第5部 その4「陽壱に興味津々だからね」
奇妙な双子が転校してきて二日目、女子にしか見えない千尋の周りには、朝から男女問わず人が集まるようになっていた。
遠巻きに見られているばかりだった前日との違いに、陽壱は安心しつつも深く息を吐き出した。楽しげに千尋を囲む輪が、ひどく軽薄に見えてしまったのだ。
似たようなことはこれまで何度もあったはずなのに、見るに堪えず窓の外へ視線を移した。こんなに感情的になるのは初めてだった。
自分を人として小さいものだと感じてしまう。立候補はしてみたものの、生徒会長を目指すような器には到底思えない。
約一週間後に控えている演説会の原稿すら、まともに書けないでいるのは、たぶん向いていないからだ。さすがに情けなくて、美月にすら話せていない。
そんなところからも、全く自信が持てずにいた。
「やめとこうかなぁ」
弱音が声に出た。どうせ誰も聞いていないのだが、つい辺りを見回してしまう。
「陽壱っ」
すぐ隣に千尋が立っていた。考え事をしていたからなのか、全く気付かなかった。
「びっくりした。話はいいの?」
「うん、珍しいだけだからさ」
ニッと笑う女装男子は、どこか寂しげに見えた。昨日とは違った、深く聞かれるのを避けるように貼り付いた表情だった。
なんとなく直視しづらくなった陽壱は、千尋から目を逸らした。
「やめておくの? 良いと思うのに」
「聞いてたのかよ」
「聞こえちゃったんだよ」
再度視線を向けた先には、昨日と変わらない人をからかうような笑顔があった。
「うーい、おはよー」
担任がいつもの態度で教室に入ってくる。
「じゃ、またあとで」
千尋は手を振り、短いスカートを翻した。紺色のスパッツが目に入る。昨日は黒かったが、日替わりなのだろうか。
「あー、生徒会の選挙のな、実行委員出さないといけないんだよ。知っての通り浅香は立候補してるから除外なー」
めんどくさそうに頭を掻きながら、担任は教室を見回す。クラスメイトたちは全員、それに目を合わせることをしなかった。
代わりに、その視線は陽壱に集まっていた。責めるような、すがるような、なんとも表現しづらい視線だった。
「はーい、やりまーす」
女子にしては低く男子にしては高い声が、気まずい沈黙を破った。
「おー町田、転校してすぐなのにな。助かるわ」
「学校行事、やってみたかったので」
千尋は担任に返事をしつつ、陽壱に向けて手だけを振った。その後は淡々とホームルームが進められ、午前の授業に入っていった。
「陽壱」
一限目が終わった休み時間、再び千尋に声をかけられた。
「千尋、ありがとうな」
「何の話?」
千尋は意味がわからないと言うように、首をかしげた。
「実行委員」
「ああー、なんで陽壱がお礼を言うの? やってみたいって言ったじゃん。昨日」
「そうだけど、嬉しかったから」
「そっか、まあ、あの雰囲気はないよね」
陽壱の肩が叩かれる。少し気が楽になった気がした。
「そうそう、昨日聞きそびれたんだけどさ、陽壱って、なんで立候補したの?」
「気になる?」
「なる。陽壱に興味津々だからね」
「なんだそれ」
覗き込むようにして、千尋が顔を寄せる。男なのはわかっているのに、変に緊張してしまう。髪か肌に何かをつけているのか、爽やかな匂いがした。
「今副会長やってる先輩にね、勧められて」
「おー、スカウトだ!」
「そんなもんじゃないよ。やるべきだって言われたから」
「べき? 陽壱はやりたいわけじゃないとか?」
陽壱から顔を離した千尋は、自分の顎に指を当てる。曖昧な回答で悩ませてしまったようだ。
誰かに立候補の理由を聞かれたのは、これが初めてだったことを思い出した。
「俺はやりたいのかなぁ」
「それは、陽壱にしかわからんよ」
苦笑に合わせるように、休み時間の終わりを知らせるチャイムが鳴った。「じゃ、また」と告げて千尋は自席に戻っていった。
「また、かぁ」
今日の千尋は、陽壱を探るような会話が多い。事実をフラットに受け流すタイプだと思っていたので少しの違和感を覚えてしまう。
それも彼の一面であるのかもしれない。
授業を受けながら、陽壱は立候補した意味を考えていた。
そもそもは、現在の副会長である松井 恭子が発端だ。陽壱への想いを受け入れなかった罰らしい。
なぜそれが罰になるのか、それは今もわからない。面倒事を押し付けて喜ぶタイプの人ではないから、何かの意味があるはずだ。
千尋の言葉が胸に刺さる。陽壱自身は、生徒会長なんて柄ではないと思っているし、興味もなかったのだ。
陽壱の悩みとは関係なく、時間は過ぎ授業が終わった。内容はそれなりに頭に入っていたのが不思議だった。
「やあ、陽壱。また会ったね」
「千尋から来たんだろ」
「確かに。で、立候補の理由はどう?」
さっきと同じように、顔を近くに寄せてきた。肩まで伸ばされたくせ毛を指ですくい、耳にかける。
妙に女らしい仕草だと思った。やっぱり昨日とは印象が違う。
「どうって言わてれもなぁ、さっきと同じだよ」
「そうかぁ、意外と受け身なんだね」
「受け身?」
「そうそう、クラスの皆は陽壱のこと、なんでも積極的にやる奴って言ってたからさ。おかげで助かるともね」
朝の人だかりでは、陽壱の話もしていたらしい。「また浅香か」なんて声の聞こえてきそうな話題だ。
「うーん、やった方がいいとか、誰でもいいけど誰もやりたくない、みたいなのは自分からやってるかな」
「なるほど、積極的な受け身ってやつだ」
千尋は納得した様子で頷いている。
「積極的な時点で受け身ではないんじゃない?」
「いやいや、そういうのもあると思うよ。ボクも同じ」
「そんなもんかなぁ」
立候補した理由が今のままでは、演説会には間に合わないだろう。恭子には悪いが、辞退も考えている。
これでは、対立候補にも他の生徒にも失礼だから。
「よし、これも縁だし、ボクが理由探し手伝うよ。この際、後付けでもいいよね」
元気に胸を叩く千尋の言葉は、心からありがたいと思えた。
困っているときに親身になってくれる。いつも自分が誰かに言っているような言葉だが、言われた経験はほとんどない。
それと同時に、朝から続く違和感の正体に確証が持ててしまった。『ボク』の発音が最後のひと押しだった。二回連続ならば、偶然ではない。
気にかけてくれる相手に対し、あまりにも失礼なことを言おうとしている。しかし、これを流してしまえば、彼と彼女を友人とは呼べなくなる気がした。
「君は、千晶か?」
陽壱の言葉に、千尋の笑顔が硬直した。
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