第6部『幼馴染み:深川 美月』

第6部 その1「実はね、待ってたんだよ」

 かろうじて空調が動いているような体育館では、校長ですら話を短く切り上げたほうがいい。この気温では生徒の理解力も低下してしまうから、端的にまとめたほうが印象に残るはずだ。

 陽壱の提言を真に受け、校長は一学期終業式でのありがたい話を、五分で簡潔に終わらせた。式の段取りを買って出たのは、新生徒会として最初の成果だ。

 舞台の下で会計が親指を立てた。彼には大判のスケッチブックを持たせてある。二分刻みで残り時間の書いてあるページをめくり、舞台上に笑顔でプレッシャーをかけてもらった。要するに、タイムキーパーだ。

 陽壱も舞台袖から親指を立て返す。


 圧倒的得票数で当選したからこそ、陽壱は偉そうに見えないよう細心の注意を払った。そもそも、生徒会長というポジション自体を地位の高いものではないと思っているからだ。

 新旧生徒会の引き継ぎの場でも、威圧的にならないように配慮して挨拶をした。それが好評だったのか、会計や書紀とは上手く関係を築けたと感じている。内容の見直しをしてくれた美月に感謝だ。

 一学期いっぱいで引き継ぎ期間は終了し、夏休み明けからは正式に新体制がスタートする。


「ほら、私の言った通り、君たちはちゃんとできてしまうんだよ。その気になるまでが大変だったみたいだけどね」


 引き継ぎ最後の日、旧副会長の恭子は陽壱と美月の肩を叩いて、満足げに生徒会室から出て行った。

 これからは受験勉強に専念するそうだ。


 例年であれば特に仕事のない夏休みだが、陽壱は生徒会室にある資料の電子化を進める予定だった。演説会で言ってしまったのだから仕方ない。

 会計と書紀に都合が合えば手伝ってほしいと依頼したところ、両人とも快く引き受けてくれた。毎日ではないという前提ではあったが、本当にありがたい。

 ちょうど副会長と二人きりの時間もほしいと思っていたところだ。もしかしたら公私混同の空気を察してくれていたのかもしれない。

 そのおかげで作業は順調に進み、八月に入る頃には終わりが見えてきた。


 そして八月の一週目、つまり今週の日曜日。陽壱はこの日にターゲットを定めていた。


「美月」

「んー?」


 スキャンしたデータを整理している美月は、画面を見たまま、声だけで返事をした。振り向かないままの後頭部では、かんざしで長い髪がひとまとめにされている。あんな棒ひとつで器用なもんだと感心してしまう。


「日曜の夏祭り、行かない?」

「ふ、二人で?」

「うん」

「い、いいよ」


 内心では恐る恐るの誘いだったが、案外あっさりとした返事だった。陽壱としてはかなり勇気を出したつもりだったので、肩透かしを食らった気分だ。

 それでも、デートに誘いに応じてくれたのだ嬉しいものは嬉しい。陽壱の心は浮かれに浮かれた。


 陽壱のターゲットとは、美月に想いを告げるタイミングのことだ。

 既にお互い気持ちを知っているようなのもだし、周囲からもそう認識されている。今更告白なんて必要ないかもしれない。

 通学中に黙って手を握ってしまえば、美月も理解してくれるだろう。そんな風に考えた瞬間もあった。

 しかし、陽壱にとっては違った。


 確かに、両方が片思いしていた時期と今では、二人の関係性が変わっているという自覚はある。

 しかし、それは幼馴染みという関係の延長に過ぎない。恋愛としての好意を言葉にして伝えるのは、自分への区切りでもあるし、美月への礼儀でもあると思っている。


 もっともらしく聞こえる理由だが、それは自分を納得させるため、後から考え付け足した理屈でしかない。本音として『堂々と美月を彼女と呼びたい』という実に単純な欲求があることも、充分に理解している。

 だからこそ、告白の場を設定するのに神経を使ってしまう。我ながら面倒くさい性格だと、陽壱は自嘲した。


 そういう意味では、夏祭りというのはうってつけの場だ。

 近所の神社には露店が並び、夜には花火も打ち上がる。有名は花火大会には遠く及ばない規模だが、毎年それなりに盛り上がっている。

 小さい頃は毎年のように美月を誘っていたことを思い出す。恋を自覚したあたりから、情けなくも気軽に誘えなくなってしまった。

 その悔しさも、去年が最後だ。今年からはまた、二人で遊びに行こうと言える。しかも、ただの幼馴染みではない関係としてだ。


「よういち」

「ん?」


 不意に背中を向けたままの美月から声がかかった。顔を見られなくてよかった。妄想が膨らんで、たぶんニヤついている。


「お祭り、誘ってくれるの久しぶりだね」

「うん」

「嬉しいよ。実はね、待ってたんだよ」

「そっか」


 これまでの何年か、美月に寂しい思いをさせていたようだ。もっと早く誘う勇気が持てていたならと、少し後悔してしまった。


「私ね、たません食べたい」

「いいねー」

「いいよねー、美味しくないのに美味しいんだよね」

「あの雰囲気はずるいよな」


 他愛のない話でも幸せを感じる。やっぱり中途半端な関係は脱却したいと強く思った。

 美月はどうなのだろうか。何度も確認しているくせに、いちいち不安になる。やっぱり面倒くさい性格だ。


「よういち」

「ん?」

「浴衣、着てくね」


 振り向いた美月は、色白の頬を真っ赤に染めていた。

 余計な心配が馬鹿らしくなるくらい、大好きな笑顔だ。


「期待してる」


 陽壱はその一言が精一杯だった。

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