第5部 その5「美月ちゃんは副会長やりたいの?」
美月は朝から少し困っていた。
昨日来た転校生が男装してたというだけであれば、気にすることは特にない。服装なんて、公序良俗に反しているわけでもなければ自由だ。
問題は、その男装女子が自分の後ろの席だということだ。
美月の後方からは、女子の黄色い声が響いていた。噂を聞きつけたのか、今日は他のクラスからも集まっている
スラッとした長身と中性的な美形なのだから、人気が出るのは仕方ないかもしれない。それにしても、これはやりすぎだ。
昨日は細かい質問にもしっかり答えていたのだが、今日は端的な回答で受け流しているようにも聞こえる。
前の席だからという理由だけで、美月に案内役を押し付けた担任が恨めしい。クラスから不評を買ってしまったらどうしてくれるのだ。
選挙を前に過敏になっているのもしれない。しかし、どうしても悪目立ちすることだけは避けたかった。
昨日話してみてわかったのだが、千晶はさっぱりしていて好感の持てる相手だ。どことなく陽壱に近い雰囲気もあり、邪険にしたくはない。
だからこそ、困ってしまっていた。
「美月ちゃん、美月ちゃん」
頭を抱えそうになっていた時、ハスキーな声と共に背中をつつかれた。
「なぁに?」
必死に平然を装って振り返る。目に入った千晶は、昨日と同じように涼しげな笑顔を浮かべているように見えた。開襟シャツの下に来ているTシャツは、紺から黒に変わっている。
それ以外にも昨日とは違うことがあった。彼女は瞳の奥で助けを求めていた。
「今日のお昼、約束してたよね?」
言外で何かを伝えたいような視線から、美月は千晶の意図を察した。
「うん、今日も千尋くんたちと食べる約束だったね。ごめんね、千晶ちゃん取っちゃうみたいで」
千晶を囲む数人に手を合わせ、頭を下げる。しぶしぶながら、納得してくれたようだった。
担任が入ってくるのに合わせて、囲みは散っていった。
背中越しに「ありがとうね」という声が聞えた。美月はため息をつきながら、後ろに向けて手を振った。
上手くあしらうのに疲れてしまったのだろうか。その時はそう思っていた。
ホームルームでは昨日の宣言通り、千晶が実行委員に立候補した。
美月にとって、生徒会に入ることそのものには特に意味はない。恭子からの告白を断ったこと対し、責任を感じている陽壱に合わせているだけだ。
もうひとつ、その恭子の口車に乗せられたからという理由もある。「陽壱と共にいられる口実になる」と言われてしまえば、乗らないという選択肢は選べなかった。
その選択は、目立ちたくないとは思いつつも、確実に目立ってしまう立ち位置を狙っていることになる。矛盾を感じてはいるが、陽壱への想いを優先させることを美月は選んだ。
「美月ちゃん、ちょっといいかな」
一限目の担当教師が教室を出た直後、再び背中をつつかれる。人が集まる前を狙ったのは充分に理解できた。
「うん、行こうか」
美月は席を立った。
千晶も続いて教室を出る。
「ありがとうね」
「大丈夫だよ」
千晶を連れ出したことに対しては、転校生を案内するということで名目は立つだろう。これと言って案内する場所はないのだけど。
目的もなく廊下をぶらぶら歩く間にも、すれ違う生徒たちが次々と振り向いている。
平凡な美月と違って、千晶は目立つ。そして、目立つことに慣れていた。
「千晶ちゃん、今日は違うね」
「そんなことないと思うよ」
「そうだよ」
確証はないし、そんなことが起こるわけがないことはわかっている。しかし、美月には確信があった。
美月の知る彼女は察するということをさせなかったし、しなかった。それが今日はない。
今の千晶は昨日の千晶ではない。恐らくは千尋だ。さすがに荒唐無稽すぎて、口に出すのをためらってしまうが。
「美月ちゃんは副会長やりたいの?」
「うーん、わかんない」
「わかんないって」
肩に千晶の手が乗せられる。女子にしては大きい手だ。でも、細くてしなやかな指は女性そのものだ。
「やっぱり陽壱くん?」
「そうだね。私としては、わかんないや」
美月は振り返り笑ってみせた。我ながら無理をした笑顔だと思う。
生徒会については、陽壱に合わせると決めている。ただ、当の本人はまだ腹を括れていないようだ。
真面目すぎる陽壱は、立候補の意味を一人で抱え込んで悩んでいるのだろう。美月としては無理に介入するつもりはなく、話してくれるまで待っていようと思っている。
選挙に勝つだけなら、それらしいことを上手く演説すればいい。この学校には、そこまでの情熱を持っている生徒は少ないはずだ。
「たぶんね、美月ちゃんが思うほど簡単ではないよ。想像してるより周りはちゃんと見てるから」
「そうかな?」
「そうだよ。陽壱くんにも同じだと思う」
今日の千晶には、美月の浅ましい考えはお見通しだったようだ。
それと、陽壱の名前が出たことに嫉妬している自分がいることにも、いい気分はしない。
「じゃあ、どうしよう?」
努めて平静に、棘が立たないような態度で返事をする。
相手が陽壱であれば自然にできることが、他の人には大変に気を遣う作業になる。それは、例え友人であっても程度の差はあるが同じことだ。
美月は自分が歪んでいることを自覚している。陽壱という存在の明るさに依存しているのだ。そして、それでもいいと思っている。
むしろ、それがいいとすら思っている。
「んー、僕でよければ手伝うよ。理由探し」
「そっか、でも大丈夫だよ」
その一言で、美月は陽壱への依存が良くない方へと向かっていたのに気付いた。彼の意思を尊重するという名目で、頼られる存在だという安心感を得たかったのだ。
気付いてしまえば判断は簡単だ。相談を待っている場合ではない。
そのきっかけを与えてくれた相手には、しっかりと礼を言わなければならない。
「ありがとうね、千尋くん」
「う、うん。え?」
やんわりと拒絶され、千晶の中にいる千尋は目を丸くした。
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