第5部 その10「ボクも女の子なんだぜ」

 千晶は陽壱の肩を軽く押さえたまま、千尋を見送った。上手くいけばいいなと思いつつも、自分はこれからどうしようかと不安になっていた。


「なぜ止めたの?」


 語気は穏やかであるが、明らかに怒っていた。それもそうだろう。出ていく想い人を追いかけることが邪魔されたのだ。


「さっきも言ったけど、今行ったらだめだよ。だめになる自信があるから、ボクと千尋は止めたんだよ」

「説明してほしい」


 陽壱は大きく息を吐き出した。怒鳴り散らしたいのを必死に堪えているようだった。


「ここじゃ人目があるから、外でね」


 背中を叩いてなだめながら、生徒会室の外へ連れ出す。

 放課後ということもあり、廊下は人の姿がない。千晶は胸をなでおろすような気分だった。


「じゃあ、あちらは千尋に任せてゆっくり聞いてほしい。陽壱は、出て行く美月ちゃんに何を言おうとした?」

「戻って一緒に考えようって」


 当たり前のように陽壱は答える。千晶と千尋の予想通りだ。本当に危ないところだった。


「そう、そこだよ。美月ちゃん、さっき、なんて言いかけたかわかる?」

「いや……」


 理解しつつあるのか、段々と勢いが弱くなる。しかし、全部言わなければわからないとも思う。逆に、全部言えば正確に伝わるはずだ。

 それが陽壱のいいところであり、悪いところでもある。短い付き合いだが、似た部分のある千晶にはわかっていた。


「あの子ね、辞退したかったんだよ。でも、陽壱がやる気になってきたから言い出せなかった。そこは、陽壱を勢い付けちゃったボクらも反省だけどね」

「えっ……」

「やっぱり気付いてなかったんだね。ほら、千尋に行ってもらって正解だった」


 そして、ここには自分が残って正解だった。と、千晶は内心で密かに喝采した。


「辞退したかったって、美月が?」

「そうだよ。ボクですら見ればわかるくらいだったよ」


 陽壱は首を捻る。本当に心当たりがないようだ。


「陽壱は美月ちゃんのために必死になると、周りが見えなくなるんだよ。それで美月ちゃんすら見えなくなったら意味がない」

「だから、俺を止めた?」

「そう。あのまま陽壱が追いかけたら、必ず美月ちゃんを傷付けることになったよ。断言できる」


 千晶の言葉を受けて、ひとしきり唸った後、陽壱は顔を上げた。


「わかった。信じるよ。ありがとう。あと、ごめん」

「ううん、わかってくれたならいいんだ」


 相手の言葉に耳を傾ける度量があるのは、好ましく思う。察しが悪い部分があるのも個性の範囲で受け止められた。多少の欠点があった方が人は魅力的に見えることもある。


「陽壱、聞いていい?」

「どうぞ」


 感情をあらわにしたのが照れくさいのだろう。陽壱はバツが悪そうに苦笑いを浮かべていた。


「立候補した本当の理由はなに?」

「いや、先輩に誘われたからだよ。さっき挨拶してただろ? 副会長の」


 少し早口にまくし立てる姿は、とてもわかりやすい。嘘や誤魔化すことが得意でないのは明らかだ。

 だから、少し意地悪をしてみたくなる。


「で、本音は?」

「……美月と一緒にいられるから、です」

「です?」


 素直な陽壱のつぶやきに、千晶は思わず吹き出した。


「それを本人に言えば、こんなすれ違いなんて起きなかったのに」

「恥ずかしくて、言えるかよ」


 吐き捨てるように言う陽壱を見て、再度吹き出してしまう。


「なんだよ」

「ごめんごめん、可愛いなって」


 自分より少し背の低い男子は、少しむくれた様子だ。そんなところまでも好意的に見てしまうのは、この変な感情のせいだろうか。


「じゃあさ、なんでボクには正直に話してくれるの? まだ知り合って何日も経ってないのに」


 千晶にとって本題に入るのは、和やかになったこのタイミングしかなかった。友達になってくれた美月には悪いと思いながらも、唯一のチャンスは逃せない。


「それは……なんか言いやすくて」

「そっかぁ」


 自分の顔がほころんでいるのがわかった。千尋といる時の安心感とは違った高揚が、顔を中心に全身へと行き渡る。恋とはこういう感覚なのだろうか。


「例えばさ、話しやすいボクなんてのもいるよ」

「え?」


 普段なら考えをそのまま言葉にできるのに、今は全く上手くいかない。空回りが自覚できるくらいだ。

 この瞬間ばかりは、察しの悪い陽壱が恨めしい。


「えっとね、ボクも女の子なんだぜ。ヒロからボクに戻ったのは、そういう意味があるんだぜ」

「ぜ?」


 必死の台詞だった。それを受けた陽壱は黙ってしまう。千晶にとっては、数秒間の沈黙が永遠にも感じられた。


「ああ!」


 やっとわかってくれたようだ。さすがに乙女心に鈍感すぎる。だからこそ、美月も苦労しているのだろうと思い知らされた。


「えっとな、ごめん。俺は好きな子がいるんだ」

「だよね。知ってた」


 そして、理解したら即答だ。

 ショックは大きいが、同時に激しく納得もした。自分が好きになったのは、この人のこういうところなんだと。


「じゃあ、どうするの?」

「今日は帰るよ。頭を冷やす必要があるからね」


 陽壱はすっきりとした顔をして答えた。人の初恋をあっさりと終わらせておいて、良いご身分だ。


「で、その後は?」

「夜にでも、話しかけてみるよ」

「カッコつけない?」

「うん、本心で」


 外見だけなら、たぶん千晶の方が格好いいと思う。それでも、今の陽壱には勝てない気がしてしまった。

 なんというか、それは男の子にしかできない表情だったからだ。

 悲しいのか嬉しいのかよくわからない気持ちになった千晶は、陽壱の背中を思い切り叩いた。


「また明日ね。ばーか」

「うん、ありがとう。また明日」


 陽壱は荷物を取りに生徒会室に戻り、そのまま去って行く。千晶に手を振った後は、振り返ることはしなかった。


「千晶」


 呆然と立ち尽くしていたところで、聞き慣れた声が聞こえた。振り返った先に見えたのは、千晶の半身だ。

 セーラー服を着た少年は、まるで自分が鏡に映ったような顔をしていた。


「千尋も?」

「うん」

「じゃあ、陽壱にメッセージ送らなきゃ」

「面倒見がいいね」

「それはお互い様」


 失恋をした同士、苦笑いをするしかなかった。恋愛感情は拒否されてしまったが、不思議と彼らへの友情という感情は残っている。

 他人への興味は、楽しくもあり苦しくもあり、とても複雑なものだと実感した気がした。

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