第5部 その11「また明日」

 陽壱だけの帰り道は久しぶりだった。冬に美月が風邪で寝込んだ時以来だろうか。

 普段より眺めのいい左側には、大きな違和感がある。それもこれも、自分の視野が狭くなってしまった結果だと反省していた。

 美月になにを話そうか。謝るのは違うし、一方的に陽壱の意見を伝えるのも違う。思考を巡らせるのには、ちょうどいい寂しさでもあった。


 不意にポケットの携帯電話が震えた。

 立ち止まり、取り出して見ると千晶からメッセージが届いていた。


『千尋も振られたってよ』


 画面には、簡単な一言が表示されている。


「そっか」


 振られたということは、陽壱も美月もあの二人を傷付けたのだろう。それなのに、このメッセージだ。

 お礼の返信を入力しながら、陽壱は自分の小ささを再認識する。そして、美月に伝えるべきことを心に決めた。


 家に着いた頃には、陽は傾きかけていた。昼間の熱気は消えておらず、今夜も蒸し暑いのだろうと思わせる。


「ただいまー」

「あ、兄ちゃんおかえりー」


 エアコンの効いたリビングで、妹がテレビを見ていた。両親はまだ帰ってきていないようだ。


「おかーさん買い物行ってるよ。おとーさんは遅くなるって」

「おう」


 二階の自室に入り、制服から部屋着に着替える。部屋の中は昼間の熱が残っていて暑い。たまらずエアコンのスイッチを入れた。

 窓から美月の部屋を見ると、照明はついているがカーテンは閉められてる。どのタイミングで声をかけようか。

 決心したはずなのに、ためらってしまう自分が情けない。


 ベッドに寝転びしばらく悩んでいると、窓ガラスを叩く音が聞こえた。毎朝聞き慣れた、控えめに乾いた音だ。

 陽壱は瞬間的に体を起こし、窓ガラスを開けた。窓枠の向こうには隣家の窓枠があり、その奥に美月の姿が見えた。

 部屋着に着替え髪を下ろした美月は、おもちゃのマジックハンドを握ってこっちを見ている。


「こんにちは? こんばんは?」

「まだこんにちはかな」


 些細なやりとりがこんなにも嬉しいとは思わなかった。気まずくもあるが、それを吹き飛ばす程の安心感が陽壱を包む。


「あのね、先に帰ってごめんね。それで、いろいろ考えたから、よういちに聞いてもらいたくて」

「うん、いいよ」

「ありがとう」


 謝るのもお礼も、先を越されてしまった。こちらの言いたいことは、美月の言葉を全て聞いてからにしよう。


「さっきね、千尋くんに好きって言われちゃった」

「うん」

「千尋くんね、アキちゃんだった時もなんだけど、全部言わなくてもわかってくれるんだ。だからね、話しててすごく楽だったよ」

「うん」

「でもね、お断りしようとしたら、それにも気付かれちゃったよ」


 美月は自分を前に押し出さず、一歩引いて相手を見るようなことが多い。だから、雑談をしていても、自分の気持ちを言葉にすることをあまりしない。

 その美月が、必死に言葉を発している。陽壱は、いつにも増して愛おしいと思った。


「知ってるかもしれないけど、私はずっと好きな人がいるんだよ。自分でもわからない頃から」

「うん」

「その人の近くにいようとしてね、いろいろやってきたつもりなんだよ」

「うん」

「でもね、最近気付いたんだけど、私の意見は何もなかったなって。その人がくれる居場所に、安心して座ってるだけ、みたいな」

「うん」

「だからね、今日は怖くなって逃げちゃった。情けないでしょ?」


 その問いかけに、陽壱は相づちを打つことができなかった。美月の葛藤に気付けなかった自分も、情けないという点では同じだったからだ。


「このおもちゃ、覚えてる?」

「うん」


 美月は手に持ったマジックハンドを軽く振る。

 元々が簡素な作りである上に、十年以上前の製品だ。可動部は壊れ、今はとなってはプラスチックの棒という以上の物ではない。


「これね、私がわがまま言って、ある男の子からもらったんだ。その子が買ってもらったものなのにだよ。今から考えると、その頃から好きだったのかも」


 思い出したのがおかしかったのか、吹き出している美月はやっぱり可愛かった。


「これ見て思い出したんだ。私って元々わがままだったなって。欲しいものは欲しいってちゃんと言ってた」

「うん」

「好きな人はみんなの人気者で、その横にいるために自分を消してたのかなって」

「そっか」

「生徒会の話も同じ。好きな人に置いていかれないようにって考えたら何も浮かばなくなったんだよ」


 マジックハンドを見つめながら、美月は言葉を続ける。これまでより視線に意志があるように見えた。

 腹をくくったとは、こういうことを言うのだろうか。


「でね、私は私のわがままのために、副会長のポジションを取りにいくことしたよ。そのためなら多少卑怯な手も使っちゃう」


 にっこりと笑い、陽壱の目を真っ直ぐに見る。美月の気持ちは、しっかりと突き刺さっていた。

 今度は陽壱の番だ。


「前も言ったけど、俺も好きな子がいるんだ。その子に格好いいところ見せないといけないって常に思ってる。例えば誰かの気持ちを断ったとしても、それに正面から向き合うのが格好をつけてることだと思ってた」

「うん」

「生徒会の話は、それに加えて好きな子と一緒にいられる時間が増えるっていうのを魅力的に感じでしまって、迂闊にも立候補しちゃったんだよ」

「うん」


 言葉にすると、なんて格好悪いんだろうと思う。自分にツッコミを入れたくなるのを堪えるのは大変だ。


「でも、友達のアドバイスもあって、考えたらわかったんだけどね、俺はその子と一緒に何かをやりたかったんだ。目標というか、目的というか、ただ一緒にいるんじゃなくてね」

「うん」

「いろいろ流された結果として生徒会なのは情けないけど、それでも俺は好きな子と一緒にやりたいなって思ってる」

「うん」

「そしたら、告白する勇気も持てるかなって」

「そっかぁ」


 陽壱の想い人は、照れたように微笑んだ。


「じゃあ、お互いのためにがんばらないとね」

「うん、お互いにね」


 二人で目を見合わせて、頷き合った。


「陽壱ーご飯ー」


 見計らったようなタイミングで、階下から母親の声がした。

 それがおかしくて、思わず笑ってしまう。窓の向こうの美月も笑っていた。


「また明日。美月」

「うん。また明日。よういち」


 陽壱と美月はそれぞれ窓を閉めた。

 陽は完全に落ちて、空には星が少しだけ輝いていた。

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