第九話:身元(世界)分からず


 レイの研究室は前回来たときと異なり、装飾まみれになっていた。並ぶ検査機器には木の一種であるヴァルカーザの冠が載せられていたり、可愛らしい赤のリボンが掛けられ、壁には古びた大鋏が掛けられていた。

 ヤエヤマとラムノイの気配を感じたのか、レイは腕を組んで振り返った。切り揃えられたおかっぱの髪がさらりと振れた。


「ルーリア祭の季節じゃから、下々の者に飾り付けをしたのじゃ!」

「下々の者……?」


 ラムノイの疑問に満ちた声にレイは顕微鏡にぽんと手を載せた。どうやらレイにとっては検査機器は「下々の者」らしい。


「祭りは後にしてくれ。例の身元不明遺体の事件、分かったことは」

「ああ!! それそれ、それの事なんじゃが!!!!」


 大声を張ってわめき始めるレイにヤエヤマは顔をしかめた。レイはそれを見て、バツが悪そうに口を押さえてから先を続ける。


「例の事件の試料を機械に入れたら軒並み全部壊れちゃったのじゃあ……下々の者たちが動かなくて暇だから祭りの飾り付けを……」

「全部壊れただと?」

「一つだけなら定期的な故障なのじゃが、全部壊れるなんておかしいのじゃ。そもそも被害者の血液も、皮膚も、体液も、この世界の人類とは似て異なるんじゃ。少しでも分量を誤れば、機械がおかしくなるんじゃよ」

「面倒だな。科学捜査に影響はあるか?」

「別の機器を手配してもらってるのじゃが、試行錯誤しなきゃ分からないから相当時間がかかるのじゃ。これじゃとあまりアテにはならない」


 ヤエヤマはため息を付きながら、レイに背を向けた。


「せっかく時間を割いてここまで来たというのに見せられたのはルーリア祭の装飾だけとはな」

「科学捜査官人生の中で異世界人の血液検査をする日が来ようとは……」

「特異的な体質の人物ってだけだろ。異世界人だと決まったわけじゃない」


 つっけんどんに否定されたレイは不機嫌そうに童顔をむっとさせるが、ラムノイが無言で差し出した羊羹バネクリャンですぐに機嫌を取り戻した。

 両手を上げて喜ぶレイを背にして、ヤエヤマは研究室を去っていく。ややあって、ラムノイもそれに付いてきた。


「なんでそんなに異世界から来たことを否定するわけ」

「確定要素がないからだ」

「異世界から来たことを否定できる証拠もないけど」


 ラムノイはフードを深く被り直して、ヤエヤマの反応を待つ。

 能力者ケートニアーの使える能力ウェールフープの中には異世界から人間を連れてくるようなものも存在している。それゆえ、この世界の過去には過激派集団が勢力拡大のために異世界から大量の人々を拉致してきたことさえあった。

 だからこそ、異世界から人間が転移してくること自体はありえないことではなかった。


「……いきなり異世界に連れてこられて、ぶち殺されるなんて意味が分からん。どうしたらそんな必要が産まれる?」

「異世界からの来訪者を殺すのが好きなサイコパスなんでしょ」

「はぁ、そもそも判断するには情報が少なすぎる。まだ捜査は始まったばかりだ」


 研究所の出口へとヤエヤマは足を早めた。


* * *


 場所は変わって、疾病対策研究院の検死センター。シュヴェーカとセプトはキヤスカの検死結果を検死室の外で待っていた。

 シュヴェーカは落ち着いていられないようで、検死室の入り口の窓に目を向けては、逸らすのを繰り返していた。


「ねえ、ヤエヤマさんが入れて私達が入れないってどういうこと?」

「何か理由があるんでしょう。ラムノイさんだって入れたんですし」


 「むぅ……」と納得できない様子のシュヴェーカは腕を組んで、ふてくされたような表情になっていた。

 検死室のドアはそんな二人を嘲るようにゆっくりと開いた。中からは白衣を着た小柄な男――キヤスカが現れて、その頭に被せられたガスマスク様の装備を取り外して無造作に検死室の方へ投げ捨てた。


「すまんな、ちょっと気になる点があってな」

「気になる点ですか?」

「ああ、体の構造なんやけど普通の人間とはちょっと、というか結構違ごうててな。感染症の可能性もあるから君達は検死室に入れられなかったんや」

「感染症って……大丈夫なんですか?」


 キヤスカは何も恐れていないような顔でセプトの質問に頷いた。


「検査はしたんやが、これといってヤバそうなウイルスとか細菌に汚染されている様子は無かったで。ただ、人体の構造が違うからワイの知識やと死亡推定時刻や死因を断言するのは難しいな」

「人体の構造が異なることって良くあることなんですか?」

「いや、稀やで。これだけ構造が違うと異世界から来たんやないかって疑いたくなるレベルやし」


 セプトとシュヴェーカは互いに顔を見合わせた。異世界からの来訪者という半ば冗談で発したあの言葉は実は本当に起こったことなのかもしれないと二人は思い始めていた。

 神妙な様子の二人を前にして、キヤスカは不思議そうな顔をしながらも先を続けた。


「すまんな、これやとまともな捜査資料にはならんやろ?」

「ええ、でも先生のせいじゃないですよ」

「お詫びに一緒にディナーでもどうかな?」

「いや、そんな申し訳ないですよ! じゃ、私達はここらでおいとまさせて頂きますわ」


 キヤスカは少しガッカリした様子だったが、それ以上呼び止めることもなく二人は検死室の前から去ることになった。

 廊下を歩いていると、シュヴェーカはセプトが憐れむような目で見ているのに気づいた。


「良かったんですか? なんか高そうなもの奢ってくれそうでしたけど」

「あんなオッサンと一対一でディナーとか無理無理! もちろんセプト君となら、ディナーでもブレックファストでもランチでもなんでも行くけどね!」

「あはは……」


 セプトは表面上笑いながらも、「この人、悪い青年に捕まったら死ぬまで絞られる人だ」と同僚として未来を心配していた。 


* * *


 セプトは集積した資料をまたホワイトボードにまとめていた。集められた資料は被害者が完全に謎の存在であることを表していた。


「被害者に関しては、その素性が現在のところ全くわかりません。はっきりしているのは死体温から推測された死亡推定時刻が犯行当日の14時であったことだけです」

「ま、現場から繋がりそうな証拠は見つかったんだけどね」


 そういって、シュヴェーカは一枚のフィルム状の資料をホワイトボードに貼り付ける。それは不完全な足跡のような形を映し出していた。


「現場にはいくつかの足跡があったんだけど、その中でも被害者を刺した位置の足跡はくっきり残ってて、足跡データベースに掛けたら製品が特定できたのよね」

「でも、市販の靴なんで多くの人が買っていて個人の特定なんか難しいだろ」


 そんなヤエヤマの疑問にシュヴェーカは首を振って否定した。


「この靴、健康管理アプリと連携できるみたいでね。ネットワーク上を通じて一日の歩数だったり、歩くペースとかを確認できるらしいの」

「犯人の靴もネットワーク上にアクセスしたってことか?」

「ええ、そうよ! だから、ログを調べれば完璧に分かるのよ!」


 美しい銀髪をかきあげて、自慢気に胸を張るシュヴェーカ。その胸を締め付ける軍服の上着がキツすぎたのか、第三ボタンが弾け飛んでヤエヤマの額に当たった。


「あ」

「……それで、ログは調べられたのか?」

「え、ええっと、それが……個人情報保護だっていって靴の会社がログを提出してくれなくて……」

「殺人事件だっていうのに呑気な奴らだ」

「裁判所に礼状を請求しても、個人情報保護の名目だと難しいかもしれませんね」


 ヤエヤマは腕を組みながら、ため息を付いた。そんな二人の様子を眺めていたセプトは頭の上に電球でも浮かんたかのような表情をして立ち上がった。


「そうだ、そういえば知り合いにコンピューターに詳しい人が居るんですよ。その人ならどうにかしてくれるかもしれません……多分」

「どうにかって、何」


 相変わらず自分のデスクの上に乗り、足をぶらつかせていたラムノイが呟く。それにセプトは「あーえっとー」とはっきり言葉に出すのに戸惑っていた。


「“ハッキング”とか言い始めるんじゃないだろうな?」

「で、でも、確実な証拠が今のところ殆どないんですよね」

「んぁ……まあ、そうだが……」


 ヤエヤマが少し折れたように見えたセプトは名刺入れの中から、一枚の名刺を探し出してヤエヤマに見せた。


「アテアイ・クレサイヤ、エルト市警の刑事でサイバー犯罪の専門家です」

「しょうがないな、アテアイさんとやらに手を貸してもらうか」


 部屋から去っていくヤエヤマをセプト達は慌てながら追うのであった。

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