった美月なのだろうか。


 その時、窓ガラスを叩く乾いた音が響いた。

 陽壱はカーテンを勢いよく開ける。ガラス越しに見慣れたプラスチック製品が見えた。


「美月!」


 自分の目に涙がにじみつつあるのを自覚しつつ、窓ガラスを開けた。

 その先には、おもちゃのマジックハンドを持った恋人の姿があった。長い黒髪が、陽光を反射し輝いている。


「お、おはよういち」


 空いた右手を軽く振る美月は、美月そのものだった。


「おはよう、美月」


 精一杯落ち着いた声で、挨拶を返す。


「よういちだー」


 陽壱の姿と言葉を確認した美月は、大粒の涙を流した。


「美月、こっち来れるか?」


 落ち着くのを見計らい、そう声をかけた。恋人になった美月を部屋に呼ぶのは、かなり勇気のいる発言だった。

 いろいろ話したいことがある。何より、少しでも近くでその存在を感じたかった。

 一瞬固まった美月は、その後ゆっくりと頷いた。


 三十分後に約束をして、お互いに窓を閉じた。

 部屋に人を入れるため、陽壱は急ぎ片づけと掃除を始める。散らけていた事を今更になって後悔した。

 あの自分は、いつも部屋を綺麗にしていたなと思い出し、苦笑してしまった。

 着替えをし、最低限の身だしなみを整えていたら、あっという間に約束の時間がやってきた。

 時間ぴったりに、チャイムが鳴った。


「はいはーい」


 リビングでテレビを見ていた妹が、玄関に向かう。歯を磨き終えたところだった陽壱は、それを静止できなかった。


「あ、美月ちゃん!」

「こんにちはー」


 妹の大声が家に響く。


「にいちゃん、美月ちゃん来たよー」

「おう」

「入って入って。あ、もうお姉ちゃんって呼んだ方がいい?」

「えー、まだ早いと思うよ」


 妹は妙にテンションが高くなっていた。美月はにこやかに対応している。まるで本当に姉妹のようだ。

 白いワンピースを着て、髪をハーフアップにしている。それを見た陽壱は、清楚という言葉以外が浮かばなかった。


「それ、似合うね」

「ふふ、ありがとう」


 思わず、浅香 美月というのも悪くないのではないかと妄想してしまうくらいに、魅力的な姿だった。


「じゃあ、あとは若い者同士でごゆっくり」

「バカ、何言ってんだ」


 妹に悪態をつきつつ、階段を上った。


「もうバレちゃってたんだね」

「家族全員にね」

「うちもだよ」


 恥ずかしそうにしている美月も、やっぱり可愛かった。


「おじゃましまーす」

「適当に座って」


 陽壱は、カーペット代わりに敷いた布製のマットに腰を下ろす。美月はすぐにその隣へと座った。

 思ったより距離が近く、恋人の体温と香りが陽壱の感覚を刺激した。


「うん、懐かしいなぁ」


 美月が陽壱の部屋に入るのは、小学五年生以来だ。その間にいろいろ変わっているし、変わらない部分もある。


「いろいろ聞きたいんだ」

「うん」

「でも、その前に」

「わっ」


 陽壱は隣の細い肩を抱き寄せた。ますます温もりと匂いを近くに感じる。

 高揚感や安心感、それ以外にも言葉にできない様々な感情が陽壱を流れていった。たぶん、涙を流していると思う。


「少し、こうさせて」

「うん、いいよ」


 美月は陽壱の肩に頭を預けた。

 最後に残ったのは、受け入れてくれる美月に対しての愛しさだった。


「ありがとう」

「こちらこそ」


 しばらく黙って寄り添った後、情報の共有と確認を進めた。そこで、もうひとつの世界の記憶を保持していたのは、陽壱だけではないことがわかった。


「よういち、オタクさんだったね」

「美月こそ、ちょいギャルだったぞ。でもあれはあれで可愛かった」

「じゃあ、切っちゃう?」

「そのままでお願いします」


 確認のため、あの場にいた六人にも手分けして連絡を取ったが、全員が同じ状態だった。夏休みのどこかで顔を合わせようと、それぞれと約束をした。

 恭子と千尋千晶は、宇宙人のことをあの時初めて知ったので、その説明も必要だろう。


「よういち」

「ん?」

「あっちの私たちも、幸せにしてるかな」


 再び寄り添う体勢になった美月が、ささやくように言う。あの美月が、最後に言った言葉が思い出される。そして、最後にやったことも。


「きっと、幸せにしてるよ」

「そうだよね。恋で世界作るんだもんね」


 テロで作られてしまったという、間違っているといわれた世界に思いを馳せる。これまで薄っすら考えていたことが、はっきりと言葉になった感覚があった。

 陽壱は体の向きを変え、正面に美月を見る。


「美月、俺、やりたいことを見つけたんだ」

「うん。教えてもらえる?」


 途方も無い目標だが、それは恐らく浅香 陽壱にしかできないことだった。美月は黙って、最後まで話を聞いてくれた。


「嫌じゃなければ、美月にも付き合ってほしい」

「ばーか。ずっとくっついていくよ」

「そっか」


 陽壱は美月を強く抱きしめた。



 陽壱のベッドには相変わらず美月が寝転んでいる。あの時のあれは何だったのかと思うほど、これまでと変わらない態度だ。


「ねえ、陽壱」

「はい?」


 ゲームの画面から視線を移さずに応える。陽壱の部屋にある漫画はもう読み尽くしてしまったから、暇なのだろう。


「もう一回、キスしてもいい?」

「は?」



 第6部『幼馴染み:深川 美月』 完

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