彼女のミステリー

青山えむ

第1話

 きっかけは、アニメだった。僕と有美ゆみは同じアニメが好きだった。

 

 いつも通りライブハウスで過ごしていると、有美に話しかけられた。初対面なはずなのに、以前から知っているかのような口調だった。


「あ! そのストラップ! 私もそのアニメ好き」

 金色に近い茶髪。重そうなまつ毛。スカートからすらりと伸びた白い足に真っ赤なハイヒール。

 有美は一瞬で僕の興味を引いた。ライブハウスで知らない人と話すのは珍しいことではない。同じバンドが好きで同じライブに来て同じ愉しみを味わった者たちが一緒に盛り上がるのは自然のことだ。

 有美とは同じバンドを好きなわけではなかったのが、いつもの自然と離れていた。少し違和感を感じたけれどもこれも何かの縁。

 僕は有美がしたカバンのストラップを手にした。アニメに出てくる主人公のストラップだった。アニメグッズが売っている店でどれが出るか解らない方式で売られていた。トレーディング〇〇とはよく言ったものだ。


「僕は三条先生推しなんだけどなかなか出なくてね」

「三条先生イケメンだよね! 私は薔薇美が好き」

 人気のあるアニメだったけれども実際グッズを買うほどにハマっている人は周りにいなくて、僕はディープな話が出来る相手がいなかった。

 有美のような存在は貴重だ。そこからは、どの場面が好きだとか、キャラクターの心情を語り合ったりした。バンドの演奏が始まると有美とのトークは中断し、ライブを見た。ライブを見ている間もアニメトークがしたかったけれども、せっかくライブハウスに来ているのでライブを見ることに集中した。わざわざ集中しようとするほど、アニメトークが愉しかった。


「打ち上げ出る?」

 僕は有美ともっと話したくて打ち上げに誘った。今日はライブハウス主催のイベントで打ち上げは自由に参加してくれスタイルだった。

 有美は一人で来ていた。誘った手前、放っておくわけにはいかず僕は有美の隣に座った。

 アニメトークの前に、有美の個人情報を聞こうと思った。名前は有美で、出会った初日に年齢は聞くのをためらった。隣の市に住んでいると言っていた。ライブハウスには時々来ると言っていた。有美の好きなバンドは、ちょっと下手くそなバンドだった。友達らしい。

 有美は十二時前に帰ると言った。門限があると言っていた。意外だ。

 有美が帰ったあと、いつものメンバーと他愛ない話をした。


 それからも有美とは時々ライブハウスで会った。有美が好きなバンドと僕が好きなバンドがどちらも出演する日に会えた。

 有美とはバンドの話もするけれども、やっぱりアニメの話になる。毎週金曜日の夜中に放送されているアニメなので、土日のライブで最新話の話題に華が咲く。

 僕は有美に会うのが愉しみになってきた。アニメの話で盛り上がりお目当てのライブを見る。最高に愉しい時間だった。

 そのうち僕は、有美ともっと継続的に話がしたくなった。


「今度さ、ライブじゃない時に会おうよ」

 有美から言われた。有美も同じ気持ちだったのが嬉しかった。アニメの話だけではなく、女子と会う約束にどきどきした。


 ライブのない土曜日の午後、有美の行きつけのカフェに行った。ガラス張りのちょっとオシャレなカフェで、僕には縁のない店だった。僕が普段行く店と言えば男友達とラーメン屋か純喫茶だった。

 僕はコーヒーとチーズケーキを頼んだ。有美はココアとチョコレートケーキを頼んでいた。

 ココアにチョコケーキ……そんな甘々コンビも有美には違和感がなかった。いやしかし、本音はどう思っているんだろう。本当は甘すぎると思っていても、どうしてもチョコケーキが食べたかったのかもしれない。


「一口食べる? あーんして」

 有美が自分のフォークにチョコケーキを刺して僕に向けてきた。僕はどうしたらいいか解らず、一瞬戸惑う。有美は笑顔で僕がチョコケーキを食べるのを待っている。僕は反射的にフォークに刺さっている茶色い食べ物を口に入れた。


「ずっと見てるから、食べたいのかなーと思って」

 有美は輝いた笑顔で言う。僕は有美に好意を抱いていた。

 それからCD屋へ行きカラオケなどに行った。今日も有美は夜中の十二時前に帰る。


 数週間後、ライブハウスで有美に会う。知らない男と妙に仲良く話している。くっつきすぎじゃないか。誰なんだあの男は。僕は悶々としていた。


 有美がようやくあの男と離れて僕の元へ来てくれた。

「さっき話していた人、誰?」

 僕は感情が出ないようにさり気なく聞いた。

嶋田しまださんって人で、ライブハウスで知り合った人だよ」

 有美はいつもの調子で言う。そういえば僕も有美とはライブハウスで知り合ったんだ。僕以外にもあんな感じでフレンドリーに話しかけているのだろう。そう思ったら一気に落ち込んだ。僕だけが特別なわけではなかったのか。それならば特別になりたい。今度は僕が有美を遊びに誘う。有美は快諾をする。


「もうすぐバレンタインだね、有美は誰かにチョコあげるの?」

 僕はさり気なく聞いた。

「私、義理は配らないよ。本命にだけあげるよ」

 僕は「そうなんだ」と軽く返しておき、心の中は破裂しそうだっだ。今年のバレンタインにはイベントがある。有美の好きなバンドも僕の好きなバンドも出る。あと二週間だ。


 バレンタインイベント当日、有美は来なかった。どうしたんだろう。まさか、ライブハウスと関係のない人が本命だったのか。妙な期待を膨らませていた分、僕はがっかりした。

 そのあともライブハウスで有美に会うことはなかった。

 一ヶ月ほどした頃、さすがに気になったので有美の好きなバンドのメンバーに聞いてみた。信じられない言葉が返ってきた。


 有美は死んだ。あのバレンタインの朝。死因は心筋梗塞だと噂があると言っている。噂? どういうことだ。今日ここにいない誰だかが有美の友達の知り合いで、それで有美の訃報を知ったらしい。

 周りのみんなにも聞いてみた。有美の顔を知っている人に聞いてみたが、誰も有美の死を知らなかった。それどころか本名も住んでいる場所も仕事先も年齢も知らなかった。


 バレンタインの日、有美は誰にチョコをあげるつもりだったのだろう。それよりも、有美のことを何も知らなかった自分に気づく。いつも十二時前に帰っていたのは本当に門限だったのだろうか? 

 有美はもう、永遠に解けないミステリーになってしまった。

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