第4部 その2「ようこそいらっしゃいました」

 六月も後半に差し掛かり、雨の日も少なくなった。夏休みを約一ヶ月後に控えた今は、恐ろしい期末テストが忍び寄る季節だ。

 テストが終われば生徒会の選挙がある。現職の副会長からの強烈な推薦で、陽壱は会長に立候補していた。

 演説の原稿を考えなければならないのだが、まずはテスト対策だ。成績が芳しくなければ、生徒会など務まるはすがない。


 そんなわけで、放課後はまっすぐ帰り、机の前に座る生活が続いている。こんなに勉強をしたのは生まれて初めてかもしれない。

 それは副会長に立候補した美月も同じで、窓の向こうには必死でノートに書き込んでいる姿が見える。時折目が合うのが気恥ずかしい。

 目的がある上での行動なので、陽壱はさして辛いと感じていなかった。ただ、美月はそうではなかったようで、付き合わせてしまったことを申し訳なくも思っていた。


 そこで、陽壱は一緒に勉強をしようと考えた。いつものコーヒーチェーンでお茶しながらという、ちょっとしたデート気分も込みなのは秘密だ。

 昼食の際に誘ったところ、美月は喜んで承諾してくれた。放課後が非常に楽しみになった。


 しかし、陽壱の思惑はおかしな少女に乱されることになる。


「浅香先輩!」


 美月を迎えに行こうと教室を出たところで、声をかけられた。

 先輩と言うからには一年生だろう。かなり小柄で髪は短い。健康的に日焼けしたその姿は、セーラー服を着ていなければ中学生の男子と見間違えてもおかしくない飾り気のなさだった。


「一年二組の東 恵理花といいます!」


 元気な声で名乗った下級生は、真ん丸な瞳で陽壱を見上げた。


「今からお時間頂けませんか?」

「ごめん、今日は無理だ。明日にしてほしい」


 陽壱は即答した。

 そのまま恵理花の横をすり抜け、美月のクラスへ向かう。

 陽壱は普段の行いから、初対面の相手に頼み事をされることも少なくない。いつもであれば、とりあえず話は聞くのだが、今日は駄目だ。

 恵理花には間が悪かったと思ってもらうしかない。

 しかし、彼女は諦めが悪かった。


「浅香先輩、ちゃんと聞いてくださいよ!」


 大声を張り上げながら、恵理花は陽壱を追いかけてきた。


「いやいや、今日は無理だって」

「そこをなんとか。時間がないんです」


 なにやら相当困っている様子だった。助けになってやりたいとは思い、足を止めるかを悩んだ。


「魔獣を倒すには、浅香先輩が必要だって占いに出たんですって!」


 魔獣を倒すなんて、何かの妄想に溢れた子なのだろうか。創作の話を聞くのは嫌ではないが、緊急性はなさそうだった。

 そうであれば、今日は避けてほしい。


「わかったけど、明日にしてくれないかな。そもそも初対面だよね俺たち」

「あーっ、真面目に聞いてないやつですね」


 恵理花の大声は廊下に響いた。地声から大きい子のようだ。

 さすがに無下に断りすぎたかと思い、理由を話すことにした。ただし、歩きながら。

 止まってしまえば、もうおしまいだという予感がしていた。


「今日はテスト勉強の約束してるから、明日ね、明日なら時間作るよ」

「だめです。今お願いします」


 今度は恵理花が即答した。思わず陽壱は呟いた。


「無茶苦茶だなぁ」


 騒ぎを聞きつけたのか、教室から顔を出す美月が見えた。朝も昼も見たはずなのに、やっぱり可愛い。

 頻繁に変わる髪型も毎日楽しみだ。今日はふたつ結びのお下げにしている。

 長い髪が好みだと言ったのは、確か中学生の時だった。それを今も覚えていてくれるのは、非常に嬉しい。


「あ、よういちー。何してるの?」

「ちょっと追われてて」


 逃げてはいるが美月を素通りできず、立ち止まった。頬がゆるむのを自覚しつつも、状況を端的に説明する。


「また何かしたの?」

「いや、何もしてない。たぶん」


 美月は陽壱の腕に手を当て、体を近づける。映画デートの一件以来、距離感が前より近くなった気がする。

 とても嬉しいのだが、鼓動が早くなるのは止められなかった。


「くっつかないでください!」


 必死の形相で恵理花が叫ぶ。危うく存在を忘れるところだった。

 美月なら上手く断ってくれるのではないかと思った瞬間、目の前が真っ白になった。


 体感時間では五秒くらいだった。徐々に視界が元に戻ってくる。

 腕の中には、柔らかい感触。


「よういち、恥ずかしいです」


 視界は愛しい人の顔でいっぱいだった。


「あ、ごめん」


 咄嗟に美月を抱き締めていた陽壱は、慌てて体を離す。


「って、ええ!?」


 そこは、見渡す限りの草原だった。

 校舎もなく、じろじろ見る生徒たちもいない。

 青空の下、心地よい風が吹く草原に陽壱と美月は立っていた。


「ようこそいらっしゃいました。ゴランド大陸へ」


 二人の前では、恵理花が得意げに薄い胸を張っていた。

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