第3部 その2「私に乗り換えてもいいからね」

 恭子にとっては、陽壱が初恋の相手だった。

 高校生になっても、陽壱と知り合うまで、恋愛とは無縁だったのだ。

 そんな相手なのにもかかわらず、初対面の印象を全く覚えていない。

 今ではこんなに夢中なのにと、恭子自身でも笑ってしまう。


 約一年前、生徒会役員選挙の立候補者と実行委員との顔合わせの時に見ているはずなのだが、二十人強のメンバーに埋もれていたのだと思う。

 実行委員を構成する生徒のほとんどは、くじ引きやじゃんけんに負けて仕方なく参加している。翌年の選挙に立候補するための事前準備として参加しているケースもあるが、それは一年生の中でもごく一部に過ぎない。

 全体的には意思もやる気もない集団だ。選挙の運営が例年通り進むだけで良いため、個人を意識する必要もない。

 恭子も一年生の時に後者の意図で参加していたので、それはよくわかる。


 自身が立候補した当時も、同じような状態だろうと思っていた。納得はいかないが、それが普通なのだから仕方ない。

 しかしその年は、異質な存在が混ざっていた。

 浅香 陽壱だ。

 生徒会に興味があるわけではなく、クラスでやりたい人がいなかったという理由で参加したと語る。そちら側の人間は基本的にやる気がなく、指示されたことを指示された通りにやるのが普通だと恭子は思っていた。

 だが、彼は違った。


 慣例として行っていただけで意味の薄い作業を洗い出し、目的や方法を明確に文書化した。その上で不要な作業を切り詰め、大幅な効率化を実現したのだ。それにより、実行委員の負担は激減した。

 しかも、誰に指示されるわけでもなく進んでやり始めたというのだから驚きだ。

 変化を嫌うであろう教員や当時の生徒会役員には事前に根回しをしていたようで、特に反発もなく平然と改革を成し遂げてしまった。

 後に聞いたことだが、本人には改革というような強い意志はなかったらしい。なんとなくやった方がいいような気がした、などと言っていた。

 恭子は陽壱を気に入ってしまった。


 選挙の後も陽壱との縁を残しておきたく、何か理由をつけて呼び付けていた。多くても週一回くらいの頻度だったが、嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた。

 副会長という仕事は事務的な仕事が非常に多く、気軽に手を借りられる存在はとてもありがたいものだった。

 陽壱の友人で深川 美月という女子も時折、生徒会室に顔を見せるようになる。美月も陽壱に負けず劣らずお人好しで、二人に会うのは恭子にとって楽しい時間になった。


 その触れ合いの中で、恭子は自分の価値観が変わるのを感じていた。

 これまでは、納得のいかないことでも普通という言葉で流していた。

 この高校に入ったのは、家から近いから。生徒会に立候補したのは、大学の推薦に有利だから。推薦されて良い大学に行くのは就職に有利だから。

 それが普通だと言われて育ってきたから、意味など考えたことはなかった。


 本人は意識していないようだが、陽壱はあらゆる事に意味を見出していた。

 恭子はそれに憧れた。そこに年齢は関係なかった。

 少しでも彼に近づこうと、生徒会の活動に意味を持たせようとした。

 その結果、生徒や教員問わず『今年の生徒会は一味違う』というような評価の声を聞くことができた。

 陽壱ほど上手くはできず、細々した衝突はあったがその価値はあったと思っている。


 陽壱への想いが恋だと気付いたのは、最近のことだ。

 新入生の歓迎が落ち着き、五月末の中間試験も終わった頃、生徒会としては少し暇な時期になる。

 受験の準備も始めなければと、ぼんやり考えていた時に、不意に気付いた。

 常に頭の中に陽壱の姿があること。その隣には自分がいること。それはとても幸せな想像だということ。

 想いを伝えられるのは、たぶん今しかないと思う。選挙が始まればまた忙しくなるし、受験勉強もしなければならない。


 居ても立っても居られず、手紙を書いた。

 あまりにも堅苦しい文章になってしまったが、陽壱ならわかってくれるだろう。

 勝算はあまりない。

 友人と言っていた美月だが、きっと自分と同じく彼が好きだ。

 陽壱はどうだろう。美月のことを好きなのか、それとも他に好きな人がいるのか、自分に入る余地はあるのか。

 不安は尽きないが、想いを告げないままの卒業だけはしたくない。


 そして、雨の中告白をして見事に振られた。

 ただ、その理由が納得できなかった。納得したくなかっただけかもしれない。

 陽壱に好きな子がいるのはわかった。

 彼ほどの男なら、告白すれば二つ返事で承諾されるのは確実だ。それでも言葉を濁した。

 そこにはきっと意味がある。

 ならば、自分が陽壱の背中を押そうと思う。そして、あわよくば、その相手から陽壱の心を奪ってやろうとも思っている。


 私の初恋を奪ったのだから、簡単には断らせない。

 恭子は往生際が悪いのを自覚しつつも、陽壱に相談相手になることを申し出た。

 こんな台詞しか出てこない自分が恥ずかしいけども、この際仕方ない。


「言いたくないことは聞かないから、恋の相談に乗らせて。その間に、私に乗り換えてもいいからね」


 困惑する陽壱を可愛いと感じて、恭子はその場を立ち去った。

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