第十話:裸足の実力者


 ヤエヤマ達はエルト市に直行していた。セプトの知り合いであるアテアイという刑事に会いに行くところであった。エルト市は連邦の中心地であるフェーユ・シェユの西側にある市である。街並みは機能的に整理されていて、こざっぱりとした印象を感じさせる。

 本部からは少しばかり遠かったが、ヤエヤマの乱暴な運転は一時間ほど掛かるところを15分に短縮してくれた。その代償としてヤエヤマ以外の捜査官達はヘロヘロの状態で車からエルト市警察署に向けて歩みを進めていた。


「それにしても、あの運転どうにかならないの?」

「無理だな、国家公安警察のときから染み付いてんだよ」


 ヤエヤマはシュヴェーカのぼやきにそう答える。後に続くラムノイはフードの中で青い顔をしながら、セプトに肩を貸してもらっていた。


「セプト。ヤエヤマの運転が直るか、あたしのブローカー野とウェルニッケ野が壊れるか。どちらが早いか、賭けてみる?」

「何言ってるんだかさっぱりなんですけど……」


 肩を貸しているセプトは心配そうな目をラムノイに向けていた。

 しかし、その時、それまでグロッキーな表情で俯きながら歩いていたラムノイが突如、何かに気づいたように顔を上げた。後ろの様子を見ていたシュヴェーカとヤエヤマも、その視線の先に目を向けた。

 ケモミミを頭に生やした女性が慌てた様子で彼らの方へと走ってきていた。上はキャミソール、下は洗濯を繰り返して色が抜けたジャージというダサい服装で裸足、オレンジ色の髪の毛を振り乱してぐちゃぐちゃにしながら、今にも衝突するような勢いで接近してくる。


「ちょ、ちょっと、そこに居るヤツ、助けてーっ!」

「あ、あれは――」


 セプトの言葉を遮るように、ケモミミ女性はその勢いのままでヤエヤマの胸に突っ込んだ。シュヴェーカはその様子を見て、表情を凍りつかせる。あの勢いで突っ込まれれば誰だって吹き飛ばされるはず。

 しかし、ヤエヤマは彼女を受け止めて微動だにしなかった。


「どんな体幹してんのよ、あんた……」


 ラムノイはじっとその女性の頭の上にあるケモミミに注目していた。ああいったケモミミが付いているのはラッテンメ人という人種だ。異能ウェールフープ研究を生業としていた古代の研究者達が生み出した人造人間の一種だと言われている。

 シュヴェーカの驚きの表情をよそにケモミミの女性はヤエヤマの胸でバタバタと暴れ始めた。


「匿ってくれ、兄貴ぃっ! オレ、追われてるんだ!」

「誰なんだお前。てか、離れろ。獣臭い」

「当然だろ!? 風呂にここ数日入ってないんだよ!」

「なんでだよ!?」

「ライ★マスのイベが始まったからだよ!! 3000連やってもフィアちゃん出てこなかったぞ! 最低保証だけってどうなってんだ、オレの100万レジュ返せ!!」

「知らん!!」


 そういって、ヤエヤマはケモミミの女性を路地に引き込む。セプト達はそれを黙って見つめていたが、ややあってその横を多くの警察官がドルムの形相でやれ「あいつはどこに行った」だの、やれ「絶対に捕まえろ」だの言いながら、走り去っていった。

 ケモミミの女性はヤエヤマから離れて、路地の入り口の角から顔を出して警察官たちが過ぎ去ったのを確認してから、胸をなでおろすように息をついた。


「ねえ、何やったのよ。あれだけの警察官に追われるなんて尋常じゃないわよ」

「何もやってねえよ」

「怪しい人の常套句」


 ラムノイはケモミミ女性の応答を一刀両断する。彼女は不満そうに「あぁん?」と声をあげた。


「本当に何もやってねえよ。だって、ほら、あれ、どこいった?」


 ジャージのポケットを弄る。クレジットカードに、よれよれになったレジュ紙幣、コイン、美少女のアクリルフィギュアなどがぼろぼろと道に落ちてゆく。それを見ていたヤエヤマ達四人は完全に冷え切った視線を彼女に見せていた。


「ねえ、何探してるのよ。アリバイを示す証拠か何か?」

「ちげえっつうの、あ、これこれ。ほい、見な」


 ケモミミの女性はポケットから黒い縦型二つ折りの身分証を開いてみせた。


「エルト市警巡査部長、アテアイ・クレサイヤだあ。これでいいか?」


* * *


 ヤエヤマの車にクレサイヤを乗せて、高速を走っていた。三人乗るには後部座席は狭く、セプトが細身だったことからクレサイヤとシュヴェーカの二人のお姉さんに挟まれて乗せられていた。その上、ヤエヤマの危険運転は留まるところを知らず、セプトの心は休まらなかった。


「よく見たら、セプトが居たから驚いたじゃねーか。一体オレをどこに連れて行くのか知らねえけど、助けられたからには多少は付き合ってやるぜ?」


 クレサイヤは腕を組み、車窓の外を眺めながら言う。セプトは目のやりどころに困って、視線をあちらこちらに巡らせていた。


「結局なんで追われてたんですか……」

「あ? ああ、ソシャゲのイベントで手が離せなかったところに仕事が入ってきてな。最初は署内で場所変えながらやってたんだけど、巡査達がウザったくて署を逃げ出したら、なんかアイツラも血相変えて追ってきてよぉ」

「いや、それは完全に師匠が悪いです……」

「師匠?」


 シュヴェーカはセプトが自然に言った言葉を聞き逃さなかった。


「ああ、クレサイヤさんは王国警察設立時に連邦から派遣された元警察教官だったんですよ」


 シュヴェーカは「教官」らしくないスタイルのクレサイヤを見ながら表情を固くした。

 ユエスレオネ連邦の隣国であるハタ王国は連邦に接触するまでは前近代的な国家であった。そんなハタ王国は連邦と共通の敵である武装テロ組織「シェルケン・ヴァルトル」を討伐するために手を取り合い、近代化を進めてきた。警察組織の設立もそれに関わっており、王国警察は連邦警察で優秀な評価を得てきた警官を教官を受け入れて教育にあたった。

 つまり、このうだつの上がらないジャージキャミソール女は只者ではないことになる。


「研修のとき、クレサイヤさんが僕達の担当で当時は服装もキッチリしてて、それにとても厳しかったんです。それが今になっては……」


 セプトは残念そうな目でクレサイヤの頭から足までなぞるように見た。


「おうおう、何だよ。またシゴキ倒されてえのか?」


 クレサイヤはセプトの首に腕を掛けて、引っ張る。シュヴェーカがそれを見て目の色を変える。


「ちょっと止めなさいよ!! セプト君は私のものなのよ」

「ぐえっ!? シュヴェーカさん、あ、頭を引っ張らないで――」

「ほう、どちらが教導役として適切か証明してやるよ」

「や、やめれくらしゃ……ひゅぅ……」


 セプトが首と頭を締められた状態で気絶しかけた瞬間、車が左右に大きく振動した。シュヴェーカとクレサイヤの体が車の側壁にぶち当たって、二人共悲鳴を上げた。

 ヤエヤマは車を止めて、後部座席の方へと顔を向けた。


「どうやら、教導役に相応しいのは俺だったようだな」


 フロントガラスの先にはFMFの本部が見えた。セプトはお姉さん二人に挟まれたまま、すっかり失神してしまっていた。ヤエヤマによる一撃は、どうやら救いではなくトドメになったらしかった。


* * *


「ぶはあっ!?」


 セプトは起き上がって、顔についた水を払った。彼の目の前にはミネラルウォーターのペットボトルを持ったヤエヤマの姿があった。


「よく眠れたか?」

「……ええ、最高の睡眠に、最高の目覚めでしたよ」


 セプトは冗談めかして答える。

 既にクレサイヤにあらかた事件の説明はされていたようでホワイトボードには大きく「ログの確認」と書かれたところが赤い丸で覆われていた。

 シュヴェーカはクレサイヤのことを胡散臭そうな目で見ていた。まあ、実際に臭いのではあるが。


「ねえ、ハッキングなんて本当に出来るわけ?」

「舐めんなよ、陸軍士官学校のネットワーク侵入試験とかオレがやってるんだぜ」

「ここには普通のパソコンしか無いけど、大丈夫なの?」

「大丈夫、大丈夫、ほれ、そこのノートパソコン貸してみ」


 クレサイヤに指されたノートパソコンをヤエヤマは机から取って、渡す。彼女はパソコンを開くとすぐにキーボードを高速で叩き始めた。


「オレんところの超絶最強神PCはSSH接続が出来るから、外からでもネットにさえ繋がってればそっちで作業ができるのさ。後はデータログのある対象サーバーを割り出して、ポートスキャンすれば多分企業のサーバーとはいえどっか無防備におっぴろげてるとこがあるだろ。ダミーのプロトコル用パケット送ってセキュリティを欺瞞すれば……」

「説明は良いから、手を動かせ」


 ヤエヤマの言葉にクレサイヤはふてくされたような顔になりながらも高速で入力を続けた。画面では黒字に白の文字列が高速で流れていっていた。通常では見ることもないような画面の上を読めないスピードで文字が流れていくのをヤエヤマ達は固唾を呑んで見守っていた。


「あー、行けたぞ。登録者のアクセスログから追跡して……んぉ?」


 クレサイヤは手を止めて、素っ頓狂な声を上げる。後ろから見ていた四人は分からないだろうに画面を背後から覗き込んだ。


「どうしたの?」

「良く分かんねえけど、この靴の持ち主、変なところからアクセスしてんな」

「変なところって何だ?」

「製薬会社だよ。パルソガにあるアルヴェルクトゥス製薬って会社らしいんだが」


 怪訝そうなクレサイヤの視線が今度はヤエヤマへと向かう。


「なあ、なんで製薬会社の人間が異世界人を呼び出して殺すんだ?」

「分からん、後は俺たちで調べる」


 出動の準備をしようとしたヤエヤマの腕をクレサイヤは両手で掴んだ。ヤエヤマは舌打ちをして彼女の方へと振り返った。


「なあ~協力しておいて何も貰えねえってのはちょっと酷えんじゃねえのか?」

「……何が欲しい」

「そうだなあ……じゃあ、ライ★マスのプレイヤーになるって事で!」


 ヤエヤマは「は?」と支えを外されたような声を漏らし、またシュヴェーカはソシャゲに熱中するチームのボスを想像したのか吹き出してしまった。


「ま、まあ、それで良いなら構わないが……」

「約束だぞ!」

「ライ★マスが何かは知らんが、分かった」

「始めたら、3000連しろよ?」

「それはしない」


 ヤエヤマは今度こそ自分のデスクの引き出しを解錠して、捜査官身分証と拳銃を取り出して部屋を出ていこうとする。


「セプト、ラムノイ、シュヴェーカ! 車を出せ、アルヴェルクトゥス製薬に向かうぞ」


 ヤエヤマの後を付いていくメンバー達を眺めながら、残されたクレサイヤは懐かしげな表情になっていた。


「オレも一線復帰しても良いかもなあ」


 そんなふうな呟きは静かになった部屋の壁に吸い込まれていった。

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