第6部 その3「何やってんだ、俺は」

 陽壱はあまりの暑さで目を覚ました。寝ている時は冷えるからと、冷房を弱くしていたのが災いとなってしまった。

 日は高くなっていたが、夜更しをしていたせいで眠気はまだ消えない。ベッドから手を伸ばしてリモコンを操作し、冷房の設定温度を下げた。

 高校二年生の夏休みはまだ三分の一が終わった程度だ。ゆっくり二度寝も悪くない。


 浅香 陽壱にとって、高校二年生の一学期はこれといって思い出のない期間だった。印象に残る出来事がないのかと言われれば、実はそうでもない。

 ただし、直接関わっていないものや、あまり良い印象がないものばかりだ。そうなってしまうと、それはもう他人事だ。


 無理矢理に印象に残った出来事を思い浮かべるならば、五月頃に女子のちょっとした秘密を見てしまったことが挙げられるだろうか。

 担任に強制され、資料室に教材を片付けに行った時のことだった。

 部屋の隅で隠れるように、女子がコスプレをしていた。それも、かなり本格的なものに見えた。


 細部まで記憶しているわけではないのだが、おそらくは『装甲少女』シリーズをイメージしたオリジナルの衣装だ。

 驚いてしまい、慌てて部屋を出てしまったのを今でも悔やんでいる。装甲少女なら、三時間は話していられる自信があるというのにだ。

 ちゃんと話をすれば仲良くなれていたかもしれないのに、自分の勇気のなさが恨めしい。残念なことにそれ以来、資料室でコスプレ女子を見かけることはなかった。

 とんでもないスタイルをしたかなりの美女だった。もしかしたら、高校生ではなかったのかもしれない。


 他には、昨年に続いて生徒会選挙の実行委員をやらされたことも、嫌な記憶として残っている。陽壱はくじ運が悪い。

 一ヶ月程の選挙期間は、意味があるのか疑わしいようなことばかりだ。

 例えば、複数回の中間投票や、その報告レポートの作成。受験を控えた三年まで動員して、何がしたいのか全く理解できなかった。

 さらに、昨年度の副会長である女の先輩が放つ冷たい視線も、簡単に忘れられるものではなかった。


 期末テスト前には、一年の女子が三年の男を追いかけ回していた現場に遭遇した。後から聞いた話だが、その翌日に二人とも失踪して、今でも見つかっていないらしい。

 追い回されたのが自分でなくてよかったと、心底思った。


 七月に入ると、変な時期に転校生が陽壱のクラスに入ってきた。男なのに、女子の制服であるセーラー服を着ていた。

 しかもそれがしっかり似合っていて、女子にしか見えないレベルだ。いわゆる男の娘というやつだ。

 校則にはどっちでもいいと明記されているのを、陽壱はその時初めて知った。

 あまりにも珍しく、皆遠巻きに見ていることしかできなかった。陽壱もその一人だ。

 結局クラスに馴染めないまま、夏休みとなった。やっぱり陽壱は、初対面の人に話しかける勇気を持てなかった。


「なんだろうなぁ、俺」


 ベッドに転がったまま、カーテンの閉まった窓に目をやる。ここ数年、ずっとカーテンを閉めたままだ。

 陽壱のベッド横にある窓からは、隣家の窓が見えてしまう。設計がおかしいのではと常々思うが、親が言うには建て売りなので仕方ないらしい。


 しかも、見えてしまう部屋の主が深川 美月という同い年の女子なのも問題だ。小さい頃はよく遊んでいたし、窓を開けて話をすることもあった。

 ただ、男女を意識するようになる小学生後半からは、徐々に話すことも減っていった。

 当然、お互いの部屋を見たり見せたりすることも避けるようになり、カーテンを開けることはなくなった。


 親の話によると、高校は少し離れた女子校に通っているらしい。

 少し前、そんな美月と玄関先で顔を合わせることがあった。

 肩の少し上で切り揃えられた髪は、濃いめの茶色に染められていた。女子校のブレザーを着て、ほんのり化粧をしたその姿は、陽壱の知る美月とは程遠い存在に見えた。

 陽壱は妙に萎縮していまい、挨拶すらろくにできない始末だった。


 友人には幼馴染みがいることを羨ましがられることもあるが、所詮この程度の関係性だ。小さい頃から好き同士なんていうのは、漫画や小説の中でのフィクションに過ぎないということだ。

 そして、陽壱はそんな特別な人間ではなく、ただのなんでもない高校生だ。


 平凡以下の高校生活を過ごしていると自負する陽壱は、これといった夢や希望もなかった。

 彼女はおろか、リアルの女子に恋をしたこともない。それどころか、中学生の妹とすら滅多に言葉を交わさない。

 そういう意味では、この歳で小さく人生に絶望しているのだろう。だから、夜な夜なオンラインゲームに興じることで自分の存在を確認しているのかもしれない。


 などとつまらない回想を終え、二度寝しようと目を閉じた。

 その時だった。

 陽壱の脳裏に、突如として別の記憶が浮かび上がる。思い出すと表現した方が正しいかもしれない。


 恋をしていたこと。

 周りから『人たらし』と呼ばれていたこと。

 佐久間 優紀とのアルバイト。

 レイラ・レイラックとの交流。

 松井 恭子とのデート。

 東 恵理花との異世界生活。

 町田 千尋、町田 千晶との生徒会選挙。

 そして、深川 美月の笑顔と約束。


 眩しくて特別な記憶。それらは全て、陽壱自身の記憶であるはずだ。忘れるはずがない。

 しかし、今の自分とは大きく異なる記憶だった。まるで理想的な主人公のようだ。


「何やってんだ、俺は」


 陽壱はカーテンを開く。窓の向こうはカーテンに閉ざされていた。

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