第6部 その5「しかし、これは酷いよな」
まずは現状を把握しなければならない。取り乱すのはその後でいい。
現在、陽壱は二つの記憶を同時に保有している。自身の周りを確認したところでは、その内ひとつが現実と一致していた。
つまり、冴えない高校生だった陽壱の中に、まるで物語の主人公のような陽壱の記憶が入ったのだろうと想定される。
あまりに鮮明なため、妄想や夢の類とも考えづらい。考えたくないだけとも言える。
どうやら今の陽壱は、主人公である方の意思に引っ張られているようだ。それは、思考の中心に美月がいることが証明している。
何年もかかってようやく手に入れた存在なのだ。そうそう簡単に手放すつもりはない。
今すぐにでも抱き締めに行きたかったが、それはできない。ここで焦ってしまえば、ただの不審者だ。
いろいろ考えてみて、今の陽壱にできることは多くないことが理解できた。
この人生を受け入れるにしても、抗って主人公に戻ろうとするにしても、あらゆる選択の前提は美月を諦めないことだ。
どちらにせよ、このままダラダラと夏休みを過ごすわけにはいかない。
「とりあえず、行ってみるか」
こんな現象を引き起こす要因には、ふたつほど心当たりがある。記憶の自分ではあるが、いろいろなトラブルに巻き込まれた経験が幸いした。
その内ひとつである異世界については、恵理花であろう人物が失踪しているため、確かめようがない。きっと勇者の候補を連れてゴランド大陸に帰ったのだろう。
だから、もうひとつの候補に絞ることにした。
あてが外れたら、あちらの自分に戻る手段はお手上げだ。その場合は、時間をかけてでも美月に並べるような男になって、改めて告白すればいい。美月に彼氏ができてしまわないように、祈るだけだ。
陽壱は服を着替え、階段を下りる。リビングでは妹がテレビを見ていた。
「出かけてくるなー」
声をかけても、視線すら向けられなかった。兄妹の仲は良くない。お互いに不干渉と表現した方が正確なのかもしれない。
記憶とは正反対の関係に、陽壱はため息をもらした。
ドアを開けると、ねっとりとした熱気が体にまとわりついてくる。一歩外に出れば、突き刺すような日差しが降り注ぐ。
出発前に陽壱は隣の深川家を見た。今の自分には、偶然に美月と会うような幸運はなかったようだ。
我ながら未練がましい。
バスと電車を使って向かうのは、いつも通学に使っている城際山駅だ。そこから歩いて十分ほどで、目当ての場所に到着するはずだ。
到着するはずというのは、この世界にもそれが存在していれば、という条件がつくからだ。可能性に賭けるという要素が強い。
記憶によれば、住宅地に建つ雑居ビルの二階に『株式会社 地球防衛隊』の事務所がある。そこに飛び込むことが、陽壱が宇宙人とコンタクトを取る唯一の手段だ。
当時、日本に留学中だったレイラ・レイラックが宇宙人だと発覚したのも事務所の中だ。ただし、こちらでは陽壱の通う高校に来てはいない。
レイラは日本に憧れていたし、別の学校にはに留学したのかもしれない。何にせよ、こちらでの陽壱が知るところではないことだ。
世界が変わったのか、記憶がおかしいのかは不明だ。ただ現状では、それを解決するには宇宙人の超技術に頼ることしか思い付かなかった。
ここでは他人であるレイラの名前を出してでも、彼らの助けを乞うつもりでいる。
「だめか……」
雑居ビルの二階には、怪しい消費者金融の看板が立てられていた。つまり、この場所に地球防衛隊は存在しない。
ということは、いつか資料室で見たあの女子、佐久間 優紀は本当にコスプレをしていたのだろう。ぼやっとしか覚えていないが、あのクオリティを個人でやるなんて大したものだ。
「そうじゃないだろ」
頭の中ではふたつ分の人生を歩んでいるため、時々思考が混ざってしまう。自分で自分の感性にツッコミを入れることも少なくない。
「しかし、これは酷いよな」
これで、元の陽壱と美月がいた世界に戻るという選択肢は消えた。
炎天下を歩いた疲れと、精神的な疲労で汗が出る滝のように噴き出す。膝が震え、そのまま崩れ落ちそうな感覚が陽壱を襲う。
事前に想定して覚悟は決めていたはずなのに、思いの外ショックが大きかった。それほどまでに昨日は幸せで、もっと幸せになれる未来を夢見ていたのだ。
だめだ、止まるな。
自分に言い聞かせ、膝を叩く。優先はあくまでも美月だ。最悪、元に戻ることは諦めてもいいと決めたはずだ。
今の自分が美月に求められる存在でないことは認識できている。ならば、まずはそこからだ。
美月に胸を張れる男にならなければ。とりあえず深夜のオンラインゲームはやめよう。
先立つものは必要だし、バイトを始めて交友関係を広げるのもいい。
なんにせよ、今できることから動き出そう。
「よし!」
近所迷惑にならない程度の掛け声を出し、陽壱は踵を返した。
「あ」
「あ」
そこには、美月がいた。
少しだけ派手な格好をした、陽壱の知らない、陽壱の知る、深川 美月がいた。
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