異世界人は幽霊を怖がらない

ちかえ

異世界人は幽霊を怖がらない

「ぎゃあ! 幽霊だぁ!」


 いわゆる普通の反応に、ホセは懐かしさと喜びを感じた。


「ひぃ! 来るなぁー!」


 どうやら興奮のあまり一歩足を踏み出してしまったらしい。目の前の青年が、がたがたと震えながら叫んでいる。

 確かに普通は半透明で浮いている人間が目の前に現れたらこういう反応をする。少なくとも彼の前の前の生ではそうだった。


「おい、やめてやれよ。幽霊さんが可哀想だろ」

「そうですよ。失礼でしょ」

「差別はいかんよ」


 なのに、この世界の『普通の』人達が彼の感動を邪魔して来る。


「ほれ、眉をひそめとる。可哀想に」

「え、えーっと……」


 わけの分からない状況に青年が戸惑っている。無理もない。


 ホセが眉を潜めたのは周りの人間の反応のせいであって、今、目の前で怯えている青年のせいではないのだが、こんな空気では言えるわけがない。幽霊だって空気くらいは読めるのだ。


 それにここでごちゃごちゃ話していると騒ぎになるだろう。ホセはとりあえず青年を物陰に連れて行く事にした。


***


「お前、転移者? それとも憑依形の転生者?」


 物陰でホセは単刀直入に用件を切り出した。青年がぽかんとしている。


「な、何で……」


 そう言って青年は口をパクパクさせた。金魚みたいだな、とつっこみたかったが、それはやめておく。


「実は俺も転生者なんだよ。とは言っても死んじゃったけど」


 こちらの事情を説明すると、青年は同情するような目でホセを見て来る。そんなにいい気はしないので眉を潜めると、また怯え始めた。


「そ、それでも、ぼ、ぼくが転生者だなんて分かりませんよね? 幽霊だから分かるんですか?」


 霊力でそんな事が分かるんだったらホセはまず彼の名前を言い当てるだろう。そちらの方が彼をより驚かせられる。


「この世界の人は幽霊をみて『ぎゃあ!』って言わないんだよ。人間にも幽霊は普通に見えるからそんなに珍しくもない。ある程度の市民権? も得てるんだ」


 幽霊を市民と言っていいのか分からないのでつい疑問形になってしまった。


「赤ちゃんから始まる転生者だったら赤ん坊時代に怯えるだけで慣れると思う」


 これはホセもそうだったので容易に想像出来る。


「だからいきなりこの世界に来たタイプなのかなと思っただけだよ」


 安心させるために微笑む。青年はまだホセの事を薄気味悪そうに見ていたが、少しだけ表情がほぐれたように見えた。同じ元異世界人だと分かったからだろうか。


 もっと緊張をほぐすために、ホセは自分の事情を話した。魔法のある世界に生まれ変わって最初は喜んだ事。なのに、自分は魔力もない一般人でがっかりした事。『ホセ』としての人生自体は全うしたが、そういう事情でこの世界に多少未練が残ってしまった事。

 幽霊になってしまったのはそのせいだろう。いわゆる『異世界ライフ』を充分に楽しめなかったという未練があったから。九十代で死んだはずなのに幽霊の姿が二十代になっているのもそのせいだとホセは考えている。


「間抜けだろ。こんな馬鹿げた理由で幽霊になっているなんて……」


 そう言いながら自嘲の笑いを漏らす。こんな事は情けなくて幽霊仲間にも吐露出来なかった。なのにこの転生者の青年には話してしまっている。きっとこちらも同じ元異世界人に会えた事でほっとしているのだろう。


 ホセが事情を話した事で少し気が抜けたのか、青年も軽く事情を話してくれる。セサルという名前のこの青年は、昨日、川で溺れそうになった時に前世の記憶がよみがえってきたのだという。今の『セサル』としての記憶もあるが、前世の記憶にまだ引っぱられ気味なのだという。


「だからきっと幽霊の事も怖くなっちゃったんだと思います。きっと前は怖くなかったのかもしれないけど、そこまではまだ分からなくて……」


 そりゃそうだ、とホセは苦笑する。日常の普通の風景を事細かに覚えている事なんてそうそうない。


「でもちょっと嬉しかったな」


 ぽつりとつぶやく。セサルが訝しげな顔をした。


「だって前世の世界では幽霊は怖がられるものだったんだぜ。少しは怖がられたいよ。うらめしやーって言ってぎゃーって叫ばれる体験をやってみたかったんだよ」


 自分でも分かるほどウキウキした口調になっているホセにセサルが苦笑している。『うらめしやー』が通じるという事は、彼の前世は日本人だったのだろう。


「それ、そんなにいいもんですかね?」

「幽霊には幽霊の『お約束』ってもんがあるだろ? ここじゃ『祟ってやるぞぉー』とかも言えやしない」

「やめてください、ホセさん。その姿で言われるとシャレになりませんよ」


 セサルが怯えながらも笑っている。これがホセの冗談だと分かっているからこその態度だ。でなければまた悲鳴をあげられていたかもしれない。


 だが、そんな和やかになった雰囲気もそれまでだった。


「『祟る』だと?」


 後ろから聞こえて来た恨めしそうな声にホセは体を震わせた。そちらの方を向いているセサルもがたがたと震えている。


「……じ、冗談ですよ?」


 震える声でそれだけを言う。


 この世界の人間は、本当の意味で幽霊を『怖がっていない』わけではない。ただ、圧倒的強者である幽霊と共存するために、彼らを受け入れる事を選んだだけなのだ。


 それを幽霊側も分かっている。だから、人間を怖がらせて自分たちが駆除の対象になってしまわないように気を配っているのだ。

 その事で幽霊達はある程度ストレスがたまっている。そして、その怒りは幽霊間の暗黙の了解を破った若い幽霊に向けられる。そして、今、『祟る』と口にしたホセもその対象になってしまったのだ。


「ご、ごめんなさい。もうしません! ごめんなさい!」


 必死に謝る。それでも彼らの怒りは収まらない。


 セサルの方は、と見ると、比較的冷静な幽霊達に心配をされている。だが、幽霊が苦手なセサルは今にも気を失いそうだ。『大丈夫か?』、とか『怖かったでしょう』などと言われているが、今、彼が怖いのは間違いなく目の前の幽霊達だろう。


「よくもわたしにどくをもったな……」

「くびをしめられてくるしかったの……」


 そしてホセに向かって来る幽霊は、怒りのあまり生前の恨みを持ち出している。その頃、俺は異世界でも生きていなかったとつっこむ余裕はホセにはない。


 結局、ホセは彼らの怒りが収まるまで謝り倒すはめになってしまった。

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異世界人は幽霊を怖がらない ちかえ @ChikaeK

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