第3部 その8【完】「言わなくてもわかってるよ」
恭子に呼ばれた美月は、陽壱と入れ代わって席についた。
何を話していたのかは、二人の顔を見ればある程度予想がつく。
「いらっしゃい」
「私も恭子先輩と話したかったです」
美月はどうしても伝えなければならないことがあった。それはきっと恭子にもあるのだろう。
店内に流れるお洒落な音楽が、妙に大きく聞こえた。
「結論から言うとね、やっぱり振られてしまったよ」
予想通りだが、ここまですっきりしたような言い方をされると、どう返していいのかわからなくなる。
いつもと違い、言葉が出てこない。それは美月にとって珍しい体験だった。
「頑張ったつもりなんだけどね、残念な結果になってしまったよ」
「そうですか」
やっとの思いで口を開くが、相づちが精一杯だ。
「彼は、浅香くんは、私ではだめだったみたいでね」
「浅香くん……?」
「ああ、納得して諦めたからね。いつまでも引きずるのは彼にも深川さんにも失礼だから」
恭子は強かった。
自分が陽壱に振られたとしたら、こんなことを言えるだろうか。相手を責めずにいられるだろうか。
「彼は“美月が好き”だと認めたよ」
「え?」
事前に恭子の見解を聞いていたし、その願望も大いにある。しかし、改めて聞くと動揺は隠せなかった。
幼馴染みだったのだ。ずっと一緒にいたのだ。それでも気付かなかった自分の鈍感さにも驚いてしまう。
「深川さんは浅香くんを好きだと言ったし、彼もあなたのことを好き。なら、告白してしまえば晴れて恋人だね。仲の良い幼馴染みからランクアップだ」
「意地悪ですね」
恭子の言う通りなら簡単だ。今ここで陽壱に想いを告げれば、それで恋人になれる。
でもそれは違うと思う。
はっきりと言葉にはできないが、それは違う。
「わかってるよ。違うんだよね。事実を知ったことと、関係を変える準備ができたのとは違う」
「はい。違います」
美月が言いたかったことは、全て先に言われてしまった。
それを見透かしたように、恭子は言葉を続ける。
「でもね、私みたいな女はこれからも現れるよ。彼の気持ちが揺るがない保証はない。逆に、深川さんを好きになる男もいるだろうね」
美月はなにも答えられない。わかってはいるが、今までは考えないようにしていた。
それもそう、陽壱が自分を好きだなんて知らなかったからだ。いつか恋人を作って、離れていってしまうと思っていたからだ。
そんな美月を見た恭子は、カップに残った氷を口に入れて噛み砕き、大きく息を吐いた。
「だから、振られた先輩は可愛い後輩に助け舟を出すよ」
「助け舟?」
恭子の口端が吊り上がる。何かを企んでいるような様子だ。
「決定的な言葉を言わなくても、必然的に一緒にいられる方法があるよ」
美月は恭子の提案に乗り、生徒会副会長に立候補することを決めた。
恭子と別れた帰り、行きと違って二人で電車に乗る。お互いに無言なのに、朝のような寂しさは感じなかった。
美月はそっと、右隣の肩に頭を乗せた。陽壱は何も言わない。
映画館で手を繋いだときのような緊張感はなく、大きな安心感が美月を包んでいた。
降車駅まであと二十分、この時間が永遠に続いてもいいと思えた。
「美月」
「んー?」
陽壱の数歩先を行く美月に、声がかかる。
最寄り駅からバスが出るまでには、まだ時間があった。たまにはいいかと、暗くなりかけた道を二人で歩きはじめたところだった。
雨はやみ、久しぶりに見える空には星が輝きつつある。
「俺な、好きな子がいるんだ」
「そっかぁ」
「でも、まだ告白はしないでおこうと思ってるんだ」
「そっかぁ」
「もちろん、ちゃんと告白するつもりなんだけど、今するのは違う気がして」
「そっかぁ」
「その子は待っててくれるかな」
不安そうな陽壱の声に振り向く。
「その子は、言わなくてもわかってるよ」
美月はめいっぱいに笑って答えた。
「きっと、告白はしてほしいだろうけどね」
一言だけ、釘を差しておくのは忘れなかった。
十五年後のある日。
「おかーさん、れいらちゃんときょーこせんぱい、おはなししてるよー」
四才になる娘に声をかけられ、美月はテレビを覗き込む。
テレビの字幕には『星を跨ぐ女社長対談』と題され、今でも連絡を取り合う仲の二人が写っていた。
遠い星の可愛い友達は、宇宙船を作る会社を中心とした巨大グループ会社の社長。
尊敬する先輩は、地球初の星間旅行会社の社長。
惑星同士を繋ぐ存在になっている二人を見ながら、美月は娘の頭を撫でた。
第3部『先輩:松井 恭子』 完
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