第5部 その9「ちゃんと男だよ」

 千尋が美月を追いかけているのには、理由がある。

 ひとつは、陽壱が追いかけると意見の食い違いが起こる予感がしたからだ。それも、二人の関係にヒビが入るレベルの。それは、絶対に避けるべきだ。

 もうひとつは、自分が美月と話したかったからだ。

 ふたつ目の理由は、状況を利用していて実に自分勝手だと思う。しかし、話しかけるタイミングは今しかないし、このまま美月を放っておくことはできない。


「美月ちゃん」


 廊下をとぼとぼと歩く背中を見つけ、声をかける。振り向いた美月は、涙こそ流していないものの、泣いているような顔をしていた。


「千尋くん」

「僕でごめんね。陽壱は無理矢理に引き止めたんだ」


 きっと期待していた相手とは違うから、言い訳をしておく。こんな些細なことでも、関係が崩れてしまいそうな危うさを感じていた。


「大丈夫?」

「ん? 平気だよ」


 無理をして笑顔を見せようとする美月に、千尋は胸が痛くなる。他人にこんな感覚を抱くのは初めてだった。


「急に席を立つからびっくりしたよ」

「ごめんね」


 美月は力が抜けたように、壁へもたれかかった。


「生徒会、気が進まなかった?」

「……うん、バレてた?」

「そりゃね、顔見てたら」

「そっかぁ」


 短い付き合いだが、美月のことはある程度わかるつもりだ。

 自分の主張はほとんどせず、相手に合せる傾向がある。ただし、一点を除いて。


「陽壱に置いてかれると思った?」

「うわぁ、それもバレちゃったんだね」


 多くの言葉を語らないところが自分に似ていると千尋は思う。だから気になってしまうのだろう。


「あのね、よういちはね、周りをちゃんと見てるのに、私は様子を伺ってるだけなんだ」

「うん」


 そんな美月がぽつりぽつりと、気持ちを語り始めた。自分を信用してくれているのだろうか、それともたまたまその場にいるからだろうか。

 どちらにせよ、余計な口を挟んではいけないと、千尋は相づちを打つだけにした。


「ずっとね、よういちに合わせてきたの。よういちと何をしたら楽しいかなとか、よういちは何をしたら喜んでくれるかなとか。あ、もちろん私が望んでだよ」


 美月の世界は陽壱が全てなんだろうと思った。それは千尋にとっての千晶のみたいなものかもしれない。


「でもね、二年生になってからかな。前からもあったんだけど、最近特にね。よういちがいろんな女の子に好かれてね。しかもみんな私よりも可愛かったり、いい子だったりでね」


 自信なげに揺れながら話す美月に合わせて、アップにまとめた長い髪も揺れる。ほどけて落ちて来ないか、ハラハラしてしまう。


「でもね、よういちはずっと好きな子がいるらしくてね、それがたぶん私なんだ。いつか告白するって言ってくれた。嬉しかったんだけど、不安にもなってね」

「不安?」


 思わず口に出てしまった。告白の約束があるならば、安心してもいいはずだ。


「うん。私はよういちに告白してもらえるような子なんだっけ? って。よういちは凄い子だから、私でいいのかなって」

「そっかぁ」

「だから、せめて近い立場にって生徒会にも立候補したのに、全然だめで」


 そこまで話して、美月は口をつぐんだ。

 千尋はその隣で同じように壁にもたれる。どんな言葉を返したら正しく伝わるだろうか。

 言葉でしっかり伝えるのは千晶の領分だが、ここには千尋しかいない。美月と話をしたくて、自らここまで来たのだ。


「あくまでも僕の意見だよ。美月ちゃんにはね、選択肢がふたつあると思うんだ。いや、みっつか」

「選択肢?」


 美月が千尋の方を見る。その視線を受けると、妙に緊張してしまう。こんな感覚も初めてだった。


「ひとつは、このまま帰って陽壱とは徐々に疎遠になること。これは望まないよね?」

「うん、嫌」

「もうひとつは、なるべく早いうちに、今の話を陽壱にして、二人で今後を考えること」

「うん」


 真剣な顔で頷くのを見ていると、最後の選択肢を提案しづらくなってしまう。しかし、これを言わないと、きっと後悔するだろう。


「最後は、僕と一緒に行くこと」

「千尋くんと?」


 まさに『きょとん』という表現が似合う表情だ。自分から言ったくせに、かなり恥ずかしくなってきた。


「僕もね、美月ちゃんのこと好きなんだよ」

「えぇ?」


 本気で驚いている。まさか自分が誰かに好意を持たれるなんて、思ってもみなかったという様子だ。


「最初は、興味本意だったんだけどね。千晶と入れ替わって接してみて、見破られて、さらにそれまで受け入れてくれて。そんな相手、今までいなかったよ。個別の名前までつけてくれてさ」

「おお、うん」


 まだ驚きから脱していないのか、相づちすら曖昧だ。それが彼女の良さでもあると、千尋は気付いていた。


「その後ね、アキでいることに違和感を持っちゃって元に戻ったんだ。僕は女の子を好きになる男なんだって思って。あ、見た目はこれだけどちゃんと男だよ」

「うん」


 スカートを軽く摘んでおどけてみせる。美月はもう真剣な顔になってくれていた。


「ほら、周りの様子を伺うだけって言いながら、しっかり向き合ってくれてるじゃん。そういうところだよ。僕が初めて他人を好きだと思ったのは」


 千尋の言葉に美月は目を見開いた。


「それと同じように、自分の気持ちとも向き合えばいいんじゃないかな。苦しんで陽壱と向き合うか、わかってあげられる僕の手を握るか。僕は今すぐにでも大歓迎だよ」


 これが千尋にできる精一杯のアピールだ。勝ち目が薄いのはわかっているが、チャンスは今しかない。

 陽壱には卑怯と言われるかもしれないが、積み上げたものを乗り越えるには隙をつくしかないのだ。


「ありがとう、千尋くん」


 美月が微笑んだ。

 見た目だけなら自分の方が可愛いと思っていたが、そうでもなかったかもしれない。自信が揺らぐ程、魅力的な笑顔だった。


「でも、帰るね。選択肢、ゆっくり考えるよ。よういちには心配しないでって伝えておいて」


 そのすっきりしたような声と顔で、千尋はみっつ目の選択肢が消滅したことを確信した。 いや、最初からなかったのかもしれない。


「振られたなぁ」


 千晶は頑張っているのだろうか。

 千尋は自身の半身に思いを馳せた。

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